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第3話 農場見学

「エンリコ様! 今日はケルティーナを観光されるのですよね? 私がご案内いたしますわ!」

 

 朝食後、リカルドと出かけようとしていたエンリコを玄関先で捕まえ、案内役を買って出る。

 突然の申し出にエンリコは戸惑っていたが、滞在先の娘、それも次期当主を蔑ろにしてはいけないと思ったのか、不承不承ながらも頷いてくれた。


「お嬢様……。そんな勝手な……。カテリーナ様に叱られても知りませんよ……」


 馬車の脇で控えていたニケがため息混じりに言う。

 エンリコとそう歳は変わらないが、ベスタ家で一番腕のいい御者だ。客人に失礼がないようにか、いつもよりも小綺麗な服を着て、肩まで伸ばした赤毛を後ろで一つに括っている。


 ――何とでも言ってちょうだい! こういうのは行動したもの勝ちなのよ!


 呆れたようにこちらを見る(とび)色の瞳を視界から追いやり、心の中でガッツポーズをする。このために本来の案内役を買収しておいた甲斐があった。


「それでは参りましょう、エンリコ様。まずは城下からでよろしいですか?」


 ベスタ領から城下までは小一時間といったところだ。途中、険しい山道はあるが、今日は天気もいい。半日あれば余裕で行って戻れるだろう。


「あ、いや、できればこちらの畑や果樹園が見たいのです。領地の参考にしたくて」

「お任せください! 我がベスタ領は島内一の米の産地です。バナヌ……果物の収穫量だって、他領に引けを取りませんわ。領内一の農場をご紹介いたします!」


 ――よかった。城下で有名な宝石店や服屋を教えてくれと言われたらどうしようかと思ったわ。


 予習してきたとはいえ、ベアトリーチェの辞書にお洒落ブランドの文字はない。


 善は急げで、早速馬車に乗り込む。中にいるのは、エンリコとベアトリーチェの二人だけだ。リカルドは主人を守るため、馬で並走している。

 リカルドが乗っているのはエリュシオンという名のベアトリーチェの愛馬だ。男性が乗るには少し小柄だが、その分足が早くて小回りも効くので、滞在中の移動手段として白羽の矢が立った。


 エリュシオン自身も久しぶりにお出かけできて嬉しいのだろう。体毛と同じ真っ白な(たてがみ)を靡かせながら、意気揚々と道を闊歩している。


「そういえば、ミゲル様とマッテオ様はご一緒ではないのですか?」

「二人は二週間後の拝謁に向けて、この国のマナーを身につけるために屋敷に残っています。カテリーナ様のご厚意で、講師をご紹介いただいたので」

「えっ、マナー……ですか?」

「ええ、郷に入れば郷に従えと言うでしょう。女王陛下に失礼があってはいけませんからね。私もリカルドも、戻ったら教わる予定です」


 当たり前のことのように言うエンリコに、ベアトリーチェは胸がキュンと鳴るのを感じた。


 ――なんてまっすぐな人なの? ますます好きになっちゃう。


 自分でも頬が赤くなっているのがわかる。まるで太陽にあてられたみたいに、体中が熱かった。


「そういうあなたは? 護衛騎士も連れずにお一人で出て大丈夫なのですか?」

「え? ああ、ロレンツォは弟の護衛も務めておりますので忙しくて。この辺りは治安もいいですし、特に問題ありません」


 まさか撒いてきたとは言えず、適当に誤魔化す。バレたらタダでは済まないだろうが、きっと今頃ヴィットリオが上手くやってくれているはずだ。


 燦々と降り注ぐ日差しの中、ニケの操る馬車は快適に走り、あっという間に農場に辿り着いた。

 視界の先には一面の水田が広がっている。先触れを聞いていたのか、少しかしこまった様子の農場長が、馬車を降りたベアトリーチェたちを出迎えた。


「さあ、エンリコ様。ここがベスタ家所有の水田と果樹園ですわ。どうぞ、お近くでご覧ください。広さはどこにも負けませんわよ!」


 両手を広げて満面の笑みを向けると、エンリコは吸い寄せられるようにふらふらと水田に近づいていった。


「これが米……。小麦とは栽培方法が全く違うのですね」


 畦道にしゃがみ込み、感心したように話すエンリコの手の先で、たわわに実った稲がその穂を揺らしている。水面には雲ひとつない青空が映り込み、まるで天地が逆になったかのような錯覚を起こさせた。


「ケルティーナは雨季がありますんでねぇ。湿気も多いし、稲の方がよく育つんです」


 農場長の言葉に、エンリコが真面目な顔で頷く。


「なるほど……向こうのバナヌも他国では見ない果物ですね。高温多湿だからよく育つのか……。あの、差し支えなければ苗や種を拝見してもいいでしょうか。できれば農具も使ってみたい」

