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ゼロの狂詩曲  作者: 似櫂 羽鳥
8/8

0.狂詩曲 ―Rhapsody―

「どういうことなんだよ? リオン、朽城先生、二人とも何を言ってるんだ? 朽城先生とは高校で初めて会ったはずだ。そうですよね、先生?」

 たまらず零音が口を開いた。瞳には動揺の色が隠しきれず、絶えず二人をきょろきょろと追っている。しかし黎至はその問いかけに答えず、ただ一言ぽつりと呟いた。

「―――聡愛会病院」

「…そうあいかい…?」

「…知っているはずだ、レオン。いや…忘れてしまっている、と言った方が正しいな。君とリオンは、そこで幼少期を過ごしているのだから」

「知らない…だって僕らは孤児で、施設で育って…」

「違うわレオン。私達は先生の言うとおり、聡愛会病院で育ったの。あそこに閉じ込められていたのよ…そこにいる、朽城先生の所為で、ね」

 莉音は人差し指をぴたりと黎至の顔に向けた。

「君達は、精神面である特殊な事項を抱えていた。生まれながらの残酷性。今で言うところの『サイコキラー』なんかに当たる。純粋に生き物を殺し、そしてそれを楽しんでいた」

「残酷性…サイコキラー…」

「俺は見てしまったんだよ。君達二人が病院の中庭で遊んでいる所を。迷い込んできた子猫を捕まえて、そしてリオンが殺した」

「っ!」

「その後だ。カッターナイフで刺し殺した子猫の死体を…レオン、君は切り刻んで、バラバラの破片を使って遊んでいた。まるで積み木か何かのようにな」

「そ…んな、こと…」

「それに似たような場面に何度も遭遇して、俺は君達を放って置けなくなった。このままではいけないと思った。救って…やりたかった」

「あはは! 救う、ですって? 綺麗事はやめてよね、先生。あなたがしたかったのはただの実験じゃない! 医者としての自己満足のために、私達を利用しただけじゃないの!」

「…俺は、君達の治療を試みた。最初はただ単に残酷性を抑えるよう暗示をかけたり、精神病の治療と同じようなやり方で緩和させようとした。しかし、君達が快方に向かう気配は無かった。それどころか、遊びの内容もエスカレートしてきて、誰も手に負えなくなってしまった」

「エスカレートだなんて、大げさじゃない? ちょっと他の患者を怪我させたり、その程度だったでしょう? たいしたこと無いわ、ねぇレオン」

「あ…あ…っ…そんな…僕は、僕は、知らない…」

「正直、焦っていたのは認めよう。手を尽くしても、君達が『正常』に戻る兆しすら見えない…精神科医としての立場がなかったのも本音だ。追い詰められた俺は、ある治療法を思いついてしまった…それが、『人為的な二重人格の形成』だ」

「…どういう…ことですか…」

「そのままさ。君達の中に、それぞれ新しい人格を作り上げた。催眠術を使ってね。外交的で頼れる兄のレオン、大人しくて内気な妹のリオン。本来の君達二人から、間逆の性格を持った兄妹を生み出したんだ。姉と弟という本来の立場さえ…覆した」

「レオン…まだ思い出せないの? あなたは私の兄ではなく、弟なのよ…泣き虫で、いつも私の後ろに隠れていた、可愛いレオン…」

「違う…違う違う! 僕はリオンの兄だ! そしてリオンは…リオンは…!」

「…結果的に見て、この試みは成功に見えた。だが一つだけ最後の難関が残っていた。本来の二人を眠らせ、記憶の全てをすり替える作業だ。これがうまくいかなかった。どうあがいても、姉のリオンが眠ってくれなかったんだ。それに引きずられるようにして、弟のレオンも戻ってきてしまう。何度も失敗を重ねて、ようやく一つの方法に辿り着いた」

「聡愛会病院連続殺傷事件…」

 懐かしむように虚空を見上げ、莉音が呟く。

「…入院患者8名が一晩で惨殺された事件…表向きは院内に押し入った精神異常者による通り魔的な殺人事件として公表された。しかし、実際は、院内の二人の患者が行った事だ」

「ええ、よく覚えているわ。とても楽しかったもの…」

「事件が与えた影響はリオンに多幸感をもたらし、一時的に暗示にかかりやすい状況を生み出した」

「そう。それが私が消えるきっかけだった…」

「治療は成功した。催眠にかかった姉のリオンは意識の奥底に沈み、そのまま眠りに就いた。弟のレオンも間もなく、同じように眠った。残ったのは俺が作り上げた二つの人格…兄のレオンと、妹のリオンだった」

