第89話 ゴム手袋攻防戦
「全く……どうして私がこんな目に……」
「それはこっちのセリフだろうが! 全く……巻き添えにしやがって……」
「誰が巻き添えですか!? 誰が!?」
「どう考えても巻き添えだろうが!?
いきなり飛び蹴りを喰らわせた挙句に、殺人兵器で殴りかかってきやがったのは何処のどいつだ!?」
「スタンピングを忘れていますよ?」
「忘れたんじゃねぇ! 省略しただけだ!」
此処は魔王城の城門前。
この世のものとは思えぬほどの悪臭が漂うこの空間で、相変わらずバカ二人が不毛な言い争いを続けていた。
「何ですか!」
「何をぉ~!」
「……」
「……」
一触即発の緊張感の中、互いに顔を近づけ合ってメンチを切り合う二人。
若い男女が顔を近づけ合っているというのに、其処に甘い雰囲気などこれっぽっちも存在しなかった。
「……やめましょう。さすがにこれ以上になると、今度こそお嬢様の折檻を受けかねません」
「……同感だ。ただでさえ怒られた直後なんだし、此処は大人しくしておくか」
だが、この言い争いもすぐに終ってしまう。
理由は……ユリアに怒られたからであった。
いつもなら日が暮れるまではおろか、それこそ翌朝まで徹夜をしてでも言い争っている(場合によっては、かなりの確率で物理的暴力を伴っている)二人であったが……何故か今回に限っては、まるで二人で打ち合わせでもしたかのように、互いにあっさりと引き下がっている。
さすがに二人とも、ユリアを本気で怒らせる事態だけは避けたいようあった。
皆の予想どおり、訳のわからなくなった結末を収拾するため、ユリアは悪臭漂う空間の中心点で無様にのたうち回っていた彼等を、念動力の魔法で有無を言わさず自分の足元に回収した。
そして二人が抵抗したり逃亡したりできないように、例の頑丈なロープで彼等を縛り上げると、その場でお説教を始めたのだった。
勿論、二人にはその間、ガスマスクなどは支給されなかった。
物理的圧力すら伴ったユリアの怒気と、彼等の周囲に押し寄せてくる悪臭(どうやら彼女が、魔法で風の流れをコントロールしていたらしい)に逃げ出す事も身を守る事もできず、彼等の心は簡単にへし折れてしまった。
並ぶもの無き実力を誇る魔王様に、至極真っ当な理由で怒られたりしていたら、さすがに周囲の援護も望めなかった。
当然ながら、ジャスティンたちや騎士三人組からも(そして勿論、チビ三人組からも)、彼等を庇うような発言は皆無であった。
それどころか、ユリアに『もっとやれ!』と言わんばかりに彼女を煽り立てるような発言まで飛び出す始末であった。
……巨大な力の前には友情なんて脆いもんだ、とつくづく思い知らされた拓真であった。
更に……拓真とシェーラの二人は、どちらかと言うと強い絆で結ばれた盟友などではなく、それこそ互いに不倶戴天の敵同士であると言っても差し支えないほど普段からいがみ合っている仲である。
いつ裏切られて背後から刺されるのかわからない状況で、ひとりでユリアの怒気を浴び続ける覚悟は……さすがの二人にも、なかったようであった。
結局、彼等は土下座……は物理的にできなかったので五体投地……をした状態で、ユリアに泣いて許しを請う羽目になった。
度重なる不始末に、彼女はまだまだ怒り足りない様子であったが、さすがにこの混乱した状態を更に長引かせるのもマズいと判断したらしい。
地面に額を擦りつけるようにして詫びを入れる二人を見て、不承不承ながらも何とか怒りを収めたユリア。
そして……二人に罰として、シロウマ(以下略)の後始末をするように命令したのであった。
「……けど、何で俺たちがアレの後始末をせにゃならんのだ?
元々は王国の連中の不始末だろうに……」
「私達から見れば、貴方も立派な“王国の連中”ですが……」
「うぐっ……! 言い返せねぇ……」
拓真の思わずと言った感じで溢した愚痴に、しっかりと反応するシェーラ。
彼女のツッコミの言葉が胸に刺さったのか、彼は苦し気に心臓の辺りを押さえていた。
「そういう観点から見れば、私こそ巻き添えにされた被害者です!」
「おい、主犯! 何、勝手な事を言ってんだ!?
