腹が減った
はじめまして。
初めて投稿します。
腹が減った少年が、生きるために冒険者になる話です。
最初は小さな出来事から始まりますが、少しずつ世界が動いていきます。
楽しんでもらえたら嬉しいです。
腹が減った。
目が覚めた瞬間から、それだけははっきりしていた。
腹の奥がひりつくように痛くて、息をするたびに嫌な音が鳴る。
見上げた天井は、ところどころ崩れた石造りだ。
昔は立派だったらしい建物の残骸。
今は、雨風をしのぐだけの寝床にすぎない。
昨日から、何も食っていない。
外に出ると、朝のスラムは相変わらず臭かった。
腐った水と、ゴミと、何かの死骸の匂いが混ざって鼻につく。
路地を歩いていると、足元に黒ずんだ塊が転がっているのが見えた。
……パンか?
いや、肉かもしれない。
どっちでもいい。
やっと飯が食える。
そう思って屈んだ瞬間だった。
「ニャッ!」
低い声と同時に、影が跳ねた。
野良猫だ。
骨ばった体のくせに、動きだけは無駄に速い。
俺の手より先に、そいつは腐った食べ物をくわえて逃げた。
「――っ、待て!」
反射的に声が出た。
だが猫は振り返りもしない。
瓦礫の隙間に滑り込んで、そのまま消えた。
……くそ。
腹の奥が、ぐっと鳴った。
さっきより、余計に痛い。
俺はその場に立ち尽くして、しばらく瓦礫を睨んでいた。
猫に当たる理由なんてないのは分かってる。
分かってるけど。
「……なんで俺ばっかりだ」
誰に聞かせるでもなく、吐き捨てる。
返事はない。
あるのは、崩れた街と、腹の音だけだ。
腹を押さえたまま、俺はゴミ溜めの前にしゃがみ込んだ。
木箱の破片、破れた布、何に使うか分からない金属くず。
臭いは最悪だが、ここなら運が良ければ食い物の残りがある。
「......腹、減ったな」
手を伸ばして漁っていると、指先に紙の感触が当たった。
一瞬、ただのゴミかと思ったが、引き抜いてみる。
少し厚めの紙。
文字が書いてある。
《依頼》
《街道付近の魔物討伐》
《報酬:10G》
……10G。
思わず、息を止めた。
10Gあれば、パンどころか、まともな飯が食える。
数日は腹を空かせずに済む。
ゴミみたいに丸まった紙を、俺は強く握りしめた。
――冒険者の仕事だ。
危険なのは知っている。
死ぬやつだっている。
子どもがやる仕事じゃない。
でも。
「……他に、ねぇしな」
俺は立ち上がった。
紙に書いてあった酒場の名前を頼りに、街の中心に向かう。
スラムを抜け、少しだけマシな通りを歩くと、昼間から騒がしい声が聞こえてきた。
酒場だ。
扉を開けた瞬間、酒と汗と煙の匂いが一気に押し寄せる。
中には、武器を持った連中が何人もいた。
冒険者だ。
その中に混じって、俺がカウンターに近づいた瞬間。
「ははっ、なんだガキ」
「迷子か?」
「ここはミルクの出る場所じゃねぇぞ」
笑い声が飛ぶ。
チンピラみたいな冒険者が、酒を片手に俺を見下ろしていた。
周りも同じだ。
誰一人、真面目に取り合う気はない。
……分かってた。
子どもが冒険者の仕事を受けに来るなんて、笑い話だ。
紙を強く握りしめたまま、歯の奥がきしんだ音がした。
その場の空気が、少しだけ重くなった。
腹が減ってるせいだけじゃない。
見下されるのも、笑われるのも、もう慣れたはずなのに。
.....それでも
笑い声を背に、俺は無視してカウンターまで歩いた。
「仕事の依頼だ」
酒場のマスターは、グラスを拭く手を止めて俺を見た。
白い髭の奥で、目だけが少し細くなる。
「……ガキだな」
「ガキでもいい。これ」
俺は依頼書をカウンターに置いた。
10Gの文字が、はっきりと見える。
その瞬間だった。
「おい」
背後から、低く濁った声がした。
次の瞬間、胸元を強く掴まれる。
身体が浮いて、視界がぐらりと揺れた。
「なに無視してんだ、このクソガキ」
酒と汗の臭いが鼻を突く。
チンピラ冒険者だ。
さっき俺を笑っていた男が、歪んだ笑みを浮かべていた。
頭の中で、何かがぷつりと切れた。
「離せ」
低く言ったつもりだったが、喉が焼けるみたいに痛い。
「は? なんだって?」
男は、さらに力を込めた。
足が床から離れる。
男に胸元を掴まれたまま、酒場の空気がざわつく。
誰も止めない。
面白がっているだけだ。
カウンターの向こうで、マスターが小さく息を吐いた。
「おい、そこまでだ」
「なんだよ、マスター」
男は掴んだ手を離さない。
マスターは俺と男を一度だけ見比べてから、静かに言った。
