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<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

少年愛者は常に数えている

作者: ミスタートルコ

Mは目を疑った。ゲイ専門の招待制のサイトで、身体を売っているごく若い少年を見つけたからだ。

15歳!さらに、その下には、少年の顔写真と共に、少年自身が書いたと思われる値段設定がしてある。

プランA デート 5000円 時間制限有り

プラン B SEX 3万円 ホテル代別 時間制限有り

始めMは、騙されているのではないかと疑った。しかし、少年のページへ飛んでみると、15歳とは思えぬほどにちゃんと(だからこそ益々怪しいのだが)売春への釈明がしてある。

「この値段設定を観られた方は、お疑いになるかもしれません。

私は、少女の売春もニュース記事で知っています。それに比べ、同年代のゲイのサポ(サポートの事、売春の隠語)は、掲示板を見る限り、1万円前後で取り引きされています。

私は、これを不当だと思い、この価格設定にしました。

3万円という価格設定はむしろ、安物をひっつかまされない為の、又、詐欺ではないという事の、保険として受け取って頂きたい。

これを警察の企みだと思われるかもしれませんが、私は若干法律を調べましたが、日本では囮捜査は禁止されておりますし、第一、こう言ったサイトにおいては互いに顔写真を晒している為、何も秘密は有りません。

気になった方は是非メール下さい。」

Mは考え抜いた挙句、デートの予約を申し込んだ。


2

少年Hは、こうゲイのサイトに日記として載せてみたものの、中々客どころか問い合わせが来ない事に苛立っていた。

初めて来た問い合わせは、「1万円でヤラセてくれませんか?」と言ったものだった。

馬鹿が!「死ね」とでも返事してやりたかたっが、ネット上での報復を恐れ、ブロックするに留まった。

次のメールは細部に関する問い合わせであったが、Hは(どうせこういった細々した事について聞く奴は客にはつかないだろう。)

3通目が、Mからのメール。

HとMは、メールアドレスを交換し、夕方4時から夜8時までの間で、待ち合わせとして梅田駅周辺で期日会うことを約束した。


3

残念ながら、Mにとってその時の事はあまり覚えていない。あまりにも緊張していたのだ。

ただ口数が少なく、Hが人見知りなのを知った事、Hがレストランに入る直前に「お酒を飲みたい」と言い出した(ダダをこねた)事。そしてHと別れる直前に、Hが近日中に東京へ行くと言っていた事くらいだ。

なんとかもう一度会えないものか?

そこで帰り際Hに、東京へ行く1日前、プランBをしてみたいと持ちかけた。

少しためらいが有った後、快諾してくれた。

Hにとっては、東京へ行く前に少しでもお金が欲しかったのだし、何より若さゆえの無鉄砲さか、この男が危険などとは微塵も思ってもみなかったのである。


4

実際、Mは全く人畜無害であった。

ところで、何故Hが売春などとしようとしたのだろう?