そもそもアンタは、勝手に飛び込んできたクチだろうが!?」
「勇者様がお嬢様に不埒な事をしようとしていたからです!」
「何処が不埒な事だ! アレは言い寄っていたんじゃないの!
あの臭いがキツ過ぎるから、ユリアちゃんに魔法で何とかできないかお願いしていただけなの!」
「全く、紛らわしい……」
「アンタが勝手に誤解したんだろうが!」
「勇者様が誤解されるような事をするからです!」
「アンタのは“誤解”じゃなくて“勘違い”って言うんじゃわい!」
漸くシェーラの誤解は解けたようだが、全く嬉しくない拓真。
もっとも彼女の場合、面白ければわざとやってくる節もあるので、全く油断はできなかったが……。
「ですが……とりあえずガスマスクを支給して頂けたのは助かりました」
「まぁ、そうだな……。さすがにコレなしで作業するのはキツい」
「キツいと言うより……殆ど不可能ではないでしょうか?」
「……だな」
シェーラの発言に、珍しく全面的に賛成する拓真。
彼女の言うとおり、ユリアは二人にガスマスクを支給していた。
二人に対する処罰感情に燃えていたユリアであったが、さすがにガスマスク無しでアレの後始末をさせるほど彼女も鬼ではなかったらしい。
さすがに最初は、例の氷のような無表情で、彼等の懇願を無視していた彼女であったが……周囲の勧めと、さっさと作業を終わらせねばならないという使命感もあってか、渋々ながらも二人の要求を認めてくれた。
というか、どう考えてもガスマスク無しでは、作業はおろか傍まで辿り着く事すら難しい状況である。
……ユリアにそれだけの自制心が残っていた事に、心から感謝する拓真であった。
「こうなったからには、これ以上、お嬢様の怒りを買わないためにも、さっさと作業を終わらせましょう!」
「怒られた原因が何を言ってやがる……と言いたいところだが、そうだな。
それが賢明か……」
「賢明でない方が一緒なので、少し不安ですが」
「おい! 何か言ったか!?」
「いえ、別に。もうひとりの方の知能に不安があるなどとは、決して申してはおりません!」
「言ってるじゃねぇか! 堂々と!」
「『決して申してはおりません』と言っているのです!」
「屁理屈言ってんじゃねぇ!」
息を吸うように拓真にケンカを売るシェーラ。
……半ば習性と化しているようであった。
そして、それを一言一句聞き逃さず、しっかりとそのケンカを買う拓真。
……こちらもビョーキであった。
「そんな事を言っていると、この手袋を支給して差し上げませんよ?」
そう言いながらアイテムボックスから掃除用のゴム手袋を取り出し、拓真の目の前でピラピラと振るシェーラ。
さすがにメイドをしている以上は必須の品なのか、予備もふんだんに持ち歩いているようであった。
……というか、どう見ても、何処から見ても、日本のコンビニでも売っていそうな安物のゴム手袋である。
何でフラジオンにそんな物があるのか、本来なら不思議でならないはずであったが……今までのアレコレでもう既に感覚が麻痺しているのか、拓真からのツッコミは飛んでこなかった。
「うぐっ! 汚ねぇ……」
「汚くなるのはこれからだと思いますが……」
「わかってるよ! 俺が言いたいのはそういう事じゃねぇ!」
「あと、勇者様の御尊顔」
「おい! いくら言い方を丁寧にしたところで、悪口は悪口だからな!
