第12話「人を殺すゲーム」
「クララ」
私がその名を呼ぶと、ベルタは——いや、クララは微笑んだ。
「あら、バレていたのね」
その声には驚きがなかった。むしろ、どこか楽しげですらあった。
「いつから気づいていたの?」
「さっき、広間で呼びかけたとき」
「ああ、あのときね。反応してしまったわ。うっかりしていたわね」
クララは、肩をすくめた。その仕草は、私の知っているクラリッサとは違っていた。もっと親しみやすくて、砕けた雰囲気。
「あなたは、クラリッサなの?」
私は、尋ねた。
「私はクララよ」
彼女は、首を横に振った。
「シュヴァルツェンベルク公爵邸のメイド、クララ。あの子とは違うわ」
あの子。クラリッサのことを、そう呼んだ。
「あの子は今頃、公爵邸でぐっすり眠っているんじゃないかしら。あの子、夜更かしが苦手だから。私はここで、こうしてゲームに参加している。別々の場所にいるのよ」
本当にそうなのだろうか。
目の前にいる女性は、クラリッサにしか見えなかった。紫色の瞳。声の調子。笑い方。髪の色は違うけれど、それ以外はすべて同じだ。
「信じられないかもしれないけれど、事実よ」
クララは、言った。
「私は私。あの子はあの子。別人なの」
マリアンネが一歩前に出た。その手には、いつの間にかナイフが握られていた。
「エルザさん……」
ユーリアが息を呑んだ。
「どこでそれを」
「探索中に見つけたの」
マリアンネの声は冷たかった。
「クララ。あなたが誰であれ、私には関係ない」
「そう。それで、どうするの?」
クララは、動じなかった。むしろ、マリアンネを真っ直ぐに見つめている。
「あの子の代わりに、殺されてあげましょうか」
「何を言って……」
「あなたが恨んでいるのはあの子でしょう。私じゃない。でも、あの子はここにいない。だから、代わりに私が殺されてあげる」
クララは両手を広げた。無防備に、胸を晒すように。
「さあ、どうぞ」
「ふざけないで」
マリアンネの声が震えた。
「あなたは……あなたは私を解雇した。このゲームに送り込んだ。私の人生を滅茶苦茶にした」
「それはあの子がしたことよ」
「同じことよ!」
マリアンネが叫んだ。
「あなたがクラリッサでも、クララでも、関係ない! 私はあなたを許さない!」
マリアンネが駆け出した。ナイフを握りしめ、クララに向かって突進する。
「駄目!」
私は、叫んだ。けれど、止められなかった。
刃がクララの胸に突き刺さった。鈍い音がした。
クララは、倒れなかった。ナイフが刺さったまま、マリアンネを見つめている。メイド服に、赤い染みが広がっていく。
「……上手ね」
クララは、微笑んだ。口元から血が滲んでいる。
「心臓の近く。致命傷だわ」
「どうして……どうして抵抗しないの」
マリアンネの声が震えていた。
「あなた、魔法が使えるんでしょう。防げたはずよ」
「使えるわよ。でも、使わなかった」
「なぜ」
「理由が必要?」
クララは、首を傾げた。
「強いて言うなら、あなたに殺されたかったからかしら。あの子の代わりに」
マリアンネの手が震えていた。ナイフの柄を握ったまま、動けずにいる。
「早く抜いた方がいいわよ」
クララが言った。
「刺したままだと、確実に殺せたかわからないでしょう。抜いて、出血させた方が確率は上がるわ」
「あなた、自分が死ぬのに……」
「死ぬのは怖くないわ。何度も経験しているもの」
クララは、笑った。血が喉から溢れている。
マリアンネがナイフを引き抜いた。鮮血が噴き出し、白いメイド服を赤く染めていった。
「さようなら、エルザさん」
クララが言った。
「また明日、会いましょう」
また明日。その言葉の意味を、マリアンネは理解できなかっただろう。けれど私には、なんとなくわかった。
