退魔師
一人の女性が眠り続けていた。
彼女は夢を見ているに違いない。
ああ、いったいどんな夢を見ているのだろう?
この空間の中にいれば外での時は止まったままだ。
つまり、彼女はいつまでも若いまま眠りつける。
私はそれがたまらなくうれしくて仕方がない。
人間は悠久の時を過ごすことはできない。
人間は生まれ、そして死ぬ。
その真実なる摂理があるのみ。
だが、妖魔は違う。
妖魔は悠久の時を生きることができる。
私は彼女と共に永遠の美のもとで生きていきたい。
ふふふ、ふははははは!
この眠り姫はこの私のものだ。
誰にもわたすまい。
このバラ園で久遠の時を共に過ごすのだ。
ああ、それはどれほど甘美な事か。
私はただ、彼女を眺めていられるだけで幸せだ。
この幸せが永遠に続きますように!
だが、このまま、ということはあるまい。
なぜなら、忌々しい『退魔師』どもが、動き出すだろう。
奴らは妖魔とは殲滅すべき敵だと考えている。
奴らは冷酷無慈悲、奴らの手にかかればこのロサリウムを破壊しようとするだろう。
それだけはさせぬ。
忌々しい退魔師どもなどに屈するものか!
私の恐ろしさを、その魂に刻み込んでくれようぞ!
ああ、愛する眠り姫……。
私は心から、心から、心から、心から、心から君を大事に思っているよ。
二人だけの世界を誰にも邪魔されてはならない。
それを邪魔しようとする愚か者は必ず、殺されねばならない。
そのような罪人には死あるのみ。
私たちは永遠の時を共にワルツを踊るのだ。
美しいワルツを愛しい君と共に。
白薙退魔師会――。
通称、白薙会。
退魔師で構成される企業である。
メンバーは六名。
天草 柳はこの企業のメンバーの一人だった。
柳は霊学院を在学中に社長からスカウトされた。
卒業後はそのまま白薙会に入った。
柳は現在二十二歳。
彼は銀色の髪を長く伸ばしてポニーテールにしている。
着ているのは紺色の戦闘服だ。
ブーツの色は黒。
今、柳は白薙会オフィス前の庭にいた。
それも刀を持って。
この刀は大天使ガブリエラ(Gabriela)から与えられたもの。
名を『カガミノミコト』。
白銀に輝く霊刀である。
彼と対峙するのは添島 幹斗。
年は柳と同じ、二十二歳。
獲物の武器はバスタードソード。
柳の親友で、霊学院時代の同期生。
髪の色は茶色で、パーカーを着ている。
その性格は社交的で、穏やか。
どこか冷たい印象を与える柳と違って、幹斗は人懐っこさを見せる。
もっとも、柳は薄情な人間ではない。
むしろ、付き合いの長い人間なら、柳がいかに深い愛情を持っているかが分かるからだ。
二人は今空いている時間を使って鍛錬をしていた。
退魔師にとって鍛錬も立派な仕事である。
退魔師とは対妖魔戦闘プロフェッショナル、妖の討ち手、妖魔の狩人。
つまり、妖魔と戦い退治する仕事である。
退魔師は危険な仕事である。
任務の危険度は軍に匹敵する。
そのため、退魔師は多くの給料が支払われる。
とはいえ、生命保険にも入らされるのだが……。
「へっ! 柳、今回は俺が勝たせてもらうぜ?」
「フッ、その強がり、いつまで持つかな?」
二人は武器を持って模擬戦をしていた。
この二人は性格が正反対のように思えるが、実は負けず嫌いというところで共通している。
一瞬にして、幹斗が駆けた。
柳との間合いが一気に縮まる。
「はっ!」
幹斗がバスタードソードを振り下ろす。
それを柳は打ち返す。
柳にはすべてが見えていた。
幹斗が使ったのは身体強化霊術だ。
この霊術は肉体の筋力を底上げすることができる。
当然、スピードも上がる。
柳もこの霊術は使える。
というより、霊術の初歩が身体強化である。
ゆえに柳も身体強化しなければ、幹斗の攻撃を防げなかった。
「おりゃあああああ!! まだまだああ!」
幹斗が攻める。
柳がかわす。
