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扉にへばりついていたレイヴィダスの耳に、ぼそぼそと呟くような声が聞こえてきた。
「度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色──」
「……先生?」
クロエのものと思われる声音はあまりにも平坦で淡々としている。
可愛らしい声なのに、どこか奇妙な響きがあった。
「……不生不滅 不垢不浄 不増不減……」
「せ、先生? いったいなにを……」
困惑したまま扉に耳を押し当てて様子をうかがうレイヴィダスの後ろから、静かな足音が近付いてきた。
「レイヴィダス様? クロエ様のお部屋の前でなにをしているのです」
低く抑えた声とともに現れたストラスールが、不審者を見る目をレイヴィダスに向ける。
「ストラスール!! 先生の様子がおかしいのだ!!」
「無限耳鼻舌身意 無職聲香味触法 無限界……」
クロエの声はなおも止まらない。
抑揚のない独特な節回しは、異界の空気に包まれていくかのような気配をはらんでいる。
ストラスールは目を細め、耳を澄ませた。
「無無明亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽」
「……変わった旋律ですね」
「なんか怖い!!」
すっかり気圧された様子でレイヴィダスは情けない声を上げるが、ストラスールはいつもの落ち着いた声で扉の向こうに呼びかけた。
「クロエ様、ストラスールです。入室の許可をいただけませんでしょうか」
一瞬の沈黙の後、部屋の中から反応があった。
「ストラさん? どうぞ入って!」
「失礼いたします」
ストラスールは静かに扉を開け、中へと足を踏み入れる。
「では私も──」
「レイさんは駄目です」
続けて入室しようとしたレイヴィダスを、クロエの冷ややかな声が押し留める。
静かに目礼したストラスールが、慇懃無礼な所作で微笑んだ。
「そういうことですので」
「そんなぁ!!」
レイヴィダスの目の前で、扉は容赦なく閉められた。
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