悪役令嬢、自らの断罪の場で冗談半分に悪魔召喚したら出てきちゃったので、とりあえず護衛に任命しました
6日間短編毎日投稿5作目です
壇の上の私は、退屈していた。
群衆、ざわざわ。審問官、えへん。玉座脇の元婚約者は青ざめ、取り巻きの令嬢たちは勝利の笑み。台本どおりの「断罪の場」だというのに、私——アルミラの心はひどく空白だ。
——罪状その一、王立学園における令嬢への嫌がらせ。
——罪状その二、王太子殿下への過度な執着。
——罪状その三、禁呪に関わる書の収集。
身に覚えがない。あるのは、誰かの手つきだけ。私は扇子で欠伸を隠し、身を乗り出した。
「ふーん。じゃあ悪役らしく、悪魔でも呼び出してやろうかしら」
場がざわめく。茶番には、茶々が必要。私は裾を持ち上げ、赤い絨毯の上にしゃがみこむと、指先で円を描いた。円は綺麗に? いいえ、少し歪んでいる。ついでに猫の耳とハートを余白に落書き。扇子の先で「護衛」の二文字を殴り書きし、ぐるりと枠を足す。仕上げに、針で指をちくり。赤い点が一滴、ぽとり。
「扉、開け。悪魔、来い。護衛、よろしく」
呪文というより伝言メモ。それでも、床石が低く鳴った。絨毯の下から、古い蝶番みたいな音。青黒い亀裂が走り、石が熱を帯びる。呼鈴を三回立て続けに鳴らしたみたいに、空気がせわしない。
「ん?」
私が首を傾げた瞬間、薄闇を濾したような翼が、ぬっと現れた。黒い外套、煤色の髪、黄金の瞳。脅威の教科書みたいな悪魔が、片膝で床に着地する。同時に、彼の手首に淡い刻印がぱちんと灯った——『護衛』。しかも、私の丸字で。
彼の瞳の金がわずかに縮み、翼の先がかすかに固まる。一拍の沈黙。次いで、喉の奥で「やれやれ」とも「最悪」ともつかない薄い息が擦れた。
「——契約者はお前か」
黄金の瞳がこちらを見下ろす。姿だけなら完璧な“脅威”。けれど眉間は盛大に寄っていた。私は手を振る。
「はい契約者でーす。返品不可・支払い飴玉・契約の恩寵は拍手と称賛、でどう?」
彼はほんの半歩、私から距離を取った。目線が私の落書き円と丸字を往復し、口元が引きつる。
「……ああもう。なんでこんな奴を“選定紋”が選んじまったんだ」
「紋が選ぶの?」
「地上からの呼び出しは門の選定紋が適職を割り振る。お前、雑な円に“護衛”って先に書いただろ。血一滴、三度の招き、その語。職掌が俺に直撃、拒否権なしだ」
「合理的ね。じゃあ正式任命、護衛くん」
「順序が逆なんだよ…」
眉間を指で押さえる仕草。私は笑って流す。彼が息を吐くと、刻印は肌に沈んだ。吐息は短く、諦めと職務への切り替えが同じ温度で混ざる。
「名はカイン。護りと取引の職掌だ。……それと、今、この場の“害意の音”は遮断しておく」
指が鳴る。審問官の朗々たる声が、ぱくぱく無音の金魚になった。会場から「え?」「え?」の合唱。カインは私の肩の少し後ろへ半歩ずれ、片翼の角度を変える。守る姿勢——だが、その顔色には「ここでやるのか」の困惑がまだ残っている。
私は壇から一歩踏み出し、元婚約者へ一礼する。
「殿下、本日をもって婚約は辞退いたします。悪役令嬢の肩書き、ありがたく頂戴します。ついでに——」
取り巻きの中心、侯爵令嬢フィオナを扇子で指す。
「罪状の出所はそちら。証拠は引き出し三つ目。封蝋“白百合”。“印章の練習跡”は隠せないわ」
ざわめきが震えに変わる。フィオナの笑みは硬い。私は肩をすくめる。
「ここで全部やると、面白みがない。続きは今夜の広場で。観客は王都、役者は当事者。名付けて——真実劇場」
