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「母さん……」

「お義母さん」

「ばあちゃん!」

 

 布団に横たわるわたしに、左右から次々と声がかかる。

 家族に見守られながら逝くことができるなんて、わたしは幸せ者ね。


「ひいばあば、どうしたの?」


 曾孫の琴江(ことえ)が、小さな両手をちょこんとわたしの肩に乗せた。

 その上に自分の手をそっと重ねながら、わたしの娘である光江(みつえ)が涙をこらえるように微笑んだ。


「ひいばあばね、たくさん頑張ったから、ちょっと遠くに行って、ゆっくりお休みすることにしたんだって。だから、みんなでお見送りしようね」

「そうなんだ……」


 しょんぼりと項垂れる曾孫が愛おしくてたまらない。

 頭を撫でてあげたいのに、もう手を動かすこともできないみたい。

 いよいよなのね、と思ったその時、琴江がゆさゆさとわたしの肩を揺さぶった。


「お休みする前に、ひいばあばの描いた漫画の続き教えて!」

「ちょっ、このタイミングでなに言ってんの!?」


 孫の陽菜子(ひなこ)が、慌てた様子で琴江をわたしから引き剥がした。


「だって、ママも気になるでしょ? ひいばあばの漫画、『異類恋手帖(いるいこいてちょう)』の終わり方!」


 ちくり、と罪悪感が胸を刺す。


 わたし──黒滝(くろたき)まつ()は、滝松(たきまつ)黒江(くろえ)というペンネームの漫画家でした。

 長年連載していた、『異類恋手帖』。

 その物語を完結させることができないまま、今まさに、わたしは人生をたたもうとしているところなのです。


「そりゃ、気にならないって言ったら嘘だけど……」


 もごもごと呟く陽菜子に、もう一人の孫である浩介(こうすけ)が頷いた。


「だよなー。俺も気になる」

「でも、母さんずっと休載してたろ。オチは決まってるのか?」


 腕を組んで首をかしげた息子、光一(こういち)の膝を、嫁の郁子(いくこ)さんがバシッと引っ叩く。


「あなたっ! 浩介も!」

「お前だって気にしてたじゃないか」

「それは……」

「お母さん、『異類恋手帖』はどうなるの?」


 ずずいっと光江が乗り出してくる。


「お義姉さんまで!」

「だって、今を逃したら一生分からないままなのよ!」

「うっ……」

「お母さん! 主人公は、美琴(みこと)は誰とくっつくの!?」


 気になるのはそこなのね。

 遺産とか相続とか、色々あるでしょうに。まあ、後のことは弁護士先生にお任せしておけば大丈夫なようになっているから、いいのだけれど。


勇一郎(ゆういちろう)とくっつくんですよね、お義母さん?」

「なに言ってるの郁子さん! カイでしょ!?」


 ああ。物語のメインヒーローを曖昧にしていたせいで、嫁と娘の争いの火種になってしまったわ。


「ちょっと、やめてよ二人とも! ……百合エンドでレイアってことはない?」


 ごめんね陽菜子。

 おばあちゃん、そこまでは考えてなかった。


「肝心なのは結末だろ! どうなるんだよ、ばあちゃん!!」


 浩介までが勢い込んで聞いてくる。

 まったく、この子たちったら。


「ふふっ。結末は、ね……」

「……母さん?」


 わたしはなんとか目だけを動かして、長押に飾られた写真を見上げた。

 そこには、五十余年も前に先立った夫、光太朗(こうたろう)さんが微笑んでいる。その優しげな顔を、霞む瞳に焼き付ける。

 すると、光太朗さんの写真が淡く光を帯び始めた。

 金色の輝きがゆっくりと溢れだし、空気に溶けるようにして広がっていく。やがて、その光がわたしの身体を包み込んだかと思うと、目の前に、大きな手が差し伸べられた。


 光太朗さんが、迎えに来てくれたのかしら。


 震えるように、その指先へと手を伸ばす。

 そっと触れた瞬間、思いのほか強い力で引きよせられ、ふわりと身体が軽くなった。


「……ひいばあば?」

「おばあちゃんっ!」

「母さん! 母さん!!」


 家族の声が遠ざかり、わたしの意識は静かに霧散していった。


 黒滝まつ江、享年八十八歳。

 こうして、少女漫画の草分け的存在であった滝松黒江の代表作『異類恋手帖』は、未完のままとなったのです。

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