「待ってくれよ! そんな…そんな馬鹿げた話、あるわけないじゃないか!」

「さぁレオン。一緒に遊びましょう? おもちゃは、ここにたくさんあるわ…」

 そう言って莉音は足元の死体を楽しげに指差す。零音は大きくかぶりを振り、黎至の腕にすがりついた。

「そうだ…そうだよ、これはみんなおもちゃなんだ! 全部夢だ、ねぇ朽城先生、そうだろう?!」

「…レオン、全て事実だ」

「じゃあ、じゃあどうして止めてくれなかったんだ!」

「それは出来ない。止めてはいけなかった。君達を…救う為に」

 黎至はそっと零音の手を振り払い、その瞳を真っ直ぐに見つめた。

「これは再現なんだ、あの事件のな。目覚めてしまった御影莉音をもう一度、封印する為の。全てが終われば、君達はまた平穏を取り戻せる。だから俺は…」

「ねぇ、もうお医者さんごっこは終わった?」

 唐突な莉音の声に、二人は彼女を見た。歪に口元を歪める笑みを零しながら、彼女は黎至を見据えていた。

「終わらせるんでしょう? 朽城先生。なら早く終わりにしましょうよ。あなたの死をもって、ね!」

 一瞬の出来事だった。躍り出る莉音。素早く黎至の背後に回りこむ。黎至が身をかわす。右足が空を切る。倒れる音。

 零音が気づいた時には、馬乗りになった莉音が足元の黎至の首にがっちりと腕を回していた。

「うっ!!」

 首筋に左手を叩きつけられ、黎至が短い嗚咽を漏らした。莉音の手には注射器が握られている。その先端は深々と黎至の首に突き刺さり、彼女は淡々と中の液体を押し出していた。やがてそれは空になり、乱暴に引き抜いては投げ捨てる。

「救う? 偽善はやめなさいよ、先生。私はあなたを許さない。体中に毒が回って死に至るまで、せいぜいもがき苦しむといいわ」

 莉音が無表情で冷たく言い放ち、黎至を開放した。続けて黎至も、よろめきながら立ち上がる。しかし数分もしないうちに口から大量の血液を吐き出した。白衣を血で汚しながら、胸を掻き毟り悶え狂う。

