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第10話 雨の中に灯る篝火

「ロレンツォ! どこ⁉︎ どこにいるの⁉︎」

「こちらです! どうなさったのですか、ヴィットリオ様!」


 いくら馬車とはいえ、城下まで行って戻ってくるには早すぎる。ヴィットリオの様子に不穏な気配を察知したらしく、応えるロレンツォの声にも緊張が走る。


「どうして、そんなに汚れて……。まさか……!」

「やられた! 土砂崩れが起きて、何人か生き埋めになってる! エンリコ様が乗った馬車も崖下に落ちた。母さんたちが救出にあたってるけど、人手が足りないんだ。すぐに精霊の力持ちを応援に寄越して!」


 扉の外からロレンツォが息を飲む気配が伝わってくる。騒ぎを聞きつけ、残っていた使用人たちもやってきたようだ。

 急に騒がしくなった屋敷の中でベアトリーチェは冷静だった。突然の展開についていけないわけでも、感情が消えてしまったのでもない。むしろ、その逆だ。


 ――一緒にドリスを見たあの夜、エンリコ様は私を篝火のようだと言ってくれたわ。


 青い炎は赤い炎より温度が高いという。ならば、今のベアトリーチェは何よりも青く熱く燃え盛っているはずだ。激しすぎる怒りが、ベアトリーチェを一本の松明に変えていた。


「あと、姉さんには言わないで! 知れば絶対に……」

「行くって言うわね」


 書庫から出てヴィットリオの目をまっすぐに見据える。「姉さん……」と呟いた声はひどく震えていた。

 冷静に考えれば、ロレンツォがいるところにベアトリーチェもいるとわかりそうなものだが、それだけ混乱していたのだろう。


「待って! 待って姉さん! 行っちゃダメだ!」


 駆け出したベアトリーチェにヴィットリオの声が追い縋る。しかし、ベアトリーチェが向かったのは玄関ではなく自室の方だった。


「お嬢様? どうしたんです、そんなに怖い顔をして。ヴィットリオ様の声が聞こえましたが、お見送りはもう終わったんですか?」


 荒い息をついて部屋に飛び込んだベアトリーチェに、ニーナが戸惑った声を上げた。目には老眼鏡をかけ、手には針と糸を持っている。襲撃された時にローブが傷んでしまったので、修繕してくれているのだろう。

 ズカズカと奥に進み、おもむろに鏡台の引き出しに手をかける。


「お、お嬢様! 何をするんですか!」

「ニーナ! ペンダントどこ⁉︎ あの赤いやつ!」

「出します! 出しますから、ひっくり返すのはやめてください!」


 顔を青ざめたニーナが飛びつくように鏡台脇の戸棚の鍵を開け、中からペンダントを取り出した。燭台の光に照らされて、金の台座に取り付けられた赤い石が淡く光る。

 

 ひったくるように受け取り、全身で祈りを込める。せめて朝まで時を戻せればニケもエンリコも止められる。しかし、いくら願ってもペンダントは効力を発揮してはくれなかった。


「……所詮お伽話はお伽話ってことね」


 ペンダントを鏡台に放り出し、音を立てて窓を開ける。雨は相変わらず激しく降り注いでいる。


 ――まるで全てを洗い流そうとするみたいね。でも、それがなんだっていうの?


 ベアトリーチェの篝火は、そんなことで消えたりはしない。


「上等よ! 現実には、現実らしい落とし前をつけてやるわ!」

「お嬢様っ!」


 ニーナの悲鳴が徐々に遠ざかっていく。窓から飛んだベアトリーチェは浮遊の力で難なく地面に着地すると、馬小屋に向かって走り出した。


「エリュシオン! リカルド様たちを助けにいくわよ! 走れるわね?」


 リカルドの名に反応を示したエリュシオンが応えるように高く嘶いた。それを合図に背中に飛び乗り、玄関に向かって手綱を操る。

 しかし、もう少しで外に飛び出そうとしたところで、両手を広げたロレンツォが行く手を阻むように回り込んできた。


「ベアトリーチェ様! 待ってください!」

「ロレンツォ、どいて! 邪魔しないで!」

「行っちゃダメだ! もう無茶はしないと約束したじゃないですか!」


 断固として引かない姿勢に苛立ちが募る。強引に脇をすり抜けようとした時、ベアトリーチェのローブを掴んだロレンツォが、泥が付着しているにも構わず裾に口付けをした。


「俺は、あなたをお慕いしています! あなたを守るためなら、俺はどんなことだってする! あなたが望むのなら、どんなところにだって共に参ります! だから、だからどうか、行かないでください!」

