伯爵家に嫁いだ田舎男爵家の薪割り令嬢。横領を繰り返す義姉は、この斧で断罪いたします。
「ミカエラ様、どうか、どうか質問にお答えください」
リエットは血相を変え、拳で何度も扉を叩く。
「あなたもいい加減しつこいわね!」
扉越しに、屋敷の廊下にまで太い声が響いた。ギイーッと半端に開いた扉の隙間から、ミカエラの瞳がぎょろりと現れる。
「あなたの実家、オルレイン家から頂いた食料はちゃんと民に供給しているわ」
「ですが、父上から支援を頂いてもう二月も経ちます。当初の計画では、一月あれば飢饉の最悪の状態から脱せられるはずでした。ですがまだ――」
「遠方の村へは時間がかかるのよ。お父さまもそれで納得してたじゃない」
リエットに被せるように、ミカエラは淡々と言った。領地の一大事だというのに、この義姉だけはどこか他人事だ。
男爵令嬢リエット・オルレインは、伯爵令息ローム・ハイネンと結婚した。
リエットは新生活への幸せと不安を胸にハイネン家に嫁いだ。そんなリエットを、ロームは包み込むように愛してくれた。
けれど、義姉であるミカエラだけはリエットのことを快く思っていなかった。
リエットは俗に言う田舎貴族、オルレイン家の出身だ。ミカエラは事あるごとに「土臭い」などとリエットを見下す。婚期を逃した鬱憤を晴らしているのだろう。だがリエットは耐えるしかなかった。
男爵令嬢のリエットが伯爵家のロームと結婚できた理由は一つ。ハイネン家が、オルレイン家の豊かな土地で採れる食料を欲していたからだ。
ハイネン家は災害による凶作で、領地は深刻な食糧難に陥っていた。資金繰りも芳しくなく、オルレイン家の支援目当てでリエットを迎え入れることになる。
「今一度帳簿の確認を。どこかにミスがあるとしか思えません」
「私のせいだと言いたいの!?」
ミカエラの太い片眉がひそめられる。リエットはその圧に負け、口を結んだ。
支援品の管理は両家の架け橋になれるリエットが受け持つ予定だったのだが、なぜかミカエラが買って出たのだ。ハイネン家の仕事など、一つもやったことがないくせに。
「人を疑う前にまずは自分にできることをしてちょうだい。あぁ、そういえばあなた薪割りが得意なんでしょ?」
ミカエラは扉から半分だけ見える唇に手を添え、「いかにも田舎貴族って感じ」と笑った。丸々とした指にはめられた宝石が、赤く光っている。
「この前、斧をあげたでしょ? 民が冬を過ごせるようにたくさん作っといたら」
「ミカエラ様――」
ガタン。扉のきつく閉まる音が、リエットの言葉をかき消した。
リエットは膝から崩れ落ち、両手で顔を覆う。
このままではたくさんの民が飢えて亡くなってしまう。そればかりか、内乱の危険さえあるだろう。
身を削って支援を続けてくれているお父さまにも、面目が立たない。
溢れ出す感情が、涙となって零れ落ちた。
どうすればいい。
ロームも、その父であるギレム・ハイネン伯爵も、この危機の対処で屋敷から出ずっぱりだ。そしてギレムはミカエラに甘い。
ミカエラが支援品の管理をすると手を挙げたのを、子供がやっと自立の一歩を踏み出したと喜んでいた。そしてミカエラは、多忙で疲弊したギレムに寄り添い精神的に支えている。夫人に先立たれたギレムには、献身的な娘が女神のように映っていることだろう。
ギレムはミカエラの仕事の報告を信じ切っている。
リエットが指摘したところで、ギレムは耳を傾けない。
どうすれば――
その時、リエットの脳裏につい直前の光景が鮮明に蘇った。
ミカエラが扉を閉めるその一瞬。彼女の書斎机の上に、見慣れない首飾りが確かに置いてあった。
ミカエラは新しい装飾品を手に入れると、必ずリエットに自慢してくる。でもあれは見たことがなかった。
今のハイネン家の財政状況で、さすがのギレムも新調を許すなんて考えられない。
だとすると。
一つの結論にたどり着き、リエットは目を見開く。
横領だ。
ミカエラは支援品を売って、あの首飾りを買ったに違いない。
リエットは顔を上げ、怒りに任せて扉を睨んだ。けれど、頭の熱を冷ますように深く息を吐く。
落ち着け、まだ確固たる証拠がない。このまま部屋に乗り込んでも、適当な理由であしらわれるだけだ。
そう自分に言い聞かせ、リエットは指先で涙を拭って立ち上がる。
「また参ります。――この外道が……」
小さく呟き、リエットは廊下を踏みつけ部屋の前から去った。
♢♢♢
「もうなりふり構ってはいられん。家の物を手放そう」
後日、ギレム・ハイネン伯爵はリエットと屋敷の従者を集めてそう言った。
