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あやかし吉原 ~幽霊花魁~  作者: 菱沼あゆ
第二章 覗き女

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お仕置き部屋


 ふと、目を覚ました那津は、古い天井の木目を見、自分は今、どちらに居るのだろう、と思った。

 起き上がり、障子を開けた。


 花冷えか。

 まだ冷たい風が木々の匂いとともに吹きつけてくる。


 こんな場所に居ると、どんな時代に居ても、まあ、変わらないな、と思った。


 振り返り、ひとつ敷かれた布団を見、ただ、隣に誰も居ないだけだ、と思う。


 目を閉じ、昔ながらの丁寧な建築らしく、太い柱に身を預ける。


 葉の揺れる音が耳に響き、庭を見た。

 いつも庭で見ているのと同じ木がそこにあり、風に揺れていた。


 樹齢何年だかもわからないような、そのどっしりとした木を見ていると、自分がいつの時代に居るのかわからなくなる――。


 咲夜……。




 初めて妓楼を訪れたとき、咲夜は階段下で立ち竦んでいた。

 足許に転がる姉の死体よりも鮮烈なものが上に居たからだ。


 今まで見たどんな女よりも人目を惹く美しい女。


『わかっていたわ。お前が来ることは』

と女は自分を見て言う。


 咲夜の横に立ち、ぎゅっと肩を掴む男の指。


 その指の持ち主もまた、桧山を見上げていた。

 咲夜が見ているのとは、全く違った目線で。


 それだけで、彼が此処で死んだ女に対し、どのような感情を抱いていたのかわかった。


 だからこそ、彼は、通りで出会った咲夜を妓楼に連れて行ったのだろう。


 この顔を桧山に見せつけるために。


 それは、彼が桧山が冷酷な女ではないと知っているからこそ、してみた行為だったに違いない。


 誰よりも桧山が罪の意識に苦しんでいる。

 あれが本当に不幸な事故だったとはいえ――。



「あら、お坊様。

 また来たの。暇なの?

 それとも、私を殺しに来たの?」


 咲夜はそう言いながら、階段下に現れた散切(ざんぎ)り頭の坊主の許へと下りていった。


 坊主に見えない坊主は舌打ちをし、

「いいのか、お前は、ひょいひょい表に出てきて」

と言う。


 心配してくれているのだろうかな、と思った。


「この時間に客はほとんど来ないわ。

 姉さんたちは、ほら」

と親指で奥の座敷を示す。


 小間物屋と貸本屋が同時に来たので、みな群がっているのだ。


 ときどき、楽しげな声が聞こえてくる。


 そんな風にしていると、彼女らも普通の女だ。

 普段は、こんな風に心から笑うことなどないのだろうが。


 未だ客をとったことのない自分には想像もつかない世界だ、と咲夜は思った。


 あの遣手(やりて)が自分に無理やり客をと思ったのも、わからないでもない。

 苦界(くかい)のなんたるかもわからない女が、この吉原にのうのうと居るのが許せなかったのだろう。


「もう明野には会えたし、事の真相もわかった。

 来る必要ないんじゃない?


 此処は貴方が来るべき場所じゃないわ。

 誰か買いたいのなら別だけど。


 それとも、姉さんの望み通り、私を殺してみる?」


 那津は溜息をついて言った。


「桧山は本気でお前を殺したいわけじゃないと思うぞ。

 階段下の明野が邪魔だったのも本当だ。


 ずっと自分の罪を見せつけられて、平気な人間など居ない。

 普段、どんな顔でそこを通り過ぎていてもな。


 桧山はたぶん、()え切れずに俺に言ったんだ。


 何か行動を起こさねば治まらないほど、お前を――」


 そこでさすがに那津は言葉を止めた。

 自分に聞かせるべき言葉ではないと気づいたからだろう。


「私を殺したい、か。

 この顔がやっぱり邪魔なのかしらね。


 言うほど似てない気もするんだけど」


「違う理由だと思う。

 まだ、わからないが」

と言う那津には何か考えがあるようだった。


「ねえ、貴方、本当は名前、なんて言うの?

