☆四月【不良男子】
【押山城司】編
「よっ、お前が押山城司だな!」
教室の入口でイキがった挨拶をかましたそいつは、王様然と歩み寄ってきた。
「……なんだテメェ」
机に足を投げ出したままそのニヤケ顔を睨み返すと、奴の顔はさらにふやけた。
「おいおい、聞こえてなかったのか? 俺は和平の使者、和智田陽平様だ! 一年B組のリーダーだぜ!」
「リーダー? なんだよそれ」
「一番偉いってことだよ」
はっ、何言ってんだ。ホントに変な奴しかいねぇな、この学校は。
「そんなもん、誰が決めたんだよ。少なくともオレは認めてねぇぞ」
「言ったもん勝ちだ。今日から俺様が、このクラスのブラザーたちを束ねてやるぜ!」
「意味わかんねぇ……」
いるんだよな、入学初日に浮かれて調子に乗っちまうタイプ。可哀相な奴だ。この学校が問題児の集まりだってことを知らないのか。それともただのアホなのか。
「ヘイヘイカモ~ン!! お前も遠慮なく俺様の胸に飛び込んでこいよ!!」
後者だな。
「くだらねーこと言ってねぇで、どけよ。目障りだ」
「とりあえず、お前の誕生日を教えてくれ」
聞いてねぇし。
「なんでテメェなんかに教えなきゃなんねーんだよ。つーか、そんなもん覚えてねぇし」
「四月十五日だよな! 俺は覚えてるぜ!」
なんでだよ!? 学生証でも盗み見たか!?
「あっ、さてはお前、オレのファンだな。……ま、中学時代は札つきのワルだったし、毎日キャーキャー悲鳴を浴びてたし、子分になりたい奴らが勝手に家を調べて引っ切りなしに訪ねてきたりして──」
「おいおい、リーダーが奴隷のファンになるわけないだろ、うぬぼれんなよ」
誰が奴隷だ!
「テメェ、ふざけてんのか!」
立ち上がり、胸倉を掴んでそのムカつく顔を引き寄せた。
「いいか、オレに喧嘩を吹っかける時はヘラヘラすんな! その整ったツラを血で染めたくなかったらな!」
フッ、キマったぜ。
「喧嘩の売買をする気なんかないぞ。ただ、お前の誕生日を祝いたいだけだ」
「はあ?」
危うく怒りが消えそうになった。……そんなこと、男が男を見つめながら言うことか?
「バースデープレゼントとして、お前の望みを一つ叶えてやる。年に一度ポッキリの限定オープン! 和智田陽平様のお悩み相談窓口だ!」
白く熱がこもっていた手は、制服にしわをつけることなく離れた。
和智田はありもしないネクタイを締め直すように襟を整える。
「もちろん、常識的な範囲でだぞ。死人を生き返らせろとか、自分を亡き者にしてくれとかはナシだ。俺は天使でも悪魔でもないからな。あと、俺流のやり方だから、結果に不満があっても返品・交換は一切承らん!」
なんでも叶えるなんて、小学生がばあちゃんに言っちゃいそうなことだな。
「ふざけんな、そんな話があるか」
「俺様は超絶真剣だ。お試しになんか言ってみろよ。言うだけなら簡単だろ」
和智田はへそを曲げたように腕を組み、顎を突き出す。……だから小学生かよ。
「本当になんでもするのか?」
「俺様にできることなら全力でやってやるぜ!」
かと思えば、欧米のマジシャンのように両手を大きく広げてニッカリと笑った。
どうやら、本当に注文を待っているらしい。こういう前のめりな「来いよ」状態の奴は、正直嫌いじゃない。が、危険な香りもプンプンする。こいつの未来はアザだらけだ。中学時代に鍛え抜かれた野生の勘がそうささやく。……とりあえず、テキトーに返しておくか。
「じゃあ、最高のダチを探してくれ」
「ダチぃ?」
って、おい!! テキトーがテキトーすぎてマジの願いが漏れちまったじゃねぇか!! 自分で言うのもなんだがアホなのかオレは!! だからトリ頭とか言われるんだ!!
