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2.私というニンゲン

とある研究所内


 その研究所の一角にある簡素な研究室。その部屋には液体の中、一糸纏わぬ姿で眠る少女のカプセルが安置されているのみであった。どこか神聖さすら感じさせられるようなその姿はどこか、疲れたようでもあった。

 ぐらぐらと大地が縦に、横に揺れる。何の前触れも無く、突如始まった揺れ。地震である。


―――バキッ、ガコン


 蝶番が振動に耐えきれず、弾け飛ぶ。蝶番によって固定されていたカプセルが倒れ、その中の裸の少女を衝撃が襲った。






「うぅ。」


 少女が目を覚ます頃には揺れはおさまり、先程の衝撃でカプセルの扉が開いていた。中を満たしていた液体は、空気に触れてから数十秒もすれば乾いてしまう特殊な液体だったようだ。少女は目を開くが、真っ暗で何も見えない。


「と、とりあえず起きましょう。」


 少女は軽くパニックになりながらも起き上がる。すると、ヴンと音がして電灯がつく。暗い場所に慣れているところに急に明るくなるとどうなるか、それは自明の理というものであろう。


「うぁ、まぶしぃ!」


 少女は目を押さえ、暫く目がー、目がーと言いながらうずくまっていた。裸で。






 明かりを目が慣れてくると今の状況が知りたくなる。恐る恐る目を開け、辺りを見回す。少女のいた部屋は彼女以外は誰も居らず、所謂研究室のような佇まいをしている。

 少女も気分が落ち着いてくると自らが衣服を纏っていないことに気がつき、少し顔を朱を染めながらも何か着る物はないかと近くにあった幾つかのロッカーを目をつける。

 ロッカーを開け、中に有るものを見て驚愕する―――。



 ナース服があった!



「ばっかじゃねぇの!?」


 少女にあるまじき言葉遣いをしながら、ばしん!と強引にロッカーの扉を閉める。乱暴な言葉遣いをしてから、胸の内に違和感を感じていた。

 まだ残りのロッカーは見ていない。他のロッカーになら普通の衣服が入っていることを祈り、しかしまだ拭いされぬ嫌な予感を感じつつ左隣のロッカーに手を伸ばし―――開ける!



 チャイナドレスがあった!



「勘弁してください...」


 少女は涙を堪えながらそう言った。






 結局、5つあったロッカーの内で着れそうなものといえば白のワンピースと物語の魔法使いが着ているようなローブ、大きな帽子のセットだけであった。一番左のロッカーには普通のタオルやバスタオルがあるのみで、なぜこんなところにあるのか意図が掴めない。下着ですか?縞パンでしたよ。

 少女は渋々、下着を穿き、ワンピースを慣れた手つきで着る。その瞬間、先程の胸の内の違和感が溢れ出た。



「あれ、俺って男だよね―――ッぅ!?」



 異常、明らかな異常。なぜ自分を少女だと認識していたのだろうか?それを意識した瞬間に頭に激痛が走る。少女である体が、男である頭が、たがいを拒絶しあうように暴れ狂う。―――その激痛は数分間続くことになった。




 数分間の後、頭の痛みは引いて少女の意識がはっきりする。確かに自分が誰なのかは思い出せる。


「佐藤和幸、25歳、独身、サラリーマン、東京都在住...のはず。」


 しかし、それは記憶等ではなく、どちらかと言うと"記録"に近いような感じがした。


「だめだ、顔が思い出せない。自分の顔も両親の顔も、誰の顔も思い出せない。しかもこの体だ、これからどうすりゃいいんだ。」


 はあ、とため息をついてふと自らの体を見る。慎ましやかだがワンピースの上からでも分かる己の二つの膨らみ、そして男であれば必ずあるはずのものがない股間のことを思案する。はあ、と本日二回目のため息をはくのであった。