「ええ、ええ、もちろんですとも。そこまでご興味を持って下さって嬉しいねぇ。このジジイにわかることでしたら、何でもお教え致しますよ」


 にこにこと嬉しそうな笑みを浮かべた農場長が、近くの小屋にエンリコを連れていく。

 中に積まれた苗や農具にエンリコは興味津々だ。身振り手振りを交えながら、しきりに質問を繰り返している。それに応える農場長も、とても楽しそうだ。


 ――農場長ったらあんなにはしゃいじゃって。エンリコ様も。


 盛り上がる二人を羨ましく見つめながら、ベアトリーチェは農民たちと共にバナヌを収穫することにした。

 フランチェスカは遠い。生は無理でも、干せばお土産になるだろう。


 ぎこちなくナイフを使い、小さな三日月状の果実が連なる房を傷つけぬよう慎重にもいでいく。それを見た近くの農民が顔を(しか)めてぼやいた。


「お嬢様、相変わらず収穫すんの下手だなぁ。そんな手つきじゃバナヌが泣きますぜ」

「うるさいわね! これでも上手くなった方なのよ! 見てなさいよ。いつかきっと、完璧に取ってみせるから」

「私もお手伝い致しますよ」


 エンリコに聞こえないようヒソヒソと言い返していると、穏やかな笑みを浮かべたリカルドが近づいてきた。身に纏っていたマントは地面に置かれ、いそいそと腕まくりまでしている。


「あら、お客様にそんな。せっかくですから、ゆっくりお休みくださいな」

「じっとしているのは苦手で……。何かしていないと落ち着かないんですよ。それに、私も農作業は得意です。お役に立たせてください」


 あの主人にしてこの従者ありと言うべきか、リカルドは思った以上に手際がよかった。

 先ほどベアトリーチェに苦言を呈した農民も、感心したような目でリカルドを見ている。自領だというのに、客に負ける自分が情けない。


 ベアトリーチェの顔が暗くなったことに気づいたのだろう。少し離れたところで馬たちの世話をしていたニケが、馬車に積んでいたティーセットと敷物を持ってこちらに近づいてきた。


「お嬢様、少し休憩しましょうか。お茶でも淹れますよ」

「うん……。ありがとう、ニケ。リカルド様もいかがですか?」

「ありがとうございます。ご相伴にあずかります」


 一番広い木陰を陣取り、広げた敷物の上に腰を下ろす。注がれたお茶からは甘やかな香りが立ち上り、落ち込んでいた気持ちも少し上向く。

 ちら、と視線を向けると、エンリコたちはまだ話し込んでいた。炎天下の中立ちっぱなしで大丈夫なのだろうか。


「あの方は丈夫なので、まだまだ平気です。放っといてあげてください。こんな機会もなかなかないので」


 のんびりとティーカップを傾けながらリカルドが笑う。それを見て、ベアトリーチェの肩の力も抜けた。どうやらエンリコが子供の頃からの付き合いというのは本当らしい。


「あの……フランチェスカ騎士団は勇猛果敢だと弟から聞きました。リカルド様も、とてもお強くていらっしゃるのね」

「どうでしょう。副団長という過分な待遇をいただいておりますが、私はそれほど剣に長けているわけではありません。おそらく、ベアトリーチェ様の護衛騎士殿の方が遥かにお強いと思いますよ」


 確かにロレンツォは剣が得意だ。しかし、リカルドの言葉は謙遜にしか聞こえなかった。

 こうしてお茶を飲んでいる間もリカルドの目は常にエンリコを追っていて、周囲の警戒を一切怠ってはいない。すぐに手に取れるよう近くに置かれた剣も、とても使い込まれたものに見えた。


「リカルド様はエンリコ様にお仕えして長いのですよね?」

「ええ。正確な年数は覚えておりませんが、かれこれ十年以上になります」

「お父様も騎士でいらっしゃったの?」

「いえ、私は流民……身寄りのない人間で、死にかけていたところをエンリコ様のお父上に拾っていただきました。ミゲルやマッテオも似た境遇ですよ。フランチェスカにはそのようなものが多くおります」


 カップを傾ける手を止めたベアトリーチェに、リカルドが優しく微笑む。


「おかげで、私はマリアンナ……妻と出会い、故郷と家族を得ることができました。このご恩は決して忘れません。私はこの命に代えても、フランチェスカを……エンリコ様をお守り致します」


 その瞳はどこまでもまっすぐで、ベアトリーチェは胸が締め付けられる思いがした。


「リカルド様のような護衛騎士に守られて、エンリコ様は幸せね……。でも、命は大切にしてください。あなたが傷付いたら、きっとエンリコ様は悲しむわ」


 出過ぎた言葉かもしれない。しかし、リカルドは少し驚いた顔をしただけで、何も言わなかった。


「ベアトリーチェ様! よろしければ、お茶のお供はいかがですか?」


どことなくしんみりとした空気の中、エプロンをつけた女性が近付いてきた。

 ベアトリーチェより少し年上ぐらいだろうか。三つ編みにした赤毛を揺らし、手には山盛りのクッキーがのった深皿を持っている。顔に見覚えがないので、最近引っ越してきたのかもしれない。


