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「遅くなっちゃってごめんな」

 予備校を出ると、外はすっかり暗くなっていた。時間はもう、8時を過ぎている。

「大丈夫よ。申し込み、間に合ってよかったね」

「今日までだってすっかり忘れてたよ。付き合ってくれてありがと。今日は、家まで送るから」

「え? でも、真崎君ち、学校の駅向こうだよね」

 だから普段は電車に乗る必要がなく、いつも私がホームに入る改札口で別れているのだ。私の家まで送るとなると、真崎君は自分ちの駅を乗り過ごすことになる。

「こんな暗くなってから、瞳子を一人でなんて帰せないよ」

「でも……」

「それに、まだ一緒にいたいしね」

 にこっと真崎君は笑って、駅へと向かって歩き出した。そのあとについて歩き出す。

 いいのかなあ。


 今日は委員会が終わってから、真崎君の模試の申込みに、隣町の予備校まで来たのだ。私たちの住む町よりこっちの方が規模が大きく、予備校もそろっているので、大体うちの学校の人たちはこっちの街に来ることが多い。

 大きな書店も2つあって、私もよく来る慣れた街だ。


「真崎君?」

 券売機で切符を買っていると、不意に女の子の声がした。二人で振り向くと、驚いたような顔の若木さんが立っていた。

「どうしたの? こんなところで」

 駆け寄って真崎君に話しかけた若木さんも、学校帰りなのか制服のままだ。

「模試の申し込みに来たんだ。若木さんは?」

「私は、今講習が終わったところなの」

 そう言って若木さんがあげた予備校名は、真崎君が申し込んだところとは違うけど大きくて有名なところだった。

「なんで早川さんが一緒なの?」

 そう言って私を見る若木さんの目が、鋭い。そう言えば、若木さんて真崎君の追っかけだったって言ってたっけ。


 私が何と言おうか迷っていると、先に真崎君が笑いながら言った。

「俺が誘ったんだ。申し込み、今日まででさ、つきあってもらったの」

「ふうん」

 微妙に外した答えのような気がするけれども、それ以上若木さんが聞き返すことはなかった。私はあいまいに笑ってみせる。

 そんな私にはもう興味がないらしく、若木さんは真崎君に話しかけながら歩き出した。

「模試って、あれでしょ? 再来週の全国のやつ」

「そう。若木さんも受ける?」

「ええ、もちろん。ねえ、数Ⅱの……」

 私は、携帯をチェックするふりをしながら、なんとなく、話をする二人から離れて構内を歩いていく。と。

「きゃっ……」

 急に、ぐいっとすごい力で後ろに引かれた。倒れそうになってあわててバランスをとる。振り返って見ると、知らない若い女性が私の腕を握っていた。


 派手なメイクをしているけれど、その顔には表情がなく、どことなくうつろな目をしている。

「なん……」

「見ツケたヨ」

 無表情のまま、きれいな外見に似合わないぎちぎちとしたしゃがれた声でそう言った。

 何、この人。

「や……放して……」

 振り払おうとしてつかまれた腕を動かすけれど、ほっそりとした見かけとはうらはらに、その腕はがっちりと私を掴んでいて振りほどけない。

 そうして、改札とは反対にある裏口の方へと私をずるずると引き摺っていく。抗えないその力に、背筋が冷たくなった。


「何をしてるんですか」

 私の異変に気づいて、真崎君が戻ってくる。若木さんも足を止めた。私たちの横を過ぎる人たちが何事かと視線を向けるけれど、相手が女性のせいか、特にその足をとめたりはしなかった。

「彼女を放してください」

 強い口調で言った真崎君がその女性の腕をとると、急にその人は崩れ落ちるようにくたくたとその場に座り込んでしまった。まるで、操り人形の糸が切れたみたいに。


「大丈夫ですか?」

 さわぎに気づいた駅員さんが走ってくる。倒れた女の人は、目を閉じてぴくりとも動かなかった。女性の腕をとったまま抱きかかえるような格好になってしまった真崎君は、困ったように駅員さんに事情を話している。やっと私を掴む腕から力が抜けて、急いでその人から離れる。


「誰よ、あれ」

 痛む腕をさすっていると、若木さんがいぶかしげな顔で近づいてきた。

「知らない……」

「でも何か話していたでしょ?」

「ううん、全然……ただ、見つけたって、言われて……」

 今更ながらにぞっとする。見つけて……どこへ、連れて行くつもりだったんだろう。


 その時、微かに鼻腔をくすぐる甘い香りに気づいた。集まってきた野次馬を見回すけれど、目当ての人物を見つけることはできなかった。


 この香り……もしかして、今ここにいたの?


 若木さんの腕にしがみつくと、若木さんは、その腕に自分の手をそっと添えて支えてくれた。


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