第18話 ○○を××で煮詰めても△△にはなりません。
「お見苦しいところを見せてしまって、申し訳ありませんでした」
「いえいえ、クラウスさんのせいではありませんから、お気になさらずに」
クラウスとユリアの常識人コンビが、互いに常識的な言葉を交わしていた。
一般に、謝罪から始まる外交は良くないと言われているが、今回のケースではさすがにそんな事を言っていられない。
何しろ、こちら側が一方的にやらかしてしまったのだから。
しかも原因が、仲間内での食事の盗り合いである。
これでは全く弁護の余地がなかった。
「そうはおっしゃいますが、魔王様を目の前にしての食事の盗り合いなど言語道断。
二人には後程、厳しく言って聞かせます故、どうかこの場では御容赦下さいませ」
「許すも何も、先程伝えた通り、私の方からは特に何もするつもりはありません。
もう十分に処罰は受けたようですし、二人を許してあげてください」
クラウスとユリアの会話が続いている。
しかし、拓真には不満があった。
どういうわけか、被害者であるはずの自分が、加害者にして常識知らずの究極馬鹿(拓真評)であるジャスティンと同列に扱われている気がする。
実際は、『気がする』どころか、もうとっくの昔に同列視されていたのだが……。
しかも、ユリアがそれを肯定するような発言をしている。
一体、彼女はどういうつもりだったのだろうか?
これは……マズい。
せっかく彼女の好感度を稼いで、『頼れるお兄さん』ポジションを得ようと彼なりに努力してきたつもりなのに、その結果がジャスティンと同じ『残念な人』扱いでは、悔やんでも悔やみきれなかった。
どうやら『もう手遅れ』という冷静な意見は、彼の耳に届いていないようである。
自分に都合の悪い情報は耳に入らない、ある意味幸せな体質の拓真であった。
「おぉ、ありがとうございます。
ユリア様の寛大なる御心が伝わって彼等も感涙に咽ぶ事でしょう」
「もぅ、クラウスさんは大げさなんですから。
さすが司祭様だけあって、随分と口が上手いんですねぇ」
「はっはっは、職業病ですかねぇ」
「「あははははは」」
話が一段落したのか、二人ともニコニコ笑いながら紅茶を口に含んでいる。
まるで醜い大人の腹の探り合いのような会話であった。
ユリアの下手をすると皮肉とも受け止められかねない言葉を、軽く受け流して無難に収めてしまうクラウスの話術は、さすがに見事である。
彼の話術は、普段から信者の前で説法をしたり、懺悔や相談にアドバイスを送っているだけあって、拓真にはない安定感に満ちていた。
要は経験値そのものが違うのだ。
だが、この状況は拓真にとって都合が悪かった。
普段なら、『さすがクラウス』と思ってホッと一安心するところなのだが、これでは『頼れるお兄さん』ポジションがクラウスのものになってしまう。
いや……もう既になっている可能性が大であった。
おそらくクラウスは、そんなものを狙っているつもりは毛頭ないのだろうが、嫉妬に凝り固まった拓真が、心中穏やかでいられるはずがない。
……心の狭い勇者であった。
「……この紅茶、とても香りが良い」
「そうですか。お気に召していただいて何よりです、アランさん」
「……しかもミルクや砂糖まで付いている。信じられない」
「あはは、どうぞお気になさらず御自由にお使いください」
「……この恩は一生忘れない」
「そんあ、大げさですよ。アランさんは」
今度はアランのぼそぼそと呟くような声に、ユリアがにこやかに答えている。
だが、口調とは裏腹にアランの表情は珍しく喜色に満ちていた。
よく見るとクラウスも、そしてあり得ない事にジャスティンも!?
フラジオンの住人である拓真以外の三人が、何故か感心を通り越して感動していた。
「なぁ、俺はイマイチ事情が呑み込めないんだけどさ、この紅茶に何か特別なモノでもあるのか?
確かに香りは良いし、高級品だってことはわかるけど」
「……紅茶はとても貴重」
「そうですね。紅茶なんて飲めるのは、王侯貴族くらいのものでしょうか?
あとは……政商クラスの大商人くらいですかねぇ……。
実際、私も一回しか飲んだ事はないですから」
「俺だって殆ど飲んだことはないぜ」
「へぇ~」
「ふ~ん、そうなんですか」
拓真の疑問に、三者三様の答えが返ってくる。
……まぁ、クラウス以外の二人の答えは、殆ど答えになっていなかったが。
ティーバッグや缶やペットボトル入りの紅茶が普及していた現代日本から来た拓真には想像できない事であったが、どうやらフラジオンでは紅茶は貴重品であるらしい。
どうやらその辺の事情はユリアも知らなかったようで、タクマと二人で感心していた。
アランの話はさらに続く。
「……しかも、砂糖とミルクが付いていて、それが使い放題。あり得ない」
「そうですね。私も砂糖なんて初めて見ましたよ」
「俺は、砂糖自体は見た事あるけど……砂糖ってこんなに白かったっけ?
