テメェの目が気に入った!
学生来の友人である関が死んだので、奴の葬式で一〇数年ぶりに友人一同が会した。一同なんていってはみたが、私同様に関も友達が多いような性分ではなかったから、親族以外では私と山根という男のただ二人であった。大学新入生の時分、我々三人は各々田舎から出てきたばかりだったもんで、友人を探していた渡りに授業で知り合い、なんとなくはみ出しものコミュニティの中で仲良くなったのが友情の始まりである。
関は癇癪持ちで、気に入らないものにはいちゃもんじみた論理をふっかけ、言葉に詰まるとすぐ肉体言語に切り替える悪癖があったから、まあしばらくしたら殺されるだろうとは思っていた。しかし予想に反して関は病気で死んだ。
卒業後ほとんど関わりがなかったから知らなかったが、あいつはライターとして日本中を旅しながらいろんなところに寄稿して細々と食い繋ぎ、あとは好きに過ごしていたようだ。病気の要因には日頃の不摂生もあるのだろう。
葬式が終わると、山根とはなんとなく軽く昔話や当たり障りのない近況報告をしあう。
「山根、お前今何やってんだっけ?」
「僕ぁまあ、ただのサラリーマンだな」
「そっか…どうなん、そのぉ塩梅の方は」
「うん、ま、ぼちぼちだな」
「そうか…」
「うん…」
「(沈黙)」
「お前は?」
「俺?俺はまぁなんつーか、今はまぁ無職だな」
「おぉ、まじか」
「うん…」
「(沈黙)」
そんな調子である。しばらくもしないうちに話すことも尽きてしまった。余計なことは質問しない。要は互いにそこまでの興味がないのである。
所詮は関ありきの仲だったことを、思い出した。
多少の気まずさの漂う空気をひとしきり味わった後、山根がふいに切り出した。
「しかしまぁ、あれだな。言っちゃ悪いけど案の定知り合い少なかったんだな、あいつ」
なんとなく言わずにいたことを、山根は簡単に言った。
「まあ、暴力癖あったからな、誰これ構わず、いちゃもんつけてはすぐ喧嘩して」
「驚いたのはあれだよ、大学4年のときにさ」山根が矢継ぎ早に言う。この話をしたくてたまらない、と言うのがよくわかる。私もテープを巻き戻したようにパーっと記憶が蘇った。
「あー、あれな!」あれは私にとっても数少ない学生期の思い出。痛快な記憶である。
「そう、関がさ!知らないおっさんに急にキレ出してさ!」
「テメェの目が気に入らねぇ!とか言ってな!わけが分からなくってさ!俺らもうこんなんだよ」目を丸くして、口をポカーンと開けてみる。私もだんだん楽しくなってきていた。
「それでもうすぐ取っ組み合いだよ。あれは酷かった。」出鱈目な奴だったよ、と付け加えると、山根が云々と唸った。
「あれを止めるのは大変だった」つられて私も唸る。すると、山根がパッと顔を上げた。
「何言ってんだ。お前は一緒になって殴り合いに参加してただろ」山根が薄ら笑いを浮かべる。冗談を言っているようではなかった。しかし、不名誉なことである。
「俺はそんな喧嘩に参加するような男じゃないぞ」語気を強めていってみる。
山根は少しびっくりしたように、私の目を見た。
「…まあどっちでもいいよ。とにかくあいつは無茶苦茶な奴だったってことだ」
それに関しては全面同意であった。あれほど論理のない男は後にも先にも奴しか知らない。
「まあ、でもギラギラした奴だったよ」こんな歳で死ぬ奴じゃなかった、とは言わないでおいた。わざわざ言う必要もないことがわかった。
再び、沈黙が訪れる。
「劇作家はもうやってないのか?」山根の質問に、一瞬動揺した。大学を卒業してから、二人に一切交流がなかったことを改めて思い知らされた。
「やめたよ。っていうか、随分前から書いてない」あえて少し微笑みながら答えてみる。
「あ、そうだったんだ」なんでもないことのように答える。つまりは当時から、その程度だと思っていたのだろう。この年になると、そう言う輩は珍しくなくなる。
「大学卒業して一、二年はなんとかやってたんだけどね、今はもう転職してはやめてを繰り返してるよ」
「そうか、まあ頑張れよ」
一瞬の盛り上がりはあっという間に冷め、再び最初と同じ沈黙が訪れていた。
後の会話は語るに足らない。一応、今の連絡先を交換して、飲み会もなく解散した。
ボロアパートの我が家に帰ったとき、まだ五時過ぎであった。帰ってすぐ畳に四肢を投げやって転がり、ダラダラYouTubeを見る。これが日課になっていた。ふと、学生時代からある座卓に目をやる。ここ数年間、座卓として使ったことはなく、漫画や印鑑といったちょっとした小物を置くのに丁度いい物置となっている。寝ながら物に手が届くので勝手がいい。何冊か戯曲関係の本が積んではあるが、もはやタイトルも覚えていない。記憶にすら埃がまとっているようである。
「まあ、でもギラギラした奴だったよ」
先ほどの自分の言葉を思い出す。私にそんな時代が、一体あっただろうか?