わかってんだぞ!」
シェーラに指を突きつけながら必死に抗議する拓真であったが、自身の優位を確信しているらしい彼女には、いささかの動揺の影も見られない。
それどころかシェーラは、相変わらず彼に見せつけるようにしてその手でゴム手袋を弄び、拓真に余裕の笑みを投げかける始末であった。
「で、手袋は欲しいんですか? 欲しくないんですか?」
「ぐっ……」
「では、勇者様は素手で作業をなさるという事で」
「あっ……」
つれないセリフとともに、あっさりと予備のゴム手袋を自身のアイテムボックスの中に仕舞い込むシェーラ。
思わず手を伸ばしかけた拓真の目の前で、予備のゴム手袋があっさりと宙に溶け込むように消失していった。
「……欲しいです」
「ん? 聞こえませんねぇ……。
何かおっしゃいましたか?勇者様。それともただの……空耳でしょうか?」
「ぐぬぬぬ……」
悔し気な拓真の絞り出すような声にも、シェーラは意地悪く聞こえないフリをする。
さすがに彼女を張り倒したい衝動に駆られる拓真であったが、鍛え抜かれた鋼の意思で何とかそれを押さえつけた。
そんな事をしたら、臍を曲げた(元々、臍曲がりであったが)シェーラから手袋をもらえなくなるし、そもそも上手くシェーラに当たる保証もない。
それに、彼女に格好の開戦の口実を与えかねなかった。
「……」
結局、また先程の二の舞のような騒ぎになった挙句、今度こそ激怒したユリアに二人纏めて処刑されかねない。
生憎と、拓真にはシェーラと心中するつもりなどカケラも無かった。
……何だか鋼の意思よりも、ユリアに対する恐怖の方が大きな原動力になっている気がするが、そんな事は些細な問題である。
彼は何とかこの苦境を脱するべく、無い知恵を絞って必死に考え続けていた。
「……」
因みに、拓真に『手袋を諦める』という選択肢は存在しない。
というか、そもそもそんな選択肢など彼の頭に思い浮かびもしなかった。
まぁ……当然である。
どう考えても、汚物まみれのシロウマ(以下略)の下半身を素手で触るくらいなら、素直に首を括った方が遙かにマシ、というものであった。
「手袋、欲しいです!」
「そうですか」
「……」
「……」
「え!? くれないの!?」
仕方なく拓真は、心の中で『忍耐、忍耐……』と呟きながら、シェーラにハッキリと聞こえる声の大きさで彼女に己の要求を伝えてみる。
だが、シェーラから返ってきた返答は、『そうですか』というまるで他人事のようなつれないひと言だけであった。
暖簾に腕押しのような彼女の反応に、戸惑う拓真。
そんな彼の慌てぶりを冷ややかな目で見下しながら、シェーラは溜息とともに彼に最後通牒を突きつけた。
「勇者様、他人に物事を頼む時には、言い方というものが……」
「……!」
「……」
「……わかったよ!
シェーラさん、そのゴム手袋を俺にください! お願いします!
……これで良いんだろ?」
図々しいシェーラの要求に、拓真は暫し絶句する。
だが、大真面目にそんな事を言い切った彼女の態度に全てを諦めたのか、彼は頭を深く下げながら無条件降伏した。
もっとも、それでもシェーラにはまだ不満が残っているのか、相変わらず厳しい態度を崩さない。
そして今度は、彼の態度に言いがかりとしか言いようのないケチをつけてきた。
「あまり誠意を感じませんねぇ……」
「おい! これ以上を要求するつもりか!?」
シェーラの発言に、さすがに文句をつける拓真。
これ以上となると……もう土下座か五体投地くらいしか、選択肢は残されていなかった。
さすがに安物のゴム手袋ひとつに其処まで要求するか、と憤懣やるかたない気持ちになる拓真。
だが、彼女はそんな彼の言葉になど耳を貸さず、更に言葉を続けていった。
「性意は感じるのですが……」
「やかましいわ!」
しっかりオチをつけるシェーラに、きっかりツッコむ拓真。
やっぱりこの二人、傍から見ているぶんには相性抜群にしか見えなかった。
暫くそんな馬鹿な言葉のやりとりがあった後、彼等は漸くシロウマ(以下略)のすぐ傍まで辿り着く。
正直なところ、こんな場所には一分一秒たりとも居たくはなかった二人であったが……さすがにそういう訳にもいかなかったので、彼等は首を左右に振りながら、それぞれの持ち場へと左右に分かれて散っていった。
改めて、倒れたままのシロウマ(以下略)の巨体を見下ろす拓真。
ゆっくりと上下に動いている馬鹿王太子の胸板を見ながら、彼は忌々し気に舌打ちした。
「ちっ……。まだ生きていやがる」
「この悪臭の中で、ですか!? 驚異的な生命力ですね!」
シロウマ(以下略)の生命力に、どうやらシェーラは本気で驚いているらしい。
「まぁ、この手の生き物はしぶといモンと、昔から相場が決まっているからな……」