Mは質問した事がある。「どうして東京へなんか行きたいの?」

-「どうしても!」

Hの家庭は貧しく、彼がいじめられっ子だった事だけ記そう。

後々彼が述懐したところでは、「売春は、今まで自分を必要としてくれる人物がいなかったのに対し、自分を愛してくれる人間が沢山いて、やめられなくなった」

ところで誰かが、「少女が売春婦になるんじゃない、売春婦が少女だったというだけのこと」

と言ったのは、的を得ている。

だから、Hが主体的に売春を仕掛けてきたのにも関わらず人見知りで、無口で、15歳にして酒を頼んだとしても、おかしくない。

今までも、酒だけがHを雄弁にしてくれ、心の解放を約束してくれたからだ。

東京へ行くというのも、半ば家出に近い、無軌道なものであったにせよ、その無計画さで、結局直ぐ帰って来るのだ。


Mがある日、Hに渡す筈の3万円を、確かに封筒の中に入れたのだが、失くした事が有った。

Hは怒るかと思いきや、「いいです、いいいです、実は俺は金になんか興味ないんですよ」


Mと会う時も、こっそりとHは薬を飲む事が多かった。

その大半がベンゾジアゼピン系だった。


4.5 ゲイバー

Hは東京への家出を終えた後、ゲイバーで働く事にした。

何もしないと不安が襲ってくる。

ハチジョウノコギリというゲイバーに決めたのは、年齢が若くとも雇ってくれるからだし、それにそこのマスターにすっかり魅了されたからだ。

マスター曰く「SEXはスポーツだ」という。

Hは私生活と公生活の問題について考えてみた。

SEXは私生活の延長にある。私達水商売のものは私生活をそのまま公社会へ売りに出している。

この世界で私生活を守ろうとするならば、SEXを私生活と切り離すしかないのではなかろうか?

つまり、SEXをスポーツとして捉える、というふうに。

Hは日払いの金5000円を貰ったが、客に飲まされていた酒で酔ったせいか、全て破いてしまった。

何故Hはお金を破いたりしたのだろう?Hに尋ねても何故だろうという返事しか返ってこない。

彼は目立ちたかったのか?いや、若さによって十分目立っていた。

また、こんなことが有った。Hはお客と喧嘩した際、「俺の小指を詰めてくれ!俺の小指を詰めてくれ!」と包丁を取り出しにかかるのだった。

全く不可解に思える言動だが、共通点はあった。それは彼が演技をしているという事だった。

それは彼の煙草の持ち方にしてもそうだ。

彼は右指と中指の間に煙草を挟むのではなく、右指と親指の間に煙草を挟んで吸う。

ハンフリー・ボガートの映画を見て以来彼はこの癖が治せないのだ。

しかしまた何故、演技をする必要に迫られていたのだろうか?


5 SEX

Hは日に日に衰えていく自分の姿を見るのが怖くなって、ある時から一切鏡も、写真も見なくなった。

彼はキスですら眼を閉じてした。まるで自分の姿を忘れてくれと言わんばかりに。

SEXの時は当然電気を消した。

彼はマゾヒズム固有の真理によって、絶対にまで到達しようとした。

つまり、生きながら生皮を剥がされる事。

これまでどんな性的行為をしてもオルガスムを感じなかったし、彼には彼を人間から解放し、一個の物としてみてくれる視線が必要だった。

跪きたいという願望。いや、SEXにおいてのみではない、彼はバーの仕事で上手くいかず、悲観にくれていたある日、バーのトイレの水を舐めてみたことすらあった!

彼はがけっぷちにいて、誰かが突き落としてくれるのを待っていた。

東京に行った時の事を思い出す。

トイレに身分証明書の紙と携帯電話を水に流した時、ああ、これで元には戻れない、浮浪者共のどん底まで来たんだと、激しい喜悦を感じていた!

彼はゲイの出会い系サイトでSM募集に目を止め、ネコとして参加する事になった。

S側との刺激的なメールのやり取り。オナニー動画を送ったり、電話での調教。

いざ会う段となり、いきなりホテルへ行く前に、ファミレスで食事をしようという事になった。

S側は、その間目で犯すというメールを送ってきたのを記憶している。

さて、Hともう一人の男が、ファミレスにて、向かい合って食事を取っている。

勘定は男が持つのだろう。

少年はやや緊張しながら、かといってそれが性的な緊張と繋がるのでは無い、単純に人見知り的な緊張を持って、男から目をそらし俯きながら、注文したパンを食べている。

男は二人が出会った時から言葉少なめで、メールにおいてもう到達してしまったエロチスムを持て余すかのようだ。

このイメージ、光景をどう捉えるべきだろうか?

メールは想像力の中の次元であった。H側の顔しか知らないという事が、メールでのやり取りという事が、現実の即物性を排除し、より観念的に、エロス的現実-想像力のエロスを作り出していた。

「エロティシズムと旅は似ている。やる前が一番楽しい」という真理。

だから、会った時によりエロチックになるとは考えにくいし、二人がファミレスでエロチックな気分無く黙々と食事をしているのも、当然と思われる。

では、これからの二人の現実にとって、想像力を、メールでのやり取りのエロティシズムを、超えることは出来ないのだろうか?

