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愛の花、その香り―  作者: 深崎 香菜
第二部 大学生
26/34

24 ~図書館~

 生まれて初めて、愛花が怖いと感じた。

 でもそれは、あたしの自業自得というもので、勝手に舞い上がって愛花を不安にさせた罰、なのかもしれない。

 それに、ここまでしなかったものの、今まであたしだって愛花に精神的な暴力を振るっていた。

 ちゃんとそれは認めるし、反省だってしている。


 嫉妬と、独占欲。その二つであたしは今まで愛花に対していろいろしてきた。

 一番酷い仕打ちは……やっぱり折原恵美の一件なのだけれど。

 あたしはそれをずっと続けてきたというのに、それを愛花はたった一度で気づけた。

 あれだけの恐怖感を、愛花は感じていたのだろうか。

 そう思うと、謝る愛花を前に「大丈夫」と口にするしかなかった……


 翌朝、少し沈んだ表情の愛花にこちらから声をかける。

 きっと昨晩の事を気にしているだろうし、あれで愛花と一緒にいるのが気まずくなる、なんてこと嫌だったから。

 朝食に降りる前、今度は愛花の方から声をかけてきた。

 先輩の事で、自然と顔が強張り、緊張したのが自分でもわかった。

 けれど、話の内容は予想しなかった事で、再度確認……といったものだった。


 今回、あたし一人が舞い上がっていて、愛花に心配をかけ、嫌な思いさえさせてしまった。

 それならいっそのこと、サークルを抜けてしまえば、そんな思いをさせずに済む。

 そう思い、考えを口にしたのだけれど、返ってきた返事は全然違った。

 泣きそうな表情(かお)をして言われる。

「違うの、わたしはね、……とられちゃうんじゃないかって思っちゃっただけ、なの。もう一度、紹介してほしいな。アイちゃんの、お友達」

 やっぱり、あたしと同じだったんだ。

 ひょっとしたら、その友達に夢中になってしまうのではないか。

(愛花の場合、友達が女性だとありえないと感じていただろうけれど、あたしからすればそれがありえない事とも思えなかった。実際に、折原恵美がそうだったわけだし)

