11 ~恵美~
勉強机に座り、ぼーっとしていると突然ドアが開きビクリとなる。
愛香ちゃんは階段をあがるときに足音を立てないためにこうやって驚かされることは珍しいことではない。
ただ、今日驚いていたのはちょうど彼女のことを考えていたからだ。悪い意味で……なのだけれど。
「お、お帰りなさい」
「ただいま、マナ」
何も悪いことしていない。なのにどうしてこんなにもこの人に怯えなくてはならないのか。
もう大丈夫。むしろ、今のアイちゃんはいつもより機嫌のいいほうだ。なのにやはり昨日植えつけられた恐怖心はどこにも消えてはくれなかった。
「お、遅かったね」
「うん、ちょっと図書館に。マナこそどうしたのよ? 誘おうとしたらすぐに教室から飛び出して行っちゃったじゃない。」
「ん、そだけど。なんでもないよ。」
「ふーん? ほんとに?」
「本当だよ。すぐ帰って来ているから。お母さんに聞いてみなよ?」
「クス、そんな必死にならなくてもいいわよ。」
愛香ちゃんはそう言い笑いながら着替えを始める。
今日は昨日のように電気は消えていないし、きっと不気味さだって感じないだろう。どうしてか、昨日の恐怖を彼女にも味わわせてやりたい。そう思っている自分が怖かった。
「……? マナ、どうしたの?」
「ううん。なんでもないの」
「そ? あー、おなか減った。母さん夕飯なにって言ってた?」
「えっと……ごめん、今日は聞いてないや」
「そ。じゃあ自分で聞いてくる」
愛香ちゃんはそう言うと先に階下へとおりていく。
まるで昨日と同じ様に、部屋の中にポツンと立ったままのわたしだけが残るのだった。
小さくため息をつき、勉強机に突っ伏す。
勢いがよかったせいかゴロンと音を立ててカエルのぬいぐるみが床に落ちたけれど拾う気にもならなかった。
夕飯の後、あの出来事がまるで嘘だったのかと思うほど、彼女の態度は激変していた。笑顔で話しかけてくるし、夜だってわたしの頭を撫でながら眠った。
今朝だって、いつものように登校したしお昼だって一緒だった。その間わたしはというとやはりどこか怯えて彼女と接していたというのに……
わたしがきちんと白状したからだろうか? たったそれだけで彼女は満足したというのだろうか?
とりあえずこのままじゃだめだ・・。ちゃんと折原さん……恵美ちゃんと話をしよう。もう一度、ちゃんと。
翌日、土曜ということで学校は休みなものの、一刻も早く恵美ちゃんと話がしたかった。
だから少し早めに起床し、いつも帰りに寄るファーストフードに来てもらおうとメールを送った。
しかしなかなか返事がこない。まだ寝ているのだろうか……なんて考えつつ宿題を進める。
しかし、昼前になっても返事はこないままでさすがにそろそろ起きてほしいと思いもう一度送信した。
携帯を閉じる音に目を覚ましたのか、ベッドの上でもそもそと愛香ちゃんが起き上がった。
「マナおはよ」
「お、おはよう」
「もう起きてたんだ? 珍しいね。いつもは昼過ぎまで寝てるのに」
「うん。その……今日はちょっと約束があるから」
「ふーん。誰と?」
「ま、真美だよ。」
「そ?ならいいんだけど。ふぁ~、顔洗ってくるー……」
大きな欠伸をしながら部屋を出て行く愛香ちゃんにほっとする。こんな嘘、簡単に見破られやしないだろうかと思ったけれどあまり気にしなくていいようだ。
そしてタイミングを見計らったかのようにして携帯がメールを受信する。確認すると恵美ちゃんからだった。
しかしその内容に首をかしげる。まったく意味がわからない。
『別に、もう話すことなんてあたしにはない。』
わたしはすぐに恵美ちゃんに電話をかける。プルルルルル・・と、3回ほどコールされたあとプツっという音がして繋がる。
「あ、恵美ちゃん今のメールどういう──」
しかしすぐにツーツーツーという音が邪魔をする。すぐに何が起こったのか理解できなかった。
ああ、きっと電波状況が悪かったり偶然切れちゃったんだ。そう思いもう一度掛けなおすが結果は同じだった。
わけがわからない。ちゃんと話をしなくちゃいけないのに!
