目的は喫茶店だったようです
歩き続けて数分、彼女の足が止まった。
記憶力だけが取り柄の僕にとって、急な出来事はよろしくない。
つまり、反射神経がいいわけじゃない僕は、危うくぶつかりそうになってしまったのだ。
「あっぶなかった……」
「何か言った?」
「ううん、何も!」
何となく彼女と目線を合わせるのが恥ずかしくて、彼女が止まった辺りを見てみる。
日曜日ということもあって結構人通りの多い大通りだった。
彼女が訪れたかったのはどうやら『喫茶 合縁奇縁』という場所だったようだ。
踏切事件があって以降、何もなかったと言えば嘘になるが、とりあえず目的地についたようだ。
「ここって?」
「喫茶店」
それは店の名前に喫茶と書かれてあるから分かるけど。
まさか、この店に彼女の探しモノがあるというのだろうか?
「先に入って」
ここに来るまで僕を誘導していた彼女が僕の後ろに周って言った。
えっ、ここって結構危険な場所なの?
見た目は普通の喫茶店だけど、実は……みたいな?
「えっと、実は初めて訪れた場所は、誰かの後に入らないと死んじゃう病気で……」
「初めて?」
「そう! 僕、ここ初めて来たんだ!」
「そう、なの」
嘘は言っていない。
行く機会がなかったし、一緒に行く相手も……。
僕が遠い過去のように頭に思い描いていた時、彼女の表情が少し穏やかになっていることに気付くことができなかった。
「なぜそんな悲しそうな顔をしているの?」
「いえ、大丈夫です」
考えないようにしよう。
虚しいという言葉が僕の頭の中に浮かび上がって来るし。
「入るわよ」
いつの間にか、彼女が先に店の扉を開き、僕が来るのを待っていた。
「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」
喫茶店のマスターらしき人から声を掛けられる。
店をぐるっと見渡すと、花や観葉植物が置いてある。
特に変わったような所はなく、落ち着いた雰囲気のある普通の喫茶店のようだ。
彼女はさっさと歩いて窓側の席に座っていた。
僕は早足で彼女の座った席に向かい合うように座る。
「ねえ、この喫茶店って……」
「この喫茶店、あかりが見せてくれた雑誌に載っていたの」
「へ、へえー、そっか」
もしかして、僕の予想は大外れ!?
僕、真剣にここに探しモノ、もしくはその手がかりでもあるのかと思ったのに!
恥ずかし……!
「どうしたの、顔を赤くして」
「えっ! 何でもないよ!」
慌てて僕はテーブルに広げてあるメニューを見るふりして、顔を隠す。
僕は無駄にビクビクしてしまっていたことを後悔した。
そもそも、こんなところにあると分かれば、彼女は苦労していないのだ。
「あっ、何頼む?」
「訊かれてもメニューが分からないわ」
そりゃそうだ。
僕が顔を隠すために使っているんだから。
こういう時ってレディーファーストにするべき、だよね。
しょうがないけど、手放すしかない。
まだ、顔が真っ赤な気がするけど、さよなら! そして、ありがとうメニュー。
「ごめんね。はい、先に決めていいよ!」
僕は彼女にメニューを渡した。
彼女はメニューを受け取ると、ドリンクのページを開いた。
と思ったらそのページをくるりと180度回転させ、僕の方へ押す。
「決めて」
「あ、うん。和田さんがいいなら、僕が先に決めるね」
さっき顔を隠した時にはよく見るどころじゃなかったので、今度はちゃんと見る。
と言っても、僕あまりコーヒー好きじゃないんだよなー。
どうしよう……。
「あ、ココアがある!」
思わず声に出していた。
これじゃ子供っぽいじゃないか! 僕のバカー!
「お客さんの注文は、ココアだね。お嬢さんは?」
「私も同じものを」
「はい。少々お待ちください」
僕のイメージ的には彼女はブラックコーヒーを飲むような感じなんだけど、人って見た目に寄らないんだなー。
和田さんもココア飲むんだ、意外な共通点だなー。
「和田さんもココア好きなんだー」
「いいえ」
「えっ? 好きじゃないのに、頼んだの?」
「飲むのはこれが初めてよ。
この世界の飲み物がどんなものか分からないから。
あなたの頼む物なら少なくとも飲める物でしょうし」
信頼されているのか、それとも毒味を任せられるくらい信用されているのか。
たぶん深く考えちゃいけないんだ。
救いなのは、彼女が場の雰囲気に合わせて、小声で話していてくれることだ。
今の所、マスターや店員さんが気付いている様子はない。
「ここはお店だしね。飲めない物は置いてないよ。
それより、今日僕を呼んだのって、例の物を探すためじゃないの?」
一度言ってみたかったんだよね。例の物って。
なんか推理系のドラマみたいじゃん?
「そうよ。この喫茶店でどこを探すか計画を立てるの」
「なるほど、計画を立ててから、探すんだね」
手当たり次第って言っていたけど、そういう所は考えているんだ。
でも、この街を探すにしても範囲が広すぎるんだよね。
「お待たせしました。ココア二つでございます」
「ありがとうございます」
僕は店員さんにお礼を言い、彼女はペコリと頭を下げた。
店員さんはにこやかな笑顔を受かべて戻って行った。
もしかして、デートしているように見えたかな?
ちょっとドキドキしてしまう。
店員さんの後姿を見ていると、視線がひしひしと向けられていることに気が付く。
こんな僕に視線を向ける人物はただ一人。
もちろん彼女だけだ。
一瞬、店員さんの後姿を睨んでいるように見えたのは気のせいだろう。
どうやら、初めての飲み物なので、僕が飲んでから飲む気のようだ。
全く僕が毒味しなくても、ココアは美味しいに決まっているじゃないか!
なんて、心の中で呟く。
ゴクッと一口飲むと、ニコリと彼女に笑顔を向ける。
すると、彼女は下を向いてコップを除き、手に持って飲み始めた。
「甘い……」
少し眉毛を寄せて、一言そう呟いた。
甘党の僕にとっては嬉しいのだが、もしかしたら彼女は甘いのは苦手なのかもしれない。
「甘いの苦手だった? 少し苦めの物をオススメすればよかったかな?」
「いいえ」
彼女はそう言って、また一口ココアを飲む。
少し無理をして飲んでいるように見えるのは、きっと僕だけじゃないだろう。