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おまけ ある御者の日記

『お嬢様、お元気ですか。

 今日はとても天気がいいです。おかげで馬たちも気持ちよく走ってくれました。

 客を送り届けて家に戻る途中、森で小鳥を見ましたよ。とても真っ赤な小鳥です。


 まるでお嬢様みたいでしょう?


 でも、手を伸ばそうとしたらすぐに飛んで行っちゃいました。

 相変わらず自由なんだから。


 息子のトマスもすくすく育ってきました。

 いずれお嬢様みたいに遠くまで羽ばたいていくと思います』


 ふう、と息を吐き、義父の日記をパタリと閉じて馬車の壁にもたれる。激しい振動が和らいだので、ようやく舗装された街道に入ったらしい。がらんとした客車の中に、ごとごとと規則正しく車輪が回る音が響いてくる。


 ――ケチらずに高い馬車に乗ればよかった。


 腰布を巻いているおかげで多少軽減されてはいるが、クッション性など欠片も持ち合わせていない安い馬車に延々揺られているとお尻が痛くなってくる。休憩の度に腰を伸ばしてはいるものの、そろそろ限界だった。


 ――早く着かないかぁ。


 窓の外には平野が広がっている。土地勘がないので自分が今どのあたりにいるのか全くわからない。海が近くにないからか、風の匂いも故郷とは全く違っていた。


 使い古した麻袋に日記をしまう。養父の日記はいつも「お嬢様」に語りかけるように書かれていた。余程大切な人だったらしい。トマスがケルティーナを離れて海向こうのフランチェスカまで遥々やって来たのもそれが理由だった。


 つい三ヶ月前、養父が死んだ。共に御者の仕事に赴く途中、土砂崩れに巻き込まれたトマスを助けようとしてひどい怪我を負ったのだ。


 ランベルト王国人の移住者が多く住む島だ。精霊の力を持つ女性自体が少ない上、唯一の治療の力持ちが運悪く他島に請われて出払っていた。ベッドの上で養父は「因果応報かなぁ」なんて意味のわからないことを言って笑っていたけど、その翌日にはひっそりと息を引き取ってしまった。


 泣いた。まあ泣いた。涙が枯れるんじゃないかってぐらい泣いた。


 血が繋がっていないとはいえ、養父はとても愛情深く育ててくれた。この腰布も、御者の技術も、そしてトマスという名も、全て養父から貰ったものだ。


 トマスは実の母親の顔も、実の父親の顔も知らない。捨て子だったので、他に頼る親戚もない。それに、みっちり御者の仕事を仕込まれたとはいえ、まだ十二歳の身ではどこにも雇ってもらえなかった。


 だから「お嬢様」を頼ることにしたのだ。「お嬢様」が暮らすフランチェスカは年齢や身分に関わらず雇ってくれると聞いたから。


「坊主! フランチェスカが見えてきたぞ!」


 窓から身を乗り出して御者が指差す先に目を向けると、一面の小麦畑が徐々に近づいてきた。ものすごい広さだ。端が見えない。フランチェスカはランベルト王国の食糧庫だというのは本当のようだ。


 雄大な光景に圧倒されながら馬車を降りる。


 日に照らされた黄金色の絨毯の向こうで、豊かな水をたたえた川が堅牢な城壁に沿うように流れていた。そのさらに向こうには高く聳える尖塔が見える。フランチェスカ城だ。道中で御者から聞いた話によると、城を挟んだ北側にも川が流れているらしい。


「この道をまっすぐ行けば城だよ。丘の上にあるから迷わねぇと思うぜ」

「ありがとうございます。お世話になりました」

「いいってことよ。良きパンに出会えますように」


 愛想のいい笑みを浮かべて去っていく御者の後ろ姿を見送る。普段は自分が御者台に上っている立場なので変な気分だった。






「うわあ、すごい……」


 城壁の中は人で賑わっていた。


 まっすぐに延びた石畳の両側に数え切れないぐらいの店が並んでいる。フランチェスカは隣国に抜ける唯一の領地なので行商人や旅人が多いと聞いていたが、これほどとは思わなかった。


 人の多さにくらくらしながら石畳の向こうを見上げる。御者の言うとおり、城は小高い丘の上に建てられていたのですぐにわかった。


 てくてくと坂道を上り、城門をくぐる。城は盛り土をしてさらに高くなった場所に建てられているようで、通常なら二階の位置が玄関になっていた。騎士か門番だろうか。玄関へ続く石造りの階段の脇に、青い髪の鋭い目つきをした男が立っている。