 少しの間茫然自失していたが、魔法使いっぽいローブと大きな帽子をロッカーに戻すと片腕を振り上げ、声高々に宣言した。


「よしっ、こうなりゃ当たって砕けろだ。コンチクショー!」


 何度も言うようだが、彼は今少女の体である。端から見ると、ちょっと背伸びしている少女のようにしか見えず、ただの微笑ましい光景となっていた。


「まずはこの部屋を物色だー!」


 ...変なテンションになっているだけかもしれない。






「最初はこの机からだな。ん?何の書類だ、これ?―――ッ、これは!?」



 その書類には一枚の少女の写真が付いていた。



「これは俺か?確かにそんな気がするし、髪の毛の長さも同じくらいだ。」


 と言いながら自らの髪の毛に触れる。写真の少女は肩につくかつかないかという長さの黒髪に、憂いを帯びたような大きな瞳。そして均整のとれた体つき。無駄毛など存在すら許さぬといわんばかりの、まさに黄金比の少女。今時珍しい純和風な雰囲気を醸し出す、魅力的な少女であった。


「かわいいなぁ、―――ッじゃなくて何でこんな体に俺はなってんだ!」


 その写真の少女が自分かもしれないと思い出して恥ずかしくなる。いかんいかんと、写真から目を離して書類の方に目をやる。最初の一行を見たときにその疑問は大方氷解したと言っても良いだろう。

 




愛玩用バイオロイド開発プロジェクト


開発コンセプト『発育途中のいたいけな少女』


設定年齢 十四歳


型式番号 X56-12


製造場所 第三研...




「は、ははっ、こんな冗談...」


 無いわけではないだろう。バイオロイド―――女性の子宮以外から生まれ、成長ができず一生を変わらぬ姿で過ごさなければならない、ヒトに似ただけの有機生命体―――自体は二、三年前に開発の技術ノウハウが築かれた―――倫理的な問題は別として―――と報道していたはずだ、と少女は考えを進める。


「でも、それならなんで俺がこんな体になったのか説明がつかない。」


 少女は書類をぱらぱらとめくり、バイオロイド製造に関係する項を探す。

 製造に関係する項を見つけたものの、その製造方法は想像を絶するものであった。少女の背中におぞましい何かが走る。


「検体からのDNA情報を使って生体パーツを作り、それを組み立てて脳髄は検体のものを移植し、薬で自分を少女だと思い込ませる!?」


 少女はあまりにも常軌を逸している製造方法に対して拳を握りしめ、ぷるぷると震わせる。


「いや、今そんなことは関係ない。もうやられた後なんだ。けど、もう前の体は要らないだろうし廃棄処分とかされちゃったのかなぁ。」


  このプロジェクトの異常性を鑑みて恐らく証拠も残さぬよう、念入りに処分されているであろう。はっきり言って研究員にとっては彼の脳髄が必要なのであり、体になぞ一銭の価値もないのだろうから。


「じゃあさっきの頭痛は男性の人格と女性の人格が反発して起きたのでしょうか?...まさか、この体に他にも変な改造とかされてないですよね。」


 元々彼は生身の頃から電脳化していたのだが、知らない間に体を弄くり回されるのはやはり気持ちが良いものではない。しかし、そういうときに限ってされているのである。ましてや愛玩用バイオロイドに変な改造を施さないでいるだろうか、いや、いない。

 書類に視線を落とし、何かされていないか調べる。


「うわ、やっぱりされてました。身体機能の向上、ナノマシンによる傷の高速治癒と無酸素環境下における活動、知識と経験のインストール、更には五倍までの感覚の鋭敏化?」


 身体機能の向上、高速治癒と無酸素環境下における活動、これらは良いだろう。前者は成人男性より少し強い程度とあり、度を超えたものではなかった。ナノマシンも治療に使われていたりして、かなり普及していたはずだ。しかし知識と経験のインストールに感覚の鋭敏化はまずい。

 愛玩用なのだから夜のお供に、そういう知識と経験が必要になるのだろう。お供などしたくもないが。

 感覚の鋭敏化は夜のお供をしているときに、それはもう凄いことになってしまうのだろうか、と恐怖に身を震わせる。

 特に脳に知識と経験をインストールするなど聞いたことがない、人の業もここまで深くなっては神様も助けてくれないような気もした。


「一応、どんなことがインストールされているのか見てみないといけませんね。」


 と、インストールされている知識と経験の量に驚愕する。そこには百をこえる数がインストールされている、とあったからだ。


・夜のお供

・家事

・経理

・教師

・医療etc.etc...