 なつのじょう? なつのすけ? なつひこ?」


「那津だ。そこで終わりだよ」

「ふうん。変わった名前ね」


 そのとき、

「誰か来る」

と那津が言った。


 上草履(うわぞうり)の音がする。


 私のことを知っている者ならいい。

 だが、そうでなかったら……と逃げようとしたとき、ひいいいっ、と悲鳴が聞こえた。


 少し霊の見える禿(かむろ)が立っていた。


「花魁……っ。幽霊花魁っ」

 さっと那津が自分と彼女の間に入った。


 咲夜は慌ててそこから逃げ、お仕置き部屋へと滑り込んだ。


「どうした。大丈夫か」

と禿に声をかける那津の声が遠くからする。


 暗い。

 一応、窓らしきものはあるが、木で打ちつけてある。


 その隙間から射し込む昼の光がわずかばかり部屋を照らしていた。


 此処は罪を犯した遊女を閉じ込めるお仕置き部屋であると同時に、布団部屋でもある。


 行灯(あんどん)部屋をそうしているところもあるそうだが、折檻された挙げ句に、火で焼かれそうで、なんだか怖い。


 積み重ねてある布団に、やれやれと腰を下ろそうとしたとき、気がついた。

 今、尻を下ろそうとした布団の横に女がしゃがんでいた。


 髪を結うこともなく、振り乱した女が膝を抱え、ギョロギョロと目だけを動かしている。


 お仕置きをされないか、窺っているようだったが、こちらには気づいていないようだった。


 生きた人間は見えないようだ。

 死んだ遣手も居て、時折、彼女をまだお仕置きしているのではなかろうか、と思わせる切迫感だった。


 そのとき、いきなり、

「ねえ」

と言う声が耳許でした。


 びくりと振り向く。

 あの女はまだ、しゃがんだままぶつぶつ言っている。


 違う女が後ろに居た。


 背中に張り付くように座っている。


 肩にゆっくりと手が回る。

 咲夜は動けずに、じっとしていた。


 その白い手が着物の間に滑り込んでくる。

 霊だと言うのに、冷たいその感触は生きた人間のもののようだった。


「ああ、あたたかい……」

と耳のすぐ側で聞こえた。


「あんた、生きてるんだね。温めておくれよ」

 咲夜は目を閉じた。


 上がるのに手を貸してやりたいのはやまやまだが、此処の女の(ごう)は深過ぎて、手に負えない。


 その女との繋がりを断ち切るように目を閉じ、集中する。


「奇麗な身体だね。

 あんた、生娘かい。こんなところに売られてくるなんて」


 同情しかける心を踏み留める。


 冬の日、道端で地蔵に手を合わせていた幼い子の霊。

 親もなく、食べるものもなく死んだ子の霊。


 それに比べたら、この女は病気を患い、此処へ押し込められる前は、この吉原で頂点を極めた女の匂いがした。


 女の手が咲夜の生きた身体を確かめるようにまさぐる。


「あんた、奇麗な女だね。

 いい身体だ。

 私にちょうだいよ」


 いらないならちょうだいよ、と女は言う。


 いらないなんて、ひとっことも言ってないがっ、と思いながらも、咲夜は言い返さずに堪えた。


 こういう厄介な手合いは、見えないふりをするのが一番だからだ。


 何故だろう、そのとき、ふっと那津の顔が浮かんだ。


 そのとき、からりと戸が開き、光を背に男が入ってくる。


「行ったぞ。

 大丈夫か、咲夜」


 その声にほっとしていた。

 だが、この部屋の放つ闇に、はっきりと見えた。


 また姉さんを背負ってる……。


 明野が那津の背にぶら下がっているのが見えた。


「余程、相性がいいみたいね」

 そう厭味たらしく言ってみたが、那津はなんのことだ、という顔をする。


「明野は貴方が好きなんじゃないの?」

と言うと、何故だか、那津は、ぎくりとしていた。


 なんだかわからないが、面白くない。


「早く出ましょう」

と言い、外に出たが、那津はまだ部屋の中を覗いている。


 奥の女に気づき、哀れに思っているようだった。


 だが、その女を彼の視界から消すように、咲夜は戸を閉めた。

 どうした、という顔で那津が見る。


 那津が再び、開けてしまわないように、戸に背に預けるようにして立つと、

「見たくないのか?」

と彼は訊いてきた。


「当たり前じゃないの。

 落ちぶれた遊女の末路はこうよ。


 後は投げ込み寺に放り投げられるだけ」


 意外に無事に年季明けを迎えるものは多いし、その後、成功するものも居るが。

 どうしても、凄惨な末路の方が目についてしまう。


「お前は違うだろう?」


「違わないわよ。

 私も所詮、遊女だもの」


 いつ、こうなるかほからない、と言う。


「桧山姉さんたちを見ていると、華やかな世界だと思うでしょう?


 でも、これが現実。

 私には始めからわかってた。


 子どもだったけどね」


 あれが見えていたからね――

と咲夜は呟いた。





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