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*1 「マスクとメガネとイヤホンと」(1)

文郷ぶんごう町、鳴咲めいさく商店街。

商店街とは名ばかりの小道にただ一件、ぽつんと佇む「スーパーせつわ 文郷店」がこの物語の舞台である。


***

 土曜日の午後一時十分前、いつものように更衣室のカーテンを開けると、その隅で空の陳列棚を掃除している人影が映った。

「おはようございます」

「あ、圭くん」

人影の主は社員の田河隆(たがわたかし)。色白で痩身、中性的というよりは最早女性的と言ってしまってもいい見た目とは裏腹に、この店を実質取り仕切っているのは彼である。

「圭くん昨日休みだったよね? 新しいバイト希望の子が来てたってさ。メガネの女の子」

 両手でメガネの縁を持つ仕草をしてみせる田河さんから詳しい話を聞きながら、伏木と書かれたロッカーを開ける。せつわのテーマカラーである水色のYシャツに緑色のエプロンを着けながら聞いた情報を纏め合わせると、どうやら新しいバイト候補の女の子は自分と同じ学校に通う女子高生であるらしい。

「須藤さんが"声がすごい小さい子で聞き取るのに苦労した"って」

「それ……レジで使えるんすか? 」

「う〜ん、本当なら別の部門をお願いするところなんだけどね、今はとりあえずレジがいないとお店まわらなくなっちゃうから」

「だから阿久津さん辞めさせるの、もうちょっと待てば良かったのに」

 阿久津さん、とは先週辞めたフリーター、阿久津穂江あくつすいえのことだ。彼女は先月妊娠が発覚して、紆余曲折あった末にシングルマザーになると宣言してこの店を辞めていった。彼女は臨月まで働いても構わないと意気込んでいたが、人知れず(だと本人は思っていたらしい)彼女を想っていた田河さんが阿久津さんと店長を説得して無理やり退職の運びとなったのだ。

「スイちゃんのことはもういいの! それよりほら! 早くいかないとまた須藤さんに怒られるよ! 」

 顔を真っ赤にした田河さんを茶化しながら、店内へ向かう銀色のドアを開ける。

「いらっしゃいませ! 」


「遅ぇよ」

自分と交代で休憩に入る須藤留依(すどうるい)が不快感を露にした表情で睨んでいた。しかし、土曜日の午後だというのに、たった二台のレジに客の姿はない。これがせつわの日常風景だ。

「なんか新しいバイトが入るとk」

「ボード確認してさっさと入れクソ野郎」

 話も聞かずに自分のレジに鍵をかけ、須藤さんはさっさと銀色のドアの向こうへ歩いて行く。途中すれ違う客にさっと道を譲り「いらっしゃいませ! 」と微笑む姿を横目に、カウンターの中に入って支度を済ませ、体の前で手を組む。するとちょうど一人目の客がやってきた。

「いらっしゃ……」

そこに居たのは婆ちゃんの家に鎮座していた日本人形を思い出させる重苦しい黒髪、赤いセルフレーム、顔半分を覆い隠す白いマスクの若い女の子。

「あの、こ、せつ」

「? なにかお探しでしょうか? 」

「め、め、めんせつ」

……これは酷い。目も合わせてくれない。想像以上だ。

「店長を呼びますので少々そちらでお待ちください」

事務的な対応をする自分に対し、彼女は無言でこくこくこくと小刻みに首を振る。頷いているのだと思う……痙攣に見えないこともないのだが。

「本日もご来店誠にありがとうございます、千波店長、十八番です」


「なーにー伏木くーん」

マイク放送から間もなく、店長が目の前に現れた。このまま彼女を店長に引き渡してしまえば、自分は自分の仕事に専念できる。

「面接の方です」

「あ、どうも。店長の千波せんばです」

「やま、山辺です」

「あ、伏木くん」

店長がこちらを向く。

「彼女、山辺樹里(やまべきり)さん。今日から新しく入ったバイトさんね」


「……え? 」

「今日は面接って話だったんだけど、昨日須藤さんから聞いた感じで問題なさそうだったし、伏木くんと同じ康成こうせい高校だって言うし、何しろうち今人手足りないからさー」

正直彼女と会ったばかりの自分にはとても問題ないようには見えないのだが、一体須藤さんは彼女の何処をどのように評価して、店長にどのように伝えたというのだろう。

「じゃ、そういうことだから。何かあったら彼に聞いて。彼……伏木圭ふしきけいくんね。康成高1年生。あ、でももう学校行ってないんだっけ? まぁいいや、じゃ俺、これから出掛けちゃうからあとよろしくー」

「ちょ、ちょっと店長! この状態で置き去りですか?!」

「お疲れさまですー」

ひらひらと手を振って銀色のドアの向こうへ消えて行く。誰も彼もそうやって店内から姿を消せば済むと思いやがっているのですかそうですか。


「私……どうすれば……?」

山辺樹里は辛うじて聞き取れる程度の声で自分に話しかけてくる。下を向いている上にそもそもメガネとマスクで顔を覆い隠しているので表情を伺い知ることはできないが、酷く動揺していることだけは確かだ。

「えーと、とりあえず制服、も、まだ貰ってないですよ、ね」

また激しく首を振って頷く。ひょっとするとヘッドバンギングをしているのかも知れない。ひょっとしないだろうけど。

「じゃあちょっと裏行ってくるから、何かあったらそこのマイクで十八番って言ってください。スイッチはこれ」

「じゅうはち」

「そう、すぐ戻ります」

小走りで銀色のドアへ向かい、そのまま事務室の扉を叩く。須藤さんが昼食をとっているはずなのだが、中から応答はない。試しにノブを握ってみるも、頑なに回ることを拒んでいる。おそらく須藤さんが中から鍵をかけているのだろう(これじゃ職務放棄どころか業務妨害だ)。裏口にまわって田河さんを探すが、彼の姿も見当たらない。

とりあえず自分のロッカーを開け、水色のYシャツを掴んで店内へと急ぐ。


すぐさまレジのところへ戻ると、彼女は先ほどとまったく同じ姿勢のまま人形のように突っ立っていた。

「これ、自分のなんだけどとりあえず洗ってあるから、今だけ着ててもらっていいですか。それと」

予備のネームプレートを引っくり返して や ま べ と書く。我ながらあまりうまいとは言えない字だが、無いよりはマシだろう。シャツに書き終わったプレートを乗せ、彼女に両手で差し出す。

「はい。これからよろしくお願いします」

「こちらこそ、ふつつか者ですが」

彼女はしずしずと頭を下げる。なんだか卒業証書授与の瞬間みたいだな、と思う。

「あの」

彼女は頭を下げたまま、シャツをぎゅっと胸元に引き寄せる。

「これは今、着た方がいいんでしょうか」

「そうですね、仕事なので」

「そう、ですよね」

がばっと頭を持ち上げた彼女はシャツを持ったまま、自分のTシャツの裾に手をかけた。そしてそのまま勢いまかせにめくり上げる。陽の光に透けてしまいそうなほど白い肌が露になるのを目で追いながら、自分の血の気が引いていくのがわかった。

「あ、あああああああちょーっと待って! ごめん! 脱がないでいいから、上から羽織るだけでいいから! 」

「えっ……あ」

彼女の顔が真っ赤になるのがマスク越しでも分かる。その後、ぎくしゃくした動きでTシャツを下げ、自分が渡したYシャツを羽織る彼女の姿を見て言いようのない感覚に襲われる。


ああ、人気の無い店で良かった。

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