記憶の中の私は、何もかも中途半端な男であった。
大学時代を思い出すのは、今日で最後かもしれない。山根とは、今後二度と会うこともないだろうなどと、気を抜くと思わずそんなことばかり考えてしまうから、その日は早めに寝た。
その晩、私は夢を見た。しかし、そのとき見た夢の内容はもはや覚えていない。
意外なことに、山根から再び連絡が来たのは、あれから3ヶ月も経たぬ夏の日であった。理由も告げず、明日、大学近くで会いたいと電話があったのだ。幸いにも私は忙しいと言うことが基本的にはない身分であったから、突然の誘いでも問題なかった。
久々に行った大学周辺の街並みは、見たところによるとかつてとあまり変わらない様子であった。しかし実際、居心地は、悪かった。
大学裏にはタラタラとながれる神田川があり、橋を渡った先に神社がある。山根とはそこで待ち合わせをしていた。山根はすでについているようだった。川を渡り、その先にあるちょっとした崖に挟まれた坂を登っていくと、神社が見えてくる。その神社に、私は見覚えがあった。
「おーい」携帯をいじっている山根に声をかける。山根もこちらに気づき、顔を上げた。
「おう、葬式ぶりだな」
「何の用だ?」一番気になっていたことを聞く。山根は質問に答えるわけでもなく、ゆっくり周囲を見渡した。
「この神社が何か、覚えてるか?」
その神社に、私は見覚えがあった。
「ここは」
確かめるように、ゆっくりと、私は続けた。
「関が昔、大喧嘩した場所だ。知らないおっさんにいちゃもんをつけて」
どうやら正解だったらしく、山根は嬉しそうに、かつて関が大立ち回りを見せた空間を、遠い目で見つめていた。
「ずっと関に憧れてたんだ。僕は挑戦なんかない、つまらん人生を送ってきたからな。大学を出て普通に就職して、普通にサラリーマンになって。それなのにあいつの自由ときたら」山根はすぐさま続けた。
「僕はお前にも憧れてたんだよ」
「は?」想像もしてなかった言葉に、ギョッとする。
次の瞬間、空間を引き裂くように雷鳴が轟いた。どうやら近くに落ちたらしい。
気づくといつの間にか空には暗雲が渦巻いていた。
「さっきまで晴れてたのに。こりゃひと雨降りそうだな」山根がぼやいた。
「それで、なんの用でよんだんだ」私は話を本題に戻した。
あたりでは風が強まってきていた。葉の擦れあう音、枝の軋む音。色々な音が複合的に轟音となり、それは山根の細々とした声を聞き取るのも一苦労なほどであった。
「冗談だと思うな。バカバカしいと思うな。いいか。俺は夢の中で、誰かにあったんだ。そして、ここにこいと言われた。お前も連れてこなきゃいけないとすぐわかった。だから連れてきた」
すでにあたりは大雨に変わっており、もはや嵐然とした様相を呈していた。
山根が冗談を言っているわけではないことはすぐにわかった。私自身すっかり忘れていたことだが、葬式のあの日の夜、私も同じ夢を見ていたことを思い出したのだ。
激しい雨が身体に打ちつける。水を吸ったシャツが、強い風によって重く、煽られる。雷はさっきよりずっと激しい。私たちはただ立ち尽くすより他に仕方がなかった。
「しかし、なんだって今さらこんな場所に…」
