覗かれる女
最近は早くからところてんを出している店もあるらしく、隆次が奢って三人で食べ、那津は寺へと帰った。
「そろそろ戻った方がいいんじゃないか?」
店に入りながら、隆次は咲夜に言う。
「そうね。長太郎も来る頃だわ」
「あんまり外をうろつくなよ」
お前は目立ちすぎる、と言い、小間物を並べ直しに背を向けた。
「素人娘には見えない?
まあ、仕方ないか。
長くあそこに居るとね。
自分の身は奇麗で居られても、おかしくなっちゃう」
そう言った咲夜を振り返り、
「俺が身請けしてやろうか」
と隆次は言う。
咲夜は笑って、
「高くつくわよ」
と言った。
「俺には必要ない金だ。
だから、あいつにも渡した」
「使いたかったの?」
傍に来た隆次を見上げ、咲夜が訊いてくる。
「そうだな。
だが、適当なことに使ってしまいたくはなかった」
咲夜はそっと隆次の胸に縋ってきた。
まるで実の兄にするように。
隆次は咲夜の後ろ頭にそっと触れる。
幼子をなぐさめるように。
何処か諦めたような彼女のその顔が悲しかった。
その顔でそんな表情をするのは、やめて欲しいと心底思う。
戯れに咲夜に少し顔を近づけると、後ろから小刀が覗いた。
隆次は振り向かずに手を離し、
「……冗談だ」
と言う。
こいつ、あっさりやりかねんからな、と思っていた。
背後に、長太郎がいつものように音もなく立っていたのだ。
誰にも愛されずに育った子は他人を傷つけることにも迷いがないという。
その者を傷つけたときに悲しむ人間の姿が想像できないからだというのだが。
だが、甲斐甲斐しく咲夜の世話をしている長太郎を見て、まあ、そんなこともないか、と隆次は少し笑った。
今日も大勢の客で賑わう、夜の扇花屋の二階。
ずらりと並ぶ部屋のひとつに新造の仙田は居た。
「なあ、いいだろう?」
と客に手を握られ、駄目だんす、とそれを払う。
「姉さんに怒られるだんすから」
「まだまだ増田は来やしないって」
と客は肩を抱いてくる。
吉原では桧山など上位の女たちの下に、新造や禿たちなどが付き、ひとつのグループを形成している。
新造たちは、面倒を見てくれる姉さんと共通した文字の入った名前にしていたり。
姉さんの花魁道中に参加したり。
今のように姉さんが他の客のところに行って、客を待たせている間、その相手をしたりする。
水揚げ前の新造には手を出してはいけない決まりとなっているのだが、中には、指名の遊女を待ちかねて、こうして迫ってくる輩も居る。
「いやっ。
ほんとに、離してくださいっ……だんすっ」
仙田は慌て、素の言葉で話してしまいそうになる。
姉さんの客と関係を持ったりしたら、客も大変だが、もちろん、仙田も怒られる。
だが、客の機嫌を悪くするわけにもいかない。
うまくあしらわねばならないのだが、そこはまだまだ経験不足なので、つい強く押し返してしまいそうになる。
酔っている客は怒ったのか、乱暴に仙田を畳の上に引き倒した。
仙田は障子に頭をぶつけるが、客はお構いなしだ。
出来れば、うまく終わらせたかったのだが、こうなっては仕方ない。
見世の若い者を呼ぼうと、廊下の方を見た仙田の目にそれは映った。
今、頭をぶつけた障子に人影が映っていた。
ひとつ、穴が空いている。
そこからギョロギョロとした目が覗いていた。
「……ひっ」
息を呑んだ仙田は、自分の胸に顔をうずめようとしていた客の頭を軽く叩く。
仙田が抵抗をやめ、自分を呼ぶので、なんでい、と客は顔を上げた。
仙田の指差す方を見るが、
「……なんだ?」
ときょとんとしている。
「そ、そこに居るじゃないですかっ。
『覗き女』っ」
はあ? と気が削がれた客は、仙田の上から退いて、立ち上がり、障子に手をかけた。
だが、がらりと開けたそこには誰も居なかった。
「なんでい、誰も……」
居ねえじゃねえか、と客は言わなかった。
「お、おう。増田、待ちかねたぞ」
と苦笑いをしている。
増田が今、廊下の向こうから来たところのようだった。
「おやおや。
お慌てのようだんすね。
どうかしましただすんか?」
華やかに笑いながら、増田がやってくる。
何もかもわかっているようだった。
不寝者が気づいて、増田を呼んでくれたのだろうか。
どちらにしろ、客も増田も、不寝者も、誰もその人影を見ていないようだった。
仙田は客と増田に挨拶をして、恐る恐る廊下に出る。
だが、やはり、そこには覗き女らしきものは居らず、人気のない廊下が突き当たりまで続いているだけだった。




