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「ベニヤ、もうこれでおしまい?」

「黒のペンキくださーい」

「佐藤君、衣装できたから着てみてー」

「委員長ー! ここの照明だけどさー」

「暗幕って、これだけ? 全然足りねーぞ!」

 どたばたとあわただしく人と声が飛び交う。


 今日の授業は午前中だけで終わって、午後はまるまる明日からの文化祭の準備時間だ。今まで教室の後ろに重ねられていたセットが組み立てられて、いよいよ教室がお化け屋敷になっていく。


「降りそうだねー」

 ガムテープを手にした美樹が、窓の外を見ながら言った。朝は天気がよかったのに、お昼過ぎから急に雲が多くなった空は、今にも降りそうなくらい暗くなってきた。

「明日の体育祭、大丈夫かなあ」

 私は、美樹のとなりで空を仰ぐ。


 昨日は、結局真崎君に家まで送ってもらった。真崎君には悪いかなと思ったけど、やっぱり、あんなことがあったあとで一人では帰りたくなかった。

 若木さんは反対方向の電車だったからホームで別れたけど、今日はどういうわけか休みだった。

 ……高森君も、休み。


 なんだったんだろう。あの人。気にはなるけど、わざわざ問い合わせて、また関わり合いになるのは避けたい。


「瞳子?」

 呼ばれて気づけば、美樹が私の持っていた背景を張り終えたとこだった。

「もう離してもいいよ?」

「あ、うん」

 私は、あわてて手を離す。

 やめた。考えてもしょうがない。今は、明日からの文化祭のことに気を向けよう。

 あ、そうだ。


「ここ、もういいよね。美樹、ちょっと私、出てくる」

「図書館?」

「うん。さっき亜矢ちゃんが一度顔を出してくれって言ってたから」

「早川サん」

 妙に抑揚のない声で背後から呼ばれて振り返ると、なんだかぼんやりとした若木さんが立っていた。

「あれ、若木さん? 今日は遅刻だったの? どうし……」

「ちょっト、来てクレる?」

 そう言って手を出しながらも、若木さんの目は私の向こうを見ているようでその顔には表情がなかった。その顔を見て、はっとする。


 まるで昨日の……!

 無表情のまま、ゆっくりとその手を伸ばしてくる。後ずさると、足が机にぶつかった。

「若……!」

 私の腕を若木さんがつかもうとしたその時、やんわりとその手を止めた人がいた。


「若木さん、顔色悪いよ? 一緒に保健室行こうか」

 ぼんやりとしたまま、その手をつかむ高森君を見上げた若木さんは、素直に彼に腕をひかれて歩き出した。

「あれ、由美? いつ来たの?」

 その様子に気づいた矢嶋さんがかけた声に、高森君が微笑みながら振り返る。

「やっぱり調子悪いみたいだから、保健室に連れて行くね」

「あー、うん。よろしくね、高森君」

 気をきかせたのか、矢嶋さんがついていくことはなかった。けど……

 今の。


「何よ、あれ」

 二人の後姿を見送りながら美樹が、ふくれたような口調で言った。

「矢嶋さん、保健委員じゃん。なんで高森なのよ」

 べたべたとパネルにガムテープを張っている美樹の背中に、迷いながら口を開く。

「ね、今の若木さん……」

「え? 何?」

 彼女の様子に、気づかなかったの?

「……ううん。なんでもない。じゃ、ちょっと行って来る」

「いってらっしゃーい」

 美樹は何にも思わなかったみたいだし……気のせいだったのかな。でも。


 ただ、具合が悪かっただけだよね。午前中休んでいたんだもの、体調がよくなかったんだよ。ペンキの匂いもすごいし。うん、きっと、そうよね。

 気にはなるけど、それ以上は考えないようにして、制作途中の入り口看板をくぐって廊下に出る。


 他のクラスも廊下も、展示物や人であふれかえっていた。校舎の中には、放送部が試験放送を時折混ぜながら、軽快な音楽を流している。あちこちに、何かを打ち付けるとんかちの音と、にぎやかな声が響いていた。

 最後の準備にみんなが追われている。その雰囲気の中で、微かに胸に広がりつつあった不安を無理やり追い出した。


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