戦場の二人
「どうしようヴェロニカ。わたしもうクラウディードさまに会えない。もう顔向けできないわ」
イリーナお嬢さまの悲嘆は深く、あたくしは慰める言葉も持ち合わせませんでした。
悪くすれば国に歯向かったかどで、伯爵家にも咎が及ぶおそれがございました。
おひとりで考え抜いたお嬢さまは一日、ご両親に家を出ることを告げられたのでございます。
もちろん、伯爵さまも奥さまもお引き止めになりました。我が子を人身御供に差し出して生きながらえようなど、お二人が考えるはずもございません。
けれどお嬢さまは、それをよしとなさいませんでした。クラウディード殿下に事の次第とお家へのとりなしを求めた書状をしたためると、実家を後になさったのでございます。
お嬢さまは王都の西北のはずれにひっそりと、身を隠すように居を構えました。当然あたくしも着いてまいりましたわ。
若くして世捨て人のようになってしまったお嬢さま。
ですがその暮らしは穏やかなものでございました。
ブルジニク商会は清算しましたが、その他の商売はおとがめもなく、お嬢さまはそのまま運営を続けていかれました。
そのかたわら、クラウディードさまに弓を引いてしまったことを深く悔い、王国と王子さまのおためになるようにと、陰ながらさまざまな手伝いを始めたのでございます。
王都の美化に協力し、人々が和めるようにとたくさんの花壇を整備したりもなさいました。
そこに植えた花の中には、お嬢さまが自ら品種改良した咳止め薬の原材料になる花がございまして、人々が自由に使えるようにと無料でそれを提供したのでございます。
そうやって遠くからクラウディードさまの幸せを願い暮らす日々が続いたのでした。
わたくしは、お嬢さまにはもう一度クラウディードさまに会っていただきたいと願っていたのてすが、お嬢さまは言外にそれを避けているご様子でした。時おりクラウディードさまがお嬢さまを探していらっしゃる形跡がございましたが、そうと気づくやお嬢さまは巧妙に身を隠し、決して足取りを悟らせませんでした。妙なところが頑固で、しかも有能なお嬢さまでございますわ。
仕方がありません。もう一度ルカさまに連絡をとってみましょうか。
でもお嬢さまを何と説得したものでしょう?
そう考えているうち、時代は不穏な方向へ動いていたのでございます。
◇
市民革命の勃発でした。
天候不順で不作が続き、食糧が高騰しておりました。
景気も悪くなり、職を失った人々が王都でも郊外でもあふれておりました。
イリーナお嬢さまも、かかわりのある商会でできる限り人を雇い入れたり、余禄を放出して貧民への炊き出しに協力したりもいたしましたが、とても追いつくものではございませんでした。
そのうち民衆の不満の鉾先は王家へと向けられたのでございます。そこかしこで武装蜂起が頻発し、革命の機運に人々は熱狂しました。
誰もが熱に浮かされるように沸き立っている中、お嬢さまは冷ややかでした
「不景気なのは王家のせいじゃないわ。誰がやっても同じことよ」
そのお嬢さまの商会へ、革命軍を名乗る人々が度々訪れるようになったのです。
いわく、今は天の時、正義は自分たちにある。共に立ち上がり、王家を打倒しよう――。
お嬢さまは歯牙にもかけませんでした。
革命軍の掲げる正義、王家打倒はお嬢さまには到底受け入れられるものではありませんでしたし、革命軍の目当てがお嬢さまの財力、ひいては軍事力にあることが見え見えだったからでございます。
ですが、最初こそ紳士的に勧誘という形を取っていた革命軍も、度重なる拒絶にあって次第に要請、強要、ついには脅迫にまでいたったのです。
「ご協力が得られないとなれば、この商会ひいては商会員とそのご家族に何があっても保障できかねますが、よろしいか?」
「商館長どのは貴族のご出身とか。革命軍には血の気の多い者もおりましてな、王家と同じく貴族は倒すべき敵と公言してはばからない者もおりまして」
そうまで言われては、商会員たちも協力せざるを得ませんでした。
そして自分をそこまで思ってくれる商会員たちを放っておけるお嬢さまではございません。
彼らを率いて、お嬢さまは革命軍に身を投じ、軍の一翼を担うこととなったのでございます。
いったん意を決したお嬢さまの行動は迅速で、かつ苛烈でございました。
「お嬢さま! 危険ですからせめて陣頭に立つのはおやめ下さい!」
「人に死ねと命令する以上、あたしも同じ立場にいなかったら誰も命令なんか聞いてくれないわ」
「そんなことはございませんから! みな心配しているのですよ!?」
商会のみなが一人残らずお嬢さまの身を案じているのは本当です。でもいくら言っても、お嬢さまはちっとも聞き入れて下さいません。
最前線の一番危険な所に身をさらすお嬢さまを守るため、あたくしも剣を携えてお嬢さまのおそば近くに常に随行しておりました。お嬢さまに万が一のことがあったら、あたくしは全商会員に絞め殺されてしまうでしょう。なによりクラウディードさまに無傷でお嬢さまをお渡ししないことにはあたくし、死んでも死に切れませんわ。
先頭に立って果敢に突撃するお嬢さまに寄せ集めの革命軍は奮い立ちました。お嬢さまの指揮する軍の攻勢は怒涛の勢いでもって、王国軍の守る砦を次々と落としていったのでございます。
ですが快進撃を続ける革命軍の行軍は、ある時急に足踏みを余儀なくされます。王国軍の一角に、たいへんに守りの固い部隊が現れたのでございます。お嬢さまの苛烈な攻撃にも動ぜず、突き崩された箇所を柔軟に補って粘り強く守る守備部隊に、ついにお嬢さまも一時撤退せざるを得ませんでした。お嬢さまの初めての挫折でございました。
「手ごわいわね。誰が指揮しているのかしら?」
忌々しそうに呟くお嬢さまは、でも嬉しそうでもありました。ほんとに、おっとりしているかと思えば血の気が多いんですから。昔から戦記ものを読むのはお好きでしたよね?
