目覚め
躱し損なった。智也がそう認識した時には、彼の体には袈裟がけの大きな斬り傷が出来ている。倒れ込む彼の体から吹き上がる血の量から、素人目にも致命傷だと分かる。相手の大男の勝利を確信した笑み。円形に作られた、古代ローマのそれを思わせる闘技場を包む歓声。勝負はあったように思えた。
だが智也は動じることもなく起き上がる。そして血の滴るその傷跡を、斬られた方向とは逆に一撫でする。すると、確かにあったはずの傷がみるみる消えていく。良く見ると、薄い緑色の液状の物体が膜となり、傷を塞いでいるのが分かる。闘技場の歓声がどよめきに変わる。
「…怖いか、『グリード』」
そう問いかけられ、大男は目を見張る。確かに負わせたはずの致命傷を目の前で消し去られたことへの動揺。動揺、というよりも、智也の指摘する恐怖、であろうか。それを否定するように、大男はもう一度得物である大斧を振り上げるーーいや、振り上げたはずだった。無くなっているのだ。グリードと呼ばれた男は、大斧をどこかに無くしたどころか、自分の手首から先が骨だけになっていることにようやく気付いたのだった。
「う…うぎゃああああ…!!」
悲鳴を上げる男の右腕の断面には、緑色の粘着質のスライム状の物体が張りついていた。それが少しずつ、腕の肉を伝って男の体へと急速に侵食してくる。男の叫びがいよいよ悲痛になっていくが、それに比例するようにその緑色の粘着質は男の体を覆い・塞ぎ・溶かし始める。ものの2、3分だろうか。断末魔はやがてぐちゃぐちゃとものを溶かす音に変わり、骨だけが残された。闘技場は静寂に包まれる。
「戻れ」
男を溶かし終わった緑色の物質に智也が声を掛ける。と同時に、闘技場内に勝ち名乗りが響き渡る。
『第3試合、勝者、イーマジンーーーーーーー!!』
すると静まり返っていた闘技場は、今までで一番の歓声に包まれた。浮かぬ顔をしているのは、『イマジン』と呼ばれた智也だけである。智也はちらりと闘技場の上段の椅子に腰かける女に目をやる。約束は本当だろうな、と自問した智也は、同時にもう『時間切れ』であることに気が付いた。智也には、響き渡る歓声が別の音に聞こえ始めていたのである。
ロビンハイツ304号室。響き渡る目覚まし時計のベルの音は、智也が枕元のそれを乱暴に叩くことで止まった。6時30分。朝食の支度にかかる。フライパンでウインナーを炒めていると、大きな欠伸がでる。夜な夜な見るあの夢のせいだと思うと、やはり忌々しく思える。しかし、優勝賞品の『あなたが一番欲しいもの』というのが気になっているのも事実だ。そこで夜な夜な、『イマジン』として「命がけ」の闘いに挑んでいるのだ。
オーブントースターから、チン、とトーストが焼き上がる音がする。目玉焼き、ウインナー、トーストを盛り付けて気が付いた。また、2人分作ってしまったのだ。くそっ、と小さくつぶやくと、1人分の食事をゴミ箱へと放り込む。まだ未練の残る習慣に腹を立てながら、着替えを済ませ、いつもの通勤電車へと向かった。