「おお、想像力よ、お前は犬であったのか!」

この後二人はラブホテルへ行く、そこで、この太り気味の男性の勃起したペニスという即物性によって、想像力とのシーソーゲームを行う事は出来るか?

いや、出来ない。何故なら、それはエロティックな「遊び」だが、この二人には「遊び」の思想が無いからであり、また、SMは、極限まで行こうとする「自殺美」的SMは、一切の「遊び」の思想も「馴れ合い」も排除しようとするからだ。

では、この二人が現実に出会った時から、今までなるべく喋ろうとしなかったのは、「遊び」や「馴れ合い」を排除せんがためだったのだろうか?その通りだ。喋る事で「遊び」や「馴れ合い」が隙間風のように二人の間に入って来ることを避けようとしていたのだ。

それはまた、二人の「想像力(的エロス)」を現実から守ろうとする為だった。

このように、Hの手からどんどんと自殺美の眩いばかりの栄光は逃れていくのであった。


6

今思えば、Hは、東京へ行って何をするつもりだったのだろうか? 何も

そう、何もする計画など持ち合わせていなかった。

だから彼はMに何故東京へ行くのか尋ねられた時に、明確な答えが用意できず、「どうしても!」と答える他無かった。

彼が東京でした事といえば、携帯と身分証の全てを捨て、友人の家に泊まった事。そこを追い出され、しばらくはホームレスなどしていたが、死のうと思い、高尾山へ。途中で怖くなり死に切れず、ヒッチハイクで高尾山を降り、あの寒い中で夜が明けるのを待ったっけ。地下鉄の暖かさ、キセル行為、公園での寝泊り、ボロボロの服、地下鉄で読んだフロイトの「精神分析学入門」、皿洗いを頼んで食わせてもらったカレー、水飲み場...

Hもまた、「身体と心」の分離に悩んでいた。そして、東京へ行けば何か変わると思っていた。

Hは、ふと、アメリカにでも行けば何か変わるかもしれないな、と思った。

テレビでは自分探しの旅というものがやっていた。

自分探しの旅、自分探しの旅、とHは口ごもる。

しかし、自分はとてもアメリカやヨーロッパには行けやしない。

自分には逃げ場がないのだ!

それに、Mとして、自分が少年で無くなったら、いつかは自分から離れるだろう。

また終わらない鬼ごっこが始まる。

何とかしなければならないのだが、何ともしようがなかった。

医者に処方された精神薬を探す。

ODし、今までしてきた軽薄な行動を思い出しながら、こんな妄想に浸る。

‪自分が衝動的にした行為としては、自己の存在は言葉の強い意味で「軽い」のに、自分の身体-脳-心は、様々な厄介毎で「重い」。‬

この自己の行為-精神の「耐えられない軽さ」と、身体-脳-心の「重さ」が釣り合わない為に、デパスによってバランスを取ってるんじゃ無いだろうか?

つまり、デパスは、この行為-精神の「耐えられない軽さ」と対立する、身体-脳-心の「重さ」を取り除くのでは無く、「耐えられない軽さ」に合わせてくれる。

両者が釣り合うようにしてくれる、換言すれば、己の中の耐え難い“重さ”と“軽さ”の乖離を埋め合わせてくれるものじゃないかと思う...


中間 時の時


15時32分。少年は、iPhoneの画像を何の気なしに、左右へスライドさせていた。

何か目的があった訳でなし、全く無意識にそうしていた。

尤も、隣に座る少年愛者のMも、また話の糸口が見つけられず、ただ虚ろに、腕時計の針をちらと見ていただけなのであったが。

15時34分。一体、Mは少年を通して、何を見ていたのか?

Mは少年を見ている自分の心と、持て余し気味の自分の身体とに、違和感を感じていた。

それゆえ一層、少年を通して、その心と身体の分離し得ない一体を見て、羨ましく感じる。

15時35分、突然、Mの頭に歌の歌詞が思い浮かんだ。

あゝ、確かあれは、「振り返るな君は美しい」だったか?