「ロレンツォ……」


 激しい雨音だけが二人の間を支配している。まるで時が止まったかのように、ロレンツォから目が離せない。


 ――まさか、女として好いてくれていたなんて。


 忠誠も献身も、家族としての情だと思っていた。エンリコに熱を上げるベアトリーチェを見て、一体どんな気持ちだったのか。

 ロレンツォをあまり振り回すなと言ったニケの言葉が脳裏を掠める。きっと今までも、ひどく残酷なことをしてきたのだろう。


 ――でも、過去にはもう戻れないわ。


 胸を貫く痛みを振り切るように目を閉じ、そして、ゆっくりと開く。こちらを見上げるロレンツォの(はしばみ)色の瞳は、まるで夜空に浮かぶ一等星のように美しかった。


「ありがとう、ロレンツォ。でも、ごめんなさいっ……!」

「姉さんっ! 姉さん、待って! 誰か! 誰か姉さんを止めてっ!」


 エリュシオンの腹を蹴り、全速力で駆ける。背後で叫ぶヴィットリオの声は、すぐに聞こえなくなった。

 頬を流れるのは雨なのか、涙なのか。次から次へとこぼれる嗚咽は、激しい雨音の中にかき消されていった。






 辿り着いた山道はひどい有様だった。右手の中腹から崩れた土砂が左手の道の端までうず高く積み上がっている。周囲には怒声とも悲鳴ともつかない声を上げるカテリーナたちが、必死の形相で救出活動を行なっていた。


 精霊の力で徐々に土砂は取り除かれているようだが、範囲が広すぎて追いつかないのだろう。見渡す限り、リカルドの姿も、ミゲルとマッテオの姿も見えない。


 リカルドは馬、ミゲルとマッテオはエンリコとは違う馬車に乗っていた。馬車ごと飲み込まれたのなら、まだ時間はある。しかし、リカルドはそうはいかない。


「ベアトリーチェ? あなた、どうして来たの⁉︎」

「駄目だよ、ベアトリーチェ! こっちに来ちゃいけない!」


 エリュシオンから降りて近づくベアトリーチェに気づいたのだろう。全身を泥で汚したカテリーナとエルラドが悲痛な声を上げる。


 それを無視してさらに近づくと、彼らの向こうに、縄で縛られた黒ずくめたちが地面に転がされているのが見えた。ぴくりとも動かないので、生きているのか、死んでいるのか、ここからでは判別できない。


「ベアトリーチェ! 駄目! ここは大丈夫だから、早く屋敷に……!」


 縋るカテリーナの手を振り解き、土砂の前で跪く。さすがに土砂を全て取り除く力はないが、どこにいるのかはわかる。


 広げた両手のひらを地面につき、目を閉じる。力が発現してすぐの頃、部屋を抜け出しては、こうしてよく地中にいる生き物を見つけて遊んでいた。


 死んでいないことを祈りつつ、精神を集中させる。


 すると間もなく、張り巡らせた力の網に引っかかる気配をいくつか見つけた。目印をつけるため、その場所の土砂を大きく陥没させる。


「今、へこんだところを掘って! そこにいるはずよ!」

「ベアトリーチェ……あなた……」

「早く!」


 その声を合図に、周りにいた精霊の力持ちが一斉に土砂を取り除く。


「出たぞ! 馬車だ!」

「馬上組も見つけました!」

「生きています! 全員です!」


 周囲からわあっと歓声が上がり、めいめい土の中から現れたものたちの元へ駆け寄っていく。

 程なく馬車の中からミゲルとマッテオが助け出され、そして、その近くからリカルドが掘り出されたのが見えた。


 ――勉強をサボって遊んでたのも、無駄にはならなかったわね。


 垂れてきた鼻血を拭い、黒ずくめたちの元へ近づく。揃って救出作業に集中しているからか、制止される気配はなかった。

 残党は五人ばかりだったようだ。地面にしゃがんで覆面が剥がれた顔を順番に見るが、そこにニケの姿はない。


 ――まさか、エンリコ様と一緒に崖下に?