私が口を開いたその瞬間、足元がぐらりと揺れた。刹那、轟音を立てて大地が引き裂かれていく。山根が何かを叫んだが、すでに何も聞こえない。がけ崩れだ、と気づいた時にはすでに体は落下のままに委ねられていた。土や小石が体を覆う。遠く、山根の姿が見えなくなっていく。がけ崩れで露わになった岩肌に、一瞬何かが光り輝くのを見た。強い衝撃が全身の骨に響いた瞬間、私は気を失った。
目を覚ますと、天気はすっかり晴れていた。そして、山根の姿もなかった。先ほど確かに巻き込まれた、がけ崩れの痕跡すらなかった。辺りを見回すと、先ほどまでの嵐などまるでなかったかのようである。
すると、階段下から三人の青年が何やらしゃべりながら登ってきた。中央の青年を見て私は驚いた。私の記憶にあるあの男の最後に見た生きている姿、死んだ関にそっくりだったのである。両脇にいる青年たちも、山根、そして私自身の若い頃によく似ていた。私が奇異の眼差しを向けていると、中央の青年が大きな声をあげた。
「気にいらねぇなぁ!」
それは明確に私に向けられたものであった。
「テメェの目が気に入らねぇ!」
この後の展開はよく知っていた。私はこの男にボコボコにされるのだ。しかし、苦労も知らぬ若造にされるがままやられると言うのは癪である。せめて、一発は。殴り合いなどあまりに久しぶりだが、覚悟を決める。間髪入れず、取っ組み合いになる。
結論から言うに、勝負はあまりに一方的であった。喧嘩というよりは親父狩りというのが相応しい。身体は思うように動かず、若い肉体に翻弄されるばかりであった。薄れゆく意識の中で、この男を二人の青年が必死に止めようとする姿が見えた。一人の青年、私の若い頃によく似た青年が私の目を見る。彼の目を見ると、なるほど、私の目が気に入らないわけがよくわかった。あの目にはなれない。
目を覚ますと、目の前には山根がいた。
「おい、大丈夫か!」
見渡すと、がけ崩れが起きたはずの場所は、やはり元のままだった。
「あれ、がけ崩れは…?」
「何言ってんだお前」
どうやら、がけ崩れは起きていない、ということになっているようであった。しかし、私は確かに崩れた地面の岩肌に、光る何かを見た。そして、次の瞬間、私はどうやら過去に飛ばされたようであった。それが証拠に先ほど殴られた右頬がまだ痛む。
「急に気を失うからさ、何があったんだ」山根が心配そうに顔を覗き込む。
「いや、別に…」説明するのが面倒であった。
「そうか」
「あ、そうだ」私はこいつに言わなければならないことがあった。
「何?」
「あの日の喧嘩だけどな、やっぱり俺は止めてたぞ」
「は?」
実際には殴り合いに参加していたのも私であるため、山根の記憶も正しくはあったが、まあそれは些細な問題である。
家に帰ると、いつものように大の字で寝転がる。
―テメェの目が気に入らねぇ!―
関の言葉が、不意に脳をよぎる。
確かにあいつの目はギラギラしていた。記憶のとおりである。しかし、思いの外、あいつ、あいつってのはつまり俺のことだが、あいつの目も良かった。
体をグッと起してみる。
あの目の輝きは若さが出すものなのだろうか
久々に座卓の小物をおろす。
あの輝きはもはや得難いものなのだろうか
原稿用紙を広げる。
あの輝きが欲しい
題名は―
テメェの目が気に入った!