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「先生はまだ出ていらっしゃらないのか」
重く閉ざされた仕事部屋の扉の前で、レイヴィダスは不安げに眉をひそめた。
リディアが困ったように俯く。
「ええ。もう一週間以上お部屋にこもりきりですわ。食事も簡単な物しか召し上がらなくて……」
沈黙したまま扉を見つめるレイヴィダスに、リディアが探るような目を向けた。
「レイヴィダス様。まさかとは思いますけれど、クロエに余計なことを仰っていませんわよね?」
「………………」
口元を引き結んだままのレイヴィダスの態度が、すでに答えを語っていた。
リディアが怒気をほのめかすように「シャーッ」と噴気音を鳴らす。
「おいっ、威嚇するな……!」
「どうなんです、レイヴィダス様?」
「……『異類恋手帖』の続きを描くべきだ、と言いました」
「クロエは執筆を躊躇していたんじゃありませんでしたの!? それなのにそんな、追い詰めるようなことを!?」
怒りを込めて詰りながら、リディアは欲望をさらけだす。
「わたくしだって続きを読みたいし、サインも欲しいし、なんなら勇一郎×カイの公式同人誌を作成いただきたいのを必死で我慢していたというのに!!」
「お前そんなこと目論んでたのか!」
その時、部屋の中からドスンと鈍い音が聞こえてきた。
「今のは──」
「失礼いたします!!」
レイヴィダスは叫ぶと同時に扉を押し開け、中へと駆け込んだ。
室内にはどんよりとした空気がこもり、あちらこちらに紙くずが落ちている。
かすかな呻き声にレイヴィダスが振り返ると、クロエが床に倒れていた。すぐに駆け寄り、上半身を抱き上げる。
「先生、しっかりしてください!!」
「うぅん……」
かすれた声とともに、クロエがうっすらと目を開けた。
「あら……わたし……」
状況を飲み込めていない様子のクロエだったが、レイヴィダスの声に、ようやく焦点を合わせて彼を見上げる。
「レイさん……?」
「クロエ、だいじょ……ゔっ」
レイヴィダスの後ろから覗き込んだリディアが、呻きを飲み込んだような声を上げた。
「そのクソダサい服は、いったいどこから……」
クロエが身に着けていたのは、装飾も刺繍もいっさいない、暗赤色のごわごわした生地の服だった。だらしなく伸びた袖と裾、体の線を拾わない寸胴の輪郭。いわゆる芋ジャーである。
すぐにでも着替えさせたい気持ちをこらえ、リディアは咳払いをひとつして、話題を切り替えた。
「いったいなにがあったのです?」
「うふふ。……実はね、ネームを描いてみたんです」
「それって──」
クロエの言葉に、レイヴィダスとリディアは期待で目を輝かせた。
「『異類恋手帖』の続きです」
「先生……!!」
「きゃっ」
感極まった様子のレイヴィダスが、そのままがばりとクロエに抱きつく。
かすかに微笑んだクロエだったが、ぽつりと言いかけて目を閉じた。
「でも、駄目ねぇ。こんなに描けなくなっているとは、思いも……」
「……先生?」
気絶するかのようにガクッと頭を落としたクロエは、すうすうと寝息を立てていた。
「寝ている……」
「よっぽど集中してらしたのね」
リディアはまるで神聖な物を崇めるかのように、机の上に散らばった原稿を見つめた。
レイヴィダスはクロエの膝の下に手を入れると、その身体を抱き上げる。
「先生を寝室にお連れしてくる。その間にネームの回収と部屋の片付けを頼んだ」
「かしこまりました」
素直に頭を下げながらも、リディアの目は原稿から離れない。
扉へ向かっていたレイヴィダスは、振り返って釘を刺した。
「……私より先に読むなよ?」
「それはお約束できかねますわ」
にっこりと笑うリディアに、レイヴィダスは舌打ちを返す。
「くっ……、すぐ戻る!!」
レイヴィダスはクロエを抱えたまま静かに、けれど足早に部屋を後にした。
扉が閉まると同時に、静寂が戻る。
リディアはゆっくりと、机に散らばる紙を拾い上げ、束ねながら呟いた。
「──やっと、続きが読めるのね」
その声音には、隠しきれない喜びが滲んでいた。
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