 頭を抱えて脳がパンクしないかどうかちょっと心配になった少女であった。






 書類に全て目を通してこの新しい自分の体のことを理解していく。幸いにも電脳化しているので一度でも目を通せば忘れないので、書類の四、五枚などお茶の子さいさいなのだ。

 しかし、先程の服を着ていなかった時のように気づいていない時にはなんでもないようなことでも、意識してしまえば気になってくるものである。それもこの体が愛玩用バイオロイドとなれば当然である。なんだか恥ずかしくなり、さっと股間を隠すような仕草をとってしまう。

 その時偶然にも、女性にとって一番敏感な場所に指が触れた。


「んひぃ!?」


  と、突き抜ける快感。そして何かがせりあがって来るような感覚。それが尿意だと気づいた次の瞬間には、ワンピースが汚れてはまずいと裾を持ち上げて机に向い正面から倒れるようにし、その身を机にゆだねていた。


(もしかして、感覚が五倍になってませんか?)


 少女の頬に一筋の涙が垂れ、そのまま動かなかった。




 佐藤和幸、二十五歳、この歳でお漏らしをする。






「感覚器官一倍。」


 音声入力で感覚を元に戻す。念じるようにしても設定できるようだが、確実ではないのでしていない。初期設定から五倍になっているとは誰の悪戯だったのだろうか。既にこの身に悪戯されていたのではないか、その時の設定のままだったのかと思い、怖くなったのだが気にしないことにした。

 お漏らしの結果、ワンピースは難をのがれたが代わりに下着が犠牲になってしまった。もうぐっちょぐちょである。仕方がないので一度ワンピースを脱ぎ、下着も脱ぐ。先程のロッカーにタオルがあったことを思い出して取りに行く。

 濡れてしまった己の股を拭く―――今度は大丈夫だった、何がとは言わない―――。そこで、太股の内側に何か英数字が有ることに気づく。


「X56-12?さっき書類にあった型式番号ですかね。」


 自分が番号で管理されているような感覚に陥り、悲しくなる。




 下着は替えが無かった、いや、有るにはあったのだが、如何せん布面積が小さすぎて穿く気にはなれなかった。水分が無くなるまでタオルで下着を叩いておく。流石にノーパンの上にワンピースだけなのは恥ずかしく、タオルを取ってくる時にロッカーから出しておいた魔法使いローブを着て、ついでに帽子もかぶる。これで完全に魔女っ娘スタイルである。しかし、ノーパンである。

 水分をできる限り無くした下着は、ローブに付いていたポケットに入れておいた。ちなみにこのローブの内側には多数のポケットが有り、なかなか機能的である。


「うぅ、股がすーすーします。でも、ちょっと気持ち良い...。いやいや、何を言ってるんですか!気持ち良くなんか無いんです!」


 一応否定はしているが、顔を赤らめながら言っても説得力などはない。実際、本人は癖になりそうと思っている。もしかしたら一生下着など着けない気なのかもしれない。


―――露出狂の卵がここに生まれた。







「拳銃とナイフですか...。」


 少女は今書類の置いてあった机を物色していた。そしてこの机の主であろう人物の私物と思われる口径の小さいリボルバー式の拳銃とナイフにライター、買い置きのタバコ、研究所内のものと思われる地図を発見したのである。しかし、拳銃とナイフのインパクトが強すぎたのか地図とライター、タバコのことはすっぽりと頭から抜けてしまったようだ。


「タバコは嫌いですけど、何かに役立つかもしれませんし一箱だけ地図とライターと一緒に持っていきましょう。」


 あのお漏らし事件の後に自分の置かれている状況というものを思案してみた少女だったが、この状況がとても危ういものだという認識に落ち着いていた。

 例えて言うと、この状況は敵だらけの研究所内から脱出しなければならないスパイより危険な状況なのだ。しかもこちらは魔女っ娘スタイルをした、見た目が中学生くらいの女の子。怪しむな、という方が無理な話であろう。

 幸いにしてこの部屋には番号が振ってあり、地図に描かれている部屋の番号と照らし合わせて現在地を確認する事ができている。


「まずは廊下に出ないといけませんね。」


 万が一の時、いつでも発射できるように右手に拳銃を持ち、ナイフはローブの内ポケットに入れておく。インストールされた技能に拳銃の扱い方もあったので、この時ばかりはそのことに感謝しても良いと思っていた。