昨日は結局大事なこと、何も言えずに逃げてしまった。愛香ちゃんがあの様子だともう大丈夫ともいえるけれどまだまだわからない。
とにかく、今はきっと都合が悪いんだ。そう言い聞かせ、携帯を閉じ椅子に崩れこむように座る。
もう一度携帯を開き、恵美ちゃんからのメールを見直す。
“別に、もう話すことなんてあたしにはない。”
どういうことなのだろう。昨日結局何も話しなんて出来やしなかったのに。
その日一日、わたしは不安で仕方が無く胸騒ぎを抑えるためにきっとどこかに出かけていて……なんて都合の言いことを考えすごした。
なんだろう。胸の奥がチクチクと痛む。こんなとき決まってよくないことが起きるのだ。
幼い頃なら両親に叱られたり、先生に叱られたりした。仲のいいお友達と喧嘩になったり。そんなときと同じ感覚。
神様どうか……もう何も起こりませんように……
待ち待った月曜日。
教室に駆け込むと恵美ちゃんは既に自分の席についていた。
真美に声をかけられたがそれを無視して恵美ちゃんの席へと向かう。
「お、おはよう」
声をかけると彼女はビクっと身体をこわばらせた。そして恐る恐るといった感じでわたしの顔を見て軽く頭を下げそのまま席を立つ。
「恵美ちゃん?!」
「来るな」
「で、でも、どうして……?」
その言葉に反応するかのようにしてゆっくりと振り返る。彼女の表情を見てその場に凍りつく。
今までわたしに向けられていた笑みはそこには存在せず、わたしのことを鋭くにらみつける目。そして憎しみの篭った表情。
どうして……そんな顔、するの?
そう言葉にしたくても口からはすーっと息が漏れただけで声は出なかった。酸素を求める魚のように口をぱくぱくとさせ、じりじりと後ろに下がる。
さっきまでわたしを拒絶していた彼女はわたしよりも速いスピードで距離をつめ、顔が近くに来たと思った瞬間、わたしの身体がぐらりとゆれる。
「ぐ……っぁ」
胸倉をつかまれ、少しだけ身体が宙に浮いた感覚。
どうして? もう一度それを口にしようとしたとき、顔を歪ませ彼女が低い声で言う。
その声は恵美ちゃんのものとは思えず、一瞬他の誰かが発した言葉じゃないのかと疑うほどだった。
「どうし、て? どうしてどうしてどうして!? よくもそんなこと聞けるな!? なに? 先週の事は綺麗さっぱり忘れるのでこれからもお友達でいましょうって言いたいわけ!? ねええ!? そうなの? じゃあこっちだって聞いてやるよ!! どうして? ねえッ!? どうして?!! ねえねえねえねえええ!? どうして今更?! なあ、答えろよ……!!!!!!」
頭が追いつかない。理解をする前に、恵美ちゃんの言葉が被ってきて頭がパンクしそうになる。
彼女は一体なにを言っているの!? そう思っても言葉に出来ない。 苦しくて、胸が痛くて……この間まであんなに一緒に笑っていたのに。
「お、折原さん! やめなよ!」
恵美ちゃんの行動に異常を感じた真美が恵美ちゃんに掴みかかるようにしてわたしから放そうとしてくれる。
それでも恵美ちゃんはわたしの襟を放そうとはせず、なんども「どうして?」を繰り返す。
恵美ちゃんの「どうして?」に混じって「離れろって!!」という真美の怒声、同じように止めに入るクラスメイトの声や止めもせず巻き込まれまいと遠巻きに見ている人のヒソヒソ声、そして廊下から注がれる視線視線視線……
そんな中わたしはわけもわからず呟く。きっと届くことの無いだろう無意味な6文字。
どうしてその言葉が口から漏れたのか、わからない。わからないけれど手が放れその反動で勢いよくしりもちをついた今でもそれを口にする。
まだわたしに掴みかかろうとする彼女を止める真美やクラスメイトの声に掻き消されながら……怒り狂った彼女を見つめ、言う。
「ごめんなさい」
騒ぎを聞きつけてか、あるいは誰かが呼んだのか、先生たちが野次馬たちを掻き分け教室内に入ってくる。
未だ暴れる恵美ちゃんを押さえつけ落ち着かせようとしている声がした。
その中わたしは見た。教室に入ることもせず、中も見えないであろう場所にいるのに中の様子がはっきりわかっているかのような笑みを。にやりと、笑った不気味な笑みを。
一瞬見えたそれはすぐにまた人ごみにまぎれてしまう。そのとき、わたしの視界がグラリと揺れた・・・
手が、暖かいな。
最初に感じたのはそれだった。次第にぼんやりとした視界から白い天井がはっきりとわかるようになる。
ゆっくりと首を動かすと頭の中で脳がごろんと転がったような感覚になり動かすのを止める。
「……どうして」
その言葉にはっと息を呑む。
頭が痛いだなんて言ってられないと、首を声のほうへと向けるとそこには恵美ちゃんが立っていた。
この手のぬくもりは彼女だったんだなと思い、何か言うとそのぬくもりがどこかにいってしまいそうだったため何も言わず彼女を見る。
わたしが起きたことに気づいたのか気まずそうに目を逸らした。
「ここ、は?」
