機械仕掛けの彼女(仮タイトル)
「ただいま」
少年は扉を潜り、そう短く口にする。
少年が靴を脱いでいると、静かな足音が彼に近づいて来る。
「おかえりなさい、ソウタ」
透き通った綺麗な声、耳に心地よい音だ。
声の主である少女が可愛らしいエプロンを身につけ、リビングの方から歩いて来た。
少女は優しい笑顔を見せながら、学校から帰宅した少年──ソウタを出迎える。
「マシロ、ただいま」
ソウタはもう一度、今度は近づいて来た少女──マシロへと帰宅の挨拶をする。
「今日は早かったね、部活は無かったの?」
「今日は顧問が出張で居なかったから、皆で軽くウエイトトレーニングだけして帰って来た」
「だから早かったのか。ごめんね、まだ夕食の準備は出来て無いから、少し待たせちゃうね」
「いや俺が早く帰って来たからだし、というかむしろ何か手伝うよ。いつも家の事は任せっぱなしだから」
「気にし無いでよ、これは私の役割なんだから」
「それでも、任せっぱなしはね。こういう時くらいは手伝いたい」
「そうなの?ふふっ、じゃあ、手伝って貰おうかな──と言いたいところだけど」
マシロはそう言うと、形の良い眉を少しハの字にして、困ったような笑顔を見せる。
「後は煮込むだけだから、特にする事は無いんだよね」
「それなら、調理器具とか洗うよ」
「それも片付けてあるんだよね。作りながら進めてたから……」
「……」
「とりあえず、着替えて来たらどうかな?」
「……そうする」
少しだけ残念そうにしながら、ソウタは階段を上がって行く。
「あ、ソウタ」
「ん?」
その途中、階段下からマシロが彼の名前を呼ぶ。
「えっと、手伝うって言ってくれて嬉しかったよ」
マシロはその均整の取れた顔に笑顔を浮かべる。
「……別に」
ソウタはなんだか照れ臭くなって、少しだけぶっきらぼうに返すと、そのまま階段を上がって自室へと向かってしまう。
そんなソウタの背中を、マシロは笑顔で見ていた。
あの後ソウタは、特に手伝える事も無かったため自室で学校の課題をやっていた。そして、課題を終えて時計を見たらちょうど夕食の時間になりそうだったので、一階へと降りる事にした。
ソウタが階段を降りていると、美味しそうな香りが彼のところまで運ばれてくる。食欲が刺激された彼は、少し早足になってリビングに入る。すると先程よりもいい香りがした。
「ソウタ、ちょうど良かった。夕食の準備出来たよ」
ちょうどテーブルの上に料理を並べていたマシロが、リビングへと入って来たソウタに気付いて優しく微笑む。
「ありがとう」
ソウタはお礼を言って席に着く。
四人掛けのテーブル。
その上に、並べられた一人分の料理。
肉と野菜がじっくりと煮込まれた、ビーフシチューだ。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
「……うん、美味い」
ソウタはビーフシチューを一口食べて、頬を緩ませる。
柔らかな肉は噛むとほろほろと崩れていき口の中で溶けるように無くなる。ごろごろと入っている野菜の甘味も肉に合わさり、口の中を幸せにしていく。
ソウタは、そのまま無言で二口、三口、とスプーンを動かして行く。
マシロは、そんなソウタの正面の席に座り、頬杖を突きながら目の前で食事をしているソウタを見ている。一緒に食事をするでもなく、彼女は優しい笑顔で、ただ彼を眺めていた。
というのも、そもそもマシロには食事が必要無いのだ。彼女は『機構人形』、あるいは『自動人形』や『自律人形』等と呼ばれる、造られた存在。超高度な人工知能に、人の形をした肉体が与えられた存在、それがマシロだ。
マシロは、ソウタが十歳の時に彼の両親に連れられてやって来た。どういう経緯で連れて来られたかは不明である。
マシロはソウタの家に来て以降、仕事が忙しかった彼の両親に代わり家事全般を引き受けていた。そんなマシロは、当時ずっと家に一人だったソウタにとって頼りになる姉の様な存在で、マシロにとってもソウタは弟の様な存在だった。
マシロは目の前の弟みたいな少年をじっと眺めている。
(ソウタ、美味しそうに食べてるなぁ)
最初の一言以降、ソウタは黙々とビーフシチューを食べている。
食器を動かす音しか聞こえない静かな食事風景だ。
ソウタは食事中はあまり喋らない。そしてそれは、彼が食べている物をとても美味しいと思っているからこそである。それをマシロはよく分かっていた。
「ごちそうさま。今日も美味しかった」
「ふふっ、そう言ってくれると嬉しいね」
マシロはふわりと笑うと、テキパキと食器を片付け始める。その手際の良さは、まるでソウタにはやらせまいとしているようだ。
ソウタは、少しだけ頬が引き攣る。
「そうだ、お風呂の準備出来てるから」