 莉音は高らかに笑った。

「そうよ! もっと苦しみなさいよ! 苦しんで苦しんで、死になさい!!」

 千鳥足で躍る黎至は赤い飛沫を撒き散らしながら、倒れこむように零音の肩を掴んだ。充血した彼の目に見つめられ、零音は呆然としたまま動けなかった。

 黎至の唇が、震えながら最期の言葉を紡ぎ始めた。

「すまない、レオン…だが…だが、きっと…これで、終わる…」

 ずるりとその手が滑り、黎至は零音の足元に倒れ伏した。零音に向かって、片腕を伸ばす。

「お前は…お前は…強く…生きるんだ……己に…打ち、勝て…」

 指先が二、三度痙攣し、糸が切れたように地面へと落ちた。目の前でこと切れた黎至を見下ろし、自然と零音の瞳から涙が零れる。

 水を打ったような静寂の中、莉音がゆっくりと手を差し伸べた。

「さぁレオン…これで邪魔者はいなくなったわ。戻りましょう、あの頃に…」

 しかし零音は立ちすくんだまま動けない。全身を震わせてただ莉音を見、小さく首を振るだけだった。訝しげに首を傾け、莉音が歩み寄った。

「どうしたのレオン? そんな怖い顔して。またあなたのおもちゃを作ってあげたのよ? 嬉しいでしょう、ねぇレオン?」

「あ…あぁぁぁぁっ!!」

 零音の絶叫が響いた。近づいてくる莉音に恐れをなし、その場に尻餅をついて後ずさる。

「嫌だ…嫌だ!」

「レオン、どうして逃げるの? どうして怯えているの? ほら、遊びましょうよ」

「来るな…来るなぁぁぁ!」

 零音の右手に何かが当たる。それは莉音が泰牙の命を奪った後、無造作に放置されたナイフだった。咄嗟に彼はそれを握り締め、目の前に向けた。

「近寄るなっ!」

 錯乱した零音はナイフの切っ先を莉音に向けたまま喚いた。しかしそれを全く意にもとめず、莉音は手を伸ばしたまま彼に近づいていく。

「私の可愛いレオン…そんなに怖がることないじゃない。もうじきあの楽しかった日々に戻れるわ」

「来るな! お前なんか知らない! お前は…お前は、僕のリオンじゃない!」

 その一言に、莉音の顔色が変わった。激しい怒りに目を光らせ、立ち止まる。

「…何も知らないのはあなたよレオン!」

 怒鳴るように吐き捨て、怯える零音へと歩を進める。

「あなたは作られたただの人形! あなたが偽者なのよ! だけど、もうあなたは必要ない!」

 闇雲にナイフを振り回す彼の目の前に立つ。

「いいわ、解らせてあげる! 私が、私こそが!」

 零音は目を固く瞑った。しかし莉音の口から、次の言葉が出てくる事はなかった。

 振り回した零音の腕に、莉音の細い指が絡みつくように重なり…時が止まった。時計の針さえも止まった瞬間、零音は戦慄を覚えた。針が動き出すまでの数瞬が過ぎ去った後、自分という意志がこの場に残っているのか、それとも最愛の〝妹″を失った世界が続くだけなのか。かすかに零れ落ちた声が、零音の静寂を破った。

「…お…兄様…」

 懐かしくも遠い声。失われたはずの愛しいただ一つの声。

 はっと彼は顔を上げる。見上げた莉音の顔は、いつもの様な弱弱しい笑みを浮かべていた。

「リオン…!」

 二人の世界が繋がる。走馬灯のように二人が過ごした日々が、脳裏を走りぬける。手を繋ぎ微笑みあう莉音と零音。いつでも、どんなときでも、共にあった二人。苦しさも、喜びも分かち合い、手と手を取り合って生きてきた二人。

『悲しい事は私とはんぶんこ(・・・・・)にしましょう』

『ああ。嬉しい事も僕とはんぶんこ(・・・・・)だ』

 これまでも、これからもそれは変わることは無い。目の前の『莉音』は、彼の知る『莉音』そのものだった。

「よかった。間に合って」

 莉音がそっと微笑みかけた刹那。

 肉を裂く感触が、零音の両手に伝わった。

 そっともたれ掛かるように莉音の体が傾ぎ、零音の肩に頭を預ける。残されたのは、腕に伝う莉音の温もりの赤だけ。

「リ…オン…?」

「これで…いいの…」

 二人の言葉が重なった。莉音の唇が彼の頬に優しく口付けた。音もなく莉音の口から流れる血の筋で、彼の頬が赤く塗られていく。

「終わらせ、なきゃ…私が…壊れてしまう、前に…」

 細い吐息と共に紡がれる莉音の言葉。

「ずっと…愛してるわ…私の、おにい、さま……」

 彼女は最期にゆっくりと息を吐いた。崩れ落ちる莉音の身体。喉元に深く突き刺さった刃物が、その柄だけを露にしていた。

 古い柱時計が、重い鐘の音を響かせた。ひび割れて破片の落ちる冷たいコンクリートの壁に、その音は反響して広がっていく。辺りには噎せ返るような血の匂い。終わりかける夏の暑さがそれを助長し、部屋の中は生々しい空気で満たされていた。

 窓もなく、月の光すら入らないこの薄暗い空間で、人影がゆらりと揺れた。天井にぶら下がった裸電球がチカチカと最期の灯を燃やし、その人影を照らし出す。透けるような銀色の髪の一部が、赤黒く染まっていた。零音の周りには折り重なる七つの屍。目の前にある一つはまだ新しく、彼の髪にべったり付着するものと同じ液体がその死体から溢れ続けていた。

 零音は己の掌を見つめ、小刻みに震えていた。時折嗚咽のような声も聞こえる。恐怖とも自責ともつかない涙がとめどなく零れ落ち、彼の両手を濡らしていく。そして掌の血を溶かし、桃色の雫となって彼の足元に横たわる骸を濡らした。

 莉音の美しい銀色の髪は自身から流れる血液に浸かり、真っ赤に染め上げられていた。光をなくしてどろりと濁った双眸が、ただじっと零音を見つめていた。

 視線がぶつかった。零音の嗚咽が大きくなる。掻き毟るように両手で頭を抱え、零音は弾けるように天を仰ぐ。

 灰色の天井。

 錆の匂い。

 上がる気温。

 流れる汗。



 慟哭。




 止まっていた零音の時が回り始めた。逆流する記憶。それは一つの始点にたどり着く。

 母さんは僕達を虐待していた。しかしそれは母さんのせいじゃなかった。僕達が手に負えなかったんだ。ある日、飼っていたインコのチィが死んだ。姉さんが殺した。それを見ていた。