またもやMは腕時計を確認した。少年の門限まであとどのくらいの猶予が与えられているのか数えていたのだ。15時36分。

この男にとって、そして少年にとって数えるとはなんだろう?

この少年にとって今の時間は、この少年が今がもう再び二度と起こらないと理解したとしても、少年愛者が少年に見ている「数えられる」時間ではないだろう。

少年にとってこの時間が「数えられない」のは、

例え少年愛者を通してこの少年がこの時間を重要だと認識していたとしても、決して時間を、歴史を追い抜く事など出来ないからであり、

また、少年にとって将来というのはあまりにも抽象的過ぎるため、考えられない為であり、従って、今を数えるものさしを少年自身が持っていないからだ。

それに比べ、(もう15時40分になった!)Mにとっては、将来が非常に具体的であり、(しがないサラリーマンの生涯賃金、同性愛者が故に結婚も無ければ子供も出来ないだろう)

常に、時間を数える側になってしまった。

もしも、少年が「数える」側に回ってしまったら?Hのように?

彼にとって、少年に関する(性的な部分を除いて)一切の魅力が無くなるだろう。

何故なら、Mが少年を通して見ているものとは、自分が到達できないもの、郷愁、肉体と心の同一だからだ。

Mにとって、少なくともiPhoneを見ている少年の姿からは、「肉体と心の分裂」は見られない。

Mは、常に「肉体と心の分裂」に苛立っている。

だからこそ少年を求めているのだ。

実際Mは、自分の性に、自分自身に自信が持てていない。

それだからこそ、少年との同一化を目論もうとしている。

Mとってこの少年は希望である。

それは自分自身との、「肉体と心」の和解である。

同一化している少年はそんな事は気にも留めないだろう。

そう、あの哀れなHと違って!

しかし、Mには分かっていた。

「少年自身が少年愛者達にとって自分に価値があると気付いた」としたら、この少年もまた、「肉体と心」の葛藤に引き裂かれることになるだろう事が。

何故なら、それを気付いた時に少年は、老いていく自分と闘う事になるだろうから。

つまりは時間=歴史と。終わりのない鬼ごっこだ。

少年自身が鬼である鬼ごっこ。歴史に見つけられる鬼ごっこに。

Mはこの鬼ごっこから逃れようと、「東京へ行く」などと言い出したのでは無かったか?

ところで、歴史を追い越す事は出来ないが、歴史的思考(腕時計)を捨てる事は出来る。

まだ少年は歴史的思考を持っておらず、自己と同一化している。

それに対しMは歴史的思考のために、「肉体と心」に引き裂かれている。

歴史的思考、つまり「数える」思考のこと。

だから、Mにとって必要なのは、今丁度15時42分を指した腕時計などではなく、想像力だったのだが、生憎想像力を持ち合わせてはいなかった。

MがTを所有することを諦めた瞬間から、Mは落伍者の方に、諦めの方に-つまりはHの方に傾き、転がり落ちていき、ついには似た者同士を愛し始めるのである。

Tを物にするという勝負に負け、Mは弱さに捕らえられたのである。

Mは急に、東京へ行ったHの面影を思い出していた。Mは地面に這いつくばる方を選んだのだ!

15時45分になった時、二人は電車に乗りそれぞれの帰途へつく為にホームへ向かった。


終わり 時の時

この先、MはHの事を哀れに、しかし自分の国の住人のように愛すだろう。ついに歴史が彼等に終わりの時を告げ、次に見た時のHの顔はまるで大人の顔立ちになっている時まで。

Hもまた、どこへも逃げ場がないと悟り、まるで余命いくばくもない患者のような演技でそれに答えて行く事だろう。

Mは歴史的思考から逃れられなかったし、

Hは地理的思考によって、ユートピアを想像した。

しかし、そんなユートピアはこの世の何処にも無いのだ。

居直ったHは、演技を活用するしか無かった。

少年と少年愛者についての私見としては、このような終わり方以外を知らない。

少年愛者は耐えず郷愁を、若さを求め、少年は、耐えず老いていく自分と戦う事になる。

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