「あ、いや、今のは……」
だが、ここで否定すればクールじゃねぇ、さらに馬鹿にされる……。まあ、さすがに冗談で言ってるって思うだろ、こいつも。
「オ、オレはよ、昔つるんだ奴らみたいに、一緒に馬鹿やって思いっきり楽しめて、そんでもって、一生オレに付き合ってくれるような、そんな相棒が欲しいんだよ。……なんつって」
中学時代の仲間は、次第にケータイを持つようになるとSNSとやらに熱中し始めて、まともな話し相手にもならなくなったし、部屋でケータイをいじってばかりいる出不精になった。気づけばオレまで、目的もなく一人で町をブラブラするようなつまらない男になっちまった。
少し気恥ずかしいが、この願いは本物だ。だからこそ、こいつが笑って馬鹿にでもしたらマジでぶっ潰す。
「一応確認するが……メンズラブなわけじゃないよな?」
「違ぇよっ!」
お前がふざける番じゃねぇ!
「よし! お前の望み、確かに承った! ――じゃあ、昼休みになったら俺と校内デートな!」
話聞いてた!?
親の参列が皆無の入学式を終え、てっきりクラスごとのホームルームが終わったら帰れるのかと思いきや、午後は校内の大掃除をするらしい。飯を食ったら寮に逃げてやろうと思ってたのによ。
「……で、何すんだよ」
食堂でわざわざ同じランチセットを食べ、教室に戻る道中も腕に絡みついてこようとする和智田を張り手で突き飛ばしつつ、睨みつける。
「暇そうにしてる奴らを観察して、オスヤマと気が合いそうな奴を見つける!」
「オスヤマじゃねぇ、オシヤマだ」
「オスヤマは外見気にするほう? やっぱ人間中身だよな」
耳がねぇのか、こいつは。
「人間中身だよなって言ってる奴に限って、めちゃくちゃ髪いじってたり化粧濃かったりするよな。あれなんなの? マジ矛盾」
お前の頭の中にはもう一人のお前がいるんだな。
「ま、気にしないんなら、片っ端から心のドアをノックしに行こうぜ。まずは隣のA組だ!」
オレの肩を軽く小突き、親指を立てた和智田は楽しそうに走り出す。
人の話を聞くつもりがないのならそれでいい。オレもそうすればいいだけの話だからな。
――って思ったのに、なんで追いかけてんだよ、オレ……。断じて、奴のウインクに誘われたわけではない。
「ヤッホー!! B組のオスヤマ様が喧嘩を売りに来てやったぜー!!」
奴はA組の前に着いたや否や、勢いよく扉を蹴破った。
観察する気ゼロ!? なんで喧嘩腰なんだよ!
「え、言っただろ。和智田陽平様は喧嘩の売買はしないって。だからお前の名でまかり通ってやる!」
人の話は聞かねぇくせに心が読める──お前が超矛盾人間だよ!
「さあ、行ってこいオスヤマ! 喧嘩に乗ってくる奴がお前の不良仲間だ!」
そうとは限らんだろ! めっちゃ来てるって! 指パキポキ鳴らしながら来てるって!
「くそぉ! やってやらぁ!!」
「大丈夫か、オスヤマ? 顔がぐちゃぐちゃだぞ」
黙れよクソが……。
逃げるので精一杯だった。久しぶりに地面を舐め、死に物狂いで走り、裏庭の茂みに身を投じたところでようやく振り切れた。
「意外と弱いんだな~。そんなんじゃ、最強のダチは見つけられないぜ!」
「強いダチが欲しいんじゃねぇ! 気が合うダチが欲しいんだ! つーか、まだ誕生日まで一週間くらいあんだろ!」
「いやいや、恋人と一緒で、付き合う期間ってのが必要だろ? 一週間付き合って、相性を確かめてからじゃないと、生涯を誓える相手かなんて決められない」
お前は冷静になるポイントがズレてんだよ……。
「まさか、誕生日まで毎日こんなことすんのか……?」
「おう、見つかるまでやるぜ。たとえ誕生日が過ぎたとしてもな!!」
「嫌だぁぁぁぁぁぁ!!」
オレはコソコソといたずらしたり、ここぞという時にどんちゃん騒ぎするのが好きなだけで、喧嘩は嫌いなんだよ!! 痛いことは嫌いなんだよ!!
