10話 誰がための騎士道
「待機だ」
マオは広い部屋に1人、立ち尽くしていた。
騎士は命令に従うもの。
街は今日も秩序に保たれている。
それなのに、胸の奥がやけに騒がしかった。
あの森が脳裏から、離れない。
私は森で迷っていた。
ーー夜だった。
あの日、私は初めて外の世界に足を踏み入れた。
木々が作り出す暗闇の中で、行き先があっているのかも、帰り方もわからない。
「おかあさぁぁん......」
泣きじゃくる声と名前も知らない動物の不気味な鳴き声だけが響いていた。
遠くに、いくつもの小さな光が見えた。
街だと疑わずに走った。
でも、それらは牙を剥き、私を囲んだ。
「ごめんなさい......」
叫ぶ気力も失くしていた私は、その場に崩れた。
ーー助けて。
そう思った瞬間、天を割くような光が降り注いだ。
その光は一瞬で消え、焦げた匂いが周囲から漂ってくる。
気付けば、私に牙を剥いていたあの光も消えていた。
「なんでこんな所に子供が一人でいるんだ」
奥の方から男の人の声がした。
姿は見えないけど、近付いてくるのだけはわかる。
また泣きじゃくる。
「ごめんなさい......ごめんなさい......」
その時、硬い何かが私の手を掴んだ。
「ここで泣くんじゃねぇ。死ぬぞ」
その言葉と共に背負われた。
大きな背中だった。
いつの間にか泣きやみ、そのまま眠りについた。
目が覚めると、天井があった。
布団の重みが、昨夜の背中を思い出させる。
窓の外が明るい。
賑やかな人の声がする。
「おかあさん.....」
急にあの村で起きた事を思い出し、また眠りについた。
「失礼します。起こしてごめんなさい」
優しく包み込むような声が、私の目を覚ました。
白衣を着た女が私を見て、微笑んでいる。
「怖い思いをしたみたいですね。でももう大丈夫。ここはアルセイアの街ですよ!」
知らない場所に知らない人。
生きている実感はあるものの、突然声をかけられ混乱していた。
「お姉さんは......誰?」
初めて口にした問に女は優しく答える。
「あら、ごめんなさい。私は騎士のヴァンタリ。
あなたのお名前は?」
「......マオ」
ヴァンタリは、何かを紙に書き込んでいる。
「マオちゃん....。1つ聞きたいことがあるんですけど。どうして森にいたのですか?」
昨日起きた出来事は忘れることは出来ない。
隠すつもりもなかった。
ーーそれでも。
「わ、た......」
「ごめんなさい......おかあさん......」
思い出すと溢れる涙を抑えられなかった。
ヴァンタリがそんな私をそっと抱き寄せる。
「怖かったんだね。生きてるだけで十分ですよ」
ーーそれから、数時間が経った。
気分も落ち着き、話せるようになった。
「私......帰る場所が、無くなっちゃった」
ヴァンタリは、しばらく何も言わなかった。
窓の外から、子供の笑い声が聞こえる。
荷車の軋む音。
賑やかな人の気配。
やがて、静かに口を開いた。
「では、ここにいましょうか」
顔を上げると、優しく微笑んでいる。
「騎士団には、身寄りのない子供を預かる制度があります。あなたが望むなら、この街で生きることが出来ます」
生きる。
その言葉が、胸の奥に落ちた。
私は頷いた。
その日から、私は騎士団の一員として街で暮らすことになった。
温かい食事。
眠れる布団。
雨を防ぐ屋根。
与えられた環境は、心地よくて不安なんかすっかり消えていた。
朝になれば街が動き出す。
市場の声。
店先の匂い。
行き交う人々。
誰も、私を追い払わなかった。
「よっ!ちびっこ騎士、ちゃんと食べてるか?」
市場の男が、焼き立てのパンを一つ差し出す。
「ありがとうございます」
男の表情が、安心した笑顔に満ち溢れていた。
訓練場に立ったのは、それからしばらくしてからだ。
木剣は重く、何度も地面に倒れた。
腕は震え、息は上がる。
それでも立ち上がる。
突進した瞬間、身体がふっと軽くなった。
次の瞬間には、地面が目の前にあった。
気付けば背中から転がっている。
「息が上がってるぞ。もう休むか」
