孤独を破る邂逅
しばらくは平日に1日あたり1話か2話更新する予定です!
夜明け前、俺は里の工房の重い扉をそっと閉めた。
その音は、俺が十七年間築いた全てを、内側から錠前で閉ざしたような、重く、寂しい響きを伴っていた。
(父さん、俺は行くよ。俺のこの力は、父さんが言うような戯言じゃないんだ。あの屈辱——俺の作った道具が、魔力の剣で一瞬で崩れ去ったあの屈辱を乗り越えるには、里を捨てて、この世界の法則の壁を築いている、本当の仕組みを知るしかない)
「それにしても……持っていけるものは、これだけか」
革袋には、曽祖父ライナーの分厚い手記と、それを俺が物理学として体系化したノート、そしてわずかな食料と硬貨。
魔力を持たぬ俺は、魔力に反応して起動する乗車システムに受け付けられない。王都への道は、この足で歩き通すしかない。
「分かってはいたけど、大変な道のりになるな」
里を出ると、すぐに荒野が広がった。数日間、俺は孤独に歩き続けた。
昼の焼け付くような熱と夜の凍えるような寒さが、里での安穏とした生活を遠ざけていく。この旅は、肉体の苦痛を忘れ、頭脳だけを研ぎ澄ますための修行の日々だった。
魔力のない俺にとって、魔物や危険を避けるための頼れる手段は、法則破壊だけだ。
旅を始めて初めての日暮れ時。辺り一面に広がるのは、乾いた土と、風に削られた奇妙な形の岩山だけだった。
俺は街道から外れた大きな岩の窪みに身を寄せ、冷え始めた空気から体を守っていた。
「ヒュオォォォ……」
谷間の奥深く、風に乗って微かに、喉を鳴らすような低い遠吠えが響いてきた。全身の毛が逆立つ。
「ブレイズ・ウルフ……」
里の鍛冶場でも、噂だけは聞いていた獰猛な魔獣だ。炎属性の魔力を持ち、周囲の熱源を感知して狩りを行う。
普通の旅人なら、魔除けの結界や、熱を遮断する高価な魔力道具を用いるところだ。だが、俺には、曽祖父ライナーの手記と、この力しかない。
「クッ、魔除けの道具はない……が、ウルフは熱源、つまり生命の熱を追うという話だったはず」
俺は、岩肌の冷たさを感じながら、心臓の鼓動を落ち着かせようと努めた。汗が冷え、皮膚に張り付く。恐怖が体の奥底から湧き上がってくる。
「俺の熱を、魔獣に感知させちゃだめだ。だけど、どうやって?」
脳裏に、曽祖父の手記のにあった、熱の通う速さに関する記述が蘇った。
「周囲の岩の熱の通う速さを、極端な断熱に書き換えれば、俺の体温は岩に吸い取られず、外にも放出されないんじゃないか?周囲の温度を偽装できる!」
すぐさま背後の岩の表面に両掌を強く押し付けた。指先から微細な力として法則破壊が流れ込む。
「岩の熱の通う速さを、限りなくゼロに。熱が伝わるルールを、一時的に停止させる!」
一瞬、掌の中の岩が「ブゥン」と低い共鳴音を立てたような気がした。岩肌から熱が消え、冷たさを纏った感触が返ってきた。
その直後、谷間が揺れるほどに、獰猛なブレイズ・ウルフの咆哮が響き渡った。
「ガァオオオオオオン!!」
ウルフの群れが、岩山の反対側を走り抜けていく気配がした。
俺のいる岩の窪みは、彼らの熱源感知から見れば、ただの周囲の岩と同じ、生命反応のない冷たい石の塊にすぎない。彼らはそのまま、俺に気づくことなく、遠ざかっていった。
全身から力を抜き、岩にもたれかかった。冷や汗が流れる。
「成功だ……! 魔力に頼らず、法則を操作することで、魔獣の捕食本能を出し抜いたんだ。この力は、攻撃や道具作りのためだけじゃなく、生存のために機能する。この力こそが、俺がこの荒野を生き抜くための、ただ一つの武器になるってことか」
だが上手くいくことばかりではなく、すぐに不安定さが顔を出した。
夜、休むために焚き火を起こそうとしていた。
荒野で手に入れた乾燥した木材に、早く火を起こそうとした。
「この木材の燃焼する法則を操作して、燃えやすくできれば……」
木材が持つ法則を書き換えた。
結果、火は通常ではありえないほどの猛烈な勢いで燃え上がった。
「よし、これで…」
だが、一瞬で全ての熱を放出し尽くした。燃え残ったのは、ほとんど灰だけ。
「…」
その直後、荒野の厳しい寒さが急激に襲いかかり、熱源を失った俺は粗末な外套の中で震える羽目になった。
