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あやかし吉原 ~幽霊花魁~  作者: 菱沼あゆ
第二章 覗き女

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道具屋の過去

 


 朝こそが夜のような吉原の気怠い夜明け。


 居続けの客が帰り、三々五々、自分の用事をしている時刻に、そっと回転扉を押して、咲夜は外に出た。


 びくり、と足を止める。


 比較的寛いだ姿の桧山がそこに立っていたからだ。


 ぺこり、と頭を下げる。


「あまりこちら側には出てこないことね。

 お前の居るべき場所じゃないわよ、此処は」


「はい」

と小さく答え、言われるまでもなく、此処を抜け出そうとしたとき、彼女は言った。


「私はね、自分が吉原一の花魁になると知ってたのよ」


 振り返り見た桧山は咲夜ではなく、外を見ていた。


 自分たちには眩しすぎる、通りの朝の光を追うように。


「どうして、そうなるのかも知っていたのよ。

 お前を拾ったのは罪滅ぼしね、きっと」


 そんなことを言う。




 朝、那津が隆次を訪ねていくと、野菜の棒手振ぼてふりと話していた彼は那津を見、

「桧山には会えたか」

と訊いてきた。


「知ってるんじゃないのか」

「どうして?」


「お前は随分と吉原に詳しいようだから」

「そりゃ、昔、吉原の小間物屋で働いてたからな」


 そういう意味じゃない、と那津は言った。


「今でも、吉原での出来事を話してくれる人間が居るだろう?」


「幽霊花魁か」

と言った隆次は後ろを振り返り、


「咲夜」

と呼ぶ。


 からりと奥の障子を開け、町娘姿の咲夜が顔を出した。


「来ると思ってたわ」

「夕べは明野の方が来たがな」


 その名前に隆次がこちらを振り返る。


「明野なら、いつも貴方の後ろに居るじゃないの」


「顔を見たんだ」

と言うと、……そうか、と隆次が言った。


「まあ、入れ」

と顎で奥を示す。


 奥の座敷は江戸の長屋らしく、家具らしきものもなかったが、そのがらんとした感じに不思議に落ち着いた。


「しゃべったの? 明野が」

 そう咲夜が訊いてくる。


「たいしたことは言ってない。

 だが、顔を見て確信した。


 明野はお前と血続きの誰かだろう」


 よく似ている、と言うと、そうよ、と咲夜は認めた。


「私は明野の妹」


 だからか。

 桧山は言った。


 何故、幽霊花魁の話には多くのバリエーションがあるのか、階段下の霊の顔を見たらわかると。


 階段下の霊もこの顔。


 そして、隠れ花魁である咲夜もこの顔。


 あちこちで、それぞれが目撃されるから、話が多岐に渡っていたのだ。


「明野と咲夜は、元は武家の娘だったんだ。

 町人全盛のこの時代に、武家は貧しく。


 父を失い、家督を継ぐものもなかったせいで、食うや食われずになった一家を助けるために、幼いうちに明野は吉原に行った。


 歳が離れているせいで、咲夜は姉のことはよく覚えていないそうだが」


 そう隆次が語り出す。


 落ちぶれた武家の娘が吉原に行くという話はたまに聞く。


 最初からきちんと仕込まれているので、位の高い遊女となるべく期待され、重宝されるらしいのだ。


「母も亡くなり、身寄りのなくなった咲夜は、かつての使用人に聞いて、姉の明野を訪ねた」


 明野というのは、吉原でつけられた名前なのかもしれないが。

 明野自身にとっても、それが既に魂の名前となっているようだった。


 そして、咲夜は見たそうだ、と隆次は言う。


「あの店に入ったときに、階段下に転がる自分の顔と同じ女を。


 それを階段の上から、桧山が見下ろしていた。


 もちろん、それは明野の霊が、訪れた妹に見せた、過去の光景だったんだが……」


 まあ、俺は実際に見たけどな。

 そう淡々と隆次は言う。


「隆次。

 もしかして、明野はお前の……」


 隆次は自分の問いには答えず、言ってきた。