 そんな、誰にも相談する事の出来ない不安が膨らみ続け……独占欲が働いてしまう。

 やっぱりどこまでも、あたしたちは同じだったということだ。


 そうか、認められたのか。

 あたしは愛花の友人を毛嫌いしてきたわけだけれど……この子はあたしのお友達を認めてくれた。

 それが嬉しくて、つい笑みがこぼれてしまう。

「マナ、ありがとう」

 そう言って、優しく額にキスをする。愛花は照れたように笑い、ぎゅっと抱きしめてくれた。

 仲直り。嫉妬なんかが絡んだ喧嘩なんて、恋人らしくって、たまにはいいかもしれない。

 なんて、こと言ったら愛花に叱られてしまいそうだ。

 先輩は自分で、幽霊部員みたいなものだと言っていたけれど、もし週明けの活動に顔を出していたら、改めて紹介すると約束をした。


 本の返却期限が迫っていたため、愛花に区民図書館に行くと告げる。

 一緒に行こうと言ったのだけれど、愛花は図書館の雰囲気が嫌いと言って断られてしまった。

 その代わり、今日は両親がいないため夕飯を楽しみにしていてほしいといわれた。

 愛花はあたしよりも器用だから、料理だって上手い。

 これは期待できるなー。そう思いながら、ご機嫌で散歩がてら歩いて家を出た。




 あたしがよく利用する区民図書館の利用者は、年配の方や小学生がほとんどだ。

 あたしたちと同じ年くらいの人たちは皆、電車を乗って市民図書館を利用しているようだ。

 確かに、あっちの方が本の数も多いし、施設自体が大きい。

 けれどあたしは地元にあるこの図書館の方が好きだった。

 ……ま、市民図書館は人が多いのが嫌っていうのもあるのだけれど。


 開館時間より少し遅れてしまったけれど、すぐに本を返却しその足で小説を探しに歩く。

 確か、お気に入りの作家さんの新刊が入ったと入口でチェックしたときに書いてあった。

 館内に置いてある、本が貸し出されていないかチェックする機械を使って小説を探す。

 朝早いからか、それともあまり人気がないのか、ラッキーだったのか……

 まだ本は貸し出し中ではないようだ。

 走らず、けれど少し早歩きで……いつものように作家さんの作品が集められた棚へと急ぐ。

 ここの図書館のいいところは、無造作に棚にしまわれるのではなく、きちんと作家別、そして五十音順に並べられているので探しやすい。

 綺麗に整理されているからか、利用者のほとんどが本があった場所に戻すし、目当ての小説があるときは探しやすいのだ。

「……えっと、『ま』……『ま』……」

『ま』から始まるタイトルを指で追う。推理小説にほんの少し恋愛を混ぜたもので、シリーズ化されている。

 タイトルがいつも『真夜中の』で始まるのだ。

 シリーズものの小説タイトルではよくあるものだ。『真夜中の電話』と言った形で、『真夜中の』の後がシリーズごとに変わる。

 本棚に並ぶ『真夜中』シリーズ。その中から最新であるタイトルを探すのだけれど……


「な、ない……」

 一箇所だけ本と本の間に余裕があるところがある。

 きっとそこにしまわれていたであろう新刊の姿が、ない。

 貸出をされていなくても、館内で誰かが読んでいる途中なのかもしれない。

 ……っちぇ。まだ入っていないと思っていた小説が入庫されていてテンションが上がったのに。

 もしかしたら、そのままこの場で読むだけで、借りては帰らないかもしれない。

 そんな淡い期待を抱きながら、違う棚へと移る。歩きながら目に留まったタイトルの本を抜き出していく。

 もちろん、一人一度に三冊までを守って。


 小説が三冊見つかると、座って本が読めるコーナーへと移動する。

 そこは小学生以下立ち入り禁止で、(小学生以下の子供達にはその子たち専用のコーナーがある)カフェのようになっている。

 もちろん、本を汚したら罰金を支払わなくてはならないのだけれど、コーヒーや紅茶が無料で飲めるのはありがたい。

 ちなみに、お菓子なんかの食べ物類は、本の間に挟まっちゃう事があるのでNGだ。

 あたしが勝手に決めた、あたしだけの指定席。

 換気扇の下で少し音が気になる。だからこそ、そこには誰も座らない、寄り付かない。

 観葉植物の陰に隠れた席。そこがあたしの指定席だ。


 いつものように、少し薄めの紅茶を入れる。

 フレッシュがあまり好きではないから、混ぜるのは砂糖だけ。

 でもフレッシュを入れたとき、もわもわと浮かび上がる瞬間は大好き。

 クルクルとかき混ぜ、ティースプーンを洗って所定の位置に戻すと、指定席に紅茶と本を運ぶ。

「……え?」

 こんなにも珍しいことがあるんだな、と思う。

 観葉植物の陰で隠れてわからなかったのだけれど、そこには先客が居た。

 今思うと、あたしがいつも集中していて気づかなかっただけで、あたしと同じようにここを定位置とし、座ろうとしたときにあたしがいた。