「保健室だ」
「そ、っか」
「突然倒れたって、先生が言ってた」
「ん、そか」
二人してしばらく黙り込む。「どうして?」と聞きたいのはわたしの方だった。だけどそれを聞くと彼女は錯乱した。
「あの、恵美ちゃん」
「……ごめん」
「え?」
「ごめん、調子に乗っていたのはあたしの方だったんだ。そうだ、ごめん」
一体何のことだろう。それを聞く前に彼女は手を離し、弱々しく笑う。
「なあ、今朝、あたしに話しかけてくれたってことは、あの日、メールをくれたって事は、あたしのことを赦してくれたんだよな……? これからも、友達でいてくれるって、事だよな?」
「もちろんだよ。わたし、こんなことになって、それ、わかんなくって……ごめ、んなさい」
それ以上何も言うな。そう、言うようにしてわたしの頭に手をおく。じわりと目が熱くなり、ポロポロと涙が零れ落ちる。
教室でのあの出来事はなんだったのだろうか・・こんなにも彼女はやっぱり傍にいて安心させてくれるのに、さっきはまるで別人みたいだった。
わたしのことを憎しみと殺意の篭った目で睨みつけていた。それが今となっては、弱々しくはあるものの微笑みかけ頭を撫でてくれる。
さっきのことは夢なのだろうか? だいたいわたしはどれくらいの時間、ここに寝ていたのだろう。
あんまり長すぎると病院に運ばれているだろうし。わたしがあれこれ考えていると頭上から声をかけられる。
見上げると、とても切ない表情を浮かべた恵美ちゃんが、こちらを見下ろしていた。
「……めぐみ、ちゃん?」
「ごめんな、あたしは駄目だな。愛花、大好きだ。友達としても、恋愛対象としても。ごめんな、こんな事また言ってさ。じゃあ、あたしそろそろ行くよ。落ち着いたら職員室に行くんだよ? 相沢とか居ると思う。かなり心配してたし……ってあたしの所為か」
「ん、わかった」
あえて最後の部分には触れないでおく。これ以上彼女に自分を責めてほしくなかったから。
「じゃ、帰るな」
「うん、ありがとう。また明日ね!」
「そこでありがとうって……ま、いいや。愛花、バイバイ」
そう言って、恵美ちゃんはその後一度も振り返らずに保健室を出て行った。
恵美ちゃんの姿が見えなくなった途端、涙が再び溢れ出す。
本当に教室で何があったのかわからない。だいたいどうしてわたしは倒れたのだろう。
わずかに耳に残っている彼女の「どうして?」と真美の怒声、野次の声、そしてわたしの謝罪……それらを振り払うかのようにして首を左右に振り、頬を両手で叩く。
よし。職員室に行ってもあれからどうなったか、なんてことは聞かないでおこう。きっと真美辺りが話したがると思うけどそれも無視だ。
明日から恵美ちゃんは元通り。これからも友達でいると言ってくれたのだから、今日の事は帳消しにしよう。
そうだ、この間オープンしたアイスクリーム屋さんの一番高いパフェを奢ってもらおう。うん、それで帳消し。
そうと決まればなんだか心が軽くなった気がした。早く真美のところへ戻って安心させてあげよう。
あの騒ぎの後なのだから、恵美ちゃんが真美たちに報告しに行ったとは考えられないし。なんせ、顔が合わせにくいだろうし。
ただ、少し気がかりなのはこの場に愛香ちゃんがいない事だった。自意識過剰と言われるかもしれないけれど、こんな時一番騒ぎ立てるのは愛香ちゃんのような気がしていたから。
「よし」
そんな事を振り払い、声に出し、気合を入れる。
ベッドから出て誰かが用意してくれていたであろう飲み物をとろうとベッド横の台に手を伸ばしたときふと気づく。
「……あ」
そこには先日恵美ちゃんが買ったと自慢していたチョーカーが置かれていた。それなりの値段がしたとかで、こっそりアルバイトをしていたらしい。
パっとみた感じのデザインは格好いいんだけど、近くで見れば可愛らしさもあるチョーカーで同じ物を買おうとしたんだけど値段を聞いて口から心臓が出そうになったっけ。
きっと今追いかければ届けられるかもしれない。そう思いそれを手に取りポケットに入れる。
保健室を飛び出そうとしたとき、席を外していたのか保健室の先生とぶつかる。どうしたの? という声を遮りもう大丈夫だと告げ外に出た。
ここから校門までは結構近いから走れば間に合うだろう。校舎を出て昇降口を目指す。
しかしもう恵美ちゃんの姿はなく、このままだと学校を出る羽目になってしまう。ポケットからチョーカーを取り出し手に乗せる。
もしかしたら保健室の先生が職員室に連絡しているかもしれない。だとすれば、なかなか戻らないわたしを心配し、また迷惑をかけるだろう。
追いかけるかどうか迷ったけれど、また明日教室で渡せばいい。そう思ってわたしは職員室へ行こうともと来た道を引き返すため回れ右をしたのだった。
しかし、その日を境に恵美ちゃんが学校に来ることは無くなってしまった。
久々の更新になってしまいました・・
がんばって早く更新するようにしますね><。。