8話 訪れる救済
毎日投稿最終日!次回からは毎週月曜日投稿になります!
やっと街に入れたよ!そして......
マオの背中が、迷いなく進む。
人の流れに逆らわず、止まらず、
この街の速さを知っている歩き方だった。
進行を遮るものが、ない。
視界がまっすぐに抜け、
人の動きが、一定の向きへ流れている。
建物は、互いに距離を保って並び、
影が、形を崩さずに地面へ落ちていた。
壁の欠けも、
崩れた跡も、見当たらない。
道沿いに、
人が住むには、明らかに大きすぎるのに、
人が集まるために作られていると分かる建物がある。
その近くでは、
金属を打つ音が、一定の間隔で響いていた。
火のそばで、
赤くなった刃のようなものを扱う人間がいる。
出来上がったそれを、黙って受け取る別の人間もいた。
装備を身につけた連中が、
当たり前みたいに出入りしている。
鼻に残るものが、何もない。
湿り気も、焦げた油の重さもない。
「すごーい、綺麗な街」
サラが、弾んだ声を出す。
「でしょ」
前から、軽い返事が返ってくる。
マオが、立ち止まり、振り返った。
「……お腹空いたー」
気の抜けた声だった。
「君たちも、何か食べようよ」
再び歩き出し、
人の流れから外れた通りへ入る。
そこには、
その場で食べるものだけを並べた台が連なり、
立ち止まる人間と、すぐに離れる人間が交互に行き交っていた。
「……いっぱいある」
サラが、目を輝かせる。
肉や魚、果実。
知っているはずの食い物なのに、
形も、扱われ方も、今まで見てきたものと違っていた。
「ほら」
前から声がする。
「選び放題だよ!好きなの食べていい!」
やっとまともに食える、
ーー飯が。
そう思った、その時だった。
「おい、マオ!どこにいたんだ、探したんだぞ!」
通りの奥から、声が飛んできた。
人の流れが、わずかに乱れる。
マオの背中が、びくりと跳ねた。
次の瞬間、足がその場に縫いつけられたみたいに止まる。
装備の擦れる音を立てて、マオと同じ格好をした男が近づいてくる。
マオは、振り返らなかった。
身体が固まり、視線だけが動く。
「巡回中じゃないのか」
男が周囲を見渡し、
俺とサラを見ながら険しい顔をしている。
「その子供たちはなんだ、報告は」
マオは視線を泳がせたまま、言葉を探す。
「え、えーっと……森で怪しい建物を見つけました。人の形をしていて……」
男が急に焦り出す。
「なんだと!?中は確認したのか」
マオは即座に首を振った。
「していません......。
でも、中からこの子たちが出てきました」
俺とサラを示す。
「森で迷っていたみたいで、危険だと思って……街まで連れてきました」
男の焦りは少しだけ収まり、冷静に確認する。
「つまり、未確認のまま引き返したということか」
マオは、少しだけ背筋を伸ばした。
「はい。でも、この子たちは確かに——」
「それは後だ」
言葉を遮られる。
「まず報告だ。順序が逆だ」
通りのざわめきが、耳につく。
マオは、俺たちを見る。
「ごめん、自由に食べてて。私、ちょっと戻るね」
それだけ言って、男の方へ向き直る。
二人は並んで歩き出し、人の流れに紛れて、そのまま通りの向こうへ消えていった。
周囲のざわめきが、少し遅れて戻ってくる。
「……行っちゃったね」
サラがそう言った。
台の上には、焼いた肉を切り分けたものや、串に刺した魚の身が並んでいる。
ゴミ箱を漁っているだけの生活じゃ考えられない光景だった。
……選んでいいんだよな。
俺は、一番近くにあったものへ手を伸ばした。
すると、台の向こうに立っていた男が、俺の手元を見て声をかけてきた。
「おう、坊や。それはウーシーのヒレ肉に聖草をまぶして焼いたやつだ。うまいぞ。一本、二ゴールドな」
俺は、そのまま聞き返した。
「……金を、払わないといけねぇのか」
男は一瞬きょとんとしてから、鼻で息を吐く。
「当たり前だろ。おかしなこと言うガキだな」
スラムじゃ、こんなやり取りはなかった。
取るか、取られるかだ。
俺は、伸ばしかけた手を引っ込めて、腰の袋に手を入れる。
フォルテから渡された小包を開く。
中で、重たい金属同士が触れ合う音がした。
俺は、その中から金貨を二枚取り出し、台の上に置いた。
男は、それを見て目を細める。
「……ほう」