幹斗の攻撃は柳は刀を使わなくてもやり過ごせる。
実際二人の実力差はかなり大きい。
幹斗は霊学院で剣術、霊術、その他知識などに初めて触れた。
それに対して、柳は実の両親が退魔師だったので、剣術、霊術、知識、文化、思想などを受け継ぐことができた。
つまり、柳は幹斗とは違って、退魔師の文化を受けて育った。
この違いは大きい。
実際、社会科学によって人は両親と同じ階級に付きやすいことが確かめられているし、退魔師はただでさえ、家の文化が子供に継承されやすい。
退魔師には世襲が多いのである。
それは家の価値に従うことが良いと思われているからだ。
柳は両親が退魔師で、両親から退魔師としての手ほどきを受け、退魔師の文化を身に着けた。
技術や知識は学校で教えられる。
それは退魔師の学校でも同じだ。
ただし、親が持っていた『文化』は親からしか与えれれない。
文化的な資本は親が子供に与えられる『Geschenk』なのだ。
そんな柳だからこそ、幹斗と正面からは戦わなかった。
武器は相手の方が大きいのである。
幹斗の剣術はまだまだ洗練度が低い。
幹斗は猛攻をかけている気でいるが、柳には涼しい風だ。
「くそ! こなくそー!」
「まだまだ、鍛錬が足りないな?」
柳は刀を振るって、幹斗のバスタードソードを止めた。
柳は幹斗に対して積極果敢に斬る。
「うおおおおおおおお!?」
柳からすればそよ風にすぎなかったが、幹斗には暴風に思えるのだろう。
柳の剣術流派は明鏡流である。
柳の父師は滝 虎十郎という人物で、今でも世界を巡っている。
「ちいっ!」
幹斗は形勢が不利と判断するやいなや柳と間合いを空けた。
「はあ、はあ、はあ、はあ……」
「やれやれ、これくらいでばてたら、戦いにならないぞ?」
その瞬間柳が消えた。
ように幹斗には見えただろう。
幹斗はただただ横なぎに剣を振るう。
だが、柳はそこにはいなかった。
柳がいたのは――上だ!
柳は刀で斬りつけるように、霊刀を幹斗の体で止めた。
幹斗はまったく反応できなかった。
「今日も俺の勝ちだな」
柳が刀をさやにしまう。
「ちぇー……柳はずりいよなあ……退魔師の英才教育を受けたんだからさ!」
柳は確かに幹斗の言う通り、退魔師の英才教育を受けて育った。
それは確かだ。
環境が恵まれていたのは確かだが、柳自身も努力したし、悲しい出来事もあった。
目の前でふてくされている友人は知らないことだったが……。
「鍛錬の差だな」
「鍛錬?」
「そうさ。死ぬ気で鍛錬する。そうすればいやでも強くなる。それに基礎体力がなければ戦い続けることはできないぞ?」
「やれやれ……俺は柳には勝てないのか……」
「そもそも、鍛錬の次元が違うからな。悔しかったら、鍛錬しろ」
「兄さん、幹斗さん?」
そこに一人の女性がらわれた。
黒く長い髪にカチューシャをつけて、白いブラウスに、赤いロングのプリーツスカート。
目つきは柔らかで、歩き方は美しい。
特に彼女の長い髪は光沢を放つかのようにきれいだった。
「詩穂」
「やあ、詩穂ちゃん!」
彼女は天草 詩穂。
年齢は二十歳。
天草家の一人娘で、柳のいとこにあたる。
彼女の仕事は社長補佐……つまり秘書である。
彼女も霊学院を卒業している。
さて、詩穂がこんなところに来たということは何か用事があってのことに違いない。
「奈雲さんが呼んでいますよ、兄さん、幹斗さん?」
「奈雲が?」
「奈雲さんが俺も?」
白薙会では社長の名前はファーストネームで呼ぶのが決まりである。
白薙会の文化ではメンバーはファーストネームで呼び合うことが決められている。
そのため、柳も、幹斗もファーストネームで呼ばれる。
さて、奈雲が呼んでいるということは何か仕事が入ったに違いない。
「幹斗、行こう」
「ああ、そーですねー」
こうして平和な時は終わった。