 ……そんなことが、あったのかもしれない。

 今日は別の場所で読むしかないかな。そう思ったときだった。先客の男性がぐっ、と伸びをする。

 その際、開いた本にしおりを挟まずに、開いたまま伏せている。

 その本のタイトルは、あたしが先ほど探していたタイトルではないか。

 ……と、言っても見えたのはタイトルではなくて、表紙の写真なのだけれど。


 この人があの本持っていたのかー!! あたしの指定席といい、何から何まで奪ってくれるなぁ。

 少し拗ねた気分になり、心の中で口を尖らせる。

 ふと、男性に目を戻すと、男性もこちらを見ているようだった。

 ……しまった。こんなところに立ち止まってじっと見ているものだから、怪しまれているに違いない。

 誤解されて文句をつけられたら面倒くさいことになりそうだ。

 あたしはすぐに目を逸らし、別の席へと足早に歩き出す。

 できるだけ、あの男性とは離れた席に座ることにしよう。

 そうだ、こちらから観葉植物で見れない場所に行けば、男性の方からだって見えないはず。

 うん、そうしよう。しょうもない考えをまとめ、一人頷く。

 死角ならコーヒーメーカーがあるところだ。そう思ったときだった、軽く肩を二回たたかれる。

 まさか……と思い、ゆっくりと振り返ると、先ほどの男性じゃないか。

 これはやっぱりあれだ、睨んだ睨んでないの言い合いが……


「柏原?」

「いや、だからあたしは……………………え?」

 名前を呼ばれ、驚く。きっと間抜けな表情だったに違いない。

 肩に手を置いたまま、眼鏡の奥にある目が細まり、「ップ」と、吹き出されてしまった。

 何この人……失礼! そう思ってしまったらアラ、不思議。

 あたしはポーカーフェイスとかそういうのは苦手。そのままの感情が表情に出てしまっているのが、自分でもよくわかった。

「そんな顔、すんなってー。でも、無視する柏原が悪いんだぞ? 何、俺の事嫌いとかなの? 目が合ったから、手を振ろうとしたらどっか行っちゃうんだもんなー」

 馴れ馴れしい接し方。

 状況が掴めず、キョトンとしているあたしを尻目に、『やっぱり、本を読んでいたら疲れるなー』と呟きながら眼鏡を外し、目頭を押さえる。

 何も言わないからか、目頭を押さえた手を離し、少し心配げにこちらを見る。

「え、ちょ……マジで嫌われているってオチ? な、なんか言えよー、柏原ぁ~」

 そう、あたしなんかにこんなにも馴れ馴れしく接してくるのは、愛花以外にあの人しかいないじゃないか。

 一人慌てる先輩を見て、思わずクスリと笑ってしまう。

「違いますよ、驚いているんです。だって、今まであたしが先輩に会ったとき、眼鏡していなかったじゃないですか? だから、全然わからなかったです。」

 あぁ、なるほど。先輩はそう呟くと、安心したように、ニッコリと微笑んだ。

 ……年上の人なのに、なんだか、可愛いなぁ。

「いや、普段はコンタクトなんだけどな、結構疲れるじゃん? だから、休日とかはいつも眼鏡なんだ」

「そうなんですか? あたしも愛花も、視力いい方なんでコンタクトとかには縁がなくて……」

「え。柏原、本とか結構読むのに? 羨ましいねぇ。俺とかはアレかな? 真っ暗な部屋でパソコンとかするからかなぁ」

 そんな、他愛もない会話をしながら先輩はコーヒーを淹れた。

 そのまま、先ほどの席へと歩き出す。

 自然と先輩の後についていく自分がいて、なんだか可笑しかった。



「でも驚いたなぁ。まさかこんなところで、柏原と会うなんて思いもしなかったよ」

「あたしもです。市民図書館とかに皆行くから」

「あー……たしかに、普通はここに来るくらいなら、少し足を伸ばしてってヤツ、多いみたいだね」

 先輩の、“ここに来るくらいなら”という言葉に対して、近くにいた図書館の人がチラリとこちらを見た事に気づく。

 ……ちょっとぉ。勘弁してください。

「でも、先輩もこの辺りに住んでいるんですね」

 違う話題にしてみる。すると先輩はキョトンとした顔をした後、小さく笑う。

「柏原の家は、この辺なのか?」

 何をいきなり。そう思いながらも、頷き返す。

 すると、先輩はクククと笑った。

「俺の今住んでいるマンションはこの辺じゃないぞ?」

 そう言って、この図書館最寄の駅から四駅離れたところが最寄だと口にした。

 その辺りには図書館がないのかと、身を乗り出して聞くと今度は大きく笑われてしまった。

 ちなみに、図書館ということで先輩は再び係りの人に睨まれていた。

「いや、だって……! そこからなら、ここに来るよりも市民図書館の方が近いじゃないですかー!!」

「まあ、そうなんだけどな? 何、どうしてそんなに反応するのさ?」

 笑いながら聞かれる。

 そりゃあ、わざわざこんなところまで図書館に本を読みに来るなんて、おかしな人だからですよ!!