少しでも民への食料の足しになればと、金庫部屋の宝石に金貨、部屋に飾った絵画など売れる物は全て持ち出すこととなった。
それでも賄えない場合、王都へ救援を求めることになるだろう。だがそうなれば、ハイネン家は無能の烙印を押され爵位の剥奪は免れない。
ハイネン家は、もう限界だった。
従者たちが屋敷の金品を荷馬車に運ぶ中、リエットは一人、ミカエラの部屋へと向かう。
怒りで強張った肩に、薪割り用の斧を担いで。
ミカエラは支援品の手配という名目で屋敷を離れている。本当かどうか疑わしいところだ。
だが、先ほどのギレムの話の場に彼女がいなくてよかった。高価な装飾品を隠されずにすむから。
扉の前に立ち、リエットは足を肩幅より少し広く開く。
思い出すのは、子供の時に庭で薪割りをしていた従者の手伝いをした記憶。
危ないからと止められたが、駄々をこねるリエットに負けた従者は斧の使い方を丁寧に教えてくれた。
リエットは細長い柄の一番後ろを握りしめ、目の高さにある楕円形の刃を真っすぐ標的に向けた。
脇を締め、大きく息を吸い込みながら振りかぶる。
ゴスンと、重厚な木の板に刃が突き刺さる。鍵のかかった部屋の扉は一発では壊れない。
もう一度。
リエットは片足で扉を踏み、斧を引き抜いた。
「リエット様! 一体何を!?」
声の方を向くと、侍女が血相を変えてこちらに向かってくる。ミカエラが贔屓にしている侍女だ。彼女は支援品の管理や記録など、ミカエラの仕事の手伝いをしていた。
「何をって、ギレム様が家の物は手放すとおっしゃっていたでしょう?」
リエットがニヤリと口角を吊り上げると、侍女はきりきりと奥歯を噛んで口を開いた。
「たとえリエット様でも、ミカエラ様の部屋に勝手に入ることは許されません。そんな物騒な物、一体どこに……」
「あぁ、これ?」
ガラス窓から射し込む陽を反射する銀の刃に、リエットはうっとりと視線を落とす。
「ミカエラ様から頂いたの。『田舎育ちのリエットにはピッタリね』って」
侍女は息を呑み、体の震えを押さえ込むように自身の両肩を掴んだ。
「と、とにかく、部屋から離れてください。誰か! こちらへ!」
侍女は逃げるように振り返り、助けを呼んだ。その声を聞き付け、従者たちが集まってくる。
リエットは大きく息を吐き出し、冷ややかな目を向けた。
「私は次期当主の妻として、ギレム様の命を実行しているだけです。もしかして、あなたたちはギレム様のお考えに反対なの?」
「そういうわけでは……」
リエットの眼差しに、侍女はたまらず目をそらす。従者たちも、鬼気迫るリエットの姿に圧倒されたかのように、困惑した表情で立ち尽くしていた。
「もしかして、部屋の中に見られたら困るものでもあるのかしら」
「っ……!」
侍女が頬を引きつらせてリエットを見つめる。
「離れていないと危ないわよ」
リエットは振り上げた斧を、体重を乗せ扉に打ちつけた。
勢いよく弾ける木片が頬をかすめる。だがリエットは、恐れることなく何度も斧を振りかぶる。
ゴスン。ゴスン。ゴスン。
次第に息が浅くなり、両手はじんじんとした痛みを持つ。
ズタズタに切れ込みの入った扉を見やると、リエットは床に斧の先端を突いて呼吸を整える。
そして勢いよく、扉を蹴破った。
バサンと埃と木屑が部屋に舞い、きつい香水の残り香が鼻を突く。
斧を引きずりながら部屋に入り、さて、とリエットは中を見回した。
天蓋付きの華やかなベッド、壁際に置かれたドレッサーと大きな姿見。どれもこれもめちゃくちゃにしてやりたかったが、用があるのは……
リエットは書斎机へと歩みを進める。引き出しに手を伸ばすが、やはりといったところで鍵がかかっていた。
少し刃の傷んだ斧をリエットは振り上げる。「お止めください!」と後ろから侍女の声がしたが、そんなものはおかまいなしだ。
ただ一点を見つめ、壊れるまでがむしゃらに叩く。その衝撃に、机は引き裂かれるように割れた。
赤に青、そして緑に黄色。中から眩く輝く宝石たちが姿を見せる。同時に、端の切れた書類の束が床に落ちた。
煌めく装飾品には目もくれず、リエットは腰を落として紙の一枚に目を通す。
支援品の受け渡しに関する帳簿だ。遠方の村への配送は、支援品が届いた最初の日。さすがにまだ届いていないのはおかしい。これは横領を隠蔽するためのダミーだ。支援品は、この宝石類に変えられたに違いない。
紙から目を離すと、リエットは書類に埋もれたチェストを見つけた。
両手で拾い上げた箱には、ここにもやましいものがあると言わんばかりに鍵がしてある。
それを部屋の真ん中に置き、リエットは金属錠の根本の留め具へ鋭く斧を振り下ろした。