「『憎まれっ子世に憚る』とも言いますしね……」
拓真の世の無常を嘆くセリフに、珍しくシェーラも心の底から同意するように彼に慰めの言葉をかけてきた。
「いっそ、死んでいてくれたりしたら、こっちも楽だったんだが……」
「お嬢様かアラン様に頼んで、骨も残さず焼き払ってもらうだけで済みますからね……」
拓真がしみじみと漏らした本音に、シェーラも同意したようにうんうんと何度も頷いている。
どうやらこの二人、シロウマ(以下略)への仕打ちについては、全く反省していない様子であった。
「まぁ……此処でうだうだと話をしていても何も始まらん。
さっさと片付けて、とっととお風呂に入ろう!」
「今度はお嬢様の入浴を覗かないように」
「の、覗かないよ! ていうか、覗いた事なんてないよ!」
「あぁ、そうでしたね。
確か……入浴中のお嬢様の所に、正々堂々と正面から突撃したんでしたっけ」
「うぐっ! そ、それは……」
何も考えずに言い放った拓真の言葉が仇になったのか、すかさずシェーラが彼の過去の過ちを蒸し返す。
不意を突かれ、慌ててシェーラの言葉を否定する拓真であったが……彼女の言葉の追撃が、更に彼の心臓にクリティカルヒットした。
だが、一見不用意に見える拓真の発言も、一概に全て悪いとは言い切れない。
さすがにこの強烈な悪臭の中では、この匂いが服や髪、或いは体中に染みついてしまうのではないか、と考えるのは、彼ではなくとも極自然な発想であった。
それに彼は元々、お風呂大好き日本人である。
一仕事終えて風呂に入る、という発想は、彼のDNAに刻まれた魂の叫びでもあった。
「因みに、『突撃したのは脱衣所で、浴室には突撃していない!』という言い訳は無効です。
言い訳になっていませんので」
「……」
劣勢を悟り、必死に言い訳を考える拓真であったが……シェーラの先回りをしたような言い訳封じの言葉に、何も言えなくなったのか下を向いたまま俯いてしまう。
「今度やったら……お嬢様が止めても切り落としますからね!」
「何を!?」
「ナニを、です!」
シェーラの本気の恫喝に、思わず股間を両手で押さえる拓真であった。
「……とりあえずお風呂には、ユリアちゃんが上がった事を確認してから入るようにします……」
「よろしい……と言いたいところですが、風呂上がりのお嬢様の艶姿を見たいとは……。
やはりこの男、切り落とした方が良いのでしょうか?」
シュンとした声でシェーラに宣誓する拓真であったが、またしても彼女が彼の言葉を曲解した挙句、更なるいちゃもんをつけてくる。
どうやら彼女は、どうしても彼のナニを切り落としたいようであった。
「やめてください! お願いします!
……ていうか、シェーラさん辺りに確認してもらえれば良いんじゃねぇか!」
「私の仕事を増やさないでください!」
「いや、其処は頼むよ! さすがにあんな事故は、もう勘弁してくれよ!」
シェーラに追い詰められて、悲鳴を上げる拓真。
さすがに本当に勘弁して欲しいと思っているのか、彼の声に所々涙声のようなものが混ざっていた。
「まぁ、それは後程という事で……さっさと目の前のコレを処分致しましょう!」
「いや、処分しちゃダメだろ!?」
「この仕事を処分する、という意味です」
「紛らわしい……」
シェーラの屁理屈のような言い回しに本気で頭が痛くなったのか、拓真は頭痛を堪えるように額を押さえている。
……というか、どう考えても屁理屈そのものであった。
「では、分解しますか?」
「してどうすんの!?」
「汚物まみれのオムツと、汚物みたいな本体を分解する、という意味です。
まぁ、見分けがつき難いかもしれませんが……」
「だから、紛らわしいって言ってんじゃあ!!」
さりげなくシェーラがシロウマ(以下略)をディスっているが、そんな事は拓真にとって些細な事である。
もう一度同じことを繰り返した彼女に、今度は拓真が本気でキレていた。
「まぁ、冗談はそのくらいにして、さっさと作業を始めましょう!」
「一方的に冗談を言ってるのはアンタだろうが!?」
「勇者様、そっちの結び目を解いて下さい」
「無視かよ! おい!」
拓真のリアクションをサラリと無視して、てきぱきと彼に指示を出すシェーラ。
彼女の態度にぶつくさと文句を言いながらも、拓真は素直にシェーラの指示に従ってオムツの結び目に手をかけた。
少し水気を吸って固くなったのか、結び目はなかなか簡単には解けようとしない。
……水気の正体が何なのか、敢えて考えないようにする拓真であった。
暫く悪戦苦闘していた二人は、やがて結び目の解放に成功する。
今……パンドラの箱に勝るとも劣らぬ災厄の源が、封印を解かれようとしていた……。
次回の投稿は、9月5日頃になります。