「ひぃっ。」


 ぷしゅっ、と音がして開いた扉の向こうには―――白骨死体と血の跡、壁に刻まれた大きな爪の傷が広がっていた。






 予想外の事態に一瞬面食らった少女はすぐに廊下を見回して、安全を確認する。辺りを見て分かったことだが、この白骨死体や血の跡がかなりの年月を経ていることに気づく。そこでとりあえずの危険はないと判断し、緊張を解いた。


「でもなんでさっきの部屋には変化が無かったのでしょうか?」


 少女は知らなかったが、先程の部屋は酸素の代わりに窒素で満たされており、物質の劣化をおさえていた。何かあったとき、大切な研究成果等を守るためのシステムが作動した結果である。


「うーん、素人が考えてもわかりません。何かすごい技術が使われていたのでしょう。」


 そこへどすどすと足音が近づいてくる。それは二足歩行の人間ではなく、四つ足の獣の足音である。ピギィと鳴く猪のような獣がそこにはいた。しかしその体躯は通常の猪よりも二回り大きく、口から牙が生えていた。

 その姿を確認した瞬間、少女は拳銃を構える。インストールされた技能のお陰か、どうすれば相手を無力化できるかが自然と頭に浮かぶ。しかし、少女は獣の様子を伺うように拳銃の照準器越しにじっと見つめている。拳銃を握るその手は震え、心臓はどくんどくん、と波打っていた。

 豚の獣はこちらを見るとにたぁと笑うような仕草をし、プギィと一鳴き。面白そうなおもちゃを見つけたと言わんばかりに、こちらへ走ってくる。


「ごめんなさい。」


 と一言謝罪し、パンと乾いた音が廊下に響いた。銃弾はちょうど猪の獣の眉間にずぶりとめり込み、脳にまで到達し、獣に多大なダメージを与えるが、足は止まらない。パン、パン、さらに二発眉間に撃ち込むとやっと足が止まる。

 ずさぁ、と足を縺れさせて倒れる。ぷぎぃ、ぷぎぃと猪は悲しそうな声をだし、少女はナイフを懐から取り出し、豚の首に添える。


「今、楽にしてあげますね。」


 聖女のような笑みでそう言った。






 獣の死体に手を合わせ南無、と念じる。初めて生き物をこの手で殺してしまったのだ、少なくない罪悪感を少女は感じていた。せめてこの獣の魂が成仏できるように祈っていることしか、彼女にはできることはなかった。


「そろそろ行きますか。さっきまで、ですます口調にいつの間にか変わっていたのに気づけませんでしたけど。」


 少女はうぅむと唸り、ですます口調の方がしっくりくるのに態々使いにくい言葉遣いをする事もない、と思案する。


―――薬による洗脳は彼の考え方までも蝕んでいた。


「そんなことより今の状況を確認しないといけません。相当年月のたった廊下に、襲ってきた猪さん。もしかして何百年もたっている、なんてことだったりして。」


 実際、その通りだったのだがこの時の少女には知るよしもないことだった。







 研究所内の地図の通りに廊下を進み、少女は研究所の出入り口に来ていた。だが出入り口の門は開け放たれており、そこから見える景色が少女を圧倒していた。

 見渡す限りの大森林、少女は感覚を強化して遠くを見てみるが、一度川が見えたが、他にはどこまで行っても木があるのみ。もちろん感覚は元に戻しておいた。


「すごいです、まだこんな自然な大森林が残っていたなんて。」


 そう、彼の生きていた時代では木々は刈り尽くされ、国がごくわずかに残った森を保護しているのみだったのだ。


「まずはさっきの川に向かって歩いた方が良いでしょうね。それから川を下れば誰かに会えるでしょうし。」


 少女は門をくぐり抜け、振り返って研究所を見る。研究所の壁には蔦が絡み付き、地面にはコケが茂っている。


「やっぱり、か...。」


 漠然と、相当時間が経っていることには気づいていたが、実際に分かりやすい現実を見せつけられるとショックは大きいのである。


「行きます。この森の向こうに何があるか分かりませんけど、私は負けませんよー!」


 自分に言い聞かせるようにして少女は歩き出す。







 時代に取り残された少女はこの先どうなるのか、それは誰にも分からない。

プロローグ終了です。


用語解説


電脳化

脳の処理能力を高めるために生の脳の一部を人工の脳にする施術

攻殻機動隊のアレ

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