クララは、死ぬ。けれど、生き返る。『真なる聖女』の力で。だから、また明日会える。
マリアンネは、脱出口に向かって走り出した。振り返らなかった。光を放つ門をくぐり、姿が消えた。
「エルザさん……」
ユーリアが呟いた。
「どうして、あんな急に……」
「正しい判断よ」
クララが床に倒れながら言った。
「死ぬまで見届けていたら、他の参加者に見つかるかもしれない。そうなれば、自分も殺されるわ。さっさと脱出したのは賢明ね」
私は、クララに駆け寄った。彼女の頭を膝に乗せる。
「クララ」
「なあに」
「どうして魔法を使わなかったの。防げたでしょう」
「使えるけど、使わなかったの」
クララは、微笑んだ。血で汚れた唇が、かすかに動く。
「理由は……秘密よ」
「クラリッサ」
私は、彼女の本当の名前を呼んだ。
「私はクララよ」
彼女は最後まで、それを認めなかった。
「これ、あげる」
クララが手を開いた。小さな鍵がいくつか転がり出た。
「宝箱の中身。脱出するとき、金貨に変換されるの」
「全部?」
「全部じゃないわ。今日はクララって呼ばれちゃったから、急いで回収しないといけなかった。バレたからね。取りこぼしがあるかも」
私は、鍵を受け取った。手のひらに、冷たい金属の感触がある。
「ユーリアさん、手伝って」
私は、ユーリアを呼んだ。
「クララを脱出口まで運びましょう。脱出すれば、助かるかもしれない」
「駄目よ」
クララが首を横に振った。
「この状態でシュヴァルツェンベルク公爵邸に戻るわけにはいかないわ」
「どうして」
「主人に迷惑がかかる。あの子にも」
主人—— 『真なる聖女』であるヴィクトリア・フォン・シュヴァルツェンベルク。
あの子——クラリッサ。
「だから、ここで死ぬの?」
「死んでも、また会えるわ」
クララは、穏やかに言った。
「あなたたちは? 脱出しないの?」
私は、ユーリアを見た。ユーリアは、首を横に振った。
「私には、まだやることがあるから」
「私も」
私は、答えた。
「脱出しただけでは、何も解決しないわ。借金も、家のことも」
「そう」
クララは、目を閉じた。
「死亡遊戯は、人が死ぬゲームと呼ばれている」
彼女は、呟いた。
「でも、本当は人を殺すゲームなのよ」
「人を殺す……」
「ここでは、安心して人を殺せるの。殺しても、その人は存在しなかったことになる。証拠も残らない。罪悪感もほとんどない。だって、最初からいなかった人を殺したことになるのだから」
クララの声が弱くなっていく。
「そもそも、人を殺していないのかもしれないわね。だって、存在しない人は殺せないもの。最初からいなかった人を殺すなんて、不可能でしょう?」
そうかもしれない。存在しない人——生まれていない人は殺せない。けれど、そのことについて考える時間はなかった。
「少し、寝るわね」
クララが言った。
「疲れたの。ゲームの疲れじゃなくて、もっと前から。ずっと、疲れていたの」
「クララ……」
「ねえ、セラさん」
クララが私を見た。紫色の瞳が、かすかに光っている。
「あの子のこと、よろしくね。私の大切な……」
言葉が途切れた。クララの目が閉じた。胸の傷から血が流れ続けている。呼吸が止まった。
私は、彼女の顔を見つめていた。
穏やかな表情だった。苦しみも、恐怖もない。ただ、眠っているだけのように見えた。
「セラさん」
ユーリアが私の肩に手を置いた。
「行きましょう。投票の時間が近いわ」
「……ええ」
私は、クララの体をそっと床に横たえた。目を閉じたまま、彼女は動かない。
人が死ぬゲーム。人を殺すゲーム。
クララの言葉が、頭の中で響いていた。
「さようなら、クララ」
私は、立ち上がった。振り返らずに、その場を後にした。




