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9話 悪意なき地獄

俺たちがアルセイアの飯を頬張っていた頃。


――円環騎士団本部、執務室。


高い天井から吊るされた燭台が、淡い光を落としている。

壁の至るところに、秩序を象徴する印が掲げられていた。


翼を広げた円環を貫く金の三叉戟。

青い蓮華が調和を保っている。


白を基調とした床が、静かに光を返す。


正面の紋章を掲げた分厚い机の上には、報告書が山を成している。


奥で構えるのは、団長――ヴァジュラン・ダディーチャ。

秩序の頂点に立つ男だ。


壁や机の紋章も、整然と積まれた報告書も、この男の決断一つで価値を持つ。

感情を見せることすら、許されない。


マオは、報告をしていた。


「アルセイア周辺の森で、不審な建物を発見しました。人の顔のような形状で、この街の方角を向いていました」


「内部の詳細は、未確認です」


今更あの建物が頭の中に蘇る。


「なぜ確認しなかった」


ペン先が、紙を叩く。


「子供が二人、中から出てきました。迷っていて、街はどこだと……あの子たちを保護することが優先だと思いました!」


紙の上で、インクがじわりと広がり、大きな円を作る。


「あいつらか」


バゴォォォン。


部屋が揺れた。


外の喧騒が、一気に押し寄せる。


「街が……すぐ向かいます!」


「待て、お前は待機だ。俺が行く」


白い床に、乾いた音が響いた。


♦︎


「……ごめん」


転がる死体。

ひしゃげた鎧に、サラの涙が光る。


振り返ると、騎士たちが剣を構え、何かを囲んでいる。


「お前ら!死にたいのか!」


その声。


あの時、人混みを逆らう俺たちを止めようとした騎士だ。


鎧の肩で息をしている。

ここまで追ってきたのか。


「おい……なんだ、あれは」


囲みの隙間から、地面を這う影が覗いた。


騎士の男が、膝を折る。


鎧越しに、目の高さが揃う。


「いいか。黙ってここから離れろ」


息が荒い。


「今あいつらが相手にしてるのは、生き物でも、人でもねぇ。……怪物だ」


そう言うと、男は騎士たちが作る円の中に消えた。


「邪悪な魔物め!」


「この街は俺が守る!」


秩序を守る者たちが何かを威嚇している。


その中心で、それは静かに嗤った。


「哀れだな、無知な戦士たち。終わらぬ円環を守るだと」


その瞬間、それの姿が俺の目に映る。


地面にうねる、太く長い胴体。

だらりと垂れた布を纏っている。

人の顔。


初めて見る怪物なのに、あの顔だけは知っていた。


「レイ……あの顔、あの建物の……」


喉がひりつく。


「ああ、あいつだ。ーーでも、何かが違う。」


「行くぞぉ!」


騎士が一斉に剣を振り上げた。

ーーその瞬間。

怪物の正面にいた一人の腕が、空中で止まった。


その刃がゆっくりと軌道を変え、隣の騎士に向く。


ギュイィィンーー。


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」


断末魔と共に、鎧を来た塊がそこに転げ落ちた。


「お前......なぜ....」


返事のない沈黙が他の騎士を動揺させる。


ギュイィィンーー。

「ギャァァァァァァ」

背後でまた別の断末魔が落ちた。


「なんてことを....許さねぇ!」


騎士が騎士を殺す。

それなのに、誰一人としてふざけてる様子なんてない。

それぞれが正義だと思う方へ刃を振るっているだけだ。


1人、また1人と秩序を守る者同士が斬り合い、金属音と断末魔だけが戦場を支配していく。


平和を守る為の戦いだったはずが、無法地帯の地獄に変わった。


怪物は、動かない。


意味がわからない。


やれるのは、俺だけだ。


そう思ったのも束の間。


怪物がこちらを向き、視線がぶつかった。


ーー視線。

そうだ、建物であったあいつは、目が閉じていた。


なんだ、あの瞳は。

白目に、黒く縦に細長い瞳孔.....。


......あれ?