 学校の近く、とかならともかく。学校とも少し離れている。

 しかも学校の図書室の方が広いと思うのだけれど……


「いやね、俺、昔この辺に住んでたの。っつっても、小学二年くらいまでかなぁ……そのときに、結構通っていたんだ。今住んでいる近くの図書館も利用していたけど、あそこ新刊入るの遅くてなー。もちろんほかも行った。けど、一番ここがなんか落ち着くしな。なんて言ったって、このコーナーが好きでさー。それに、市民図書館はちょっと人多すぎて苦手なんだわ」

 そう言って、先輩は笑った。それにしても……こんなとこまで通っていたら、交通費だけで馬鹿にならないじゃない。

 そう思ったことが、また表情に出ていたのか先輩は苦笑いを浮かべる。

「こっちにな、バァちゃんが住んでいるんだ。引っ越すときに、一緒に行こうって言ったんだけど、そんなに遠くならないとしても、自分が生まれ育ったところを今更出ても、心細いだけだーって言って残ったんだよ。で、俺は結構なおばあちゃんっ子ってやつで、毎週日曜になると遊びに行くんだ」

 最後に、『いい子すぎるだろ?』と、付け加える。

 それがなかったら本当に、いい人なんだなって思えた。……そう、口にすると先輩は『たしかにな』と笑った。

「でもさー、バァちゃん、最近ゲートボールとか始めたらしいんだよ。元気すぎるだろ? で、俺が行っても家にいないときが多くてさー。時間潰しにたまに来るってわけだ」


 先輩は一応、お婆さんがゲートボールを終わる時間を聞き、それにあわせて向かうらしいのだけれど、そこで出来たお友達と話が盛り上がったりすると帰りが遅れるらしい。

 そんな時はここにいつも来るらしく、来たのも数ヶ月ぶりだということだった。

 あたしは月に二、三回利用するけれど、会った事がなかったのが、少し不思議。

 ……いや、会っていたとしても、お互いを知る前で、それにあたし自身が、他人に興味を示していなかった所為かもしれない。

 世界は、こんなにも狭いもんなんだなぁ……なんて事を考える。


 それからしばらく、あたし達は先輩のお婆さんの事や、あたしが手に持っていた小説の事なんかを話題にして盛り上がった。

 あたしが読もうとしていた小説は、既に先輩は読んでしまっていたらしく、結末を言われそうになって先輩の口を手で塞いだ。

 その反応が面白いと言い、何度も何度もネタバレをしようとする先輩。

 あたしが怒って席を立とうとすると、今度は先輩が慌てたようにフォローをする。

 うん、面白い。……と、いうか可愛い。

 今度はあたしが先輩をからかう。そんな流れを繰り返しているうちに、時間は刻々と過ぎていく。

 気づいた時にはお昼を過ぎた辺りで、マナーモードに設定されていた先輩の携帯が机の上で震えた事で話が止まった。

「あ、バァちゃんだ。ごめん、出てくる」

 そういって先輩は電話や喫煙ができるスペースへと足早に向かった。

 こんなにも話に夢中になったのは、久しぶりだ。

 ポカンと空いている、先ほどまで先輩が座っていた席を見る。

 この状態が、いつもと同じ。椅子は二つあるのに、あたしの向かいはいつも空っぽで、たまに気まぐれで愛花がついてきたときに座っているくらいだ。

 愛花は一緒に居ても、あたしが集中しているときは話しかけてこないし、同じように本を読んでいるだけだ。

 だから、こうして夢中になって話す、なんてことはない。

 もしかしたら、場をわきまえずに大きな声で話していたかもしれない……

 そうだったら少ない人とはいえ、周囲には迷惑かけたな、と反省。



 しばらくすると、先輩が申し訳なさそうにして戻ってきた。

 あたしは気にしていないのだけれど、電話で席を外した事が申し訳なく感じるとのことだった。

 そんなに待たされていないのに。そう言ったけれど、先輩にとっては五分以上も電話で一緒にいる人を待たせるのはNGらしい。

 しょうもないプライドですねと、笑って見せると少し拗ねたようにブツブツと文句を言っていた。


 お婆さんが帰ってきたらしく、これから家に行くそうだ。

 持っていた本を片付けようと立ち上がった先輩を呼び止め、その手に握られた小説を指差した。