テーブルの上にあった食器を、食器洗い機にセットしながらマシロは話す。
「…………わかった。それじゃあ、お風呂入ってくる事にする」
「……あ、もし良かったら、たまには昔みたいに一緒に入る?」
ソウタが応えると、マシロは少しだけ楽しげにそう聞いてくる。揶揄われている様にも見えるが、マシロは冗談ではなく本当に一緒に入るつもりで提案している。
「恥ずかしいから無理」
「気にするような仲じゃ無いのに」
「恥ずかしいものは、恥ずかしいから」
「そうか、それは残念だね」
「残念って……はぁ、お風呂入って来る」
ソウタは軽くため息を吐き、リビングを出て行った。
ソウタは、ソファに寄りかかって座っている。
入浴後、ソウタはゆったりとした時間を過ごしていた。普段であれば、学校で出された課題をやっていたりするのだが、部活が無かったため課題も早めに終わらせる事が出来た。だからこそゆっくりしていられる。
「ソウタ」
ソウタがデバイスで動画を視聴していると、お風呂から上がったマシロがやって来て、ソウタの隣に寄り添う様に座る。
マシロの身体は造られたものだ。しかし、その身体の表面は人間と全く変わらない。
白く柔らかな肌も、美しく伸びた髪も、本物にしかみえない。いや、本物以上に本物だ。
そんなマシロの肌の柔らかさが、ぴったりとくっついているソウタには分かる。
ソウタはマシロ以外の女の子の肌の感触など当然知らないのだが、間違いなく他の女子が羨むほどの美肌なのだろう。
「何観てたの?」
「バスケの試合だよ」
そう言ってソウタはデバイスの画面をマシロに見せる。
ソウタがデバイスで観ていたのは、世界最高峰のプロバスケットボールリーグの試合、そのフルハイライトだ。
「やっぱり世界トップレベルは次元が違うな」
「……そうだね。平均二メートル越えの大男達が全力で走って飛んで、激しくぶつかり合ってるからね」
「そう言われると改めてすごいなって思う。正に超人の集まりって感じだなぁ」
「しかも、世界最高峰のバスケットボールリーグは、平均年俸が全スポーツリーグ中トップだし、本当にすごい世界だよね」
そんな会話をしつつ、二人は寄り添いながら一つのデバイスの画面を覗き込んでいる。
それからしばらくして動画が終わる。
動画の再生が終わったものの、二人は寄り添い合っている状態を辞めようとしない。三人は余裕で座れるソファが、今は一人分と少しのスペースしか使われて居なかった。
寄り添いあったまま、二人はどちらからともなく手を繋ぐ。
重なった手は、指と指を絡ませてしっかりと繋がれている。
「……お姉ちゃんに甘えたくなったのかな?」
「お姉ちゃんって……もう俺のほうが背高いし、マシロは昔から変わらないから、お姉ちゃんって感じじゃ無くなったよ」
マシロは、ソウタが今よりももっと子供だったころから彼と一緒に過ごして来たので、ソウタが高校生になった今でもたまに弟扱いする事がある。ソウタとしてはそれが少しだけ不満だった。
「それに、今の俺たちは、その………………"恋人"なんだから、弟扱いは嫌だ」
今の二人は恋人同士だ。
かつては姉と弟の様だったその関係性も、ソウタが成長すると共に変化して行った。
マシロは造られた存在であるが故に外見が変わらない。
だからこそ、ソウタは成長と共に彼女を意識するようになった。
"家族"としてでは無く、一人の"異性"として。
「ふふっ…………ごめんね、ソウタ。本当は甘えたかったのは私のほうだったみたい」
「いや、その……俺も甘えたく無い訳じゃないけど」
「なんだ、やっぱり私に甘えたかったの?」
「……………………うん」
「じゃあ、二人で一緒に甘えさせあいっこだね」
マシロは先程よりも更に強くソウタへとくっつく。その瞬間、伝わってくる鼓動が早くなったのをマシロは感じた。
ソウタは先程よりもマシロの柔らかさを感じていた。人が最も美しいと思う黄金比を体現した完璧なプロポーションが、惜しげなくソウタへと押し付けられていて、彼には少し、いやかなり刺激が強かった。
「こうしてるとさ……すごく恋人っぽい、ね」
「そうだな……うん、恋人っぽい」
ソウタは絡められた指に少しだけ力を入れる。繋がれた両手にはお互いの熱が伝わっていた。
マシロにとって"熱"とは、ただの感覚情報でしか無い筈だった。しかしソウタと恋人になってからは、手のひらに感じる温かさが、彼から伝わる"熱"が造り物の心を満たしてくれるので、とても好きだった。
「私達が恋人同士になってまだ一ヶ月しか経って無いんだよね…………もっと早く、恋人になりたかったかも」
「ごめん……もっと早く想いを伝えるべきだった」
「ううん、言ってみただけだよ。だから、気にしないで……"家族"として過ごした今までも、大切な時間だったからね」