世界が遠のく。


音が沈む。


刃の音も、怒号も、砂を踏む振動も、厚い水の底へ押しやられていくような感じ。


気付くと、おれは椅子に腰掛けていた。


皿が並んでいる。


カビていないパン。

脂の乗った肉。

あの赤い果実。


湯気が揺れる。


俺は肉を口に運び、咀嚼する。

柔らかい。


向かいには、サラがいる。


「何、そんなに張り詰めてるの?」


皿に手を伸ばす。


「ここは平和な街だよ」


パンをちぎる。


「お腹いっぱい食べられる」


肉を乗せる。


「あなたは、自由なんだよ。

守らなくていい。戦わなくていい。

あなたが背負う必要なんてないんだよ。」


.....何言ってんだよ。こんなに飯あるんだから、戦う意味ねぇじゃん。


果実が、手から落ちる。


床に転がる。


目の前を通り過ぎる誰かの足が、それを踏み潰した。


赤い汁が広がる。


微笑む。


その笑みが、ゆっくり広がる。


口が裂けるように口角が、吊り上がる。


瞳が、細く長く.....。


「レイ!」


なんか.....叫んでる。

ここは平和なんだろ。

もう少し......飯....。


「レイ!......レイ!」


震えるような声だ。

うるさいな、俺は今肉を食って.......。


しょっぱい....。

苦い.......。


皿が消え、

椅子が消え、

肉も皿も消えていく。


音が戻った。


「レイ!目を覚まして!」


気付くと俺の拳がサラの顔前で止まっていた。

いつもと変わらないサラの顔だ。


「あれ?お前...なんで。俺、肉食って.....」


あれが現実じゃないことが、少しだけショックだった。


「レイ……あの目、見たんでしょ?」


サラの息が荒くなっている。

思い出した。

あれの目を見た瞬間、急に平和な世界になったんだ。


「そうか......あいつらも。みんな、あの変な世界を見てるんだ。」


こいつのカラクリは俺とサラだけが気付いている。

秩序なんかもう機能していない。

俺がやらないと。


怪物に立ち向かおうとしたその時。


「お前ら、なんでまだそんな所に!離れろって言ったろ!」


あの騎士だ。あいつはまだここに。

混乱する戦場から1人、俺らのもとに走ってくる。

まだ、秩序は死んでーー。


その時。

横切る尻尾が、騎士の身体を持ち上げた。


「....なんだこれ!おい、やめろ!降ろせ!!」


バゴォォォン。


目の前に、叩きつけられた。

まるで、隕石を落とすかのように。


「........何......それ、無理......」


サラが膝から崩れる。


俺は動けなかった。


あの縦長の瞳が、再びこちらに向く。


「お前たちは森にいた子供か。我はタラーガ。なぜ、救済に抗うのだ。これはこの世の真の美しさを取り戻すための儀式なのだ。邪魔をするな」


救済。

真の美しさ。

こいつの言葉の意味がまるでわからない。


「何が救済の儀式だ。お前は俺から飯を奪った。

居心地がよかったこの場所をお前が壊したんだ!」


なんか.......腹が立ってきた。

やっぱり俺が殺る。

恐怖なんか忘れて踏み出した。


その瞬間ーー。


突然、足元が凍るように冷たくなる。

目を開くと辺り一面に霜が走っていた。


前を見ると氷の塊がそこにあった。

ーー怪物だ。


全身が凍っている。


カタンッ。

金属が地面に落ちる音。


騎士たちは首から下を氷漬けにされていた。

足元には剣が落ちている。


「やめて、......みんな。人が死んでるの。」


背後から震える声が近づいてくる。

ーーマオだった。

抜かれた剣から、白く凍った霧が漏れ出している。


「もう仲間同士で殺し合うのはやめて!」


悪意のない地獄が、ようやく止まった。


「あれ?俺は何を」

「.....おい!しっかりしろ!」


目が覚めた騎士の戸惑う声と現実を目の当たりにした叫びが氷の上に響き渡っていた。


騎士たちを、怪物を包む、凍りついた戦場。

誰も悪くないのに....。


「目だ。あいつの目がこの街を壊した。」


目の前の鉄の塊を見つめたまま、俺は口を開いた。


あれが森の建物から来たことを

あの目を見た者が洗脳されていたことを。

怪物が自らをタラーガと名乗ったことを。

ーーそして、あれが救済の儀式だったことを。


マオが、氷に閉ざされた戦場を見渡している。

砕けた鎧、動かない仲間、止まった時間。


「.......ごめん、みんな。この街を壊したのは私だった。本当に......ごめん!」


俯きながら、震える声で呟いた。

涙が氷の上で弾けた。


「違うだろ。騎士を殺したのはお前じゃねえ。

このタラーガとかいうわけのわからねぇ化け物だ 」


俺はそう言ってマオの頭を軽く叩いた。


ーーその頃。

氷の塊と化していた怪物になにかが起きていた。


パキッ


氷、いやタラーガの身体にヒビが走り、中から禍々しい光が外へ漏れ出した。


本当の地獄はここから始まる。




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