16話 ソール女装する
真っ青な空にどこから来たのか一つだけ白い雲が浮かんでいる。
あの白い雲がどこに流れていくのか見つめていたいが、私は自分の部屋へと急いだ。
こんな気持ちがいい空の日は、庭園でお茶をするのが一番なのに、人目を気にしたソールの《《わがまま》》で室内に集合することになった。
「まったく、お兄様はあきらめが悪いんですから。ご自分で言い出したことでしょう」
リリーがうつむいてチビチビとお茶をすするソールに、呆れたように駄目出しをする。
目の前にはビスクドールのように綺麗なドレス姿のソールが座っている。
いくらリリーを守るためとはいえ、ここまでするとは考えてもみなかった。
失礼だとは思ったけれど、私はドレス姿のソールに萌えまくってしまう。
若草色の艶やかな髪はハーフアップにされ、こぼれ落ちそうな桔梗の花で飾られている。
その髪に合わせて作られたような翠色のドレスは、まるで青い月の光を受けたように輝いていた。
なんて、綺麗なのかしら。
感動に胸を躍らせていると……。
「俺を見ないでくれ」
遠慮のない視線に、ソールの真っ白い肌がピンク色に染まっていく。
聞くところによると、このために剣術の稽古でもマスクをして日焼けを防いでいたそうだ。
並々ならぬ決意に頭が下がる。
そんなソールの決意を知っているのに、リリーが姿勢や仕草にダメ出しをしていく。
「全くガサツで教養のかけらも感じられません。これでは私のお友達という設定は無理です。せいぜい田舎から来たばかりのメイドですね」
「そんなことないと思う。ソールは想像以上に素敵だもの」
「アリエル様は優しすぎます。でもまあ《《素敵》》ですってお兄様。何も喋らずにいればですけど」
「素敵……本当に?」
ソールが何故か顔を上げて、リリーの言葉を私に確認するように繰り返す。
「ええ、見惚れてしまいそうなほど素敵よ」
現代風に言えばエモいだ。
少年から青年に変化する前の貴重な女装。
これが素敵じゃなくて何だというんだ。
「ソールが一緒にいてくれて心強いわ」
このところソールは剣術の練習や殿下の側近候補として城に詰めていてめったにうちには来ていなかった。
中等部に入学してしまえば、もっと会う機会は減るだろう。
攻略対象のソールとはこのまま友情を深めていきたいとおもっていたので、今回の囮作戦はいい機会でもある。
「まあ、アリエル様もお兄様と一緒がよかったんですね」
「もちろんよ」
なんたって本来誘拐犯の目的は私である。いくら否定しても、シナリオの強制力で私の罪になってしまうかもしれない。
その点、ソールが一緒にいてくれれば冤罪はなくなる。
「よかったですね。お兄様。アリエル様はお兄様と一緒にいたかったんですって」
「そうなのか?」
「ええ、まあ……」
一緒にいれば安心だし。
でも、気のせいか、なんだかちょっとソールの反応がおかしいような……。
まあ、細かいことはどうでもいい、大事なのはリリーを誘拐犯から守り殺させないということだ。
「それにしても、今のお兄様ならお部屋でも、お店でも二人きりでいても、誰にも咎められませんね」
「どういう意味だ?」
「別に意味はないですよ。ただ、これくらい仲良しに見えないと怪しまれます」
リリーは椅子から立ち上がると、座っている私にはぐをした。
ふわりと、優しくあまい金木犀の香りがして思わず私も抱きしめ返してしまう。
「いい匂いね」
「ふふふ、素敵でしょ?」
「ええ、そういえば以前もらったローズの香油もすごくいい匂いがして、長持ちしたわ」
「お母様の趣味なんです。あ、そうだ。お兄様がつけている香油は今日は髪飾りに合わせて桔梗なんですよ。お好きな香りなら今度持ってきます」
リリーが私から離れ、ソールを手招きする。
「さあ、お兄様そんなうらやましそうな顔をしてないで、仲良しのハグをしてください」
「別に、うらやましくなんかない」
なぜかすねるように、そっぽを向いてしまたソールは、恥じらう少女のようですごく尊い。
それに、桔梗の花はこの世界では見たことがなかったので、私から香りをかぎにソールの頭に顔を寄せた。
「なッ!」
短く叫ぶと、ソールは自分の顔の前に両手をクロスして、私を拒否した。
桔梗の花がベルのように揺れる。
そんなあからさまに嫌がらなくても。
しかも、椅子から落ちそうなほど後ろに退くなんて、結構傷つく。
「お兄様そんなに照れなくても」
どう見ても照れているようには見えないけど……リリー、目が悪いの?
「アリエル様のお顔は天使のようですものね。お兄様ったら意識しすぎです」
楽しそうにリリーはソールをからかうが。
不快だったのか、または羞恥心からか、ソールはカップを持つ手をプルプル震わせて何かを我慢していた。
やっぱり、悪役令嬢とは仲良しにはなれないのかしら?
「あら? 根性なしですわね? そんなお顔をしてコルセットでもきついですか?」
日頃の鬱憤を晴らしているのか、リリーは手加減するつもりがないらしい。
生き生きと、兄であるソールをリボンのいっぱいついた扇であおいであげている。その口元は今にも大声で笑いだしそうだった。