……なんて、口が裂けても言えねぇよな。
それから一週間、マジで喧嘩売買の日々が続いた。
同学年の生徒が少ないこともあって、二年生のクラスに殴り込んだことも、三年生が占領する屋上に殴り込んだこともあった。ハハ、怖かったよ。上級生ってだけで、なんであんなに恐ろしいんだろうな。
ただ、女子を冷やかしにいく時だけはすっげぇ楽しかった。ダチ探しとは関係ねぇけど、こういう時間なら一生続いてもいいって思った。あんまり考えたことねぇけど、女の相棒ってのもいいかもしれねぇな。もちろん、巨乳の美人で。
「……あーあ、ついに十五日になっちまったなオスヤマ。なんで今日に限って生まれてきたんだよオスヤマ。なんでこの世に生を受けたんだよオスヤマ」
サイテーか! 昨日までの祝福ムードはどこへ行った!
「だから言っただろ……やることが無謀なんだよ。なんでも望みを叶えるなんて、簡単に言っていいことじゃねぇ」
正直、ちょっと期待はしてた。変な奴だとは思ったが、悪い奴だとは思わなかった。昔つるんでた奴らの中にも、大口を叩く奴は山ほどいたが、総理大臣になって祝日を増やすとか、石油を掘り当てて金持ちになるとか、自己満足の奴らしかいなかった。
「最後まで諦めないぜ! きっと今日、めぐり逢うんだ! 第六感でビビッとくる奴がいるはずだ! いっくぜー!!」
おい! 授業をサボる気か!? まだ朝礼すら始まってねぇぞ!
すでに抵抗する気のないオレを引っ張り、奴は学校を出て、島の東側に広がる砂浜まで一直線に向かった。そして、砂浜に着いたところで貝殻を踏みつけたようで、悲鳴を上げてド派手にすっ転んだ。
「痛っ!?」
もちろん、腕を掴まれていたオレも一緒に。
「おい! 何やってんだよっ!」
「いや~。そもそもの不良なら、登校すらせずに海で黄昏れてんじゃないかと思って」
顔を上げ、周囲を見渡す。予想通り、漁の準備をするおっさんと海女さんしかいない。
……不良は目的もなしに朝早く起きたりしねぇんだよ。
「こらっ! おめぇら何してるっ! サボりか!」
ほら、漁師のおっさんに捕まっちまった。長い説教が始まるぞ。
「サボりではありません! こいつの一生もののダチを探しに来たんです! ロマンを探しに来たんです!」
「なにぃ!? ロマンだとぉ!? ……確かに、男のロマンってのは海にある。そして、海の男のダチといえば、あれだ!」
くすんだねじり鉢巻きを頭に巻いたおっさんは、海の上に浮かぶ黒い漁船を指差した。仰々しく〝極上丸〟と書き殴ってあるが、かなり小さい。三、四人くらいしか乗れなさそうだ。
「おめぇら、暇ならワシの仕事を手伝え! うちの若いもんが怪我で出られなくなってな、人手が欲しいところだったんだ!」
「なに!? 船に乗せてくれるのか!? よっしゃー! まさに頼みの綱だ!!」
待て、和智田! その綱の先には魚しかいねぇ! 海の上にダチはいねぇ!
「さあ、とっとと乗りやがれ!」
やめてくれ! オレは船酔いが酷いんだ! この島に来る時も命懸けだったんだぁ!!
「俺たち運がいいな、オスヤマ!」
最悪だ馬鹿野郎ぉぉぉー!!
和智田とおっさんにがっちりホールドされ、暴れ回って逃げようとするも、極上丸に放り込まれて頭を強打した。起き上がった時にはすでにエンジンがふかされ、動き出した勢いで後ろに転がり、またまた頭を打った。
「……何してんだ、オレ……」
しばらくして、当然の如く襲い来る酔い……。胃液すら枯渇するわ……。ってか、波が高すぎ! めっちゃ天気悪くなってきてんだけど! 雨ザーザーじゃねぇか!