 チィを刺した姉さんはとても楽しそうに笑っていた。姉さんが笑っているから、僕も幸せだ。僕は、新しいおもちゃが欲しかっただけなんだ。人形遊びはもう飽きた。姉さんはおもちゃを作ってくれたんだ。

 まずは、羽根を全部もぎ取った。それだけじゃ綺麗じゃなかったから、今度は目に針を刺してみた。少し可愛くなった。腹を割いて、頭を切り取って、中に入れてみた。これで完成だ。

 姉さんは沢山のおもちゃを作ってくれた。そしたら母さんは僕達を殴るようになった。気持ち悪い目で見てくる。どうしてそんな目で僕達を見るの?

 父さんに連れてこられたのは大きな白い病院だった。父さんは僕達に何度も別れを言って、二度と来ることはなかった。ああ、捨てられたんだ、僕達は。

 病院で暮らし始めてからも、姉さんは時々僕におもちゃをくれた。人形、猫、犬、たくさん。でもそれで遊ぶ度に僕達は真っ白な部屋に閉じ込められる。僕達はただ遊んでいただけなのに。

 白衣の男の人に何度も会った。その人は僕達を椅子に座らせて、眠らせようとしてくる。僕はすぐに眠くなってしまうけれど、隣で姉さんが手を握っていてくれるから眠らずにいた。姉さんは強いんだ。いつも僕を守ってくれるんだ。

 夜中に、僕と姉さんはある部屋に連れて行かれた。そこには8人の人が眠っていた。白衣の人は姉さんに何かを言っていた。姉さんは笑った。

 姉さんは次々におもちゃを作った。

 一人目をピストルで撃った。

 二人目を斧で叩き割った。

 三人目を矢で射抜いた。

 四人目を絞め殺した。

 五人目の首を切った。

 六人目を殴り殺した。

 七人目の首に薬を打った。

 八人目を―――。

 姉さんは笑っていた。

 僕はそのおもちゃを重ねて、最後にナイフで貫いた。とっても綺麗だ。今まで作った物の中で、一番美しかった。

 白衣の人が、それを後ろからずっと見ていた。僕と目が合う。あの人が吐き出す煙草の煙は好きじゃない。僕達を殴った母さんと同じにおいがするから。僕は姉さんを見た。姉さんは僕のおでこに、自分のおでこをくっつけた。

 そうだ。僕達はずっと一緒だ。二人で一つだから。

 時が回る。始点は終点と重なる。折り重なる死体。血の匂い。薄明かり。

 足りないものは僕の半身。そして死体が一つ。

 駄目だ。もう一度、始めなければ。




 再び、静寂が流れた。零音はがくりとうなだれたまま動かない。彼の顔から、右目を覆っていた眼帯が外れてはらり、と落ちた。

 ゆっくりと顔を上げる。瞳が光る。血のような、赤。

 小さく笑った零音は、そっと足元の莉音を抱き上げた。首からナイフを生やしたまま、その身体が持ち上げられる。彼はそのまま立ち上がり、乱雑に横たえられた七つの死体に歩み寄る。

 積み上げられたそれらの上に、莉音の躯を静かに置いた。少し下がってそれを見つめ、小さく首を傾げるとおもむろに莉音を殺した凶器に手をかける。

 そして、一気に引き抜いた。赤い飛沫がしぶきとなり、彼の顔を汚していく。

 彼はちらりと刃の先を見た。ゆっくりと定めるように莉音の胸元へそれを移動させ、振りかざす。

 貫く。

 奥深くまでそれを差し込み、手を離した。莉音の首にあったナイフは、今は彼女の胸の真上にあった。

 零音は満足げに頷き、にやりと唇をゆがめた。

「…やっと、完成だ……ほら、綺麗だろう? あの時の作品より、ずっとずっと綺麗だ…だってこれには、姉さんがいるから…」

 濁った莉音の瞳を覗き込み、その頬を両手で包み込む。

「大好きだよ、姉さん…」

 どこか幼い、無邪気な声で彼は言った。しかしその奥には隠しきれない狂気が見えた。

 と、彼は踵を返した。興味を失ったように死体から離れ、暗い廊下へ向かっていく。

「ああ…飽きたなぁ……早く、新しいおもちゃを探さなきゃ…」



 彼の向かう先。

 それは限りない『ゼロ』の世界。

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