「先輩、その本借りて帰るんですか?」

「いや? 借りても期限を守れるか怪しいからな。棚に戻すつもりだ」

「じゃあ……! あたし、それ読みたいんで、置いていってください。あ、返す本棚はわかりますので、大丈夫ですよ」

「あれ? 柏原も、このシリーズ読んでるんだ?」

「はい。元々父が好んでいたんですけど、今ではあたしの方がハマッテいますね」

「へー……」

 先輩はほんの少しの間、本をじっと見る。

 そしてニッコリ笑顔でこちらを向き鞄からカードを取り出してこちらに振って見せた。

「ごめんなー、これ俺借りて帰るから、返却してから借りてくれるか?」

「え、ぁ……?」

「ん? どうした?」

「ど、どうした? って……先輩今、借りないって言ったじゃないですか!?」

「あー……気が変わった。いいところまで読んでいたし、最後が知りたくなったんだ」

「は、はあ? 何言って……」

「だから、柏原は俺が返す時に連絡するから、そのときな? って、事でこれから時間ある?」

「はい?」


 話の展開に全くついていけない。

 先輩の意味不明な行動に、目をパチクリさせているとニヤリと笑い、『どうせオマエは暇だよな』と決めつけ、手を引かれる。

 あたしが止まるものだから、先輩は少しむっとした顔をした。

 ……いやいや、当たり前でしょう。

「あの……意味が分からないんですけど?」

「だから、これから時間ある? って聞いたろ? で、柏原の事だから、俺が婆ちゃんち行った後はどうせここに座って本読むわけだろ?」

「それが目的でここに来ましたから。それより先輩、本のこと……」

「ほら、それなら一緒に昼飯食おうぜ。すっげぇうまいとこ知ってるから。な? 借りたい本は? あるのか?」

 咄嗟に首を横に振ってしまう。

 それを見て先輩は嬉しそうに笑い、『強制連行な!』と言って、あたしが持ってきていた本を手に取った。

 表紙を見てぶつぶつ何か言ったかと思うと、あたしの荷物を持ち、そして一緒に飲んでいた紅茶やコーヒーの入った紙コップも持つ。

 戸惑うあたしを無視して強引に手を引き、教えてもいないのに次々と本を元の場所に戻していく。……一つも間違っていない事が不思議だった。


 足早に図書館を後にする。

 図書館の前は交通量の多い道路なのだけれど、横断歩道を使わずに渡ろうとする先輩を引きとめ、進行方向にある歩道橋を指差し使うように言った。

 面倒くさそうだったけれど、そんな仕草が子供みたいで、すごく可愛かった。

「あ、あの……でも先輩、お婆さんのところに行くって……」

「え? ああ、そうだぞ」

「でも、あたしなんかとお昼取ってたら、待たせてしまうんじゃ……ていうか、そろそろ手、離してください」

 未だあたしは先輩に手を引かれたままだった。

 さすがにちょっと……恥ずかしい。

 友達とはいえ、あたしたちは男女であって、それにもし愛花に見られたりしたら、勘違いされてしまうじゃない。

「離せないよー、多分行き先言ったら柏原、逃げそうだし」

「え? ……ま、まさかお昼ごはんは口実で、そ、その……!?」

「は? どうして顔真っ赤になってるんだよ。何? いやらしいことでも想像したのかー? 柏原はエロイなぁ。」

「なああああああああ?! 先輩、あたし帰ります!!!」

「帰るなって! もう二人で行くって言ってあるんだからな!?」

「え、もしかして集団ですか!? なにそれ最低ですよっ!」

「だからどうしてそうなるんだよ!?」

「じゃあ、誰に言ったんですか?!」

「婆ちゃんにだよ!!!」

「……え?」

「だから、婆ちゃんに、友達といるって言ったら、一緒に連れて来いって言われたから、その……行くって返事しただけ」


 何故か恥ずかしそうに言う先輩。

 一瞬、思考がピタリと止まってしまったわけなのだけれど……

 えっと、つまり……

「あ、あたしに先輩のお婆さんと会えと?!」

 そういうことだそうだ。そもそもあたしの人見知りの激しさ、可愛げのなさはもう自分でもお墨付き。

 そんなあたしに初対面の人にご飯をご馳走になれと?

