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想像する後悔  作者: haru
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困惑

 『それでは本日のメインイベント!イマジン・ヴァーサス・エンヴィーーーーー!!』

 聞きなれた試合開始を告げるアナウンスが、今の智也にはまるで違うものに聞こえてくる。智也の目の前には、昨日現実で会ったばかりの典子が立っているのである。紺のスーツにスカート姿。格好まで、昨日会ったままである。

 イル、という女の話によると、典子はここでは侵入者、という扱いである。今回だけは、殺さなくても良い。気絶させるだけでも大丈夫、ということである。まずは一安心ではあるが…。

 とは言え、そんな都合よく気絶させる方法などあるのだろうか、と智也は考える。両手で首を挟み込むように両手で水平チョップを食らわせ、人が気絶する動画を観た事を思い出し、思わず苦笑する。そんな体術が自分にあれば苦労はしない、という話である。かといって、鈍器で殴るような危険マネはしたくない。もしもの場合、が決意を鈍らせる。

 少し考えた智也は、彼女の周りの酸素を奪う事にする。少しの時間だけ酸素を奪い、窒息させる。そうだ。それで行こう。

 そう決意した筈の智也だが、何故かそれを実行に移さない。移さないのではない。移せないのである。彼の頭には、新しいアイディアが湧いては消え、湧いては消え、一つのイメージになっていかないのである。

 最初から一歩も動いていない智也と典子。闘技場はブーイングに包まれる。

 「どうしたの。イマジン。お得意の『想像力』は?会場の皆さんがご不満のようよ。」

 そう言う典子の口調はおどけており、智也の良く知るものだった。ただ一つ、自分を『イマジン』と呼んでいる以外のところは。

 それよりも不思議なのは、智也の思考が定まらない事である。典子が智也に近づいてくる。ヒールの音がコツ、コツと響いているのだろうが、歓声で聞こえない。それに対して智也は、棒立ちのままである。智也は、典子が何かをしてこないと確信してそうしているのではなかった。むしろその逆で、どうして良いかが分からないのである。

 智也は困惑していた。何故今日の自分にははっきりとしたイメージが出来ないのか。典子が近づいてくる。右に動けば何かを仕掛けられる気がする。かといって、動かなくても敵の術中に落ちるだろう。後ろに下がればまた何かトラップがあるのかも知れない。どうすれば良いのかわからず、がっくりと膝をつく。智也は汗だらけで、息も乱れている。

 膝をついた智也の肩に手を置き、典子はまた冗談めかして言う。

 「私の能力。感覚を倍加する、ってあの女から聞いてないの?イマジンさん。」

 そういって典子は、膝をついた智也の顔をまじまじと見つめる。

 「本当にこれは…」

 小さな声でそういうと、典子は我に返ったように、今起きていることを智也に向かって解説した。

 「あなたの『迷い』を倍加してるのよ。それから来る『恐怖』もね。迷いや恐怖の中、想像を現実にするだけの集中力を維持できないのはあなたが今体感した通り。ふふ。何か質問はある、イマジンさん?」

 不敵な典子に智也が言葉を返す。

 「…いつ仕込んだ?」

 そう言う智也に、典子は1枚のマフラーを見せる。灰色のマフラー。その端に、紫色のイミテーションの宝石があしらわれている。

 「…そのマフラー。」

 「そ。始まる前から、ってこと。」

 典子は悪戯っぽく答える。そして、表情を少し真剣なものに変え、懐から何かを取り出す。眉毛を整える際にでも使いそうな、小さな剃刀である。そして典子は、取り出した剃刀で、ほんの少しだけ智也の右腕を切りつける。いつも智也がこの闘技場で負っている傷に比べれば、ほんの少しの、傷とも呼べない傷。しかし。

 「う…グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァ!!!!!」

 智也は大声で痛みを叫ぶ。それこそ、断末魔ともつかない勢いである。痛みに嗚咽さえする智也に、典子が告げる。

 「痛みも倍増、ってこと。まぁ、15倍くらい?にしてあるけど。」

 そういいながら、今度は智也の左手を軽く切り付ける。また響く智也の絶叫。

 智也はたまらず、自分の皮膚を修復するイメージをしようとする。だが、それもままならない。痛み。迷い。恐怖。そんなものが、智也の想像を阻害する。今の智也は、簡単な治療さえできない状態である。

 典子は、そんな智也の右足、左足と、次々と剃刀で切り付ける。智也はあまりの痛みに、ステージである石畳の上を吐瀉物まみれにしながらのたうっている。

そんな智也に対して、しゃがみ込み、顔を近づけて典子が言う。典子の顔は真剣そのものである。小さな声だった。

 「降参して。」

 降参。この夢に来て、考えたこともない事だった。自分の能力で自由自在に勝利を掴めた智也にとって、縁遠い言葉であった。

 しかし、降参したらどうなる?ペナルティで、命を失うことになるかも知れない。それに、もしそうならなかったとしたら、自分が欲しいものが分からない状態で、あの現実に戻される。そうなるのは、死ぬよりも恐ろしい。智也は息を荒げながら典子に言った。

 「嫌だね。」

 典子は、そう、と小さな声で言うと、残念そうに瞳を伏せて智也の頬を剃刀で切り付けた。

 想像を絶する痛みの中。このまま、典子に殺されるなら悪くない。智也がそう思い始めていたのは事実である。しかし智也は、顔を自分の目の前に近づけていた典子に対し、思考するよりも早く動いていた。

 典子の唇に噛み付いていたのである。

 典子の目が大きく見開かれる。この状態からなら、イメージを伝えるのも難しくない。今、自分の全身を襲っている痛みをそのまま流し込むイメージ。自分が辛うじて意識を保っているこの痛みを、いきなり流し込まれたらどうなるか。そんなことを智也は考えていた。

 結果は、典子が示してくれた。典子は意識を失い、どさりとリング上に倒れ込んだ。

 『本日のメインイベント、勝者、イーマジンーーーーーーー!!』

 典子が気絶したことで、典子の能力も解けたようだ。いつもの勝ち名乗りを聞きながら、智也は典子を抱きかかえ、舞台裏へと急いだ。イルに典子を見せて、元の世界に返して欲しい。

 そんな事を考えながら歩く智也の前にラスティが現れた。智也は久しぶりの友人を見かけたような気持ちでラスティを見る。また憎まれ口を叩かれるのか―そう思った智也を、ラスティは見た事もない形相で睨み付ける。

 「何だよ、俺が何かしたか?久しぶりだってのに…」

 話を遮る形で、ラスティが智也に、正確には、智也に抱きかかえられている典子に縋りついて来た。

 「母さん!母さん、大丈夫?何て事するんだ、馬鹿トモヤ!!」

 典子に縋りながら、母さん、母さんと泣き叫ぶラスティの声が舞台裏の通路に響き渡っていた。


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