「き、君が裁くのかね」と審問官。
「裁かないわ。見せるの。嘘は鳴り、真実は灯る。殿下、異存は?」
元婚約者は苦い顔で頷く。カインの眉がわずかにほどけるが、すぐ戻る。多分、私の次の一言を警戒している。
「決まり。では一旦お開き。今夜、広場で」
私はカインの翼の陰に入り、堂々と退場した。足取りの軽さに合わせて、カインの翼が一瞬もたつく。私の歩幅に振り回される形だ。視線の端で、彼が小さくため息を飲み込む。
◇
鐘楼の綱を三度引き、札を貼る。
『今宵、広場にて真実劇場。
入場料は“事実ひとつ”。
嘘の台詞は鐘が鳴り、真実には灯りが点く。
質問は三つだけ。飴玉はお釣り。』
「宣言が軽い」とカイン。
「軽やか、と言って」
「……軽やかだ」
言い直しながら、彼の口元に苦笑の影。鐘楼を測るように一度だけ見上げ、術式の結び目を空中で組む。私は横から覗き込む。
「その顔、“本当にやるの?”って言ってるわね」
「言ってる。公衆の面前で契約を遊具にする発想は、悪魔でも出てこない」
「引いた?」
「半歩分」
「可愛いわね」
「可愛くはない」
舞台の四隅に見えない綱。カインは指先で空気をつまみ、結び目をきゅっと締める。仕事の手は速い。表情は淡々としている。
屋台が並ぶ。私はマイク代わりに扇子で空気を叩く。
「規則は簡単。鐘と灯りと真実の問い。動作確認、いきます。そこの焼き栗のおじさん、協力を」
ひげ面の屋台のおじさんが肩をすくめて壇に上がる。
「今朝、栗を一つ味見した?」
「してません」
——ゴォン。
広場が笑いで弾ける。おじさんが両手を上げる。
「した! ひとつどころか三つ!」
ぽん、と灯りが点く。私はおじさんに飴玉を渡す。
「はい、真実には飴玉。嘘は鐘。これだけ」
ざわつきは、期待に変わった。私は扇子の骨を鳴らす。
「主役。侯爵令嬢フィオナ、舞台へ」
白百合の髪飾り。完璧な笑み。私は真正面から問う。
「第一問。偽の印章を使ったわね?」
「使ってません」
——ゴォン。
鐘がひとつ、短く重く鳴る。静まり返る広場。私は彼女の扇子の芯を扇子の先で軽く叩く。ぱき、と割れて薄い羊皮紙が露わになる。殿下の印影の拙い模写、小袋の金貨受領書。私は指先でそれを摘み、印章司へ渡した。
「確認を」
「封蝋の配合が違う。公式は蜜が勝つが、これは獣脂。印面も本物は八枚花弁、これは七枚。——偽物です」
観客が息を飲む音がひとつ。私は頷き、間髪入れずにいく。
「第二問。侍女に金貨を渡して印台を借りたわね?」
「渡してませ——」
——ゴォン。
「侍女は?」
震える手が上がり、舞台へ。私は声を柔らげる。
「あなたを責めるつもりはないわ」
「……はい。お嬢様に頼まれて、金貨を受け取り、印台を……」
灯りが侍女にぽんと当たる。客席から「なるほど」という声。侍女は泣きながら頷いた。
「第三問。殿下の印を“利用して”私を落とそうとしたわね?」
「殿下のためですのよ。わたくしは——」
——ゴォォン。
私は腰飾りの白百合小印を外し、石へ置く。
「白百合は八枚で咲く。七枚で咲かせたのは、あなた」
私は小印を、印章司の前の石へ置いた。
「偽物と見栄用は、ここで終い」
印章司が槌を振り下ろす。——粉々。白い破片が散り、広場の灯が一瞬だけ細かく揺れた。私は審問官へ扇子で合図する。
「処分を」
審問官が読み上げる。
「侯爵令嬢フィオナ。印章権の停止、学園の除籍、侯爵家の監督下で謹慎。関与者は連座のうえ再審」
「待って! 私は殿下のため——」