「極上のブリはどこだぁぁぁー!!」
あいつはなんであんなに元気なんだ!
「んー……こいつはダメだな……。漁は中止だ。引き返すぞ」
遅い! プロならもっと早く気づけ!
「なんだと!? まだ何もゲットしてないだろ!」
「捕れるわけねぇだろ。自然はへそ曲がりなんだ。こういう日もある」
おっさんがハンドルを切ってUターンすると、和智田はしょんぼりと肩を落とした。
「それじゃあダメなんだ……。今日は特別な日……オスヤマの誕生日なんだ……」
かと思えば、がっしりと両手で船のふちを掴み、海に向かって叫び始める。
「このままじゃ帰れない!! 俺は最高の魚を捕るんだ!! オスヤマにプレゼントするんだぁ!!」
灰色の雲が渦巻き、ゴロゴロと雷さえ鳴っているなか、船を揺さぶって駄々をこねる和智田。
目的変わってんじゃん!!
「お、おい! そんなに揺らしたら船が……!」
ただでさえボロくて転覆しそうなのに……──あっ。
「わあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
落ちたぁぁぁー!! ──オレがな。
「オスヤマぁ!! そこまでして魚が欲しいのかぁ!!」
「んなわけあるかぁぁぁー!! ……ごふっ!」
や、やべぇ……。船酔いのせいか、力が入らねぇ……。
「──ん? あれは……」
死にそうになっているオレには目もくれず、和智田は遠くのほうを見つめて急に真顔になった。その顔に、なぜだか悪寒を感じる。
「オスヤマ。フカヒレが来た」
「フカヒレ……?」
あの高級食材のか……? フカヒレって、なんのヒレだっけか……。
「おい、若いの!! サメだサメ!! 早く上がらねぇと食われるぞ!!」
うそぉぉぉぉぉぉん!?
「フ~カヒレ!! フ~カヒレ!!」
はしゃぐな!!
「っと、冗談はさておき。いま助けてやるからな! オスヤマ!」
船から身を乗り出した和智田はめいっぱいに腕を伸ばす。が、どんぶらこ~状態のオレの手に触れられるはずもなく……。
「くそっ! 全然届かない!」
悪態をついて、こぶしを船に叩きつけた。
「おやっさん! 救命用の浮輪は!?」
「お前が船を揺らした時にどっかいっちまったよ!」
ちゃんと縛りつけておけよ!
「ならば、この身を犠牲にするしかない! ──とうっ!」
躊躇いなく飛び込んだ和智田は、オレのほうへ泳いできた。
「な、何やってんだよっ! お前もサメに食われるぞ!」
「大事なクラスメイトを放っておけるか!!」
「……!」
締め上げるほどの力で腹を抱えられ、船まで引き戻されていく。──く、苦しいっ!
「よっこらせ!」
そして、おっさんに首を両手で掴まれ、引っ張り上げられた。──だから苦しいって!
「げほっ、げほっ……。わ、和智田、お前も早く……!」
喉に張りつく塩辛い水を吐き出し、びしょ濡れの前髪を垂らしながら海に視線を投げた。
――だが。
「わ、和智田っ!!」
その背後には、サメの背びれが一直線に向かっていた。明らかに狙われている。
「馬鹿野郎っ!! さっさと手を伸ばせ!!」
後ろを振り返っていた和智田は、慌てて腕を上げた。
しかし、オレはその手を見失ってしまった。
──ピカッ!
「うっ!」
一瞬の稲光。それが命取りだった。一際まばゆい閃光が上空で躍り出した――次の瞬間。
ドゴオォォォォォォォォォォォォォォンッ!!
