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武器は木の棒

第2話です。


名前を得て、初めての仕事へ。

今回も派手な説明はありませんが、

「何が起きたか」より「どう感じたか」を

楽しんでもらえたら嬉しいです。

パンは食い切った。

 腹が満たされたわけじゃないが、さっきよりはずっとマシだ。


 俺は、空になった手を見下ろしてから、ゆっくり息を吐いた。

 腹の奥で鳴っていた音が、ようやく静かになる。


「……十分だ」


 独り言みたいに呟いて立ち上がると、視線を感じた。


 酒場のカウンターの向こう。

 さっきまで“マスター”としか呼びようのなかった男が、腕を組んでこちらを見ている。


「腹は落ち着いたか」


 ぶっきらぼうな声だった。

 気にかけているのか、ただ確認しているだけなのかは分からない。


「……まあな」


 俺が答えると、男は短く鼻を鳴らした。


「そうか。なら、話ができるな」


 男はカウンターを指で軽く叩いた。


「先に言っておく。

 俺の名前はフォルテだ」


 名乗られた、という事実に、少年は一瞬だけ戸惑った。

 スラムでは、名前を名乗る意味がほとんどない。


「フォルテ……」


「そうだ」


 フォルテは頷く。


「じゃあ次だ。

 お前の名前は?」


 その問いに、俺は言葉を失った。


 答えがない。

 呼ばれたことも、名乗ったこともない。


「……ねぇよ」


 正直にそう言うと、フォルテは少しだけ目を細めた。


「そうか。なら、呼びづらいな」


 少し考える素振り。

 そして、あっさり言った。


「レイ。

 今日から、お前はレイだ」


 俺は目を瞬いた。


「……は?」


「嫌か?」


 フォルテにそう問われ、少年は一瞬黙る。


 嫌かどうかなんて、考えたこともなかった。

 名前がある、という感覚自体が分からない。


「……別に」


「なら決まりだ」


 フォルテはそれ以上説明しなかった。


――レイ。


 頭の中で、その音が転がる。

 よく分からねぇが、悪くはなかった。


「レイ」


 名前で呼ばれて、少しだけ肩が跳ねた。


「さっきの依頼書だ。

 街道付近の魔物討伐」


「蜘蛛だろ」


「そうだ。

 初心者向けだが、放っとくと厄介になる」


 俺は黙って聞いた。


「準備は?」


「ねぇ」


「だろうな」


 剣も、防具も、金も出てこない。

 最初から期待してなかった。


「それでも行くか」


 確認するみてぇな目。


 俺は少しだけ考えた。

 考える理由は一つしかねぇ。


 ――飯。


「行く」


 短く答える。


 フォルテは一度だけ頷いた。


「そうか」


 それ通知を聞いてから、少し声を低くした。


「飯が欲しいなら、働け」


 聞き慣れた言葉だ。

 でも、今はやけに重く聞こえた。


「無茶はすんな。

 死んだら、飯は食えねぇ」


 俺は何も言わず、酒場の扉に手をかけた。


 外の空気は、相変わらず湿っている。

 腹はまだ空いているが、足は前に出た。


 ――働く。


 理由はそれだけだ。


 酒場を出て、街道の方へ歩く。

 舗装はされてるが、端の方はひびだらけだ。人の通りも少ない。


 依頼書には「街道付近」って書いてあった。

 付近、ってのが一番あてにならねぇ。


「……どこだよ」


 同じような建物が並んでるせいで、さっきから似た景色ばかり見る。

 街道自体は真っ直ぐだが、横に伸びる小道がやたら多い。


 何度か立ち止まって、首をひねる。

 戻るのも面倒だし、とりあえず人が寄りつかなそうな方へ進んだ。


 しばらく歩くと、崩れた建物が目に入った。

 元は倉庫か何かだったらしい。壁は半分落ちて、屋根も抜けている。


 街道のすぐ脇だが、誰も近づかない場所。

 ……こういうとこだろ。


 中を覗いた瞬間、鼻につく匂いがした。

 湿っぽくて、埃と何かが混じったような匂い。


「……嫌な感じだな」


 足元に転がっている瓦礫を避けながら、建物の中に入る。


 そこで、目に入った。


 倒れた梁の一部。

 太さは俺の腕くらいで、長さもそこそこある。


 俺はそれを拾い上げた。


 重すぎず、軽すぎず。

 端は折れているが、振るには問題なさそうだ。


「……まあ、これなら」


 剣なんて持ったことねぇ。

 これで十分だ。


 そのときだった。