「あら、ごめんなさい。あなたは……?」

「メリッサと申します。先日からこちらでお世話になっています」


 にこやかに笑う口元には可愛いエクボが浮かんでいた。


「そう。これからよろしくね、メリッサ。このクッキー、あなたが焼いてくれたの?」

「はい! お菓子作りは得意なので」


 甘いものは好きだ。ちょうど小腹も減っている。しかし、笑顔でクッキーに手を伸ばそうとしたところで「ダメです!」と声を上げたニケに、甲をペしんと叩かれた。


「なによう、ニケ。何でダメなの?」

「もうすぐお昼ご飯なんですから、今食べたら入らなくなっちゃうでしょ。甘いものばっかり食べさせないでって、カテリーナ様に叱られちゃいます」

「ちょっと! 人をいくつだと思ってるの?」


 頬を膨らませて抗議したが、ニケは断固として首を縦に振らなかった。余程カテリーナが怖いらしい。


 ――仕方ないわね。これ以上、リカルド様の前で言い争うわけにはいかないわ。


 それに、自分のせいでニケが怒られてしまっても可哀想だ。「わかったわよ、もう」と唇を尖らせつつ、メリッサに断りを入れる。


「ごめんなさいね、メリッサ。今はやめておくわ。次はぜひいただくわね」


 ぜひ、を強調して言うと、メリッサは悲しそうに眉を下げつつも、口元にエクボを浮かべて去っていった。

 その後ろ姿をニケがじっと見つめている。やけに熱い視線だ。もしかして一足早い春が来たのだろうか。


「可愛い子だったわね、ニケ?」

「なんですか、その目は。へんな勘ぐりはやめてください!」


 目を剥いて否定するニケに笑みがこぼれる。


「やあね、ニケったら。ムキになっちゃって。ねぇ、リカルド様?」

「いいですねぇ、若いというのは。眩しくて仕方ありません」

「リカルド様まで……!」


 木陰の中に笑い声が弾ける。それを聞きつけたのか、手にしていた農具を地面に置いたエンリコが、汗で張り付く前髪を掻き上げながらこちらにやって来た。


「いい香りがしますね」

「この農場で採れたバナヌティーですわ。バナヌはとても甘味が強くて、干しても十分美味しいんですよ」


 さりげなく隣に座るよう勧め、淹れ直したお茶を手渡す。


「確かに……。まるでデザートみたいだ。ランベルト王国で飲めないのが残念ですね」

「大量に乾燥させる方法があれば、ランベルト王国にも運べると思うんですけどね……」


 しかし、その方法が考えつかない。天日干しをするには人手が足りないし、精霊の力は次代の女児を産むまでの限定的なものだ。

 産んでも完全に消えてしまうわけではないが、成人前よりも遥かに弱くなるので、安定的に供給できるとは言い難い。


「やっぱり、もっと人を増やすべきかしら……。でも、お母様がなんて言うか……」


 腕を組んで首をひねるベアトリーチェに、エンリコが目を丸くする。


「ランベルト王国に輸出を考えておられるのですか?」

「それはそうですよ。みんなが一生懸命育ててくれたんですもの。もっと多くの人に知ってもらいたいわ。そうすれば、領内……いいえ、ケルティーナだって潤うし」


 まあ、そのためには外交を渋る女王陛下を説得しなければいけないのだが、それは口に出さずにおいた。


「あなたは……」

「え?」

「いえ、何でもありません。お茶、ごちそうさまでした。もう少し水田を見てきます」


 空になったティーカップを置き、エンリコは農場長の元へ戻って行った。その耳が少し赤くなっているのは気のせいだろうか。


 ――熱中症にならなければいいけど。


 早くも農業談義に夢中になり始めたエンリコを気にかけつつ、立ち上がってスカートの皺を伸ばす。

 空は相変わらずのいい天気だ。ニケのおかげで気分転換できたことだし、続きも頑張ろう。


「さて、私達もそろそろ収穫に戻りましょう。干したら縮んじゃうし、できるだけたくさん持って帰りたいわ」

「今度こそ綺麗に収穫できるといいですね、お嬢様。現時点でリカルド様に負けてますし」

「まあ! ひどいわニケ!」


 エンリコがいないことをいいことに、ニケの背中をぺしぺしと叩く。


 ――何よ、みんな馬鹿にして! なんとか見返してやりたいわ。


 ベアトリーチェは両腰に手をあてると、こちらを楽しそうに見やるリカルドに向き合い、若干胸を反らせた。


「……リカルド様、私と勝負いたしません? 一つでも多く、綺麗に収穫できた方が勝ち。いかがですか?」

「受けて立ちましょう、ベアトリーチェ様。騎士は敵に背中を見せないものです」


 リカルドが不敵に微笑み、ニケがぷっと吹き出した。それをきっかけに、周囲の農民たちにも笑みが広がっていく。


 眩い太陽に負けないほど明るい笑い声が、農場に響き渡った。

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