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「先生、こちらはいかがですか!」
「先生、こちらは魔界の旬の食材でございます!」
「そしてこちらは──」
アンティーク調の大きな長テーブルに並べられた料理は、どれも見たことのないものばかりだった。皿の上で湯気を立てる深緑色のスープ、こんがり焼かれたなにかのお肉、鮮やかな色合いの果実や野菜。
それらを給仕人に交ざってわたしの前に並べながら、レイさんが嬉々として説明をしてくれる。
「レイヴィダス様、おとなしく座っていてくださいませんか。鬱陶しいです」
「先生も困っていらっしゃいますわよ」
ストラさんか眉をひそめながら低い声でたしなめる横で、リディアさんも苦笑しながらレイさんを制止した。
レイさんはハッと顔を上げると、しゅんと肩を落とす。
「申し訳ございません」
「いいんですよ。ただ、あまりたくさんは食べられませんので……」
ご馳走を前に、申し訳ない気持ちになって告げると、隣でお肉を豪快に頬張っていたアルさんが、もぐもぐと咀嚼しながら口を挟んだ。
「食わなきゃ大きくなんねーぞ」
「きちんとしたお食事なんて久しぶりで……」
「──え?」
ぽつりと呟いたわたしに、テーブルを囲んでいたみなさんの視線が向けられた。空気がしんと静まりかえる。
「恥ずかしながら、寝たきりになってからずっと流動食や点滴でしたから」
気恥ずかしさにうつむきながら正直に言うと、アルさんがガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。
「唐突にババア発動!!」
「そういうことでしたか……」
レイさんがほっとしたように息をつく。
「てっきりその……虐待でもされていたのではと、一瞬ヒヤリといたしました」
「虐待だなんてそんな!」
わたしは慌てて首と両手をぶんぶん振った。
「郁子さんには本当によくしてもらって。あ、郁子さんというのは長男の嫁で、これがまたよくできた人でね──」
郁子さんのことをあれこれ語りだそうとしたわたしを、アルさんが顔をしかめて遮った。
「えーと、まつ江ちゃんさ」
「はい、なんでしょう?」
「婆臭さが滲み出すぎ。ていうか……」
アルさんがビシッとわたしを指差し、苦悶の表情で訴えた。
「全開なんだよ、ババアが!! 外見と中身のギャップが激しすぎる!!」
「……まぁ、違和感はありますね」
ストラさんが言い、レイさんも渋い顔で小さく頷く。
「そうですか……?」
そのとき、リディアさんがぱちんと手を打った。
「先生! せっかく転生なさったんですもの、中身もしっかり若返りましょう!」
「でも、わたしは紛うことなきお婆さんですよ?」
「いいえ、今は違います! その人工精霊の身体は百五十歳。人族に換算すると十五歳くらいですわ」
「百五十……」
世界最高齢の人間でも百五十歳までは達していなかったはず。魔族の寿命ってどのくらいなのかしら。
疑問が顔にでていたのか、アルさんが笑って教えてくれた。
「成長速度も寿命も、種族によって変わってくるぜ。魔族の中でも俺らみたいな獣人種は、若いうちは成長速度が速いけど、年を取るにつれて緩やかになってくんだ」
「あら、コロ兵衛と一緒ね」
「コロ……?」
「な、なんでもありません!」
いけない、いけない。
アルさんを見ていると、どうしてもコロ兵衛と結びつけて考えてしまう。
「えっと、アルさんはおいくつなんですか?」
わたしは取り繕うようにアルさんに尋ねた。
「俺は四百二十五歳! って言ってもピンとこないか。人族でいうと……何歳だ?」
「二十五歳くらいですわ。わたくしは蛇人族ですので狼人族より少しだけゆっくり歳を取りますの。現在二百三十八歳、人族で言うと十七歳といったところです」
「あらまあ!」
リディアさんは女子高生の年齢だったのね。セーラー服なんて着たら可愛いでしょうねぇ。いえ、ブレザーのほうが似合うかしら。
「俺らのが年上だな」
「あら、人族換算したらわたしのほうが上ですよ? なにせ八十七ですからね」
「だからそれは転生前の年齢だろ。いまは十五歳なの! ためしにアルお兄ちゃんって呼んでみ?」
「……アルお兄ちゃん?」
「──ッ!!」
首をかしげてそう言うと、アルさんは肩を震わせながら目をそらした。
「……やばい、いいかも」
「ずるいぞアルフォル!! 先生! 私も呼んでくださ──」
「レイヴィダス様」
挙手しながら身を乗り出したレイさんに向かって、ストラさんが咳払いをしてみせる。
「盛り上がっているところ申し訳ございませんが、私はまだこの方を認めたわけではございません」
「お前、まだそんなことを……」
「こちらの勝手で転生させてしまった以上、生活の面倒は見ましょう。しかし、人工精霊をいつまでも客人扱いしていては、他の者に示しがつきません」
「でしたら、宮廷画家という名目で出仕していただくのはどうかしら」
リディアさんの提案に、レイさんが即座に賛同した。
「それだ!」
「リディア……。はぁ、仕方ありません」
小さく嘆息したのち、ストラさんが姿勢を正してこちらに向き直った。
「私は宰相のストラスール・レンサイト・シルヴィスです。こちらは娘のリディア。何かお困り事がございましたら、私どもにご相談ください」
「ありがとうございます」
「あなたのことはなんとお呼びすれば?」
「黒滝まつ江と申します。苗字でも名前でも──」
「まつ江って顔じゃねーだろ」
笑いながら茶々を入れるアルさんを遮り、ストラさんが静かに言った。
「それは転生前の名でしょう。今のあなたは、あくまで百五十歳の人工精霊なのですよ」
その言葉が、すっと胸の奥へと沈んでいった。
いくら記憶が残っているといっても、わたしはもう『黒滝まつ江』ではない。
人としての生を終え、この世界で新たに生まれ変わったのだ。
けれど、長年親しんできた名前を、そう簡単に手放せるものでもない。
わたしは少し考えてから、ゆっくりと口を開いた。
「……クロエ」
ペンネームとして使っていた名前を口にする。
描けない、とレイさんに言っておきながら、私はまだ、漫画家としての自分にどこか未練を残しているのかもしれない。
それでも、過去をすべて捨てるのではなく、新しい自分を受け入れるために、その橋渡しとなるこの名前は、きっとふさわしいと思った。
「クロエ」
レイさんが優しく繰り返す。その声音には、慈しむような響きがあった。
「先生にお似合いの素晴らしい名前です」
「いいね、クロエちゃんか!」
「クロエ様ですわね」
名前を呼ばれる度に、それは『わたし』として馴染んでいくような気がした。
嬉しそうに微笑むレイさんにつられて、わたしも笑みを返す。
「みなさま、どうぞクロエとお呼びください」
わたしはまっすぐに彼らを見つめた。
新しい名前とともに、この世界で生きていくのだと、静かに決意しながら。