  ぴちゃり、と音がした。

 水が落ちたにしては、間が長すぎる。


 瓦礫の影が、ひとつだけ妙に濃い。


 嫌な感じはした。

 でも、それだけだった。


 崩れた壁の向こう。


 ――動いた。


「……は?」


 蜘蛛だ。

 形は知ってる。見慣れてる。


 だが、でかい。

 街道で見るようなサイズじゃねぇ。


 いや、それだけじゃない。

 動きが妙に重くて、遅いのに、目が離せねぇ。


「……なんだよ、それ」


 次の瞬間、空気が裂けた。


 白い糸が飛んでくる。


「っ!」


 反射的に横に跳ぶ。

 糸は背後の壁に貼りつき、石屑が落ちた。


 逃げようとして、すぐに気づく。


 背後は瓦礫。

 走れるほどの隙間はねぇ。


「……ちっ」


 俺は木の棒を握り直した。

 構え方なんて知らねぇ。ただ、振れるように持つ。


 蜘蛛が、じり、と近づいてくる。


 今だ。


 俺は前に踏み込み、近い脚を狙って棒を振り下ろした。


 ――ごん。


 鈍い音。


 手応えはある。

 だが、蜘蛛の脚は揺れただけだった。


「……は?」


 もう一度。

 今度は力を込めて叩きつける。


 ――ごん、ごん。


 効いてる感じがしねぇ。

 木の棒の方が、じん、と痺れた。


 蜘蛛は気にした様子もなく、距離を詰めてくる。


「……硬すぎだろ」


 後ずさりながら、もう一度殴る。

 結果は同じだ。


 効かねぇ。

 まるで、石を叩いてるみてぇだ。


 蜘蛛が、体を持ち上げた。


 次の瞬間、糸が網みたいに広がる。


「っ――!」


 避けきれなかった。


 足に糸が絡みつき、体勢が崩れる。

 そのまま地面に倒れ込んだ。


 冷たい瓦礫の感触が、背中に伝わる。


 糸は、思ったより切れねぇ。

 棒で叩いても、弾くだけだ。


 蜘蛛が、ゆっくりと近づいてくる。


 逃げ場はない。

 距離もない。


 このまま――


糸が、生きているみたいに足に絡みついたまま離れねぇ。


 引けば引くほど、体勢が悪くなる。


「……くそ、取れねぇ」


 息が荒くなる。

 胸の奥が、妙に重い。


 蜘蛛は、すぐそこまで来ていた。

 脚の一本一本の動きはやけにゆっくりなのに、

距離だけが合わない。


 もう一度、棒を握り直す。

 力を入れる。

 腕が、肩が、こわばる。


 ――ダメだ。


 さっきから、何度も殴ってる。

 全部、効いてない。


 逃げ道もない。

 足も動かない。


 頭の中で、ふっと思った。


 あ、もうダメだ。


 音が、遠くなった。


 そう思った瞬間、

 腕の力が抜けた。


 張っていたものが、すっと落ちる。

 怖いとか、焦りとか、そういうのも一緒に抜けた。


 棒が、軽い。


 俺は、半ば無意識にそれを振った。


 叩こうとしたわけじゃない。

 狙ったわけでもない。


 ただ、振った。


 ――バキッ。


 嫌な音がした。


 木の棒が、途中から砕ける。

 手に残ったのは、短い破片だけだった。


「……あ」


 そう思った次の瞬間だった。


 蜘蛛の胴体が、内側から弾けた。


 爆ぜた、というより、

 粉々になった。


 脚も、胴も、まとめて砕け散る。

 音は大きくない。

 ただ、一瞬で形がなくなった。


 白い糸が、ばさりと力を失って落ちる。


 俺は、その場に座り込んだ。


 息が、遅れて戻ってくる。

 心臓が、やっと動き出した感じがした。


「……?」


 目の前には、瓦礫と、

 さっきまで蜘蛛だったはずのものの、細かい破片だけ。


 死体らしいものは、残ってねぇ。


 手の中を見る。

 折れた木の棒。


 それだけだ。


「……当たった、のか?」


 よく分からねぇ。


 体が軽い気がする。

 腹の奥が、少しだけ温かい。


 理由は考えなかった。


 立ち上がって、糸を足から外す。

 動ける。


 終わった……のか。


俺はしばらくその場に立ち止まった。

待ってみたが、 何も起きなかった。


……帰るか。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


主人公はまだ、

自分に何が起きているのか理解していません。

理解するのは、もう少し先の話になります。


次回は、討伐のその後から。

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