 左手の崖に目を向けた時、意識を取り戻したらしい黒ずくめの一人が、呻き声をあげて身じろぎした。


「おはよう、メリッサ。遅いお目覚めね。いい夢は見れたの?」

「……ベアトリーチェ!」


 憎々しげにこちらを見上げる女の口元には、歪んだエクボが浮かんでいた。


「あなたもユスフ領の人だったのね。ニケとは長い付き合いなの?」


 黒ずくめたちが本当にユスフ領の人間なのかはわからなかったが、全てを承知しているという体で話す。すると、見事に引っ掛かったメリッサが声を上げて笑った。


「あいつとはスラム時代からの腐れ縁さ。ここ数年は没交渉だったけどな」


 ――ということは、接触して来たのは最近なのね。


 ペラペラと喋ってくれるメリッサを冷静に見つめながら、肩をすくめる演技をする。


「ニケには騙されちゃったわ。まさか記憶喪失が嘘だったなんて思いもしなかったし、他領の密偵だったなんて、とても……」

「飼い犬に手を噛まれるのは、さぞや痛かっただろうな? 甘ちゃんのお嬢さんにはいいお勉強になっただろう」

「ニケは飼い犬なんかじゃないわ。侮辱しないで」


 静かに睨み据えると、メリッサの肩がびくりと震えた。汚れ仕事に身をやつしている割には臆病らしい。

 逃げ出そうとしたのか、メリッサは大きく体を揺すったが、捕縛用の縄には精霊の力を無効化させる女王陛下の髪が織り込まれているため、いくらもがいても力は使えない。


「ドリスはあなたが渡したの?」

「……そうだ。エンリコが農植物に興味を持っているのは知っていたからな。いい餌になったよ」


 もがくのを止め、くつくつと笑うメリッサに、ベアトリーチェは複雑な気持ちになった。


 ――エンリコ様の農業好きって、ユスフ領にまで届いていたのね。


 それを利用されるとは何という皮肉なのだろう。胸に湧いた苛立ちを隠すためにそっと息を吐き、拳を握りしめた。


「エンリコ様を襲ったのは、そうすることでベスタ家を貶めるため? それとも、ランベルト王国との関係にヒビを入れたかったの?」

「さあなぁ。お偉いさんの考えることはわからんよ。ただまあ……あんたらはちょっと力を持ちすぎたんだな。ぶくぶく太った獲物が飢えた狼に狙われるのは世の常だぜ」


 頭に血が上りそうになるのを必死にこらえる。ここで台無しにするわけにはいかない。メリッサにはまだ聞きたいことがある。


「農場で出してくれたクッキー、とても美味しそうだったわ。食べていたら今頃、土の下で眠っているわね」

「残念だったよ。可憐なお嬢様がのたうち回る姿をぜひ見たかった」


 もし黒ずくめが屋敷に侵入していたなら、井戸の一件でベアトリーチェに毒は効かないと気づいているだろう。それを知らないということは、やはりネレウスとドリスを投げ入れたのはニケなのだ。

 胸の中に痛みが広がる。エンリコの襲撃に失敗して、標的をベスタ家全体に変えたのだろうか。


 それでもニケはベアトリーチェを守ろうとしてくれた。クッキーの時も、井戸の時もだ。それだけは疑いたくない事実だった。


「井戸に毒を入れさせたのも、あなたの指示? みんなを殺そうと思って?」

「井戸に毒?」


 ぴくん、と眉を跳ね上げたメリッサの表情に、ベアトリーチェは自分が何か大きな思い違いをしていることに気づいた。

 しかし、一度出た言葉は取り消せない。メリッサは肩を揺らして忍び笑いを漏らしていたが、やがて大きく声を上げて笑い始めた。


「そうか、そういうことか。道理であいつ……傑作だ! こんな喜劇はないな! 足元に大きな影が揺らいでいることにも気づかず、今まで生きてきたなんて!」

「……どういうこと?」


 その時、右側から恐ろしい勢いの蹴りが飛んできて、メリッサを激しく打ち据えた。思いっきり腹に喰らったらしい。鈍い音を立てて地面に転がったメリッサが、体をくの字にして血を吐いた。


「ふざけるなよ! ケルティーナの問題にエンリコ様を巻き込みやがって! 二度とお日様を拝めねぇようにしてやるよ!」


 吐き捨てるように叫び、メリッサの胸ぐらを掴み上げたのはリカルドだった。全身を泥で汚し、ところどころ血痕が付着している。襲撃された夜と同じく、リカルドのブラウンの瞳は獰猛な獣のように爛々と輝いていた。


「ま、待ってリカルド様っ! 殺しちゃダメ! ケルティーナでは、どんな理由があっても私刑はダメなのよ!」


 それは他国の人間も例外ではない。襲われて返り討ちにしたのならともかく、拘束された人間を殺したとなれば言い逃れはできない。必死で体を押さえて声を上げると、ガシッとものすごい力で両肩を掴まれた。


「ベアトリーチェ様! エンリコ様を助けてください! あなたには不思議な力があるんですよね⁉︎」


 まっすぐに見つめるリカルドの瞳に息を飲む。やはり、自室の窓から抜け出した時に、植え込みで浮いたところをミゲルに見られていたのだ。

 何も言えずにただ見つめ返していると、血相を変えたミゲルとマッテオが駆け寄ってきて、二人がかりでリカルドを引き剥がした。


「リカルドっ! やめなさいっ!」

「お前も承知しただろうがっ! 主人の望みを叶えるのも従者の役目だと!」

「うるさい! 離せ! こんなところでエンリコ様を失ってたまるか!」


 マッテオの言葉の意味はわからない。しかし、これで心置きなく力を使えるようになったわけだ。

 リカルドの吠える声を背に、崖に向かって駆け出す。それに気づいたカテリーナとエルラドがこちらに手を伸ばした。


「やめてっ! 行かないでベアト!」

「待ちなさい、ベアトリーチェ!」


 崖の下から吹き上げる風がベアトリーチェの赤毛を激しく揺らす。目線の先に広がる森は自室の窓から見る地面よりも遥かに遠かったが、不思議と恐怖はなかった。


「小鳥だってね、浮くぐらいはできるのよ」


 気づけば、いつの間にか雨は止んでいた。

 

 微かに差し込む日の光を受け止めるように両手を広げ、ベアトリーチェは崖下に身を翻した。

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