「旗印は王国旗の脇に……第三王子の旗印です」
報告を受けたお嬢さまの表情は、なんと言ったらいいのでしょう。衝撃を受けたお顔には深い悲しみ。そして、喜び。
お慕いしている方と再び敵同士としてまみえてしまった悲しみ。
そのお方の才能に触れ、有能な敵と全力を尽くして戦える喜び。
きっと今お嬢さまは地獄と天国の両方にいる心地なのでしょう。
あたくしはどうしたらいいのか、わかりませんでした。
それでも陣頭に立ち続けるお嬢さまのお側にあってお守りするくらいしかできませんでした。
クラウディードさまの守備軍は劣勢にあっても決して士気は低くなく、戦術は変幻自在でした。これにはさしものお嬢さまも苦戦をまぬがれませんでした。
自ら先陣を切って突撃するお嬢さまの攻勢は苛烈なものでしたが、クラウディード殿下の軍はそれを真っ向から受け止め、いなし、支え切りました。それどころか主力を囮にして殿下みずから斬り込んでくるという破天荒な指揮ぶりでございます。本営深く斬りこまれ、あたくしも剣を抜いてお嬢さまをお守りしなくてはなりませんでした。
「ルカさま! ご主君を止めてくださいまし! これではお嬢さまが死んでしまいますわ!」
「それはこっちが言いたい。手加減したら我が主が殺られる」
あたくしとルカさまの向こうでは、あたくしたちの使える主たちが激しく剣を交えておりました。
その気迫と剣の速さには誰もついていけず、世界にはふたりだけしかいないかのようです。
「きみの主人も手加減なしだな?」
「ふふ。どんなときでも一所懸命なのがお嬢さまのよいところですわ」
「真面目なのも時と場合によると思うがな!?」
再会の喜びもどこへやら、あたくしとルカさまは、自由奔放に暴れまわるそれぞれの主人に降りかかる火の粉を振り払うのに必死だったのでございます。はあ、従者の仕事も大変ですわ。これが従者の仕事の範疇かどうかは、はなはだ疑問ですけれど。
その間も主人たちの闘いは激しさを増すばかりです。って、お嬢さま。お嬢さま!
クラウディードさまもイリーナお嬢さまも、なぜそんなに楽しそうなのでございますか!? まさかお互いに本気で相手の首を狩りに行っていませんよね!? なぜ拳で語り合う男同士の友情みたいなことになっているのですか!?
「本気だな」
「本気ですわね」
「案外お似合いの二人かも知れん」
「あたくしもそう思いますわ」
その間もルカさまの剣は、あたくしの技を軽々と受けて流します。我流でくせのあるあたくしの技も難なく受け止めて、巻き込んで組み伏せる。なんと懐の広いお方なのでしょう。
「相変わらずの剣の冴え、小憎らしいほどですわね」
「そう言うきみも、モーニングスターとはずいぶんマニアックな得物だな!?」
タイミングを見計らった王子殿下は一気に離脱し、前方から敵主力が殺到して来ました。
お嬢さまも短い逢瀬も、剣戟の音の中で露と消えたのでございました。
それでも革命軍は前進を続け、王国軍を追い詰めて行きました。中でもお嬢さまの軍の勢いはずば抜けていました。訓練されたわけではない軍にあって、勢いが馬鹿にならないことをお嬢さまは知っていました。突進に特化した軍の破壊力はすさまじいもので、それを率いるお嬢さまは今や戦女神に等しい扱いでした。
敵にそうと知らせるためにわざわざ仕立てた鮮血の旗印に怖れず向かって来るのは、これも第三王子の旗印の軍だけでした。この軍のしぶとさは比類なく、粘り強く戦い抜くのでした。
かと思えば果敢に打って出ても来ます。奇襲があるかと思わせながら、堂々と中央突破で革命軍をねじ伏せにかかってきました。この時お嬢さまは分断されながらも逆進して敵後背に食らいつき、なんとか全滅はまぬがれましたが、少なからぬ損害を出してしまったのでした。
そうかと思えば、お嬢さまの勢いを利用して後退し、巧妙に包囲網に引きずり込みます。我が主の想い人ながら、本当に忌々しいほど有能であらせられますわ。
「なんてお方なのかしら。でも次の突撃が最後ですわ。わたしの手でしっかりと抱き止めてさしあげましてよ。うふふふふ……」
「お嬢さま、笑顔が怖いです!」
呟くお嬢さまのお顔は、心底楽しそうです。
この向こう側の陣では、やはりクラウディード殿下が同じ表情をしていらっしゃるのでしょうか。だとしたら、やはりお似合いのお二人です。早く娶せて差し上げたいのですが、なぜお二人とも拳で語り合おうとなさるのでしょう? やはり見えない向こう側ではルカさまが、あたくしと同じようにため息をついている気がいたしたのでございます。