表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あやかし吉原 ~幽霊花魁~  作者: 菱沼あゆ
第一章 幽霊花魁

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/49

扇花屋の秘密


 いい香りが漂うその部屋は、まるで桧山の部屋のようだった。

 一流の調度品が揃っている。


 二部屋もとってあるのは、此処に閉じ込められているらしい咲夜が、不自由ないようにだろうか。


 なんにせよ、一介の遊女にしてはいい扱いだった。


 まあ、この女には、大概の遊女に見られる、色気も退廃的な雰囲気もないのだが。


「どうぞ、座って」

と素っ気なく座布団を勧められた。


 今は着物のかかっていない伏籠の中に趣味のよい香炉が見えた。


 前に腰を下ろした咲夜は、どうもそこが定位置らしく、くつろいだように脇息に寄りかかった。


 遊女というより、何処ぞの姫のような風情だ。


「ねえ、お坊様、なにしに吉原に来たの?

 仕事、断られたんでしょう?」


 だが、咲夜は訊いておいて、

「まあ、なにしにってこともないか」

と隆次と同じことを言う。


「遊女を買いに来たんじゃない。

 此処で終わりだと言われて、納得できなかったからだ。


 金だけもらって、俺は何もしていない」


「口止め料と、手切れ金みたいなものでしょ。

 これ以上、関わるなってことよ。


 それに、もらった金以上の金を払って、此処に来てどうするのよ」


 ねえ、呑む? と酒を勧めてくるが、首を振った。


 そう、と咲夜は勝手にひとりが呑み始める。


 酒をたしなめる歳なのか、と問いたくなるが、まあ、この時代だし、吉原だしな、と叱るのをやめた。


 艶やかな赤い杯を見ながら、

「咲夜。

 お前が幽霊花魁なんだな」


 確かめるように、そう訊いた。


「ま、たぶんね。

 私がそう名乗ってるわけじゃないから。


 私と――


 そして、階段下の霊がそう言われているのよ」


「此処に隠れ住んでいるお前を見た奴を、誤摩化すために、そんな噂を広めたのか」


「こっちが作った噂じゃないわ。

 いつの間にかそういう話が出来てたのよ。


 楼主はそれを利用しただけ」


「お前は何故、こんなところに閉じ込められている」


「世間の噂そのままよ。

 私は或るお金持ちに囲われているのよ。


 毎晩、買っておいて、その人が来ないだけ」


「それはまた、酔狂な男だな」


「そうねえ。

 まあ、来るときもあるんだけど。


 なんだか私に触れるのが怖いらしいわ。

 私が普通の遊女になってしまいそうで」


 いや、普通の女かな、と咲夜は言い直す。


「私なんて、最初から普通の人間よ。

 あの人が勝手に、私の中に、何か違うものを見てるだけ」


 咲夜は引手茶屋にあったのと同じような、意匠を凝らしたびいどろの行灯に視線を向ける。


 高価な蝋燭の灯りに照らされた今の咲夜には、外で見る彼女とは違う、大人びた影があった。


「俺は桧山に幽霊花魁を始末しろと言われた。

 それは本当に階段下の霊のことなのか?」


 桧山のあの憎しみをこらえたかのような表情。


 本当に霊に向けられたものなのかと疑ってしまう。


「お前だった場合は、俺の仕事じゃないが」

と言ったが、咲夜は、


「人殺しが貴方の仕事ではない。

 そう姉さんは思っているかしら?」

と言う。


 姉さんとは桧山のことのようだった。


 此処、吉原では、自分の面倒を見てくれる先輩遊女のことを姉さんと呼ぶようだった。


「桧山が俺のことを聞いたのは、小間物屋のお糸からのようだった。

 俺はお糸をならず者から助けた。


 桧山が俺に期待したのは、霊を祓う能力の方じゃないのかもしれないな」


「ま、そうかもしれないわね」


 桧山が自分の命を狙っているかもしれないというのに、呑気な口調で咲夜は言う。


「貴方、なんだか人を殺しそうな雰囲気があるから」


「殺しときたい奴が居るからかな」


 それは夢を見ている現代の那津自身から溢れた言葉だった。


 あっさりそう言うと、咲夜は、一瞬の間のあと、あはは、と笑い出した。


「なるほどね」

 何がなるほどねだ、と思っていると、


「初めて見たときから思っていたの。

 お坊様というわりには、殺気があるなって。


 私、そういうのわかるのよ」

と言う。


 わかると言うのなら、桧山が自分に向けた殺気もわかるだろうに。


