第1章:事件が起こるスーパーマーケット
休暇中の警官が事件に巻き込まれる、なんてのは結構ある話だろうか。
小説とか映画ではありそうな話だと思う。事件に巻き込まれた一般人の中に警官がいて、他の人たちをうまくまとめたり、はたまた自分が強いからって暴走しちゃったり。イメージとしてはブルースウィスルとか。で、実際俺は休暇中の警官であり、今現在事件に巻き込まれたりしているのである。
季節は夏。場所は近所のスーパー。平日のお昼過ぎ。1000円以上お買い上げのお客様は卵1パック69円なり。
とりあえず事件に遭遇するまでの流れをさっとお話しよう。
働いているとはいえ実家暮らしをしている俺にとって、スーパーなどほぼ無縁の場所である。しかし卵が安いならば話は別だ。俺の休暇は不定期なのだが、母親はそうではない。近くの小学校の保健教諭として働いているため、平日は留守をしているのだ。そして俺の休暇が平日になることもある。そうなると母が出勤した後に目を覚ます俺は、必然的に朝ごはんとして卵かけごはんを食べることになる。ほかの選択肢などない。そんな俺にとって、いかにして安い卵を購入するか、というのはいかにして朝食を食べるか、ひいては、いかにして健康に生きるかににつながる。朝食は元気の源なのだ。ということでコップ1杯の牛乳を飲みスーパーへ向かった。
ほぼ無縁と言いつつも子供はお使いを命じられて参上したスーパーである。勝手知ったるなんとやら、だ。入口のそば、首を伸ばしネットに呪いじみて巻き付く大量の朝顔にチラリと目をやりつつ「今日も元気に営業中!」という文字と、異様に目と目の間が広いおじさんの絵が書いている置き看板を通り越して店内に入る。ちなみに「お休みです、ごめんね」という文字と共に裏側に書かれている子供は、目と目の間は通常レベルである。この看板のせいで大人になったら目と目の間が広がるのではないかと恐怖していたことを思い出したりしていた。つまり、我ながら完全な平和ボケをしていたわけである。
コンビニの倍くらいの大きさの店内は薄暗い。光を呼び込むのはガラス製の入口ドアと、入って左手にある見事なまでに北向きの窓のみ。あとはぼんやりと光を放つ蛍光灯が天井に五つ。いらっしゃいませの声もない。やる気の感じられない店である。ちなみにまさかの不定休。俺と同じだ。
実はこの店、ちょっと成功した家族経営の八百屋が調子に乗って作ったものである。しかし八百屋とは勝手が違い店は赤字続き。最近親戚の息子が大学で経営学を学んで、新店長として大改革を行なっているとか人違いだとかいう噂もある。
まぁつまらない店の話をしてもつまらない。
事件は俺が入店し、買い物カゴを持たず、野菜コーナーどころか果物コーナーにさえ見向きもせず、お菓子コーナーからの誘惑を振り切り、でもやはりつまみコーナーのサキイカとつぶ貝に目を奪われて我に帰り、見事卵コーナーに差し掛かったときに起こったのである。
ガタ、ガラガラ、ゴン、ゴン!