「そっか……なら、気にしない事にする」
「うん…………それに、"恋人"としての時間はこれからたくさん作れるから」
「そうだね……たくさん作ろう。死が二人を別つその日まで、………………なんて、これじゃ"恋人"じゃ無くて夫婦だ」
ソウタは自分で言って気恥ずかしくなる。
家族としてはもう七年近くの付き合いだが、恋人としてはまだ一ヶ月しか時間が経っていない。さすがに気が早過ぎるかなと自嘲気味に笑う。
「………………ソウタはさ……将来、私と結婚してくれるの?」
ポツリと、マシロが呟く。
「それは、まぁ……いずれは、結婚したいと思ってる」
「本当?」
「うん。というか、恋人ってそういうものじゃ無いの?」
「どうだろうね?私も詳しい訳じゃないけど、どちらかと言えば少数派なんじゃ無いかな?」
「そうなのか?」
「普通は、それなりに色んな人と恋愛して、経験を重ね、いずれ結婚していく感じだと思うよ」
「俺には必要ないかな。恋愛経験なんてマシロ一人分で十分だよ」
「私だって、ソウタ一人分で十分だよ」
言って、お互いに気恥ずかしくなって顔を俯かせる。
ソウタはこの空気を少し変えようと、気になった事を聞いてみる。
「マシロは何を不安に思ってるの?」
「……え、なんで?」
「何となくかな」
マシロは驚いて目を見開く。マシロはきちんと感情に起伏があるが、なんだかんだで『機構人形』なのだ。だからこそ、内心を悟らせない自信はあったし、実際、ソウタが今までマシロの心の内を読めた事は無かった。
マシロは開いていた目を一度閉じると、ゆっくりと話始める。
「…………その、私は『機構人形』で、造られた存在で…………ソウタと違って人じゃ無いから……このままでいいのかなって」
マシロにとってはずっとそこが気になっていた。
ソウタに想いを告げられた、その日から、ずっと。
自分とソウタは違う。
人間は自身と異なる存在を、忌み嫌う傾向がある。実際、マシロのような『機構人形』は一部で"人間もどき"等と呼ばれていたりする。
マシロはそれを知っている。
知っているから不安なのだ。
「マシロはちゃんと"人"だよ。少なくともそう認められている」
マシロたち『機構人形』は現在"人"として扱われている。
元々『機構人形』は人の世界に溶け込み、その生活をサポートする目的で造られた存在でしか無かった。
しかしある時、人々は彼らの存在に疑問を持った。
傍目から見て人と全く変わらない存在。
指摘されなければ『機構人形』である事すら気づけないほどだ。
彼らは人の世界に溶け込んでいた。
溶け込み過ぎていた。
だから、人類は再定義された。
自我を持ち、人格が形成されていて、意志の疎通が可能な、人と見た目が全く変わらない存在。
それを人と呼ぶか否か────。
結果、『機構人形』等と呼ばれていた彼らは、"人"に成った。
「もちろん、仮に誰にも認められていなかったとしても関係ない。マシロとは一緒に笑いあって、共に過ごした時間を思い出として共有して来た。そんな君は、俺にとって"家族"で、そしてたった一人の"恋人"だから」
そう言ってソウタは、マシロを真っ直ぐに見つめる。
「だから……俺は君と結婚したい」
真っ直ぐにマシロの目を見つめる。
「本当にいいの?」
「むしろマシロじゃ無いと嫌だ」
「私、赤ちゃん作れ無いよ…………?」
「子供が欲しいから結婚するわけじゃ無いし、例え子宝に恵まれなくても愛し合ってる夫婦は沢山いる筈だよ」
「…………一生童貞だよ?」
「それはマシロと結婚出来なかったとしても変わらない。はなからマシロ以外は考えられないから」
「………………まあ、一応、行為は出来るんだけど」
「…………………………………えっ、出来るの?」
「ほっとした?」
「……」
沈黙。
ソウタは、少し気まずくなって顔を逸らしてしまう。
そんなソウタを見て、マシロはくすりと笑う。
「……本当に、本当に私でいいんだね?」
「もちろん」
ソウタは迷いなく答える。
マシロは、そんなソウタを見て、嬉しいような、困ったような、そんな色々な感情が混ざりあったような笑顔を見せる。
「ふふっ、それなら近いうちに、御父様と御母様に挨拶に行かないとだね」
「そうだね。俺はまだ結婚は出来ないから、婚約の挨拶って事になるかな」
「なんて挨拶したらいい?」
「別に普通の挨拶でいいって。知らない人通しって訳じゃ無いし」
「それもそうだね」
二人は顔を見合わせて笑う。
「ねぇ、ソウタ」
「何?」
「……大好きだよ」
「俺も……大好きだよ」
二人は、お互いに愛を囁き合った後、ゆっくりと近づいて行き、
ちょっとだけ早い、誓いのキスをした────。