「咲夜。

 お前、桧山に狙われる覚えはあるのか?」


「あるわよ」

「ある?」


 やけにあっさり言う咲夜に那津はそう訊き返す。


「あるのよ。

 でもね、それでってのは今更な感じよ」


「何が原因だ」


「それ話したら、生きて帰れないわよ、お坊様。

 ところで、どうやって、この吉原一の遊女を買うほどの金を得たの?」


「隆次が貸してくれたんだ」


 そう言うと、ああ、なるほどね、と彼女は言う。

 あの道具屋の何処にそんな金があったのか、と不思議がることもなく。


「そうなの。

 兄さまが。


 貴方が何かを動かしてくれそうだったからかしらね」


 私たちはもう、この中にはまり込んでて動けないから、と咲夜は言った。


「隆次はお前の兄なのか?」


「言ったじゃない。

 そんな感じの人なだけ。


 血の繋がりはないわ。

 でも、もうずっと、見守ってくれているから。


 ねえ、そういえば、お坊様は、どうやって暮らしているの?

 寄進するものも居ない貧乏寺の坊主だって聞いたけど」


「廃寺に住み着いてるだけだからな。

 経をあげて金をもらってるんじゃなくて、絵を描いたり、霊を祓ったりして稼いでる」


「人斬りは?」

とさっきの話の流れからか、咲夜が訊いてくる。


 しない、と短く答えた。


「そうだ、咲夜。

 お前、ふらふら外へ出ているようだが、一人で吉原周辺をうろつくなよ。


 辻斬りが出るそうだから」


「ああ、聞いたわ。

 揚屋町の誰かも斬られたらしいわよ。


 えーと、肘だったかな」


 肘、なんだってまた、そんなところを。


 斬り損ねたのだろうか、と思っていると、咲夜は誰かから得たらしい胡乱(うろん)な知識を披露してくれる。


「頭巾を被った着流しの男に、夜道でやられたみたいよ。

 巾着を振って抵抗したら、逃げてったみたい」


 巾着でねえ、と思いながら、

「お前には供の者が居るんだったな。

 手練(てだれ)か?」

と訊く。


「まあ、そうね。

 拷問から人殺しまで、なんでもけ負える人よ」


 いや、そこまではしなくていい、と思ったのだが。

 悪に対抗するには、こちらも悪である方が確実だったりもする。


 そのくらいの迫力がなければ、斬り負けるからだ。


「じゃあ、外に出たときは、必ずそいつと動け」


「なに隆次兄さまみたいなこと言ってるの」

と咲夜は笑うが、


「お前も狙われるかもしれないからだ」


 そう言うと、なんで? と言う。


 いや、なんでと言われても……。


「まあ、狙われてるのは女みたいだからね。

 なんなのかしらね、一体。


 巾着振り回したくらいで逃げるのなら、殺す気はないってことかしら」


「わからない。

 それに、ただ斬りつけるだけの愉快犯が、いきなり豹変することもある」


 気をつけろ、と繰り返し言った。


 そんな自分を咲夜は、

「……ねえ、貴方、本当にお坊様?」

と窺うように見て言う。


「坊主なのは本当だ」

と言うと、そうなの? と胡散臭そうな顔をする。


「貴方、同心の人たちと雰囲気が似てるわ。

 隠密同心とか?」


 そういえば、隠密同心はこの吉原にも詰めているようだが。

 吉原の外のことだから、今回の辻斬りには絡んでこないのだろうかな、と思った。


「違うが。

 まあ、似たようなものか」


 そう言うと、咲夜は、へえ、と言った。


 そのとき、背後から気配を感じた。


 彼女がこちらの眼付きに気づき、何処かを見た。


 その目線を追う。

 襖の隙間から、うっすら隣の部屋が見える。


 その暗がりが、こちらから窺えるように。

 恐らく、あちらからも見えている。


 そっと近づいてみたが、咲夜は止めなかった。


 すうっと襖を開けてみる。


 男が端座たんざしていた。

 こちらを見上げるが、そのまま動かない。


 それは、あの油さしの男のようだった。


「その男は控えてるだけ。

 長太郎と言うの」


 静かに襖を閉めて、戻る。

 こいつが例の草の者だな、とわかった。


 先程、うっかり気配をさらすまで、そこに居ることが全くわからなかったからだ。


 人斬りも物騒だが、この男も物騒だし、桧山も物騒だ。


「おい、咲夜。

 お前はさっき、桧山には自分を狙う理由があると言ったな」


「今更だとも言ったけどね」


 自分が姉さんに狙われているかもしれないというのに、ケロッとした様子で、そんな言い方をする。


「他には何か思い当たる節はないか?