「ふああっ」
何やら軽いものから重いものまで落ちるような音と、少々情けない声がした方向を振り返と果物コーナーで事件が起きていた。
床に散らばるりんご、みかん、スイカ。立ち尽くす店員。
どうやら果物の陳列をしようとして手を滑らしたようだ。道をふさがんばかりに果物が散乱している。これでは客が通ることもできまい。
一応市民の味方という身分の俺も拾うのを手伝おう、そう思って歩きだした瞬間、今度は反対側から声がした。
「動くんじゃねぇ!!」
なぜだ。手伝いに行こうとしているだけなのに。
不満に思いながら怒鳴り声がした方見ると、中肉中背で中年の男が高校生くらいの制服を着た少女を羽交い締めにしている。
しかも反対の手には包丁。それは当然のごとく少女の喉元に突きつけられている。元来包丁とはまな板の上にでも置かれているべきものであるが、羽交い締めにされた少女とセットにするとしたら、やはり喉元が一番ぴったりくる。
「おい、誰かこの店のオーナーを呼んで来やがれ!」
男はさらに怒鳴り続けている。どう考えても穏やかではない状況。どう考えてもりんごを拾っている場合ではない状況。さようなら俺の休暇。といっても俺に何ができるだろう。流石に正面から男を取り押さえることはできない。少女に危険が及んでしまう。男に押さえつけられ苦しそうにする少女を一刻も早く助けたい。しかし・・・とりあえずは様子を伺うか・・・。
「おい、オーナーを呼べって言ってるだろうが!急げよ!」
ますますヒートアップする男。いつの間にやら男を遠巻きに見る客の集団が出来上がっていたので俺もその中に移動した。俺がいる客の集団と男との距離は約5メートル。客は五人ほど。薄みどりのエプロンをきた店員も一人まじっている。そこから男の周りを観察すると、男が立っているすぐ右側におかしの商品棚があることに気がついた。棚は約60センチ間隔で俺がいる集団の横まで並んでいる。ちなみに男の左側には魚コーナーがある。男の持つ包丁に負けじと秋刀魚が輝いてる。
「おい、お前ら誰でもいいから早く呼びに行けよ!!」
男は俺のいる集団の方を包丁で指しながら叫ぶ。そして血走った目で辺りを見回す。占めた、これはチャンスかもしれない。こちらの商品棚を通ってあちらの商品棚の陰から近づき、少女の首から包丁が離れている間に包丁を持つ手を抑えれば、少女を傷つけられることなく男を取り押さえられそうだ。幸い男は冷静さを失っている。慎重に行動すれば見つからないだろう。
男に見つからないよう頭を低くしつつ右手にある商品棚に向かう。卵パックに印刷されたニワトリのマスコットの瞳が語りかけてくる。
「焦らず、冷静にな。クールに行けよ兄弟」
オーケー、ブラザー。と、商品棚にたどり着く前に客のうちのひとりの太ったおばさんの背中に俺の肩がぶつかってしまった。びくっとして振り向くおばさん。その鳥の巣みたいなパーマにについてはコメントしないでおくから、頼むから声を出さないでくれ。俺はおばさんの目を見てそう訴えた。が。
「ちょっとあんた!佐伯さんとこのまもるちゃんじゃない!!どうにかして、あんた警官でしょ!」
黒板をひっかいたようなキーキー声でおばさんが叫んだ。その声に包丁を持った男も他の客も一斉にこちらを振り返った。終わった。落胆のあまり俺は「ダルマさんが転んだみたいだなぁ、俺とおばさん以外みんな鬼だなぁ、あはは」なんてことを考えてしまった。あ、誰かと思ったら森田のおばさんじゃないか。旦那さんが浮気してるなんて噂があるけど、そのストレスで太ったのだろうか。
「なにぃ!警官だと!?てめぇ、よく見える場所に出てこい、絶対動くなよ!」
「そうよそうよ。あたしたち怖いんだからあんた前出なさいよ!!」
叫ぶ男と強くなぜか強く同調するおばさん。あんたらグルですか・・・。
おばさんはなぜか女の子が恋人の腕に抱きつくように俺の腕をしっかりつかみ、体重をかけながら俺を運んでいく。様々な理由から抵抗したいのでが、おばさんという生き物に抵抗することはいつも至難の技なのである。すぐに俺は集団の先頭に連れ出された。
「しっかりね!!」
そう言って腰を叩きさらにもう半歩進ませる。そうして自分は俺の背に隠れるようにしている。もちろん体型の問題で隠れることはできていない。
「よおし。てめぇこら両手を上げろ!」
男が俺に叫ぶ。その必要はあるだろうか・・・。しかし今は従うしかない。客の集団の中でおれだけ両手を上げている。かなり変な気分だ。
「・・・・・」
男も少し変だと思ったのだろうか。眉間にしわを寄せながらこちらを睨んでいる。
「他のやつも手ぇ上げろや!!」
逆にそうきたか。仕方なく他の客も両手を上げる。森田のおばさんも上げる。硬いハンドバックが肩にあたった。本当にこのおばさんはもう。