中から出てきたのは大量の宝石。そして隠すように底に敷いた茶色い紙。リエットは紙を拾い上げると、口元に笑みを浮かべた。
♢♢♢
陽が沈み始めた頃、ミカエラが帰ってくる。
「あれは一体どういうことなの!?」
自分の部屋の惨状を目の当たりにしたミカエラが、血相を変えて広間に入ってきた。
ソファと長テーブルだけが残された質素な部屋に、リエット、夫のローム、ギレムが座っている。
「家の物は手放すと父上が決めたのです」
ロームは睨むようにしてミカエラを見上げた。
「だからって、あんな乱暴な。一体誰が……」
ミカエラは探るように部屋の三人を見回すと、澄ました顔で座るリエットに詰め寄る。
「あなたね! この田舎娘が!」
「止めてください姉上!」
ロームは立ち上がると、リエットを庇うように割って入る。ミカエラはロームの背中越しにリエットを指差した。
「どきなさいローム。身の程知らずの田舎娘を私がしつけてあげるわ」
「しつける必要があったのはお前の方だミカエラ」
腕を組んで背もたれに体を預けるギレムが、重々しく口を開いた。
「お前が受け取っていたオルレイン男爵からの支援品。一体どこへやった?」
「どこへって…… いやですわお父様。私を疑っているんですか?」
「どこへやったと聞いている!?」
ドンと、ギレムがテーブルを叩く。ミカエラは「ひっ」と情けない声を上げた。
「わ、私は何も…… それよりお父様、リエットを屋敷から追放してください。こんな野蛮な女がいては、安心して眠れません」
身振り手振りを交えて話すミカエラに、ギレムは大きくため息をついた。
「出ていくのはお前だ」
「えっ……」
目を丸くするミカエラに、畳み掛けるようにしてギレムは続ける。
「これは何だ?」
ばさりとテーブルに置いたのは一枚の紙。そこには、筆頭商会とミカエラの名前が記載されている。
商会との契約書、リエットがミカエラの部屋で見つけたものだ。
「私にはなんのことだか……」
とぼけるミカエラの目は、右に左に泳いでいた。
ロームが強い口調で言う。
「昨日リエットがこの契約書を見つけた後、私が自ら商会を問い詰めてきた。お前が支援品の取引を持ち掛けてきたと口を割ったぞ」
ロームの言葉に、ミカエラは顔を強張らせる。
ギレムも重々しく頷き、どこか寂しそうにミカエラを睨んだ。その眼差しは、もう愛娘に向けていた柔らかいものではなくなっていた。
「……残念だよ、ミカエラ……」
言葉を詰まらせながらギレムは告げた。
ミカエラの顔が絶望に歪む。彼女は口を覆うように手を当て、全ての憎しみをぶつけるように、リエットを瞳に映した。
「あなたさえ、いなければ……!」
リエットは軽く受け流すように、愛らしい笑みを浮かべた。そして言ってやる。
「ミカエラ様、とても良い斧をありがとうございました」
♢♢♢
ミカエラの保有していた装飾品は全て売り払われ、その金でギレムは食料や医療品を買い戻した。すぐさま民に分配され、領地は飢饉を脱することとなる。
同時に、ミカエラの横領に組した侍女や商人らを摘発。彼らもミカエラと共に断罪されることとなった。
「すまなかったな、リエット」
ロームは斧を振り上げ丸太を二つに割る。カランと乾いた音が、雲一つない寒空の奥にまで響いていく。
「いえ、私は当たり前のことをしたまでです」
リエットが両目を細めて微笑むと、ロームは小さく息を吐いて作業の手を止めた。
「ミカエラの横領に、私と父上が気づけないなんて」
「ローム様もギレム様もお仕事に熱心でしたから…… それに、家族を信じてしまうのは普通のことかと」
「だが気づくのがあまりに遅すぎた。ハイネン家は、もうおしまいだ」
ロームはうつむいて手の平を瞼に押し当てる。彼の手から滑り落ちた斧が、ズシンと音を立て横たわる。
食料品を買い戻したのはいいが、飢饉ゆえに物価は高騰しておりハイネン家はほとんどの財産を失った。従者を雇う余裕さえままならない。
「ローム様、そんなことはありません」
リエットは真っすぐにロームを見据える。
「ミカエラ様を断罪したハイネン家はまだ爵位を失ってはおりません。それに、身を削って食料を供給したことで、失いかけた民の信頼も戻りつつあります」
言いながらリエットはロームに歩み寄り、斧を拾い上げる。それを差し出しながら優しく微笑んだ。
「民のためにもここで踏ん張らないと。私たちならきっとできますよ」
斧を手にするロームの目に光が戻る。
「リエット、お前が来てくれて本当に良かった」
「はい」
家族の温かい言葉を、リエットはしっかりと受け取った。