 ……一体なんの拷問なのですか?

 この後の行動は、先輩の予想通りだったらしい。

 あたしは行く事を断り、強引にでも帰ろうとする。

 先輩も到着してからだと観念すると思っていたらしいのだけれど……観念なんてするわけないじゃない!


 結局、それから行く、行こうの戦いが続いたのだけれど……

 先輩が恥ずかしいくらいに何度も懇願するものだから……あたしが折れてしまった。

 うぅ……友達付き合いって、面倒くさいかも。




 先輩のお婆さんが住むお家は、図書館から歩いてほんの十五分もかからない場所にあり、小さくも大きくもなく、けれど縁側なんかがありそうな少し古い感じのお家だった。

 あたしの祖父母は父方は田舎ではあるけれど、リフォームしたんだよ! といって、今風の家になっているし、母方の祖父母は母のお兄さん夫婦と一緒に暮らしているため、やはり家は今風に作られている。

 だからこういった、縁側がありそうな木造のお家は新鮮で、ワクワクした。

「柏原?」

 入口で感動しているあたしを、不思議そうに見る先輩。

 そうか、先輩にとってこの風景は当たり前のことで、むしろ先輩は昔ここに住んでいたんだ。

 少し、羨ましいな。なんとなくそう思った。

「こういうお家って、入った事ないから感激しちゃいました」

「なんだそれ? 庭に大きな池、とかはないけど、縁側はちゃんとあるぞ」

「わ、すっごい」

 先輩はニコリと笑い、玄関口に立ちインターフォンを押した。

 誰も出ていないのに、今度は大きな声で「ばぁ~~ちゃ~~~ん!」って呼ぶものだから、思わずクスリと笑ってしまった。

 奥からは「うっさいわぁ~!! 声がデカイんじゃ~!!」と、元気な声。

 勢いよく扉が開いたかと思うと、すばやく先輩の頭に何か筒のようなものが振られた。

「いってぇえええ!?」

「ふん。何度言ったらわかるんかね、この子は。鍵開いとるから入ってこいゆーに」

「いや、勝手に人んちあがるの、アレじゃん」

「人んちて、元々はオマエも住んで……おーおーおー!」

 あたしよりも少し小さく、あたしの祖母よりも少し若さを感じるご老人は、あたしを見て先ほどとは打って変わっての笑顔。

 幾つくらいかは知らないけれど、髪は少し白髪交じりだけれど、ほとんど黒髪が多い。

 染めているのかもしれないけれど。

 あたしたちの祖母といえば、二人とも髪は白髪が多く、母に染めた方がいいといわれても、液体が怖いとか言ってそのままだった

 病院に入る前は、腰が曲がりつつあり、普段の生活も少ししんどくなってきたと言っていた。

 先輩の話によると、先輩のお爺さんは数年前に他界されているらしく、一人で生活しているとのことだ。

 ヘルパーさんなんかには頼らず、ご近所さんに時折力を借りる程度だとか。


「こりゃぁ、またぁ……和輝ぃ、オマエもなかなかやるねぇ?」

「はあ? 意味わかんねーよ」

「いらっしゃい、えーっと名前は~……」

「あ、の……初めまして。柏原愛香と申します。突然お邪魔してしまって、申し訳ありません……」

「ええよ、ええよ。和輝が友達、なんて言って、私に紹介してくれるのは初めてでね、嬉しいんよ。ほら、中に入りなさい?」

 軽く頭を下げ、お家に上がらせて頂く。

 少し緊張しているのは自分でも感じていたけれど、それは顔にちゃんと出ているらしく、先輩に笑われてしまった。

 ……酷く、緊張しているみたい。


 中は少し、埃っぽい匂いがし、廊下を歩くと時々軋む音がする。

 小さい頃、家族で何度も見た『となりのト●ロ』に出てくる家みたいで面白い。

 居間に案内され、座るように言われたちゃぶ台には、可愛らしい旗の立てられたオムライスが用意されていた。

