16
魔王、そのもの。
わたしは無意識のうちに、ごくりと唾を呑み込んだ。
レイさんはわずかに目を伏せ、思案するように口を開く。
「転生魔法を使えるのは当代の魔王くらいのものだ。それでも、かの魔法が禁忌とされていたのは、術者の魔力を転生者に継承させてしまうからなのか……」
小さく呟くその声は、自問自答のようにも独白のようにも聞こえる。
ストラさんが控えめに切り出した。
「自身の魂を転生させ続ければ、永遠に魔王でいられますからね」
「しかしそれでは、魔界は質の高い発展を遂げられない」
まっすぐなその瞳に、魔王としての誇りが宿っているように見えた。
たしかに、同じ者が永遠に君臨し続ければ、秩序は保たれるかもしれない。けれど、安寧の裏で進歩は鈍り、新たな思想も文化も育たない。そんな考えがレイさんの中にはあるようだった。
「レイさん……」
「人間界から漫画が流入したのは、私が魔王になってからなんですよ」
レイさんがふふんと鼻を鳴らし、いたずらっ子のような笑みを浮かべる。褒めてほしいとでも言いたげな、茶目っ気のある表情だった。
ふと、ストラさんがなにかを思い出したように顔を上げた。
「そもそも、転生魔法の術式は封印されていたはずです。どうやって調べたのですか」
「どうしても滝松先生に会いたくて、頑張っちゃった」
「あなたという人は……!」
てへっとでも言いそうな顔のレイさんに、ストラさんは怒りを呑み込むように深呼吸した。もはや呆れるしかないといった様子で肩をすくめる。
「この件、いかがなさるおつもりですか?」
「私の力が先生に渡ったと知れれば、魔王の座を狙う者が現れるだろう。そうなっては、魔界にも魔法にも慣れていない先生の御身が危ない。私の魔力が回復するまで、このことは伏せておくのがいいだろう」
「でも、レイさんが魔法を使わないといけない場面がきたらどうするんです?」
わたしの問いに、レイさんは微苦笑を浮かべた。
「その時は、先生にこっそり助けていただくしかありませんね」
「……まぁ、混乱を避けるにはそれが現実的でしょうね」
ストラさんは少し渋い顔をしながら頷いている。
「魔力ってどうやって回復するの?」
わたしが首をかしげると、ストラさんが応えた。
「時間が経てば自然と回復いたします。通常でしたらそれほどかかりませんが、魔力を丸ごと譲り渡してしまった以上、回復にどのくらいかかるのか見当もつきません」
「回復薬みたいなものは……」
「ありません」
期待を込めて訊いてみたものの、ぴしゃりと即答されてしまった。
「いっそクロエ様が真に魔王となられてはいかがです?」
ちら、とレイさんを一瞥して優雅に笑うストラさん。
「あなたに楯突く輩は、この私が全力で排除いたします」
「怖いこと言わないでくださいな。あと、お願いだからクロエと呼んでちょうだい」
主従契約を結んでしまった影響なのか、ストラさんの中に、わたしに対する忠誠心のようなものが芽生えてしまっているような気がする。なんだか申し訳ない。
「フフ、冗談です。ひとまずは様子を見るしかありませんね。お二人とも、よろしいですか?」
「ご面倒をおかけします、先生。急ぎ魔力回復の手立てを探します。しばしの間、ご辛抱ください」
「ええ、分かりました」
わたしが頷くと、レイさんはわたしの手を取って真面目な顔で告げた。
「先生のことは必ずお守りいたします」
「あっ」
ローブから手を離したせいで、レイさんの身体を覆っていた布がパサリと音を立てて床に落ちた。
「キャ────ッ!!」
夜の静寂を破るように、レイさんの悲鳴が響き渡った。