10
「んっ……」
目を開けると、視界に星空が広がった。
「ここは……」
天蓋の刺繍と気づいて、ようやく状況を思い出す。
「そうだわ。わたしはいま、魔界にいるのだったわね」
ふかふかのお布団があまりにも気持ちよくて、なかなか身体が起き上がらない。ぐっと力を入れて上半身を起こしたところで、寝室のドアをノックする音が響いた。
「どうぞ」
「失礼いたします」
声をかけると、リディアさんが入ってきた。
「ゆっくりできましたでしょうか?」
「寝過ぎてしまったくらいよ」
思わず頬を押さえると、リディアさんはくすっと微笑んだ。
「ちょうどお夕食の準備が整ったところでございます。先生、こちらにお召し替えください」
そう言って差し出されたのは、まるでお人形さんのような可愛らしいドレス。
「まぁ、可愛らしいお洋服だこと。わたしに似合うかしら……?」
「もちろんですわ! 僭越ながら、先生のお身体は私が造り上げた人工精霊ですもの。可愛くないわけがない!!」
その堂々たる断言ぶりに、思わず笑ってしまう。
たしかに、自分でいうのもなんだけれど、いまのわたしはとても可愛らしい外見をしていると思う。
「人工精霊というのは、なんなのです?」
「人工の生命体ですわ。そこらの魔族より頑丈な身体をしておりまして、働き手としてわたくしが製造、研究しておりますの」
「この身体の元の持ち主はどうなってしまったのかしら」
「先生が転生なさったのは、まだ自我が芽生える前の素体ですわ。ですから、先生が誰かの身体を奪ってしまった、なんてことはありません」
「よかった……。それを心配していたのよ」
誰かの身体を乗っ取ったわけではない、ということが分かってほっとした。
「では、お着替えをお手伝いいたしますわね」
そう言って、リディアさんがさっそく手際よく動きはじめる。
用意されたドレスは、黒を基調にしたフリルやレースがたっぷりの愛らしいもので、正直なところ少し気後れしてしまう。
いくら外見が整っていても、中身は年金支給を受けていた後期高齢者なのですから。
「あらまあ……」
てきぱきと着替えを手伝われ、鏡に映ったわたしの姿は、まるで少女漫画の主人公のようだった。いえ、髪の毛が紫色だから、どちらかというと悪役令嬢のほうが向いているかしら。なんといっても、ここは魔界なのだし。
「あぁっ、なんてお可愛らしい……!」
リディアさんが、ぎゅうっとわたしを抱きしめる。
ストラさんが蛇ということは、おそらくリディアさんもそうなのだろう。ということは、こうして抱きついてくるのは蛇の習性なのかもしれない。
そんなことを考えていると、またノックの音がした。
「あら、どなたでしょう?」
「私です。入ってもよろしいでしょうか」
聞き覚えのある、低く穏やかな声。レイさんだ。
「どうぞ」
そう返すと、レイさんが静かに部屋へと入ってきた。
「失礼します」
彼の視線がわたしに向いた瞬間、赤い瞳が見開かれた。
「せっ、先生……! なんと可憐なお姿……!!」
「そうでしょう、そうでしょう」
リディアさんが得意げに頷いている。
と、レイさんの目がふとわたしの足元で止まった。
「おや、裸足ではありませんか。リディア、早く靴を」
「あら、いけない。先生の愛らしさに見とれてうっかりしておりましたわ。申し訳ございません」
「いえいえ、いいんですよ」
リディアさんが慌てて靴を取り出すと、レイさんがそれを受け取り、すっと片膝をついた。
「先生、おみ足を失礼いたします」
「レイさんっ!?」
想定外の行動に、思わずたじろぐ。
魔界の王ともあろうお方に靴を履かせてもらうだなんてとんでもない。
「介助していただかなくても、靴くらい自分で履けますから……!」
「さぁ、座ってください」
どうやら彼の中では決定事項らしい。
魔界では、こういうことは普通なのかしら。
足を差し出すのも気恥ずかしいけれど、膝をついたまま見上げられ、仕方なくベッドに腰をおろした。
「お、お願いします……」
「お任せを」
レイさんはわたしの足に優しく触れると、華奢な靴を丁寧に履かせてくれた。
くすぐったいような感触に、足先が少しだけ跳ねる。
「サイズはいかがでしょうか?」
「大丈夫です……」
「それでは、どうぞ──お手を」
優雅に差し出された手に、胸がどきん、と脈打った。
なんだか動悸がするわ。心筋梗塞の初期症状だったらどうしましょう。
「食堂へご案内いたします」
「は、はい……」
いたれりつくせりの介護に戸惑いながらも、わたしはそっと彼の手に自分の手を重ねた。
指先が触れ合った瞬間、わずかなぬくもりが伝わってきて、胸の奥がふわりと揺れた。