「俺は桧山が起こした『不幸な事故』を語らない代わりに、桧山から大金を得た。


 別に金など欲しくもなかったが、それを支払うために、あの気位の高い桧山がとりたくもない客をとるのが面白くてな」


 素直に金を受け取った、と言う。


 『不幸な事故』と隆次は言うが、それが事故だったのなら、金を渡す必要などなかったことだろう。


 桧山がわざと明野を突き落としたとは思わないが、周りにそのように見える状況だったということだ。


 そして、桧山には動機がある。


 咲夜とよく似た、明野のあの美しい顔。


 桧山が吉原一の花魁になるには、明野は必ず障害となったことだろう。


「明野の事故を霊視で見た咲夜を、左衛門と桧山は遊女にした。

 姉の借金を背負うという口実をつけて。


 しかし、彼女を見世みせに出すことはせず、渋川しぶかわ屋の若旦那が毎晩、咲夜を買うことにして、あそこに閉じ込めた」


「渋川屋の若旦那は何故、そんなことに協力してるんだ?」


「俺と一緒で、あの場に居たからさ。


 扇花屋に来て、すぐ振袖新造ふりそでしんぞうになった明野の水揚みずあげを渋川屋のご隠居が楽しみにしていたんだが。


 あのとき、既に体調を崩していたんだ。


 お気に入りの明野を、桧山が殺したなんて知れたら、大変なことになる。

 それで、ちょうど、ご隠居の話で来ていた若旦那が申し出たんだ」


『いいですよ。

 私が毎晩明野を買っていることにしても』


 そう若旦那は言ったという。


『そういうことにして、体調が良くなるまで、明野を囲っておきましょう、とご隠居に申し上げておきます』


「最初は桧山を哀れに思ったからだったのかもしれない。

 いずれ、明野は体調を崩して死亡したことにでもしようとしていたのかも。


 だが、そこに咲夜が現れた。

 扇花屋に入った瞬間、咲夜はあそこで起こった惨劇を、明野によって見せられた。


 すべてを知った咲夜を左衛門たちは、からくり部屋に閉じ込めた。

 明野の借金を彼女に押しつけて。


 若旦那は、それを哀れに思って、そのまま咲夜を明野として毎晩買うと言い出したんだ」


「随分と親切な男だな」


「親切かな?」

と隆次は嗤う。


「まあ、確かに未だに咲夜を遊女としては扱っていないようだから、親切なのかな」

と思わせぶりに隆次は言うが、咲夜はいまいち、よくわかっていないようだった。


 いいのか、吉原の遊女がこんなんで、と那津は思った。


 一流の花魁は、相手の感情にも敏感で、すぐに気の利いた受け答えが出来なくちゃいけないんじゃないのか。


 こいつは、この顔でも吉原一の遊女になんぞ、なれそうにもない、と思った。


 だから、すべてを知る咲夜を桧山はあそこに閉じ込めるだけで、放っているのか。


 所詮、自分の敵ではないから。


 いや、だが、桧山は自分に言った。


『幽霊花魁を、あの女を殺してください――』


 あれは、やはり、聞き耳を立てているかもしれない左衛門たちの手前、ああいう言い方をしただけで、咲夜を始末しろという意味だったんじゃないのか。


「今日は暑いな。

 何か食べるか」

と隆次が言い出した。


 これ以上、この話をしたくないと言うように。


 春の陽気が今日は、むっとするほどだった。

 昨日の雨のせいで、湿度が高いせいかもしれない。


「ところてんが食べたい」

と言う咲夜の言葉に、まだ早いだろう、と隆次は笑う。


 明野と咲夜よりも、隆次と彼女の方が余程、本当の兄妹のように思えた。


『他に行くべきところがあるでしょうに』

 咲夜の言う他に行くべきところとは、恐らく、この隆次のところだったのだ。


 遊女の身である明野を本気で愛してくれていた隆次のところには、明野は訪れていないようだった。


 彼女は憎しみで凝り固まっていて、それ以外の何も見えなくなっているのだろうか。


 なんだか今の明野と似ているな、と少し思った。


 現代の明野が張り合っているのは、桧山ではなく、自らの妹であるこの咲夜なのだが。





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