見上げると、教官が立っていた。
「まだ……お願いします!」
立ち上がり、木剣を構える。
再び踏み込む。
また、いなされる。
まるで歯が立たなかった。
「……なかなかやるじゃねぇか、それにしても寒いな。」
私は、何度も立ち上がった。
剣の先には霜がついている。
生きるための訓練だった。
ーーそれから、8年が経った。
巡回の途中、子供が手を振る。
「騎士様!」
その声に、自然と背筋が伸びる。
店の男が言う。
「いつも助かってるよ」
あの日、森で泣いていた私は、
今日も騎士として生きている。
そんな街であの音。
胸騒ぎが、命令を破って扉を開いた。
さっきまで平和だった街。
現実は甘くなかった。
地面に横たわっている仲間。
仲間に刃を振るう仲間。
その奥で蛇の怪物を相手にしている仲間。
その片隅に、私が連れてきた子供たちもいた。
「やめて......」
あの日、私を救ってくれた街。
平和だった街が崩壊していく。
私がやらなきゃ。
今度は、私がみんなを守らないと。
腰に付けた鞘から剣を抜く。
その瞬間、白い霧がこぼれて地面に霜を這わせていく。
仲間も怪物も全ての動きが止まった。
♢
俺たちは、地獄の終わりに歓喜していたその時だった。
パキッ。
紫の光が、氷の内側で脈を打つ。
「おい、なんだあの光。」
凍ったタラーガの身体にヒビが広がり、
内側から押し広げられる。
布が裂けて、その隙間から
もう一本、首が現れる。
さらに、もう一本。
地響きに耐えれず膝を着く、俺とマオ。
その振動が騎士の氷も壊していく。
目の前に立っていたのは、
七つの首を持つ怪物だった。
「やべぇ......でも、やるしかねぇ」
俺が踏み出そうとした瞬間、強く腕を掴まれて足が止まった。
「レイ!」
名を呼ばれて顔を上げると、七つの首を背にしたままマオがこちらに視線を向けている。
足元から立ち上る白い霧が石畳に薄く広がり、剣を握る手元まで冷気が這い上がっている。
「私に任せて。」
そう言って、もう怪物の方へ身体を向けている。
俺は「目を見るな」とだけ告げた。
次の瞬間、七つの首が同時にうねり、地面を抉る音と共に一本が振り下ろされるが、マオは踏み込みながらその内側へ入り込み、鱗の継ぎ目へ刃を滑らせる。
凍気が爆ぜ、断ち切られた首が紫の血を撒き散らしながら霜の上へ転がった。
二本目は横から迫り、三本目は背後から噛みつこうとするが、霧を纏った剣が弧を描き、首が落ちていく。
四本目、硬質な衝撃が剣を弾き返し、いくつもの小さな氷の破片が宙に舞った。
氷越しにタラーガの目が大きく映っている
目が合った瞬間、奥が焼けるように熱を持つ。
「気色悪い目だな。」
喉の奥からこぼれる。
「焼けちまえばいいのに。」
紫の光が揺らぎ、首の内側から黒煙が立ち上ると、動きが鈍った一瞬を逃さずマオが踏み込み、刃を深く押し込んで五本目、六本目と凍る地面に首が落ちていく。
残るは一本。
最後の首が大きく反り上がり、喉奥で紫の光を膨らませながら石畳を割るほどの振動を走らせた。
マオが跳び込み、一直線に刃を伸ばす。
「街の平和を返せ!」
その叫びに重なるように、怪物の声が落ちる。
「誰のための平和だ。」
踏み込みがわずかに遅れ、氷の軌跡が一瞬途切れる。
地面を裂いて伸びた尾が霧を砕きながら絡みつき、マオの身体を締め上げて宙へ持ち上げる。
剣がわずかに揺れ、白い霧が散る。
「……私は、この街の……」
言葉が続かない。
締め付けが強まり、紫の光が解き放たれようと膨れ上がったその瞬間、横一線に閃光が走った。
雷のような衝撃と共に尾が断ち切られ、焦げた匂いが広がる中でマオの身体が落ちる寸前、地面に人影が差す。
刃から散った稲妻が細く枝分かれしながら地面を這い、やがて音もなく消えていく。
その背に翻るマントには、円環を貫く三叉槍の紋章がくっきりと浮かび、紫に揺れる怪物の光を受けて静かに靡いていた。
ヴァジュランだった。
「待機と言ったはずだが、マオ」
マオが小声で呟いた。
「あの時の......光」




