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3話 失くしたものは

仕事を終えて、帰るだけ。

それだけのはずだった。


この街では、

帰り道ほど油断できない。

腹の奥が、さっきより少しだけ静かだった。


理由は分からない。


俺は、折れた木の棒を見下ろしてから、それを瓦礫の上に放った。

もう使い物にならない。


建物の中は、変わらず静かだ。


さっきまでそこにいたはずのものは、もう何も残っていない。

糸も、音も、動く気配も。


……本当に、終わったらしい。


少しだけ息を吐く。


怖くなかったわけじゃない。

でも、考えるほどの余裕もなかった。


俺は周囲を見回した。

瓦礫。崩れた壁。

それと、足元に散らばる細かい破片。


……これか。


しゃがみ込み、近くに落ちていた欠片を拾い上げる。

軽い。

指先でつまむと、粉がこぼれ落ちた。


さっきまで、あれだったもの。


俺は、それをしばらく見つめてから、服の裾を引き上げた。

ボロボロで、サイズも合っていない。

でも、袋代わりにはなる。


欠片を、いくつか放り込む。


これがあれば――


「……金になる、はずだよな」


誰に向けたでもない独り言が、瓦礫に吸い込まれた。


俺は建物を出た。


外の空気は、思ったよりも明るい。

さっきまで、あの中にいたせいかもしれない。


街道に出る。


行くときは、周りを見る余裕なんてなかった。

依頼書を握りしめて、ただ前に進んでいただけだ。


今は違う。


足を運ぶたびに、音が聞こえる。

石を踏む音。

どこかで荷車が軋む音。

遠くから、誰かの怒鳴り声。


街道の端には、崩れかけた家が並んでいる。

住んでいるのか、捨てられているのか分からない。

どれも、似たような色と形をしていた。


すれ違う人間もいる。


鎧を着た冒険者。

汚れた服のまま荷を抱える大人。

俺と同じくらいの子どもが、裸足で走っていく。


誰も、俺を気にしない。


それが、少しだけ楽だった。


スラムに近づくにつれて、匂いが変わる。

腐った水。

焼けた油。

人の汗。


聞こえる音も増えていく。

笑い声。

口汚い罵声。

どこかで鳴る金属音。


生きてる、って感じの音だ。


俺は歩きながら、裾に包んだ欠片を確認した。


ちゃんと、ある。


それだけで、少しだけ気が緩む。


酒場に戻れば、10Gだ。


そう思うと、腹の奥が、また小さく鳴った。


路地の角で、鍋を叩く音がした。

子どもが二人、何かを取り合って笑っている。


……いつも通りだ。


そう思った、その瞬間だった。


肩に、何かがぶつかった。


「――っ」


反射的に足を止める。

小さな影が、視界の端を横切った。


次の瞬間、裾が、軽い。


「……あ?」


手を伸ばす。


ない。


服の中にあったはずの、蜘蛛の欠片が消えている。


路地の奥で、誰かが走る音がした。


乾いた足音。

迷いのない速さ。


「――待て!」


声が出るより先に、体が動いていた。


路地は狭かった。


壁と壁の間を縫うみたいに走る。

足元は悪いが、関係ない。


相手も、同じだ。


体格は小さい。

走り方も、俺と大して変わらない。


距離は、縮んでいた。


「……っ」


息の乱れが、前から聞こえる。

逃げる足が、少しだけ鈍った。


もうすぐ――


手を伸ばせば、届く。


そう思った、その瞬間だった。


ごん。


肩に、硬いものがぶつかった。


いや、違う。


俺が、ぶつかった。


視界いっぱいに、胸板があった。


見上げると、でかい。

腕も太くて、酒臭い。


「あ?」


低い声。


一歩、体勢を崩す。


その一瞬で、距離が決定的に開き、小さな影が建物の角を曲がるのが見えた。


「……ちっ」


俺は慌てて横に避ける。


だが、遅い。


足音は、もう聞こえなかった。


目の前の男が、ゆっくりと俺を見下ろした。


「……なんだ、ガキ」


酒と汗の匂いが、鼻につく。


俺は何も答えなかった。


答えるより先に、男の視線が俺の服に落ちる。


破れた袖。

擦り切れた裾。

膨らみのない腰回り。


「走り回ってた割に、軽そうだな」


男は、つまらなそうに言った。


「持ってるもん、全部出せ」


「……ねぇよ」


即答だった。


男は一瞬だけ目を細める。


「は?」


「金も、食い物も」


俺は両手を広げた。


何もない。

本当に、何も。


男は舌打ちした。


「……クソ」


近づいてきて、俺の肩を乱暴に押す。


「時間の無駄だ」


それだけ言って、男は興味を失ったみたいに視線を外した。


振り返りもせず、路地の反対側へ歩いていく。


俺は、その場に立ち尽くした。


追いかければ、まだ間に合うかもしれない。


でも――


どこに行ったのか、もう分からない。


路地は、同じような壁と影ばかりだった。


路地を、一つ戻る。

次の角を曲がる。

また戻る。


さっきの足音を思い出しながら、目につく影を一つずつ確かめていく。


