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消えた巡査長⑤

 制服に着替えて階下に降りた宇佐美は、思わず足を止めた。

 大きな竹笊に盛られた大量のうどん。そして机の上には缶ビールの山。


(……駐在所で宴会するつもりなのか⁉)


 部屋には椅子が増え、顔ぶれも増えている。


「宇佐美さん、こちら村長の奥さんの皐月さつきさん。そしてこっちは、隼人くんの隣に住んでいる小春さん」


 沢木の紹介を受け、皐月は指を揃えて丁寧に頭を下げた。


(この人が槐省吾の祖母か……)


 淡い茶色の着物に濃紺の帯。白髪をきっちり結い上げた、背筋の伸びた気品ある婦人だった。

 息子は何者かに殺害され、孫は十六歳で婦女暴行、父親刺傷の罪を犯したとされている。宇佐美は頭を下げながら、皐月を思い遣った。

 

 一方、小春は宇佐美を見ながら不満げに声を上げた。

「あんた、ずいぶん若いねぇ。学生にしか見えないじゃない」


 日に焼けたたくましい腕をした小春は、小柄ながら声量たっぷりだ。

 宇佐美は愛想よく笑って、頭を下げた。


「まあまあ、小春さん、座って、座って。シソ、持ってきてくれてありがとうね」

 沢木が小春をなだめながら、缶ビールを配る。「みんな、とりあえず乾杯しよう。宇佐美さんにはコーラ用意したよ」


 沢木からペットボトルを渡された宇佐美は、周囲を見回した。

 ビールの缶をプシュッと開ける音が響く。

 駐在所で、アルコールなんて……。

 釈然としないが、村の習慣に新参者が口を出すべきではないだろう。

 宇佐美は大人しく沢木の乾杯の音頭に合わせて、ペットボトルを掲げた。


「田所さんは、いつ頃お戻りになりますか?」


 うどんを取りながら宇佐美が尋ねると、小春が隼人に目を向けた。


「まだ帰ってこないの?」


 缶ビールを両手に持った隼人は、疲れた顔でこくりとうなずく。


「朝、出て行ったきりなの?  栞里さんは?」


 小春の問いに答えたのは沢木だった。


「栞里さんなら、九時前くらいに田所さんを探しに行ったよ」

 沢木はうどんをすすりながら続けた。「田所さんの方は、朝見たきりだなあ——朝五時半くらいかな、自転車が倒れる音が二回もして目が覚めてね。外を見たら、田所さんが自転車に乗って坂を上って行くのが見えたよ」


「あたしたちもその時間に見たよね」

 小春は隼人の方に顔を向ける。「自転車のベル、うるさく鳴らしながら、皐月さんの家の方に走っていったよね」


「それから、ずっとお戻りではないんですか?」

 宇佐美は、わずかに眉をひそめた。


「田所さん、皐月さんのとこに行ってないの?」

 小春が皐月に尋ねる。


「いいえ。今日は一度もお会いしていません」

 皐月は静かにそう言い、ビールに口をつけた。


「八王子の女んとこに行ったんじゃないの」

 沢木が口を挟む。「ほら、なんて名前だっけ、あの店——」


「『歌姫』だよ」

 小春が即座に答えた。「でもまさか、自転車で行くかねえ。あそこまで、けっこう遠いよ」


「田所さん、夕べ遅くまで飲んでたんだよ」

 沢木がさらに続ける。「三時くらいに駐在所の前に車が停まってさ、外に出て見たら、田所さんが男に担がれて車から降ろされてた。その車、あの橋を渡って行ったんだよ。文化財だってのに」


「——それで車を運転できないから、自転車を使ったのか」

 小春はうなずきながら合点がいった顔をした。「二日酔いだったんだね」


「すみません」

 宇佐美は箸を置き、静かながらも鋭い口調で言った。「午前三時に車で担ぎ込まれた田所さんは、この駐在所でお休みになったんですか?」


 沢木は口をもごもごさせながら、うなずく。


「そうだよ。ここで寝かされてたよ」


「そして今朝、五時半には、自転車に乗って坂を上がって行ったということですか?」


「うん。間違いない」

「そうだよ。隼人と二人で見たよ」

 沢木と小春が同時に答えた。


 宇佐美の視線が鋭くなる。

「その時、田所さんの顔を見ましたか?」


「……いや、背中しか見てないけど……」

 沢木の言葉が急に頼りないものに変わる。


「あたしも遠くからだったし、顔までは……」

 小春も自信なさげに言葉を濁す。「でも、隼人は近くで見てるよ! 隼人、朝見たアレ、田所さんだったよね!」


 全員の視線が隼人に集中する。

 隼人は手にした缶ビールを見つめ、思い詰めたような顔でうつむいている。


「隼人さん!」


 宇佐美の呼びかけに、隼人がハッと顔を上げる。


「今朝、自転車に乗っていたのは田所さんでしたか?」


「そうだよね、隼人!」

 小春も畳みかける。


「どうなんです。隼人さん」

 皐月も穏やかな声で促す。


 隼人は困惑した表情のまま、視線をさまよわせた。

「……はあ……まあ……」

 しどろもどろに言葉を濁す。


「なんだよ!  はっきりしないね!」

 小春が苛立たしげに声を上げた。

「隼人! 宇佐美さんが知りたがってるんだから、しっかりしな!」


「まあまあ、隼人さんは栞里さんの代わりに駐在所の掃除までしてくれて疲れてるんだよ。労わってあげようよ」

 沢木が間に入り、場をなだめるように言った。「第一さ、この村で警官の制服着る人なんて田所さん以外いないんだから、自転車に乗ってたのも田所さんに決まってるだろ?」


 沢木は宇佐美に向かって笑った。


「やだなあ宇佐美さん、そんな怖い顔しないでよ。ググっとコーラあけちゃってよ、うちの店には売るほどあんだから、何本でも持ってくるよ」

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