おっさん
「い......おい!アルテ!」
そんな声と共に体を揺すられる感覚で目が覚めました。
捕まれた脇腹にゴツゴツした手の感触がして気持ち悪いです。
うっすら目を開けてみると、そこには太っても痩せてもない………ひどく言うなら無個性で黒髪中年のおっさんが一人。
コイツが件の誘拐犯でしょうか。
「ほら起きろー 今日でお前も12才。俺ん所に来て二年目だ。今日から魔術を教えてやるって約束だったろー」
私を揺すりながら、男はそう話し掛けてきました。
うーん うるさいですね。
こちとら寝起きなんですよ………って ん?
今聞き捨てならない事を言ってませんでした?
『魔術』?しかも弟子入り?
どういう事でしょう?
こちらにそう刷り込もうとしているのでしょうか?
それとも私の記憶が無いだけでホントは………
っていやいや、何信じそうになってるんですか私。
どうせ誘拐犯の詭弁に決まっています。
魔術なんてアレでしょ?
私に催眠を掛けてヒドイことして魔術だとか言い張るんでしょ!? ◯◯同人みたいに!
「はぁ......分かりましたよ。
そういうの良いですから。
先ずは服でも脱げば良いんですか?」
脳内ではそんな風にふざけながらも起き上がり、上着だけを脱いでベッドに置いておきました。
まぁ、別に良いんですけどね。
慣れっこですし。
夢中になってる間に刺し殺してやります。
内心黒い笑みを浮かべ、グへグへしていると男の方はなにやら満足げなご様子。
「お? まだ言ってないのに、お前の方からしたがるとか初めてじゃねぇか?
……まぁ、いつも逃げようとして無理矢理されてるし諦めるのも無理ないか。よし、じゃあ行くぞー」
そのまま扉を開けて外へと歩いて行ってしまいました。
いやいや、そんなクズいことを清々しいまでの笑顔で言われましても………ってあれ?『いつも』?
しかもなんで外に行くんですか貴方。
アイツでもそこまでの変態じゃありませんでしたよ。
……まぁついていくしかないんですけど。
そのまま外に出ていく男を追いかけようとしてふと、思い止まります。
おっとこれを忘れちゃいけませんでした。
目線の先に有るのは刃渡り6cm程度のナイフ。
私だって無為にこの部屋を走り回ってた訳じゃないのです。
まぁ、無いよりはマシ程度の武器なのですが。
「おーいアルテー」
「あ、はーい」
私が来ていないことに気付いたのか、男はそう催促してきました。
鬱陶しいですね。
……ん?そう言えば『アルテ』ってどういう意味の単語なのでしょうか。
状況的に考えると「早く」みたいな言葉なんですかね?知らんけど。
ふとそんなことを考えながらも、ナイフをパンツとズボンの間に挟み、小走りで外に出ました。
小屋の外はどうやら夜明けのようで、橙色の陽光が闇夜から木影だけを掬い上げているている所でした。
ははぁ、なるほど。
ここ、森の中だったんですね。
しかも結構深そうな………
犯罪にはもってこいのスペースです。
はぁ……それにしてもなんてところに居を構えてくれるのでしょうか。
殺した後に森から出るのが面倒じゃありませんか。
……まぁ、綺麗だとは思いますが……
「おーいアルテー こっちだぞー」
私が朝のオレンジがかった光と早朝特有の涼しさに浸っていると、井戸の近くで、木の幹をくりぬいたバケツの様なものを持った男が手を振ってるのが見えました。
その無邪気な姿にイラッとしつつ駆け寄ります。
女ごときどうとでも出来るとでも思っているのでしょうか。
もういいです。
油断している今のうちにサクッと殺っちゃいましょう。
自分が男になった可能性が有ることも忘れて私はそう憤りました。
実は私には嫌いなことが三つ有るのです。
一つ目は捨てられること。
二つ目は奪われること
そして三つ目は____
「嘗められることです。」
私はナイフを引き抜き、井戸で水を汲んでいる後ろ姿に自然を装い歩いて行きます。
残り推定5メートル
男はまだ水を汲んでいます。
(殺れる)
そう確信した私は静かに走りだし、勢いよく得物を突きだしました。
ナイフは無事、背中の心臓がある辺りに突き刺さりました。
骨を削り、肉を抉る感触がナイフを通して伝わると共に、男が苦悶の声を漏らします。
「グッ!……何しやがる小僧!」
チッ………やっぱり刃が短かったんですかね。
心臓には届かなかったようです。
あーあ、もうちょい私の背が高ければ首も狙えたのになぁ。
………と言うかやっぱり私、男になっちゃってるみたいですね。
そりゃあ胸も無くなる訳です。
まぁ、一応これが終わったら確認しておきましょう………ってあれ?