もっと黒っぽかったような……」
おそらくジャスティンが見た物は、黒糖と呼ばれる物だったのだろう。
その黒糖を精製すると、今、彼らの目の前にあるような白糖になる。
だが、そんな事実を知らないクラウスとアランは、発言者自体を疑っていた。
これもジャスティンの人徳のなせる業……というヤツであろうか?
「……たぶんジャスティンは騙されたんだと思う」
「或いは記憶違いですね」
「いや、違うよ! 舐めてみたら確かに甘かったもん!」
アランとクラウスの追及に、珍しくジャスティンが反論していた。
彼も一応は貴族の生まれなので(それも侯爵家だ)、砂糖を見た事があっても不思議ではないのだが、何故か二人はそれを信じようとしないようだ。
拓真としては、面白そうだから、もう少し放っておこうと思っていたのだが……。
「……それはたぶん……鼻糞を蜂蜜で煮詰めたモノ?」
「うげぇ!」
誰だ! そんなモノを作ったヤツは!
アランのとんでもない想像に、拓真は思わず紅茶を噴き出しそうになった。
クラウスは紅茶が気管に入ってしまったのか、苦しそうに噎せている。
ジャスティンはその時の事を思い出したのか、本気で吐きそうになっていた。
ユリアも思わずそれを想像してしまったのか、不快そうに顔を顰めている。
話がまたとんでもない方向に行きかけているのを察知した拓真は、慌てて場を収拾するために真実を明らかにする事にした。
ジャスティンを弁護するようで、甚だ不本意ではあるが……。
「たぶん、ジャスティンは嘘を吐いていないと思うぞ。
昔、ジャスティンが見たって言うヤツは、おそらく黒糖と呼ばれる種類の砂糖だろう。
そして、今、目の前にあるヤツは、それを精製した白糖と呼ばれるヤツだ」
「良く知っていますね、タクマ」
「……初耳」
「あぁ、前にいた……サトウキビ畑で働いていたからな!」
思わず『前にいた世界』と言いかけて、慌てて誤魔化した拓真。
勿論、『サトウキビ畑で働いていた』なんて大嘘である。
彼が異世界から来た事は、ユリアたちには秘密であった。
アランが言うには、何でも話し合いをするには都合の悪い伝承があるらしい。
その事は謁見の間に入る前の打ち合わせで、皆には伝えてあるはずだった。
ジャスティンは忘れていると思うけど……。
どうやら彼の場合は、拓真が異世界から来た事自体を忘れているらしく、特に何も言ってはこなかった。
「サトウキビって何ですか?」
「サトウキビというのは、砂糖をとるために植えられた作物の名前で、そいつの茎をギュッと絞ると砂糖がとれる。
此処からはるか南の島で栽培されているはずだ」
「へぇ~」
ユリアの質問に、自分の頭の中にある知識を総動員して丁寧に答える拓真。
総動員してこの程度だから、はっきり言って彼の知識も大したものではなかった。
だが、全くサトウキビの事を知らなかったらしいユリアは、素直に感心したように頷いている。
悪くない答えが出せたと思っている拓真だったが、問題はフラジオンにサトウキビが実在するか、という点にあった。
「……精製ってどうやるの?」
「其処までは知らん。やった事ないし、俺は聞いたことがあるだけだ」
「……役立たず」
「うるせぇ!」
「さすがにそれは言い過ぎでしょう、アラン」
「そうですよ、アランさん。
お砂糖がサトウキビからとれるなんて、私、初めて知りましたもの」
アランの質問には、ぞんざいに答えておく拓真。
知らないものは知らないし、さすがにネットのないこの世界では調べ物をするのもひと苦労だから、答えとしては間違っているわけではなかった。
「タクマ、ありがとう。俺の事を信じてくれて」
「いや、別に俺はお前の事を信じたわけじゃない。
単にお前の言っているモノに心当たりがあったから、そう答えただけだ」
「いや、それでも俺の言う事を信じてくれる奴がいる事が嬉しかったんだよ」
そう言いながら、何故か感動したように瞳を潤ませているジャスティン。
そんな視線を向けられた拓真は、気持ち悪さのあまり思わず逃げ出しそうになった。
この男、普段、どれだけまわりに信用されていないのだろうか?
そう思った拓真は、少しだけ彼に意地悪する事にした。
「勿論、アランが言うように、ジャスティンが昔見たソレが、鼻糞を蜂蜜で煮詰めたモノであった可能性はある」
「タクマ~」
「あくまで可能性だ、可能性。
俺は、ジャスティンがソレを見たって言う現場にいたわけじゃないからな」
「……確かに」
「「……」」
珍しく自分の弁護をしてくれた彼のいきなりの裏切りに、ジャスティンが情けない声を上げている。
アランは相変わらず無表情のままう頷いているが、拓真がジャスティンをおちょくっているだけだと看破したクラウスとユリアは、下を向いたまま笑いを噛み殺していた。
少なくとも、さっきまでの殺伐とした空気ではなく、お茶会らしい穏やかな空気が流れているのだが……何で話題が『鼻糞を蜂蜜で煮詰めたモノ』なんだ!?