――炸裂した。目の前が白く塗り潰され、ぶっとい槍のような轟音に心臓が抉られた。
「────」
死んだかと思った。一瞬のはずが、何時間も夜明けを待たされたかのように頭の中がぼんやりとまどろみ、鼻と喉の奥に潮の匂いが充満する。
戻った視界の色は、また暗く、瞳は海から上がる煙のもとを追った。
そこには、歯を剥き出しに仰向けになったサメがいた。
「……わ、和智田ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
サメの亡き骸の隣に、真っ黒に焼け焦げた和智田の姿が……――なかった。
「──フカヒレひゃっほぉぉぉーー!!」
目で水面を這っていると、緊張感の欠片もない声が海中から飛び出し、耳鳴りを吹き飛ばす。
「えぇっ!?」
嬉しそうにサメに抱きつく、和智田の姿だった。
「わ、和智田っ! お前、なんで無事なんだ……!?」
「なんでって……。雷が落ちてくる前に下のほうまで潜ったからに決まってるだろ。最初にピカピカって光った時に、こりゃあ落ちてくるなと思って。雷は水面を中心に広がるんだぜ」
瞬発力ハンパねぇ!!
「いや~、船がボロくてよかったな。アンテナなんてついてたら、お前とおやっさんがビリビリドッカーンだったぜ!」
アッハッハ、と大口を開けて笑う和智田。
なんだこいつ……。オレを助ける時はあんなに必死な顔してたくせに……死が目前に迫ってたっていうのに、なんでこんなに楽しそうなんだ……。
それから、和智田はサメを持って帰ろうと船に乗せようとしたが、さすがに三メートル越えは大きすぎて無理だとおっさんに止められ、泣く泣く黙祷を捧げてその場をあとにした。
荒れ狂っていた天気は次第に落ち着きを取り戻し、島に戻って砂浜に寝転がる頃には、雨は完全にやみ、波も穏やかになっていた。
「海の天気は変わりやすいからな。なんなら、今からリベンジするか?」
「断るっ!」
からかうように言ったおっさんは、少しだけ残念そうに唇を尖らせて帰っていった。
島から本土に戻る時以外、もう船には乗らねぇ! 特にこいつとはな!
「ああ~、ドキドキワクワクな冒険だったな~!」
本物の馬鹿って、こういう奴のことをいうんだな。のん気っていうか、危機感が足りないっていうか……。
でも、なんだろうな、この清々しい気持ちは。船酔いで死にかけて、溺れそうになって死にかけて、サメに食われそうになって死にかけて……。それでも無事に生きている達成感とスリル感。これは、どこかで味わったことのある懐かしい感覚だ。
「……なぁ、和智田。お前、なんでこんなことしてるんだ? 他人の願いを命懸けで叶えるなんて、お前の得になるような生き方じゃないだろ?」
雲の切れ間からこぼれた太陽の光がパッと降り注ぐ。隣で大の字になっていた和智田は、相も変わらずニヤけているかと思いきや、澄ましたように口元だけ笑っていた。
「そりゃあ、楽しいからに決まってるだろ。それ以外には何もない。たとえそれが、自分にとって良いことでも悪いことでも、なんとなく楽しいのならそれでいい。……いや、楽しいってことは、良いことってことだろ」
なんとなく楽しいから、か。単純だな。けど、昔のオレもそんな感じだった。そして、今のオレが取り戻したいものでもある。
ウザったい奴だと思っていたが、正面から見てみると、ただの面白い奴なのかもな。
「けど、悪かったな。やっぱり、お前の望みは叶えてやれそうにない。さすがの俺も疲れちまったよ……」
和智田の悔しそうな顔に、胸の奥がチクリと痛んで、熱い何がかじんわりと広がった。
だからなのか、無意識のうちに認めていたからなのか、そうと気がつくのは早かった。
「──いや、お前は立派にオレの願いを叶えたぜ」
立ち上がり、そこにあった情けない顔に手を差しのべる。
「……ここにいるじゃねぇか。一緒に馬鹿やってくれそうな奴が」
こいつなら、一生オレに付き合ってくれる。オレの前から消えたりしない。ずっと笑い、ずっと肩を組んでいられる、唯一無二のダチになってくれる――そんな気がした。
オレの手に、はじめこそ意を突かれたような顔をしていた和智田だが、すぐにいつものふやけ顔を貼りつけて、その手を伸ばした。
「確かに、俺ほどの適任者はいないな! 近すぎて見えなかったぜ!」
おかしいな……。はじめはこいつから歩み寄ってきたはずなのに、今はオレから手を差し出してる。
「ようやく掴めたな、お前の手」
助けられる時も、助ける時も届かなかったそのたくましい手を、ガッチリと握り締めて引き上げた。
「……やっぱり、メンズラブなのか?」
「殴るぞ!!」
やっぱ間違えたか!? 死に急いだか!? ホントにこいつでよかったのか!?