瓦礫の裏。

崩れた壁の向こう。


どれも、空だ。


「……っ」


息が、少し荒くなる。

走ったせいか、焦っているせいか、自分でも分からない。


同じような路地が、いくつも続いていた。

どこを通ったのか、だんだん曖昧になる。


さっきまで近かったはずの距離が、気づけば完全に消えていた。


「……いねぇ」


声に出してから、無意味だと気づく。


返事なんて、あるわけがない。


それでも、もう少しだけ探した。

路地を抜けて、また別の路地に入る。


同じ匂い。

同じ壁。

同じ影。


欠片は、見つからなかった。


しばらく歩いたあとで、視界が少しだけ開ける。


人の声。

酒の匂い。

聞き覚えのある騒がしさ。


……酒場だ。


気づいたときには、もう目の前にあった。


扉の前で、足が止まる。


「……」


証拠は、ない。

蜘蛛の欠片も、ない。


それでも――


一瞬だけ、考えた。


もしかしたら。

ワンチャン、何とかなるかもしれない。


そんな都合のいい考えが浮かんだ自分に、少しだけ腹が立つ。


でも、他に行く当てもなかった。


俺は、ゆっくりと扉に手をかけた。


いつもの匂いがした。


酒と汗と、少し焦げた油の混じった空気。

昼間と変わらないはずなのに、さっきより少しだけ重い。


中の連中は、相変わらずだった。

一瞬だけ、視線が動く。


それだけだった。


絡んでくるやつはいなかった。


部屋の隅に、壊れた木片がまとめて置かれているのが見えた。

砕けた机の残骸だ。

雑に寄せ集められて、邪魔にならない場所に追いやられている。


……もう、終わったことらしい。


俺は何も言わず、カウンターに近づいた。


フォルテは、いつも通りそこにいた。

グラスを拭いていて、俺が来たことに気づいていないふりをしている。


その背中を見て、喉が少しだけ鳴った。


欠片は、ない。


それでも、来てしまった。


「……」


声をかけるタイミングを、少しだけ迷ってから――

俺は、カウンターに手をついた。


「……蜘蛛、倒した」


声は、自分でも驚くくらい平坦だった。


フォルテの手が、ぴたりと止まる。

グラスを拭いていた布が、そのまま宙で静止した。


一拍。


それから、ゆっくりと顔だけこちらに向ける。


「ほう」


それだけだ。


驚いた様子も、疑った様子もない。

ただ、事実を一つ聞いた、という顔。


「……で」


視線が、俺の手元に落ちる。


「証拠は?」


……やっぱり、そこだ。


俺は、無意識に服の裾を握りかけて――

そこで、指が止まった。


何も、ない。


「……」


言葉が出てこない。


フォルテは、それを見て察したのか、短く息を吐いた。


「ないのか」


責める口調じゃない。

確認だ。


「……あった」


俺は言った。


「けど、途中で……盗られた」


フォルテの眉が、ほんの少しだけ動く。


「ほう」


それ以上は言わない。


「……欠片だ。蜘蛛の」


言い訳みたいに聞こえたかもしれない。

でも、事実だ。


「持ってた。でも――」


言葉が、途中で途切れる。


フォルテは、少しだけ黙ったあと、グラスを置いた。


「証拠がないなら、報酬は出せん」


淡々とした声だった。


分かってた。

最初から、そういう決まりだ。


「……だよな」


喉の奥が、少しだけ詰まる。


10G。

さっきまで、確かにあったはずの金。


腹の奥が、また、かすかに鳴った。


フォルテは俺を見下ろして、しばらく何かを考える素振りをした。


「蜘蛛を倒した、という話自体は疑っちゃいねぇ」


その一言で、胸の奥が、ほんの少しだけ動いた。


「だが、証がない」

「この街じゃ、それが全部だ」


俺は黙って、拳を握る。


――終わり、か。


フォルテは、ふっと視線を逸らした。


「……もう一度、探してくるか?」


その言葉に、顔を上げる。


「街道の方だ」

「まだ、残ってる可能性はある」


可能性。

ほとんど、ないのは分かってる。


粉々だった。

盗られたのが、いちばんマシな欠片だった。


それでも。


「……行く」


考えるより先に、口が動いていた。


フォルテは、何も言わずに頷いた。


「日が落ちる前にな」

「それまでに戻れ」


俺は、踵を返した。


酒場を出る直前、背中に声が飛ぶ。


「レイ」


足が止まる。


「――無理だと思ったら、引け」


振り返らずに、手を振った。


無理かどうかなんて、分からない。


でも。


――金が、ない。


俺は、もう一度、あの場所へ戻ることにした。

他に、やることもなかった。

見つからないかもしれない。


それでも、

探さなければ、飯はない。

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― 新着の感想 ―
飯のため、これは真理かもしれませんね!! 下手に生ぬるい理由よりも、よっぽど共感できると思います^_^
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