 この家の雰囲気とは不釣合いなのが面白く、そして旗を見て顔を真っ赤にする先輩がまた面白い。

「好きだろー? この間見つけたから買ってやったのよ」

 お婆さんはニッコリ笑って、100円均一の袋を見せる。

 先輩は、子供っぽいだとか、好きだったのはいつの話だとか文句をたれながらも、席に着いた。

 あたしはお婆さんが指定してくれば場所に座る。

 実家はテーブルで、椅子に座って食べるものだから、ちゃぶ台でご飯、なんて余計に緊張する。

 正座していればいいんだよね……なんて考えながら正座をし、お婆さんが座るのを待った。


「そろそろかなぁ、と思ったけど、丁度よかったみたいだねぇ。ほら、遠慮しないでお食べ」

「ありがとうございます。いただきます!」

 キ●ィちゃんの描かれたスプーンを手に持ち、オムライスを口に運ぶ。

 とても美味しく、思わず感想が口から零れる。

 お婆さんは嬉しそうにすると同じように口に運んだ。

 いろいろと質問攻めにあったのだけれど、不思議と緊張が解れていき、話は弾むばかりだった。

 時々あたしたちの話に先輩が突っ込みを入れたり、質問をしたり……

 そんなこんなで楽しい時間は図書館のときと同じように、あっという間に過ぎていった。


 夕飯も一緒にどうかと誘っていただいたけれど、愛花が家で待っている事を伝え、また遊びに来ると約束をした。

 お土産まで持たせてくれて、なんだか申し訳なかったのだけれど、是非また来てほしいと言ってもらえて、悪い気なんてしなかった。

 むしろ、本当に楽しくて、こっちが嬉しいくらいだったのだから……


 先輩が送ってくれると言ってくれたのだけれど、玄関でトイレに行きたいといって待つように言われた。

 お婆さんは呆れたように溜息をついた。

 苦笑いを返し、ふと、下駄箱の上に飾られた写真に目が行く。

「なんだかんだ言っても、独りになると寂しいもんだからねぇ……」

 そう言って、一つの写真立てを手に取る。

 そこに写っている人は、家のあちこちに飾られていた写真にもいた人。

 多分、先輩のお爺さんなんだろうな、と思った。

「和輝たち孫が、こうやって遊びに来てくれるけど、やっぱり私はこの人がいてくれないとつまらなくてねぇ」

「……その、写真立ては手作りなんですか?」

 なんとなく、そう思ったから口にしてみる。

 店で買ったにしては少し作りが悪く、そして使われている布も何かの余りもののような感じがした。

「そうだよ、私があつらえたんだ」

「ビーズでお花が作ってあるんですね。可愛いです」

「ありがとうねぇ。本当はアルバムにとじるほうがいいんだろうけど、こうやって飾っておいたら、いつでもこの人が目に止まるだろう?」

「大好き、なんですね」

「そうだねぇ、文句も言ったし、言われたけど、私は一番この人がよくて、大切なんだろうねぇ」

 そんな風にして気持ちを口にできる関係は、すごく羨ましく思えた。

 もう、触れることさえ出来ない存在。それでも大好き、大切だといい続けられる関係……すごく、素敵だ。

 そう伝えようとした時、先輩がドタドタと大きな足音をさせて戻ってきた。

 あたしはもう一度お礼を言い、軽く頭を下げ手を振る。

 お婆さんはあたしたちが角を曲がって見えなくなるまで……ずっとニコニコと背中を見送ってくれていた。



「今日はごめんな? いきなり誘ってさ」

「あ、いや……最初は驚いたんですけど、楽しかったです」

「そっか、ならよかった。そうそう、本だけどさ。来週には返すから」

「わかりました。図書館で本が返却されるの、待ち構えてます」

「ま、待ち構えなくても……時間とか、日とか、合わせたらいいんじゃないか? 日曜はまた婆ちゃんちだから……土曜とか」