それ以上は何も言わず、焼けた肉の串を一本、俺の前に差し出した。
俺は、それを受け取り、そのまま串を引き寄せた。
肉にかぶりつき、
歯を立てて、引き剥がす。
噛んだ瞬間、
歯が押し返される。
弾むみたいな感触のあと、
熱くて、しょっぱい汁が口の中に溢れ出し、肉にまぶしてある草の苦味がそれを優しく包み込む。
思わず、もう一度噛む。
硬すぎず、
柔らかすぎない。
中身だけが、形を保ったまま潰れていく。
喉の奥へ流れ込むたび、
腹の奥が、じんわり温かくなる。
気づいたら、
目尻が下がっていた。
口の端が、勝手に持ち上がる。
抑えようとしても、無理だった。
「うめええええ」
声が、外に出ていた。
周りの視線が、一瞬だけ集まる。
サラが、目を丸くして俺を見る。
今まで、
こんな顔をしている俺を見たことがない、という顔だった。
この街は、平和だ。
食い物が、うまい。
人が、生きた顔をしている。
通りを歩いている騎士の表情が、どれも穏やかだ。
奪わなくても、生きていける。
その前提が、街の中に染み込んでいる。
俺は、次の台に目を向けた。
籠の中に、赤い果実が積まれている。
皮は張りつめていて、傷ひとつない。
色が、妙に濃い。
「それ、ひとつ」
そう言うと、店に立つ女が果実を手に取った。
「一個、1ゴールドだよ」
……また、金か。
俺は黙って、懐から金貨を一枚出す。
女は慣れた手つきで受け取り、果実を差し出してきた。
そのままかじろうとした俺を、女が止める。
「割るんだよ。ここ、筋に沿って」
爪先で、皮の継ぎ目を示す。
「力、いらないから」
言われた通りに、指をかける。
押すと、思ったよりあっさり割れた。
中から、赤い粒が詰まっているのが見える。
次の瞬間、果実の内側から、赤い汁が滴り落ちた。
手に、地面に、ぽたぽたと落ちる。
女は気にする様子もなく続ける。
「そのまま、粒を食べな。皮は捨てていい」
俺は、ひと粒つまんで口に入れたーー。
バゴォ――――ン。
その瞬間、
空気を叩き潰すような爆発音が、遅れて街に広がった。
胸が、内側から押し返される。
音は、
俺たちが街に入ってきた方角――門のあるほうだ。
きゃああああっ。
悲鳴が、あちこちから、同時に上がる。
それまで、ぶつかりもしなかった人の流れが、一気に乱れた。
肩がぶつかる。
前へ進んでいた足が、止まり、逆向きに押し戻される。
誰かが転び、
別の誰かがそれに躓く。
叫び声が重なり、
言葉として聞き取れる音は、もうない。
俺は、とっさにサラの腕を掴んだ。
離れたら、終わる。
そんな確信だけが、頭に残った。
通りを歩いていた装備を整えた騎士が、武器を構えている。さっきまでの穏やかな顔は消え、全員が同じ方向を見ていた。
さっきまで、
平和を象徴しているようだったものが――
音ひとつで、形を失っていく。
街が、ざわめきじゃ済まない音を立て始めていた。
騎士が、前に出て腕を伸ばした。
止まれ、と口が動いたのが見える。
聞かなかった。
俺はサラの手首を掴み、そのまま走った。
人の流れに逆らい、押し返されながら、門のほうへ向かう。
背後で、怒鳴り声が上がる。
追ってくる気配もあったが、構わなかった。
門が、近づく。
そこで、足元の違和感に気づく。
さっきまで、
欠けひとつなかった道が砕けて、
石の破片が、あたりに散らばっている。
下から、叩き割られたみたいな散り方だった。
その中に、
赤く染まった欠片が混じっている。
濡れている。
不規則に。
いや――飛び散った跡だ。
さっき、口に入れた果実の汁。
割った瞬間に、ぽたぽたと落ちた、あの赤。
似ている。
……違う。
血だった。
視線を上げる。
石畳が飛んできた方向。
門のすぐ内側。
そこに、
銀色の装備が転がっているのが見えた。
見覚えがある。
俺たちを街に入れてくれた、騎士の装備だ。
.....腕?
いや、違う。
上半身だけが、
道の上に、投げ出されている。
呼吸も、鼓動も完全に止まっているのが目に見えてわかった。
空気が、凍る。
俺は、立ち止まっていた。
さっきまで、
平和を象徴しているようだったものが――
こんな形で、転がっている。
サラの手が、震えている。
俺は、
その感触だけを、強く握り返した。
赤い果実の味が、
まだ、口の奥に残っていた。