 桧山に狙われる」


 そうねえ、と咲夜は首を捻っている。


「私の置かれたこの状況を特別扱いだと言って、疎む人も居るけど。姉さんはそんな人じゃないし」


「こんな小部屋に押し込められてるのをうらやましいと思う人間が居るのか」


「窒息しそうになるのと、客をとらされるのと、どっちがマシだと思う?」


 女じゃないから、わからないか、と咲夜は言うが。

 この吉原の鬱屈した空気に彼女らの想いは如実に現れていた。


「昔居た遣手やりてがね。

 私を囲っている若旦那の金もいつまで続くかわからないからと内緒で私に客をとらせようとしたことがあるの。


 遊女の管理をする遣手は、自分も遊女だった人がなるものだから、私の特別扱いが許せなかったようよ。


 それで、自分の馴染みの男を連れてきたみたいなんだけど。

 用意させた布団を開けた男は驚いたそうよ。


 布団の中に私が居たから。

 血塗れの。


 悲鳴を上げて、男は逃げて、二度と来なかったわ。


 余程、恐ろしかったんでしょうね。

 以来、吉原には顔を出さずに。真面目に商売をしているらしいわ」


「その血塗れのお前と言うのは――」


「私じゃないのは確かだけど。

 さあ、……誰かしらね」

と咲夜は笑って見せる。


「その遣手はどうなったんだ?」


「さあね。居づらくなって、どっか行ったわ。

 あの人たち、小金を溜め込んでるからね。知らないわ」


「お前は子供の頃から、その男に買われていたのか?」


 そう問うたのは、今の話で、まだ誰も彼女に触れていないらしいと気づいたからだ。


「あの人、私が此処に来たとき、たまたま居合わせたのよ。それで」


「此処に来たとき?」

 そう、と咲夜は笑う。


「私は此処に来て、すぐに振袖新造になった」


 禿から新造になるとき、振袖新造と留袖新造に分けられる。


 美しく見込みのあるものは、振袖新造に。将来の稼ぎ頭候補だ。


 咲夜の口調では、それなりに大きくなってから、この吉原に来たようだ。


 普通は、禿かむろを経験していないものは、留袖新造になるはずなのだが。余程、有望な娘を覗いては。


 まあ、この美貌と才と気品からして、当然と言えば、当然か。


 言動には些か難ありな気もするが、それでも品良く見えるところが凄いと言えば、凄い。


「信頼のある客ならば、新造でも買えるのよ。

 ただし、手は出せないけどね。


 私は最初からずっと若旦那に買われてる。


 もうずっと此処に居るの。


 だからなんとなく、もう新造の歳を越えているのに、このままなのよ」


「その若旦那が幾ら払っているのか知らないが、お前ならもっと稼げるだろう。

 何故、あの左衛門がお前を此処に閉じ込めて、他の客の目に晒さない?」


「さあ、なんでだと思う?」


 笑う咲夜の側、衝立てに赤い着物が掛けられている。


 その前で、しどけなく脇息に寄りかかる彼女には、いつもとは違う色気がある。 

  

 この空間はいけない、と思った。

 切り離された場所とは言え、此処にも吉原の匂いがある。


 くらりと来そうになる感覚を抑え、

「帰る」

と立ち上がる。


「そう。また来てね」

 咲夜は脇息に肘をついたまま、おざなりに手を振っている。


 外で会ったときと変わらない顔つきで、まるで、子供が遊びに来てね、と言っているようだった。


 俺に金があれば、すぐに身請けして、野原にでも放してやるんだが、と思う感じだ。


 もしかしたら、買った男もそんな気持ちだったのかもしれないと思ったが。

 まあ、それなら、女房に疾しくて、身請けできないということもないかと思った。


 去り際、彼女は独り言のようにこう言った。


「満足してるのよ。

 若旦那にも感謝してる。


 私がこの吉原にありながら、遊女であって遊女でないのは、あの人のお陰。


 でも、ときどき息が詰まりそうになる。


 そして、思うの。

 誰か私を此処に居られなくしてくれないかしらって。


 誰か――


 あの人が怒って私を解き放ってくれるように」


 咲夜が自分を見つめる。だが、それは一瞬のことだった。


 すぐに、

「ま、そしたら、普通に店に出されるだけだけどね」

 そう言い、立ち上がった。


「じゃあね」

ともう一度言い、手を振る。


「莫迦なこと言ったけど。

 帰った方がいいわよ。


 此処はひとりに見えて、ひとりじゃないから」


 はっと振り返る。


 あの襖はまだ、うっすらと開いていた。そこには、先程のまま、あの油さしの男が居るのだろうと思われた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