Hateful
「ヨーコちゃんおっはよーう」
「っよーざいまーす」
「おっ今日も暗いねー元気みたいで安心だね」
「はあ」
「よし、揃ったしそろそろはじめますか」
爽やかな快晴の朝、東京都某所のオフィスビルの関係者用駐車場に、気だるげな女の声がし、快活な男達の声が響いた。
駐車場の奥ほどに停められたハイエースから荷物を降ろす、作業服姿の数人の男と、一人だけ女。大きな掃除機めいた機械、長いホース、モップ、ブルーシート等が台車に乗せられ、次々に運ばれる。
つまり彼らは清掃業者で、これから道具をビル内に入れるのだ。
「タナカさん、私暗くないっすよ普通っすよ」
「うんうんわかるよ、ヨーコちゃんは暗いのが通常だからね、つまりいつも通りってね」
「だから暗くないっすって」
飄々とした初老絡みの男と、二十歳前後程の女が、それぞれに道具を運びつつ軽口を交わしている。冒頭でも、似たようなやり取りを交わしていた二人だ。
軽口を交わす、と言うより、タナカという男のほうが一方的にどこまでも軽々しく、そしてヨーコちゃんと呼ばれた女は、げんなり尚且つ、ぐったりした風だ。つまり暗い。
「いやあ、悩める若者、鬱屈し自己の在処に悩む若者って感じで、うーんおっさん構ってあげたくなっちゃう」
「タナカさんそこ段差っすよ」
「ああっ危ねえ!」
大仰な身振りで手を振り回したり、首を降ったり頷いたりしながら喋っていたタナカだったが、前を見るのをすっかり疎かにしたらしい。ヨーコの忠告虚しく、押していた台車を段差に衝突させ、積んでいたバケツやら洗剤やらが落ちかける。
慌てて荷物を支えようとするタナカだが、その前にヨーコがバケツをさっと回収し、洗剤のボトルを足で止め、その他諸々を持っていたモップと箒で支える。
「うんうん、流石のナイスフォロー」
「なんでそこでタナカさんがドヤ顔するんすかね」
元からある笑い皺を更に深めつつ微妙に並びの悪い歯を光らせるタナカを見て、よりげんなりするヨーコだった。
「おい二人共じゃれて無いでさっさと運べ!」
「あっ、やっべぇス、サワさん怒るっす」
通路の向こうから怒鳴り半分の声が飛んだのを聞いたヨーコは焦った。あの声の主の機嫌を悪くすると、一日中背中にピリピリする視線で蜂の巣にされる。
「ほらヨーコちゃんが遊ぶからー」
「私一ミリも悪く無いっすよ」
タナカはしかし平常運行だ。心臓が鋼で出来ているのだろうか。いや違う、蒟蒻だろう。くにゃぷにゃしてるのに、斬鉄剣でも斬鉄視線でもびくともしない。
「タナカさんはなんでそんな無駄に元気なんすかね」
ヨーコは溜め息混じりに皮肉を刺したが、タナカは更に笑みを深める。蒟蒻だ。
「うん、やっぱり元気の源は楽しむ事だね!『ハードデイズナイト』な日々でも、ヨーコちゃんで如何に楽しむか考えると気力が湧く訳よ、そんで」
「……」
タナカの戯れ言の真ん中辺りで、ヨーコの眉間に皺が三つ程、寄った。
「おっと…禁句、禁句」
肩をすくめ、タナカは口を慎む事にしたらしい。それにいい加減サワさんも本気で怒るだろう。タナカは人をおちょくるのは好きだが、別に怒らせて楽しむ趣味は無かった。二人はは少し足を早め通路を進んだ。暫し、無言。
ヨーコは別に、タナカが如何に自分を弄って遊ぼうと別に腹を立てる事は無い。寧ろ、無愛想で孤立しがちな自分を気にして構って、可愛がってくれて、感謝しているのだ。仕事中にわからない事があっても面倒臭がらず教えてくれるし、フォローだって沢山してもらっている。
眉間の筋は取れぬまま、ヨーコは申し訳ないな、と思う。そしてやるせない気持ちになる。なんで、タナカは私に良くしてくれるのか。ヨーコは知っていた。
初めてこのバイトを始めた日、同僚となる人達に挨拶をして回っていて、そしてこの見るからに愛想がいい男に、はじめましてと、自分の名前をフルネームで紹介したら、この男は目を丸くして。
そして嬉しそうに、自分の名前をタナカだといい、そして語りだしたのだ。
タナカは趣味でロックバンドを組んでいて、ギターを弾いたり歌ったりしているのだと言う。自分達の大好きなバンドの曲をコピーして、人前で歌ってやるのは最高なんだよ、俺が何が好きかって?それはな、とタナカは少年のような目をして言う。
『ビートルズさ。大好きなんだよ‼』、と。
宝物を自慢するみたいに熱弁するタナカが、ヨーコを少年の瞳で見て、そして本当に嬉しそうに言葉を重ねた。
『だから、君の名前を聞いた時、ビックリしちゃったよ。凄いよ、最高な名前だ‼』
ヨーコはタナカと言う男が余りに嬉しそうだから、言えなかった。
自分の名前が、大嫌いだなんて。
『宜しくね、オノ・ヨーコちゃん!』
『…おうの、です。宜しくお願いします』
謳野 洋子。18歳。
音楽と、自分の名前が大嫌い。