現代 ――那津――
「蘇方さん、急いでください」
妻が通り魔に刺されて運ばれたと聞いて、蘇方那津は急ぎ、同僚、里原の後を追いかけていた。
焦るあまり、病院の廊下を走ってしまい、看護師たちに振り返られる。
「あの通り魔、腕を斬るだけだと聞いていたのに」
里原が前を早足で歩きながら、抑えた声で呟く。
蘇方さんの奥さんが刺されていると近所の人が通報してくれたらしい。
妻を刺したのは、最近、この界隈に出没するという千束の通り魔。
パーカーを着て、フードを被った細身の男で、ただ、腕を斬りつけては逃げていく。
男、と言われているが、ぱっと見、そのように見えたというだけで、中性的な体型の女かもしれないし、よくわからないということだった。
那津は刑事をする傍ら、古くは吉原があったというこの千束の地で住職をしていた。
とは言っても、今は檀家も少なく、然程仕事はしていないのだが。
手術室の扉はガッチリと閉まっており、扉の前には誰も居なかった。
里原が通りがかった看護師を呼び止め、話を訊こうとしてくれたが、
「手術中です。
終わりましたら、お呼びします」
と素っ気ない返事が返ってくるだけだった。
その素っ気なさに、たいした傷ではないのかな、と思いはしたが、単に、この看護師が事務的なだけかもしれないとも思う。
だが、そのとき、それが見えた。
手術室の緑の扉の前に居る、白い女の影。
その女はこちらを見、
『あら、那津。どうしたの?』
と話しかけてくる。
霊体になってる? 死んだのか? と思ったが、どうも生霊のようだった。
『此処は病院?
私、どうして、こんなところに居るの?』
夜道を歩いていたはずなのに、と彼女は言ってくる。
「明野、お前は千束の通り魔に刺されたんだ」
看護師はもう居なかったが、いきなり一人で喋り出した自分を里原がギョッと見る。
明野は少し考え、ああ……と言った。
『千束の通り魔、あれが。
そうなの。
今日、そういえば、なんとかいう柑橘類を持ってきてくれた檀家さんに、気をつけてって言われたんだったわ」
思い出したら、腹立ってきたわ、と明野は言う。
『那津、貴方、刑事なんでしょ。
すぐに捕まえて。
フードを被った、私より少し背の高い、細身の人よ。
フードのせいで、顔も髪型もわからなかった。
男のような気もしたけど、すぐに刺されたから、よく見てないわ』
と冷静に明野は言ってくる。
わからないところはわからないと言い、想像で補ったりはしない。
的確な答えだ。
そのとき、慌てたように、廊下を駆けてくる女が見えた。不快そうな顔をした明野は、
『さっさと捕まえてよ、私を殺した犯人。
……今度こそよ』
そう言った明野に、今度ってなんだ、と思う。
だが、その瞬間に、明野は消え、息を切らしてやってきた女が、
「どうしたの?」
と自分を見上げた。
捕まえて、今度こそ。
約束よ――
那津。