プロローグ
彼女は、音楽が大嫌いだった。
「ほら、もっと大きな声で歌いなさい!さぼってないで。じゃあ、貴女だけ前に出て歌いなさいな」
くすくす、と笑い声。侮蔑の視線。
「えーやだ、この曲知らないなんてあり得なくない?今凄い流行ってて、みんなこれ聴いてるのに。」
排除される。
「センパーイ、こいつカラオケ誘わないほうがいいっすよ。全然歌わないわノリも悪いわで、超冷めるんすよ」
異質なモノとして。
「お前さあ、音痴だよ。なるべく人前で歌うなよ恥ずかしいから」
遠い記憶で、頭にこびりつく罵倒。
ああ。何故こんな事だけで、音楽が嫌いってだけで!こんな目に遭うのか。益々、嫌いになっていく。
それなのに、世界には音楽が溢れていた。テレビから、ラジオから、CDコンポから。それが嫌で部屋からそれらを追い出しても、街を歩けば商店街のスピーカーから、コンビニ、定食屋、バイト先。通勤電車で隣り合う男のイヤフォン、飲み屋から出てくるオヤジの鼻歌。さっきすれ違った青年は『NO MUSIC, NO LIFE』とプリントされたTシャツを着ていた。目を逸らせば、何か洒落た服屋の外壁に、ギターを構えた派手な男のポスターが貼ってあった。
彼女は、音楽から逃げられなかった。どんなにシャットアウトしようとしても、それらはいつの間にか心の隙間に入り込み、意識を浚う。耳鳴りが止まない、あのポスターの男が目に焼き付いて離れない、打楽器のリズムと心臓の鼓動が同調していく。そして、全身がムズムズとして、喉がゴツゴツとしてきて、ああ。
叫びだしてしまいたい。
そして、我に返り自己嫌悪に陥る。あんな嫌いなモノに心を乱されるなんて。ましてや、叫びたいなんて、そんな事仮に実行に移したら恥の極みだ。頭がおかしいのではないか。
----ああ、私をこんな目に逢わせやがって。
だから、彼女は音楽が大嫌いだったのだ。