「土曜? 土曜はあたし、午前は授業取ってますよ」

「昼からはとってないんだろ?」

「でも、確か先輩は取ってるんじゃ? さっき、図書館で話したとき言っていたじゃないですか」

「……来週は、休講。そう、休講なんだって」

「は、はあ?」

「考えとけよ?」

「気が向いたら」

 先輩は不服そうな返事を返すと、それっきり黙りこんでしまった。

 それがなんだか気まずくて、話しかけ辛くって、気づけばもう図書館の前まで来てしまっていた。

「ここで、いいですよ」

「いや、家まで送るよ」

「夕方ですし、まだ大丈夫だし。先輩は早く戻って、お婆さんのお手伝いでもしてください」

「いや、しねーよ? するように見える?」

「見えないですね」

「んー、ま、いっか。じゃあ、ここで」

「はい」

 本当は、強引にでも送ってほしい。もう少し、話がしたい。

 そんな考えが一瞬頭を過ぎったけれど、すぐにそれを消して頷いた。

 何を考えているんだか。

「そうだ、今度またサークルの方に顔出してくださいね?」

「おー、うん。柏原が来るなら行くよ。本のネタバレしたい」

「最低……妹に紹介したかったんですけど、やめておきます」

「え、ちょ……紹介って、なんて?」

 少し驚いたように聞く先輩を不思議に思いながらも、愛花に大学で友達ができたーと、恥ずかしながらも紹介したいと言うと呆れたような、困った顔をしながら笑われた。

 たしかに、いちいち紹介なんてしないかもな。そんな事を考えながらも、お願いしておいた。

 先輩と別れ、帰路に着く。

 お友達の家……ではないのかな? でもそんな風に遊ぶことが楽しくて、嬉しかった。

 似合いもしないスキップをしながら、愛花に帰ることを伝えるメールを送るのだった。




「じゃーん! ソースもわたしお手製です!」

 テーブルに並べられたのは、どういう偶然かオムライスとスープ。

 ミネストローネなんかも全て御手製らしく、美味しそうな香りだ。

 お昼に先輩のおばあさんのところでオムライスをご馳走になった……なんていうと、愛花を傷つけてしまうかもしれない。

 ここは何もなかった事にしておこう。

「美味しそう! ミネストローネには大豆いれてっていつも言うのに~」

「もぉー、あんなの好むのはアイちゃんくらいだよー! 小学校の給食でも不人気メニューだったじゃない」

「あれ、すっごく美味しいのに。すぐに手を洗ってくるね」

 秘密にしているのもなんだかなー、と思い、お土産を渡して先輩に会った事、先輩のお婆さんにお会いした事を言う。

 少し反応にビクビクしていたのだけれど、最後に先輩を愛花に紹介したいって言ってきたことを言うと、少し照れたような笑みを見せた。

 うん、大丈夫だったみたい。

 そのあとも何をご馳走になったのかなんて事を聞かれたけれど、そこは適当な料理をあげておいた。

 料理は愛花に任せちゃったからと、後片付けはあたしがする。

 片づけが終わる頃に、愛花からお風呂が開いたと声をかけられた。

 

 湯船に浸かりながら今日あった出来事を思い返す。

 とても楽しい一日だった。目当ての本を読む事は叶わなかったけれど、それ以上の収穫があった。

 来週、先輩はまたあたしと会ってくれると言った。

 本を口実に、会う約束を取り付けた。

 今度先輩に会うとき、きっと今日の本のネタバラシをしたがるに違いない。

 だったら先に本屋さんで買ってしまおう。そうすれば一緒にあの本の話ができるかもしれない。

「楽しみだなぁ」

 そんな言葉が、ふと口から零れ落ちた。

相変わらずのマイペースすんません。w

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