第4話「死亡遊戯」
馬車に乗る前、クラリッサは私にいくつかの説明をした。
「まず、あなたのメイドとしての名前はリーゼよ。フェルゼン家に仕えるメイド、リーゼ。書類にもそう記載されているわ」
「リーゼ……」
「ただし、ゲーム中は別の名前が与えられるの。本名を明かしても構わないけれど、推奨はされていないわ。素性を隠したい参加者も多いからね」
私は、頷いた。
「参加者は10人。全員がメイドということになっているわ。少なくとも、表向きは」
「表向き?」
「メイドのふりをしている者もいるかもしれない、ということよ。深くは聞かないで」
クラリッサは、微笑んだ。その微笑みの奥に何があるのか、私には読み取れなかった。
「ゲームが始まる前に、冊子が配られるわ。ゲームのルールや説明が書いてあるから、よく読んで。それから……」
クラリッサは、少し言葉を切った。
「あなたなら大丈夫。信じているわ」
それだけ言って、彼女は私を馬車に乗せた。私は、彼女に手を振った。
御者は、黒い外套を纏った男だった。顔は見えない。行き先も告げられない。ただ、馬車は王都の外へと向かっていった。
窓の外を流れる景色を眺めながら、私は考えていた。
メイドのふりをしている者。クラリッサの言葉が頭に残っていた。それは私のような者がいるということだろうか。貴族の令嬢でありながら、メイドとしてゲームに参加する者が。
考えても仕方がなかった。今は目の前のことに集中すべきだ。
馬車がどれくらい走ったのか、わからなかった。気づくと、辺りは闇に包まれていた。窓の外には何も見えない。ただ暗闘だけが広がっている。
やがて、馬車が止まった。
御者が扉を開ける。外に出ると、目の前に巨大な屋敷がそびえていた。月明かりに照らされた白い壁。無数の窓。塔のように高い尖塔。まるで夢の中の城のようだった。
「こちらへ」
御者に促され、私は屋敷の中に入った。
広間には、すでに何人かの女性が座っていた。全員がメイド服を着ている。私と同じように、馬車で連れてこられたのだろう。
私は、空いている椅子に座った。
周囲を見回す。10脚の椅子が円形に並べられていた。そのうち7つが埋まっている。私で8人目。
しばらくすると、さらに2人が入ってきた。これで10人。全員が揃った。
誰も口を開かなかった。張り詰めた空気が広間を満たしている。
やがて、どこからか鐘の音が響いた。低く、重い音。3回鳴って、止まった。
その瞬間、私たちの前にそれぞれ1冊ずつ冊子が現れた。魔法だ。何もない空間から、本が生まれた。
『死亡遊戯——参加者の手引き』
表紙には、そう書かれていた。
私は冊子を手に取り、開いた。
最初のページには、【はじめに】と記されていた。
『ようこそ、死亡遊戯へ。この冊子は、ゲームに参加される皆様のための手引書です。最後までよくお読みになり、内容を十分にご理解の上、ゲームに臨んでください。なお、この冊子はゲーム終了後に消滅します』
ページをめくる。【概要】と書かれた項目が目に入った。
『【概要】
これは脱出ゲームです。参加者の皆様は、この屋敷から脱出することを目指してください。脱出口は屋敷のどこかにあります。制限時間は、20時間です。このゲームの趣旨は、他者を排除することではありません。全員で協力すれば、最初の投票が始まる前に脱出することも可能です。その場合、誰も命を落とすことなく、全員が賞金を受け取ることができます』
全員で協力すれば、誰も死なずに脱出することが可能。
その一文が目に留まった。つまり、協力しなければ死ぬということだ。
ページをめくる。【ルール】の項目だった。
『【ルール】
一、2時間ごとに投票が行われます。投票は匿名です。
二、投票用紙には、その時点で生存している参加者全員の名前が記載されています。必ず1名を選び、丸をつけてください。
三、最多得票者は、その場で死亡します。同数の場合は、該当者全員が死亡します。
四、投票に参加しなかった者も、最多得票者と同様に死亡します。
五、脱出口に到達した者は、ゲームから離脱します。離脱した時点で、その者は投票の対象外となります。
六、制限時間内に脱出できなかった場合、残っている参加者は全員死亡します』
胃が重くなった。2時間ごとの投票。つまり、最悪の場合、10回目の投票で全員が死ぬ。それまでに脱出しなければならない。
さらにページをめくると、【地図】があった。屋敷の見取り図だ。1階、2階、3階、そして地下。複雑に入り組んだ構造をしている。脱出口の位置は記されていなかった。
次のページには、【警告】とあった。
『【警告】
脱出後について——ゲームを無事に終了し脱出した者は、ゲーム中の記憶を失います。これは例外なく適用されます。目覚めた時、あなたはゲームに参加したことを覚えていません。ただし、賞金は確実にお届けします。
死亡後について——ゲーム中に死亡した者は、存在しなかったことになります。その者が生まれた事実、生きた記憶、関わった全ての痕跡が、この世界から消滅します。誰もその者を覚えていません。最初から存在しなかったものとして、世界は再構成されます』
手が震えた。
存在しなかったことになる。クラリッサから聞いてはいたが、改めて文字で読むと、その恐ろしさが胸に迫ってきた。死ぬだけではない。生きた証すら消えるのだ。
さらに、ページをめくった。その見出しを見て、私は目を見開いた。
『【主催者からの助言】
あなたの幸運を祈り、主催者からささやかな贈り物をお届けします。
一、投票について——自分自身に票を入れることを推奨します。票が割れた場合、自分に入れておけば最多得票を避けやすくなります。他者に入れることで敵を作るリスクも軽減できます。