「武器はもってねぇようだな、よし、手ぇ降ろせ」
スーパーに武器持ってくる人間はまずいない。はっきりいって強盗くらいである。そういえば昔「いいか、みんなが自分と同じだと思うなよ」といって小学校の先生に説教されたことがあった。この犯人の男もあの先生の下で学ぶことができていたら、あんな無駄な発言はしなかっただろうか。いや、しかしあの先生も「いいか、スーパーに包丁を持ち込んで女子高生に突きつけるような奴にはなるな」とは言ってくれなかったから、根本的な解決にはなるまい。
ん?しかも手上げても武器を持っているかわからないのではないか。カロリーを無駄に消費したものだと思いながら手を降ろす。
「こぉら!何してやがる!!」
また叫ぶ男。今しがた降ろしていいといったのにもう手のひらを返すつもりなのか。しかしよく見ると男の視線は俺たちより奥を向いている。振り返ると果物コーナーの辺りであたふたしている中年の男性がいた。どうやらこちら側で馬鹿なやりとりが行われている間にスーパーから逃げようとした客がいたらしい。しかし不運なことに、先ほど転がった果物の山に阻まれ右往左往しているうちに、男に見つかってしまったようだ。どうやら男にバレずに逃げ出せたかもしれない唯一の道を果物が塞いでいるようだ。人間は自然には敵わないというが、まさか収穫済みの果物にまで遅れを取ろうとは。
「ほんっと舐めてるとこいつぶっ殺すからな!全員こっちこい!」
そう言われると従うしかない。入口にいた客を含め2人の客とレジにいた2人の店員が俺のいる集団の方へ集まってきた。しかし、狭い店内では1ヶ所に固まるのは至難の技である。何人かは商品棚の間に入って男から見えないようになっている。畜生、あそこに俺がいたらこっそり男の後ろに回り込んでやるのに。今棚の間にいる客は2人いるが誰も男に抵抗する気はないようだ。まぁ一般人が下手に立ち向かうのも危険か。
そういえばほかの人を一般人と呼んで自分は違う生き物であるかのように振舞う所業も中二病なる病気の症状だろうか。中二病とは中学2年生ぐらいが好む行動、思考パターンだと理解している。洋楽を好む、当て字を多用するなどがその例だろう。俺はそういうノリも嫌いではないが今回の発言に限っては事実を述べているだけである。中二病について詳しく知りたい方はgoogle検索を利用されるといいだろう、ちなみにだが。
「いいか、お前ら。次ん、ごほ、・・・げほ。」
むせる男。大きな声を出しすぎたからだろう。普段から発声練習をしている歌手や応援団以外の一般人、また使ってしまったが今回は俺も含んでいる、は腹からではなく喉から声を出してしまうから、大声を出し続けることは困難だと聞いたことがある。言ってたのは昔の塾の先生だったか。
なんてことを考えている間に男の咳払いが終了した。なんてことを考えている間ずっと咳払いをしていた男の喉を心配してあげるべきかもしれない。
「次に下手なことしやがったら」
「いらっしゃいませー!!」
と、突然男のしゃがれた声を爽やかな声が遮った。声は俺たちの後方から聞こえてきた。振り返ると[staff only]と書かれたドアの前に立って、三十歳くらいの男の店員が一礼をしていた。腰の上から上半身が見事な四十五度で折れ曲がった礼である。スラックスの折り目もその礼に負けぬほどピシっとしており、エプロンの緑は彼の爽やかさと合わさり新緑を思わせる。店内すべての人間が突然のことに驚き言葉を発することができず店員を見つめる。特に男などは棚が邪魔で店員の姿どころか扉さえ見えていないのだろう。ひどくうろたえている。
[staff only]のドアの隣にはトイレがあるが彼が出てきたのがそこではないことは容易に分かった。どちらも扉が片方しか固定されておらず、押せば音も無く開くようなドアだ。そして我々は誰一人彼が扉から出てくる姿を目撃はしていないだろう。しかし、彼が出てきたのは[staff only]の扉だ。なぜなら彼は仕事中にトイレに行くような人間ではないからだ。彼は尿意など意に介さず、忠実に接客、レジ打ちをこなすだろう。一瞬見ただけでそう確信できるほど、彼のおじぎは完璧であった。
彼はその店員は笑顔で歩きながら店内を見回して・・・異常に気づいた。刃物を持った男、一箇所に集められた客と店員の集団、もう一度男、と首ごと視線が移動する。全員が固唾を呑んで見守る中、店員は集められた集団のところまで小走りで近づき自信なさげに、しかし非常に的確なことを言った。
「あの・・・お客様。・・・何かお困りでしょうか?」
その通り。我々は非常にお困りである。