「冗談だって。──これからもよろしくな、オスヤマ!」
「オシヤマだ、馬鹿野郎!」
まあいい、なるようになれだ! オレは自分の直感と、こいつのマヌケ面を信じる!
「にしても、オスヤマの手はきったないな。砂だらけだぞ」
「お前も全身きったねぇだろうが!」
海藻とかゴミとかいろいろついてるぞ。首のところについてるゼリーみたいな塊……クラゲじゃないのか!? 大丈夫なのか!?
「ヤバッ……なんか手が痺れてきた……オスヤマの手は毒手だ!!」
クラゲに刺されてんだよ!
「海水で浄化する!」
そう言って駆け出し、浜辺で手を洗い出す和智田。……失礼極まりない。
「せっかくダチの証として握った手をすぐに洗うとかサイテーだな……──ぐふぉっ!?」
そして、その背中に近づいた瞬間、回し蹴りで膝カックンをされた。
「テメェ……。まだ元気じゃねぇかっ!」
ならばと腹にタックル。本気で突っ込んだりはしないが、和智田は怒ったように乾いた笑い声を上げながらやり返してきた。――この野郎……倍返しだ!
「アッハッハッハ! ハッピーバースデー、オスヤマ! 無事に生まれてこれてよかったな!」
「うるせぇ! この馬鹿野郎が!」
洗礼のようにそんなことを繰り返しながら、何時間も遊んだ。腹が減ろうが体力が尽きようが、遠くから学校の終業チャイムが聞こえてくるまで、飽きもせずに遊び倒した。
最後に、海に向かって一握りの砂を投げる。
咲くようにパッと開いて、散って、オレンジ色の海にサラサラと吸い込まれて、消えた。
とても静かで、少しだけ冷たい風が吹いた。
でも、その時に見た夕陽はめちゃくちゃ綺麗で、満足そうに微笑む和智田の顔もめちゃくちゃ輝いていた――。
次の日。丸一日授業をサボったことは、当然のように責められた。
いつもならガンを飛ばすところだが、「はいはい」とテキトーにあしらった。教師と睨み合ったって何も面白くない。時間の無駄だ。そう思える自分にちょっとだけ鼻が高くなった。
「で、次は誰なんだ?」
昼休みになり、割り切れずに余った一番後ろの席を陣取る和智田のもとへ行き、次なる餌食……じゃなくて獲物(も一緒か)、になる生徒を聞いた。
「五月十六日生まれ、笹垣恵実梨。あそこにいる金髪ギャルだ」
和智田が目で示したのは、最前列であるオレの席の後ろで頬杖をついている女子。毛先が少しカールした長い髪を右耳の辺りで一つに結い上げ、組んだ白い素足を膝上十五センチのスカートから覗かせている。
「あいつか……。近くで見ると、カラコンまでつけてるのがわかるぜ。目が少し緑がかってる」
「手強そうな奴だ。そして何よりも……」
オレと和智田は一度目を合わせて頷くと、改めてその胸に視線を注いだ。
「まさに、名前の通りの恵まれて実った梨だ」
「大きくとも大きすぎないのがイイ」
自分で言うのもなんだが……変態だ。
「けど、ギャルといえばブランド品だろ? せがまれたらどうすんだよ」
「和智田陽平ブランドの手作りグッズをプレゼントする。この世に一つしかない特注品だ!」
卑怯だな。
「まあ、誕生日まではまだ日があるし、まずは観察から始めよう。じっくり観察しないとな」
「ああ、観察は大事だ。それはもう、たっぷりと」
飢えた狼の如く目を据えたオレたちは、席を立ち、弁当を持って教室から出ていくターゲットを追った。
──やっぱり、こいつといると楽しいな!!