二、ボーナスについて——屋敷内には隠された宝箱があります。発見した者には追加の賞金が与えられます。場所は以下の通りです。2階東側の書斎、暖炉の裏。3階北側の寝室、ベッドの下。地下貯蔵庫、最奥の樽の中。
三、罠について——以下の場所には罠が仕掛けられています。近づかないことを推奨します。1階西側の廊下、3番目の扉。2階中央の階段、5段目。地下への階段、踊り場。
四、最適な脱出ルートについて——脱出口は地下の最深部にあります。正面玄関から入って右手の廊下を進み、突き当たりの階段を下りてください。地下1階を通過し、さらに奥へ。隠し扉があります。鍵は必要ありません。
五、謎解きについて——道中、いくつかの謎解きが求められます。答えは以下の通りです。最初の扉:「月」。2番目の扉:「7」。最後の扉:「生きる意志」』
私は、息を呑んだ。
これは反則ではないのか。謎解きの答えまで書いてあるなんて。
ちらりと、隣を見た。隣に座っている女性も冊子を読んでいる。けれど、彼女の冊子は私のものより明らかに薄かった。
違う。冊子の中身が違う。
私は、気づいた。全員に同じ冊子が配られているわけではない。私の冊子には主催者からの助言が載っているが、他の人には載っていないのかもしれない。
再び周囲を見回した。
10人の参加者。全員がメイド服を着ている。年齢はまちまちだった。私と同じくらいの若い女性もいれば、中年に差しかかっている女性もいる。
その中で、1人だけ目を引く女性がいた。私と同じように、冊子を熱心に読んでいる。彼女の冊子は、私と同じくらいの厚さに見えた。
その顔に見覚えがあった。
どこで見たのだろう。考えて、思い出した。夜会だ。どこかの夜会で、彼女を見かけたことがある。貴族の令嬢として。名前は思い出せない。けれど、確かに彼女は貴族だった。
彼女もまた、メイドのふりをしているのだ。私と同じように。
そして、もう1人。見覚えのある顔があった。
赤みがかった茶色の髪。そばかすのある頬。少し垂れた目元。
マリアンネだ。
かつて我が家で働いていたメイド。人員削減のために解雇された女性。あの日、泣きながら屋敷を去っていった彼女が、ここにいる。
胸が痛んだ。
マリアンネは私に気づいているだろうか。このメイド服を着た私を、かつての主人だと認識しているだろうか。
彼女の目がこちらを向いた。
一瞬だけ目が合った。けれど、彼女は、すぐに視線を逸らした。気づいていないのか、気づいていて無視しているのか、わからなかった。
鐘の音が再び響いた。1回だけ。
「皆様、お揃いのようですね」
声が聞こえた。どこから聞こえているのか、わからない。広間全体に響き渡る女性の声だった。
「これより、自己紹介を行っていただきます。皆様には、このゲームのために名前が与えられています。冊子の最後のページをご覧ください」
私は冊子の最後のページを開いた。
『あなたの名前:セラ』
セラ。それがこのゲームでの私の名前らしい。
「では、時計回りに自己紹介をお願いします。最初の方から、どうぞ」
私から見て一番右側に座っている女性が立ち上がった。30代くらいだろうか。落ち着いた雰囲気の女性だった。
「アンナと申します。よろしくお願いします」
短い自己紹介だった。彼女はすぐに座った。
次の女性が立ち上がる。20代前半くらい。緊張しているのか、声が震えていた。
「ベルタです。その……よろしくお願いします」
3人目。中年の女性。がっしりとした体格で、肝が据わっていそうな顔つきだった。
「カティアだ。長話は嫌いだ。さっさと始めようじゃないか」
4人目。私と同じくらいの年齢。栗色の髪をした、可愛らしい顔立ちの女性。
「ドーラです。皆さんと協力して、無事に脱出したいです」
5人目。マリアンネだった。
彼女は立ち上がると、淡々と言った。
「エルザです」
それだけだった。私の方を見ることもなく、座った。
6人目。夜会で見かけた女性だった。立ち上がると、優雅に一礼した。
その仕草が、明らかにメイドのものではなかった。貴族の令嬢が遊びでメイド服を着ているような、そんな違和感。
「ユーリアと申します。皆様、どうぞよろしくお願いいたします」
やはり、彼女は貴族だ。確信した。
7人目。若い女性。怯えた目をしている。
「フリーダです……。あの、私、怖いんですけど……本当に大丈夫なんでしょうか……」
誰も答えなかった。彼女は不安そうに座った。
8人目。私の番だった。
立ち上がる。10人の視線が私に集まる。
「セラと申します。皆さんと協力して、全員で脱出できればと思います。よろしくお願いします」
座った。心臓が早鐘を打っていた。
9人目。40代くらいの女性。疲れた表情をしている。
「ヒルダです。……よろしく」
10人目。最後の女性。若い。私より年下かもしれない。好奇心に満ちた目をしている。
「イルマです! なんだかわくわくしますね。こんなゲーム、初めてですから」
わくわく? この状況で?
彼女の神経が理解できなかった。けれど、何も言わなかった。
「皆様、自己紹介ありがとうございました」
再び、どこからともなく声が響いた。
「では、これより死亡遊戯を開始いたします。制限時間は20時間。2時間ごとに投票が行われます。脱出口は屋敷のどこかにあります。全員で協力すれば、誰も死なずに脱出することが可能です。ただし……」
声が一瞬、途切れた。
「協力しなければ、どうなるかは皆様のご想像にお任せします」
広間に沈黙が落ちた。
「それでは、ゲーム開始です。健闘をお祈りしております」
その言葉を最後に、声は消えた。
同時に、広間の扉が開いた。死亡遊戯が、始まった。
2026/1/14から2026/1/31の間は、毎日12時頃に投稿する予定です。