鐘が自動で、コツンと小さく鳴る。言い訳は、もう要らない。私は扇子の先で彼女の足もとを軽く叩いた。
「“ため”の顔で人を踏むと、踵が先に減るの、覚えておいて」
「護衛、虚言の重さ、少しだけ」
「了解」
カインの横顔から温度が引き、黄金の瞳が冷える。短い風。フィオナの膝が石に落ちる。
「そんな…わたくしは、こんなところで…」
呆然としているフィオナに吐き捨てるように呟く。
「まあ…貴女の靴の踵はもう残っていないでしょうけれど」
観客が息を吐き、拍手が波になる。
「以上で白百合の幕は閉じます」
「拍手と称賛、ありがたく受け取りました。灯りは残したまま片付けます」
◇
せっかくの舞台、もう一言だけ。私は扇子で空気を切り、元婚約者へ視線を送る。
「殿下、『舌の重さ』を短く」
彼は護衛に支えられ、壇に上がった。顔色はまだ冴えないが、視線は正面だった。
「——私は、軽かった。印章を軽んじ、言葉を軽くした。すまない。このような失態を繰り返さないとここに誓おう」
灯りが殿下に当たる。鐘は鳴らない。誰かが一度だけ手を叩き、次いで十、百。拍手はさっきとは違う色で、広場を満たした。
◇
撤収は静かに。舞台板、灯、紙片。印章司は記録、審問官は公示文。侍女は事情聴取。屋台のおじさんは栗を二つオマケ。そしてフィオナは憲兵に連行されていった。
「お前は…よく喋り、よく動くな」
「動かないと噂に踏まれるから。私は噂の前で踊りたいの」
「もう、やりたいことは終わったのか?」
「まだまだ。今日は踊っただけ」
「“今日は”が怖い」
「素直でよろしい」
飴玉を渡す。カインは受け取り、口に放り込む手前で一瞬止まる。私が見ているのに気づいて、気まずそうに目を逸らし、咳払いひとつ。
「……甘い」
「街角の味。高くないけど、効く」
「お前のやり方に似てる」
「褒め言葉として受け取るわ」
「ところで契約者。今夜の興行で、地獄から“観覧の取引”の打診があった」
「それって有料?」
「…ああ」
「最高。その恩寵は孤児院と学園へ、残りは私のポケットね」
「勝手に決めるな」
「護衛は護る。私は走る。役割分担」
「……了解」
了解の声は低い。彼は少しだけ私から距離を取って歩き始め、三歩で並ぶ。結局、歩幅は私に合わせてくれる。
屋根の縁に腰を下ろし、夜の街。白百合の破片は袋に収められ、審問官の手へ。風が鐘楼を撫でた気がした。
「ねえカイン。契約、いつまで?」
「“害意が尽き、契約者が退屈し、悪魔が飽いた時”」
「害意はまだ尽きない」
「契約者は退屈しない顔をしている」
「悪魔は?」
「……たぶん、すぐには飽きない」
言いながら、彼はほんの少しだけ顔を背ける。照れと引きの中間。私は笑う。
「じゃあ、続くわね」
「…」
「明日は舞台ばらしと、公示掲示。それから……猫用の通り道に『通行自由』の札を」
「…猫は必須か」
「必須。猫の正直は、世界の正直」
「名言みたいな嘘を——もういい。俺は先回りする」
「よろしく、護衛くん」
「カインだ」
「カインくん」
「くん付けはやめろ」
そう言いながらも、彼は先に飛び降りる。私が降りる位置にそっと影を作っておく。呆れ、引き、そして結局は受け止める——それが今夜の彼の全部だ。
重い言葉は重く、軽やかな笑いは遠くまで。幕は閉じたけれど、灯りは消えない。拍手と称賛の分だけ、どこか胸の中が温かかった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
次回も同様に明日20時投稿予定です。