第8話「秘密」
マリアンネ——エルザが立ち去った後、私とユーリアは書斎に残った。
窓から差し込む月明かりが、埃っぽい本棚を照らしている。私たちは向かい合って立っていた。
「ユーリアさん」
「何かしら」
「では、ユーリアさん。あなたの本当の名前を、教えてもらえる?」
ユーリアは首を横に振った。
「今は言えないわ。いずれ話すときが来るかもしれないけれど」
「そう……」
深追いはしなかった。彼女にも事情があるのだろう。
「セラさん。いえ、リーゼロッテ様」
ユーリアが私の名を呼んだ。
「私も、クラリッサ様から手紙を預かっているの。読んでもらえるかしら」
ユーリアは、ポケットから折りたたまれた紙を取り出した。私のものと同じように、小さく畳まれている。
「一緒に読んでほしいの。私だけでは、抱えきれなくて」
私は、頷いた。ユーリアが紙を広げる。2人で覗き込むようにして、文字を追った。
『クレアへ。あなたがこれを読んでいるということは、無事にゲームが始まったのね。まず、謝らせてほしい。あなたの願いを、私は否定した。今もその考えは変わらない。けれど、あなたを傷つけたことは事実よ。ごめんなさい。それから、いくつか伝えておきたいことがあるわ。冊子には載っていない隠しボーナスがあるの。金貨10万枚以上になるものよ。全部は書けないけれど、宝箱の場所だけ教えておくわ。3階の塔の最上部、天窓の裏。 地下の隠し部屋、祭壇の下。 庭園の中央、噴水の底。最後に、これだけは覚えていて。たとえあなたが死んでも、私は絶対に忘れない。世界があなたを消しても、私だけは覚えている。だから、安心して。クラリッサより』
私は手紙を読み終えて、眉をひそめた。
「おかしいわ」
「何が?」
「冊子には、死亡した者は存在しなかったことになると書いてあった。誰の記憶からも消えると。なのにクラリッサは『絶対に忘れない』と言っている。矛盾しているわ」
そしてもう1つ。
「隠しボーナスのことも、クラリッサはどうして知っているの? 参加者でもないのに」
ユーリアの表情が曇った。
「それは……」
彼女は何かを言いかけて、口をつぐんだ。手紙を握りしめる手が震えている。
「ユーリアさん?」
「クラリッサ様は、私の願いを否定したの」
ユーリアの声が硬くなった。
「私が何を望んでいるか、知っていて。それでも、駄目だと」
苛立ちが滲んでいた。けれど、すぐに彼女は首を横に振った。
「いいえ、今はこの話はやめましょう。それより、クラリッサ様のことを話すわ」
ユーリアは、深呼吸をした。
「クラリッサ様は、何度もこの死亡遊戯に参加しているの」
「何度も?」
「約2年前から、毎週のように」
毎週。2年間。それは、100回近く参加しているということだ。
「最初に参加したとき、クラリッサ様は大きな失敗をしたそうよ。メイド服に着替えずに、貴族の格好のまま参加してしまったの」
「それで?」
「ゲーム開始と同時に襲われた。貴族の令嬢が紛れ込んでいると気づかれて、真っ先に狙われたのよ。そして、死んだ」
私は、息を呑んだ。
「死んだのに、今も生きている……」
「大切な友人に助けられたの。『真なる聖女』である公爵令嬢に。彼女の力で、クラリッサ様は生き返った」
『真なる聖女』。シュヴァルツェンベルク家の令嬢ヴィクトリア。聖女としての務めを果たさず、社交に明け暮れていると噂される女性。
彼女がクラリッサを生き返らせた。
「それからクラリッサ様は、死亡遊戯に参加し続けているわ。魔法の才能がある彼女は、自分で術をかけて記憶を保持しているの。普通なら脱出と同時に忘れてしまうけれど、クラリッサ様だけは覚えていられる」
だから、クラリッサは隠しボーナスの場所を知っていた。何度も参加して、何度も脱出して、その記憶を保持し続けているから。
「参加する理由は何なの?」
「メイドごっこと、お小遣いですって」
ユーリアは、苦笑した。
「本人はそう言っていたわ。最初は遊びのつもりだったのかもしれない。でも今は、何か別の目的があるような気がする」
メイドごっこ。マリアンネが言っていた言葉を思い出す。付添人と一緒に、メイドの格好をして遊んでいたと。
「クラリッサ様は、もう数年間メイドとして生きているの。公爵令嬢でありながら、シュヴァルツェンベルク公爵邸でメイドとして働いている。メイドとしての名前はクララ」
「シュヴァルツェンベルク家で?」
使用人が頻繁に処刑されるという、あの屋敷で。
「だから、20歳なのに婚約者がいないのよ。公爵令嬢なのに、縁談を受ける時間がない。メイドとして働いて、死亡遊戯に参加して、社交界にも顔を出して。そんな生活を続けているから」
私の頭は混乱していた。
クラリッサは何者なのか。なぜそんな生活を送っているのか。何が目的なのか。
「クラリッサ様は毎週参加しているから、今回の死亡遊戯にもいるはずよ」
ユーリアが言った。
「クララという名前ではないでしょうけれど、ゲーム用の別の名前で」
10人の参加者を思い浮かべる。アンナ、ベルタ、カティア、ドーラ、エルザ、ユーリア、フリーダ、セラ、ヒルダ、イルマ。
「クラリッサ様の瞳は紫色よね」
ユーリアが呟いた。
「同じ瞳の色の人は……」
考える。広間で見た参加者たちの顔を思い出す。
「ベルタさん」
私は、言った。
「彼女の瞳は紫だったわ」
「でも、髪の色が違う。クラリッサ様は黒髪。ベルタさんは……」
茶色だった。薄い茶色の髪。
「変装しているのかしら」
「かもしれないわね。でも、確証がない」
ユーリアは、溜め息をついた。
「残念だけど、このことは忘れてしまうのよね。脱出すれば、全部」
「……そうね」
私は、考えた。
忘れてしまう。クラリッサの秘密も、ユーリアと話したことも、全部。
でも、もしかしたら。
「紙に書けば、残せるかもしれない」
「え?」
「記憶は消えても、物は残るんじゃないかしら。脱出した後、ポケットに紙が入っていれば、それを読んで思い出せるかもしれない」
ユーリアは、目を見開いた。
「そうかもしれないわね。クラリッサ様は魔法で記憶を保持しているけれど、私たちには魔法がない。でも、紙なら……」
「試してみる価値はあるわ」
そのとき、扉の外から声がした。
「面白い話を聞かせてもらったわね」
マリアンネだった。
扉の影から姿を現した彼女は、腕を組んで私たちを見つめていた。
「エルザさん……聞いていたの?」
「ええ。全部」
マリアンネは、肩をすくめた。
「クラリッサ様が死亡遊戯の常連だったなんて。だから、解雇するときに妙に詳しかったわけね」
彼女の目が鋭くなった。
「色々と、聞きたいことがあるわ」