「くそっ……! 燃焼する速度を操作する知識はあったのに、エネルギーの総量までは考慮していなかった……」
孤独な旅は、法則破壊が持つ、制御しきれない不安定な力と、それゆえに存在する無限の可能性を、失敗と成功を通して身をもって知る実験の日々となった。
旅を始めて五日目の昼過ぎ、疲弊して小さな泉のほとりで休んでいた。
「パンが硬すぎる、こんなの食べてたら歯が砕けちゃうな」
パンの硬さの法則を、わずかに書き換えて柔らかする。
パンの表面からごく微かな湯気が立ち上り、柔らかくなった。
俺自身は気づかなかったが、周囲の空気は、一瞬だけ、周囲の乾燥した環境とは全く異なる湿った重さを帯びたらしい。
その時、街道から一人の大柄な男と、小柄な女が近づいてきた。
彼らは俺の周りで起こったその奇妙な空気の異変を、数十メートル離れた場所から感知し、警戒しながらこちらへ向かってくる。
男が低い声で尋ねてきた。
「よお、坊主。こんなところで一人か?」
俺は慌てて立ち上がった。
「はい、王都へ向かっています。バルカの里の鍛冶師です」
男は泉の水を飲みながら、俺の持つ、表面がわずかに湿り柔らかくなったパンを見ているようだった。
「鍛冶師が馬車も使わずに徒歩か。何か理由があるのか?」
嘘をつくべきか?少しだけ迷ったが、嘘をついても誤魔化せる気がしない。
「魔力馬車に乗れなくて……俺、魔力が全くないんです」
ふたりはその瞬間、石のように固まった。男が目を細める。怖い。
「魔力が全くないだと? じゃあ、さっきおかしな空気が流れたのはどういうわけだ?」
彼らの表情は、里の人間のような嘲りではなく、聞いたこともない現象に遭遇した純粋な驚きと困惑のように見える。
女が水の入った皮袋を差し出しながら口を挟んだ。
「正直言って、あなたから魔力は微塵も感じないわ。でも、さっきあなたの周りで起こった現象は、魔力とは別の何かが物のルールに触れた証拠よ」
まさかそこまで感知されているとは……俺は観念し、打ち明けた。
「はい。あれは、俺が物を触った時、その物の法則を、書き換える力なんです。あの硬いパンを、食べやすいように柔らかくしようして…」
男は腕を組み、俺を値踏みするように見てくる。
「フン。法則を書き換えるか。面白いことを言う。俺たちは魔力持ちだが、王都の連中みたいに大層な力はねぇ。俺はバルト、剣術に少しの魔力を織り交ぜて戦う。こっちのシーナは、弓術にちょっとした魔力を添える程度で生きてきた。おれたちは魔力よりも技術と肉体に重きを置く、半端者さ」
シーナが優しく言った。
「そうよ。王都は、私たちのような、魔力に頼り切れない者には厳しい場所だわ。だからこそ、自分の技術と頭脳で道を切り開くしかないの。あなたもその一人だということね」
バルトは剣の柄を叩いた。
「この先、野盗が多い。魔力馬車に乗れないあんたは、格好の獲物だ。あんたのその異様な力が原因で、おれたちまで妙なトラブルに巻き込まれても困る。あんたを危険なトラブルの種として放っておくわけにはいかないな」
彼らは、魔力のない俺をありえない存在だと認識しつつも、その力を技術や頭脳の延長線上にある、共通の課題として受け入れようとしてくれているのか。
これは里では決して得られなかった理解だった。
シーナが微笑んだ。
「だから、私たちが王都まで面倒を見てあげる。大丈夫よ、バルトもあんな言い方をしてるけど、あなたのことが心配なのよ。」
これまで俺は里で虐げられることはあっても、こんな風に心配して受け入れてもらえることなどなかった。
俺の頬には自然と涙が伝っていた。
「ありがとう…ございます…」
「きっと大変な思いをしてきたのね。でもこれからは大丈夫よ、私たちが一緒だから…その代わり」
シーナは悪戯っぽく微笑んで言った。
「あなたはその法則を書き換える力と、あなたが持ってる知識を、私たちに教えてくれない? 荷物番くらいにはなるなら、一人よりは安全よ」
無償でついてくることに罪悪感を覚えないように、そんなことを言ってくれているのを感じた。深く感謝の思いがせりあがってくる。
「ぜひ…!よろしくお願いします…!」
こうして、俺はバルトとシーナの旅に同行させてもらうことになった。
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