「条件を出す」
酒場の視線が集まる。
「倒せとは言わねぇ」
「逃げずに立ってみせろ。それだけだ」
酒場が、一瞬だけ静まった。
次の瞬間、どっと笑いが起こる。
「ははっ、それだけかよ」
「無理だろ、ガキだぞ」
「立ってる前に泣くんじゃねぇか?」
チンピラ冒険者は、楽しそうに俺を放り投げた。
床に転がり、肺から空気が漏れる。
「聞いたか、ガキ」
「逃げなきゃいいんだとよ」
掴んでいた手を放し、拳を鳴らす。
腹は減ってる。
身体は細い。
勝てるわけがない。
分かってる。
分かってるのに。
胸の奥に、嫌な沈黙が落ちた。
俺は、ゆっくりと起き上がった。
逃げるかどうか。
そんなこと、最初から考えていない。
視界が揺れる。
腹が減りすぎて、足元がふらついていた。
正直、立っているだけで精一杯だ。
「行くぞ、オラァ!」
チンピラ冒険者が、楽しそうに腕を振り上げる。
次の瞬間、大振りの拳が俺の顔目がけて飛んできた。
――速い。
そう思った時には、身体が勝手に動いていた。
よろけるように一歩横にずれただけだ。
避けたというより、たまたまそこにいなかっただけ。
「チッ」
拳は空を切り、男の舌打ちが聞こえた。
俺は、反射的に腕を振った。
狙ったわけじゃない。
力の入れ方も分からない。
ただ、このまま突っ立ってるだけなのが、どうしても嫌だった。
だから俺は、よろけたまま腕を出した。
「……っ」
外れた。
拳は男には届かず、そのまま後ろにあった木製のテーブルに当たる。
――バンッ。
乾いた音が一瞬遅れて響いた。
次の瞬間、テーブルが砕け散った。
脚が折れ、天板が割れ、木片が四方に飛び散る。
まるで、最初から壊れる運命だったみたいに。
酒場が、静まり返った。
誰も、笑わない。
誰も、声を出さない。
俺は、固まったまま自分の拳を見る。
……え?
さっきまで、普通のテーブルだったはずだ。
蹴っても壊れなさそうな、分厚い木のやつ。
それが今は、床に散らばるただの木屑になっている。
「……は?」
誰かの、間の抜けた声が聞こえた。
チンピラ冒険者も、目を見開いたまま、砕けたテーブルを見ている。
さっきまでの余裕は、どこにもなかった。
俺の腹が、また鳴った。
……知らねぇ。
俺は、何もしてない。
殴り損ねただけだ。
そう思おうとしても、拳に残った、妙な感触が消えなかった。
沈黙を破ったのは、椅子が床を擦る音だった。
「……っ」
チンピラ冒険者は、一歩、後ずさった。
砕け散ったテーブルと、俺の拳を交互に見て、喉を鳴らす。
「……今日は、やめとく」
誰に向けたのか分からない言い訳を残して、男は酒場の出口へ向かった。
扉が乱暴に開き、外の光が差し込む。
次の瞬間、男の姿は消えていた。
……逃げた。
酒場の中に、ざわつきが戻ることはなかった。
冒険者たちは俺を避けるように視線を逸らし、何事もなかったかのように酒に戻る。
まるで、最初からそこにいなかったみたいに。
カウンターの向こうで、マスターが小さく息を吐いた。
「逃げなかった」
フォル爺はそれだけ言って、俺の方に視線を向けた。
「ここじゃ、それで十分だ」
そう言って、マスターは依頼書を引き寄せる。
「仕事は認める。魔物を倒し、生きて帰ってこれたら、10Gだ」
……10G。
喉が、ひくりと鳴った。
マスターは、少しだけ俺の姿を眺めると、カウンターの下から何かを取り出した。
紙袋に入った、固いパン。
表面に、うっすらとカビが生えている。
「捨てる予定だったやつだ」
そう言って、無造作にカウンターに置く。
「今の腹じゃ、文句は言えんだろ」
俺は、しばらくそれを見つめてから、黙って受け取った。
……カビてる。
でも、食い物だ。
袋を開け、パンにかじりつく。
酸っぱい味が口に広がるが、構わない。
腹の奥に、温かいものが落ちていく。
「……うまい」
思わず、そう呟いていた。
マスターは、何も言わずにグラスを拭くのに戻った。
俺はパンを噛みしめながら、拳を握る。
さっきの感触が、まだ残っていた。
何かがおかしい。
でも――今はどうでもいい。
腹が満たされる。
それだけで、今日は十分だ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
主人公はまだ自分のことを何も知りません。
腹が減っているだけです。
次回から冒険者としての初仕事が始まります。
よければ、続きを読んでいただけると嬉しいです。