だとすると、この男は今から何をしようとしていたのでしょうか?
まさかホm……
ま、まぁ、どちらにせよ掘られるのは避けられるのなら避けたい所ですし、さっさと殺しちゃいましょう。
そう考え、男に意識を戻すとちょうどこちらを脅そうとしているところのようでした。
「せっかく俺が拾ってやったのに、恩を仇で返すつもりか!」
そう男が吠えますが、私は微塵も怯みません。
この手のヤバいヤツ程度、何度も殺して来ましたから、そういうヤツ特有の謎理論くらい聞き流せないとやってられねーです。
「ふんっ」
私が怯まないことに気付くや否や、おっさんはそんな掛け声と共に拳が繰り出してきました。
それを半身になって避け、手の甲から肩にかけてナイフを腕の中で踊らせます。
それと同時にブチブチと何かを引きちぎる感覚と共に迸る深紅の液体。
「がぁぁぁぁ!!」
辺りにおっさんの悲鳴が響きます。
うわーいたそー
その後は逆上してきたおっさんを適当にいなして反撃を加えるだけの簡単なお仕事でした。
その結果が____
「コヒュー………コヒュー………」
目の前で跪き、破れた喉から呼気を漏らしている惨めな男です。
……なんか三分クッキングみたいで面白いですね。
まぁ、用意されてるのは完成品じゃなくて逆に食材に戻した方ですがまぁ誤差ですよ、誤差。
さてさて、それはさておき。
「さ、お仕舞いです」
そうして私はゆっくりと男に歩み寄ります。
男は草と、私の足が擦れる音にビクッとしていましたが、構わず進み____
「さようなら」
男の脊椎を狙い、首にナイフを突き立てました。
パキッと言う不愉快な音、感触と共に崩れ落ちる男。
うーん、やっぱりこの感触は慣れませんね。
いつまでたっても気持ち悪いままです。
そのまま視線を両手に移すと、血塗れのナイフと、返り血をたっぷり浴びた古びたシャツ。
「もっと鮮やかに殺しきりたかったですね」
もっとも、人を殺す機会なんて無いに越したことはないんですが。
「はぁ......」
これからの後始末の面倒さを想像した憂鬱さと、一仕事終えた安堵が混ざりあった呼気を思わず漏らしていると、パチパチと辺りに一つの拍手が響き渡りました。
慌てて音源に振り向くと、小屋の屋根には殺した筈のおっさんが………
……え? は?
空いた口が塞がらない思いで、食い入るように見つめると、フッとおっさんが口元を緩めました。
「おい、死体見てみろよ」
言われるがまま後ろを振り返ると、ほどける様にして消えていくおっさんの死体。
それを見て慌てて後ずさった私を誰が責められるでしょうか。
「アッハッハッハ」
そんな私の様子を見て高笑いするおっさん。
良い性格してやがりますわね。
そんな変人を呆気に取られて見つめていると、笑い終えたおっさんは私の真上に向かって指を向けました。
「そら、次は上だ。」
自然と私の目線もそちらへ向けられます。
そこにはさっきおっさんが持っていた木製のバケツが……
……え?
理解の範疇を越えた出来事の連続に思考を手放そうかと思ったのは一瞬。
次の瞬間には否が応でも現実を見ざるを得なくなりました。
「うわっ!冷たっ!」
空からまさしくバケツをひっくり返した様な水が降ってきたのです。
その水は早朝と言うこともあってか身を切る様な冷たさでした。
「いいか!何を勘違いしたのかは知らんが____」
あまりの冷たさに両手で肩を抑え震えている私に男はズビシッと指を指し____
「いつもやるのは乾布摩擦だ! それに俺はホモじゃねぇ!」
『ホモ』の部分をとても言い難そうに顔を歪ませながら、この上なくダサい弁明をしてきたのでした。