「あの……」

「どうした? 迷子か? 親御さんはどうした?」


 近づくトマスの姿を見た途端、男の目の中に優しい光が宿った。声も若干柔らかだ。見た目とは反対に、面倒見がいいのかもしれない。


「あの、僕、お嬢様にお会いしたくて。僕と同じケルティーナ人なんですけど……。その……いらっしゃいますか?」

「お嬢様? 名前はわかるか?」


 ふるふると首を横に振る。今際の際に伝えようとしてくれたのだが、うまく聞き取れなかったのだ。男は困ったように眉を寄せると「うーん」と唸りながら頭を掻いた。


「身元のわからないやつを勝手に中に入れるのもな……」

「どうしました、ルキウス。お客様ですか?」


 開いた玄関の向こうで、小首を傾げた初老の男性がこちらを見下ろしていた。城の家令か使用人なのかもしれない。ピシッと折り目正しい服を着ている。


 男はルキウスのそばに立つトマスを見て、ゆっくりと階段を下りてきた。曇り空みたいな灰色の髪と瞳だ。目が悪いのだろうか。片眼鏡をかけている。


「ミゲルさん。この子、お嬢様に会いたいって言うんだけど……」

「おや……」


 ミゲルと呼ばれた男はトマスの腰布に目を止めると、大きく目を見開いた。


「その腰布は?」

「死んだ父が……あ、血は繋がってないんですけど。以前お世話になっていたお嬢様に貰ったものらしくって。あの、それで、そのお嬢様がここで暮らしてるって聞いて……」


 どうして腰布が気になるのかはわからないが、必死に答える。全て捨てて島を出て来たのだ。ここで追い返されるわけにはいかない。


 あわあわするトマスに、ミゲルは鷹揚に頷いた。


「お嬢様ですね。存じ上げていますよ」

「えっ! 本当ですか?」


 顔を輝かせるトマスを尻目に、ルキウスが何か言いたげにミゲルを見つめる。それに気づいたミゲルが、ルキウスの耳元で何かを囁いた。


 何を言われたのだろう。ルキウスは形のいい眉を寄せ、複雑そうな表情を浮かべている。


「さあ、お入りなさい。長旅で疲れたでしょう。お部屋にお通し致します」


 ミゲルの後に続いて玄関の扉を潜る。予想に反して人の気配はない。


 きっと建てられてから長い時間が経っているのだろう。窓があまり大きくないためか、城内には夏の熱気がこもっていた。


 階段を上り、長い廊下を進む。その突き当たりに大きな肖像画が飾られていた。向かって左側が男性、右が女性だ。


 女性はケルティーナ人らしい。まるで夏の森のように濃い緑色のドレスには、薔薇と蔓を模した幾何学模様があしらわれていた。どこの家紋のものまでかはわからないが、刺繍が見事なのできっと地位の高い家の出身なのだろう。


 燃えるような赤毛に、まっすぐに前を見据える理知的な(はしばみ)色の瞳が印象的だった。


「綺麗な人……」


 呆けたように肖像画を見上げるトマスに、ミゲルがふっと口元を緩める。


「この方がお義父様のおっしゃっていたお嬢様ですよ」

「この人が……」


 長い間養父の心を捉えてきた「お嬢様」を目の当たりにして言葉が出ない。ここに養父がいたらきっと喜んだだろうに、と思うと胸の中に切ない痛みが走った。


 悲しみから目を逸らすように左側の男性の絵に顔を向ける。養父とは違ってがっしりとした体つきをしている。目つきは鋭くて顔は無愛想だが、長く伸ばした金髪と青い瞳が美しかった。


「こちらの方は……?」

「お嬢様の伴侶で、この城の主人です。あいにく、今は出払っておりますが……」


 結婚しているのか。


 だとすれば、お嬢様にいくらお願いしても、主人が首を縦に振らないとダメかもしれない。ランベルト王国では男性の立場の方が強いそうだから。


 徐々に気持ちが萎んでいくのがわかる。それを感じ取ったのか、ミゲルが宥めるようにトマスの赤毛を優しく撫でた。


「安心なさい。追い返したりはしませんよ。我が主人は慈悲深い方です。夜には戻るでしょうから、それまで城で体を休めていなさい」


 その優しい声に励まされ、再度足を進める。


 案内されたのは林檎を煮しめたような色をした扉の前だった。


「この扉の向こうに、主人とお嬢様のお子様がいらっしゃいます。一人で退屈していますから、主人が戻るまでお話し相手になってあげてください」

「え? でも、次期領主様じゃ……」

「大丈夫。気さくな方です。あなたと同じぐらいの年頃ですから、話も合うと思いますよ」


 静かに開けた扉の先では、赤い髪の少年が一人ぼんやりと窓を眺めていた。考え事をしているのか、まだこちらには気づいていないようだ。


「さあ、どうぞ。後でお茶をお持ちしますね」


 促されてそっと部屋の中に入る。ふかふかの絨毯が足に優しい。閉まりかけた扉の向こうで、ミゲルの囁き声が聞こえた。


「いらっしゃい、ニケ。フランチェスカはあなたを歓迎しますよ。何しろ、ずっと待っていたんですからね」

最後まで読んでいただきましてありがとうございました!

物語はフランチェスカ異聞に続いていきます。

よろしければ、そちらもお楽しみください。

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