とりあえず大きな問題が起こらなかった事に、スーリヤ神に感謝の祈りをささげる無責任なクラウスだった。
暫くの間、感動に打ち震えていた勇者の仲間たちを、拓真とユリアが生暖かい目で観察していると、不意に残念騎士ことジャスティンが声を上げた。
「あ、ユリアちゃんに俺からひと言、言って良い?」
「はい? 何でしょう?」
(((こいつ、何を言い出す気だ……?)))
突然の発言に、かたずをのんで見守る三人。
何しろジャスティンという男は、不用意な発言で要らぬトラブルを引き起こす常習犯であったからだ。
ただでさえ拓真とジャスティンがやらかしてしまったばかりのところを、何とかクラウスとアランの二人のフォロー(?)で挽回したばかりである。
此処でまたこの男が、ふざけた発言でユリアを怒らせたりしたら……それこそ取り返しがつかなくなる可能性が大であった。
かといって、此処で彼の口を塞ぐのも悪手である。
どうやらユリアはまだジャスティンの本性に気づいていないようだし(さっきの一件で、少しおかしな人であるという認識はあるだろうが)、何より此処まで来たらもう間に合わなかった。
おかしな事を口走った瞬間、彼を物理的に黙らせる事ができるように、と秘かに準備を整える三人。
楽しそうに話を始めた二人を置き去りにして、部屋の空気が並々ならぬ緊張感に満たされ始めていた。
「スペアリブご馳走様。すごく美味しかった」
ズデン! ガタン! ドサッ!
器用に椅子から滑り落ちる拓真、クラウス、アランの三人。
「はい、お粗末様でした……て、皆さんどうしたんですか?」
拓真たち三人の、不審な行動に眉を顰めたユリア。
またユリアの好感度が下がってしまったような気がするが、今はそれどころではない。
突然、起こったあり得ない現象に、三人は目を見開きながら感動に打ち震えていた。
「……ジャスティン……お前……」
「……ちゃんとお礼が言えたんですね……」
「……信じられない……」
「てめぇら、俺の事、何だと思ってんだ!?」
ジャスティンが殺気の籠った視線で睨みながら抗議するが……、
「非常識大王」
「歩く失言装置」
「……首から上が必要ない人」
「……」
どうやら普段から思っているらしい事を全員からきっぱりと断言されて、何も言い返せずに口をパクパクさせながら黙り込んでしまう。
あまりの惨状を見かねたらしいユリアが、彼に代わって三人を注意するものの……、
「ちょっ、ちょっと、皆さん酷過ぎませんか?」
「おぉ、さすがはユリア様! こんな男にもお慈悲をかけてくださるとは……」
「まさに地上に舞い降りた天使の如き優しさですな」
「……天使などではなく、女神なのかもしれない」
「ちょっ、ちょっと、どうしたんですか? 急に」
さっきまでのジャスティンへの仕打ちとは打って変わって、自身への称賛の言葉を次々と口にする三人の姿に、戸惑ったように目を白黒させていた。
二重人格を疑われても仕方のないくらいの、見事な豹変ぶりを見せる三人。
それどころか……、
「フラジオンでは、魔王と女神は同一の存在なのか?」
「そんな話は聞いた事がありませんが……ユリア様を見ていると、そうとしか思えませんなぁ……」
真面目な顔つきのまま、とんでもない事を言い出した拓真
神学的には、破門を言い渡されてもおかしくないくらいの暴言なのに、クラウスがそれを叱るどころか肯定するような意見すらしてしまっている。
確かこの男、神に仕える司祭のはずだったような気が……。
「……神学は専門外だけど、議論の余地は充分に残されていると思う」
「慈愛の女神とか」
「……パールヴァティーですか」
「……魔王の正体は、慈愛の女神?」
「……お願いですからやめてください……恥ずかしくて死にそうです……」
さらに専門外だと言いながらも、アランまで真剣な顔で議論に加わってくる。
三人がかりの褒め殺しに遭い、顔を覆ったまま机に突っ伏してしまったユリア。
本気で照れているのだろう。
よく見ると、髪の隙間から見える耳まで真っ赤になっていた。
「……なぁ、俺とユリアちゃんの扱いの差が酷過ぎね?」
ジャスティンが、ぼそぼそと不満げなセリフを垂れ流してきたが……、
「何、当たり前の事を言ってんだ? ジャスティン」
拓真は、心の底から不思議そうに、
「日頃の行いの差ですね」
クラウスは、さも当然のように、
「……これは差別じゃなくて区別」
アランは、いつもどおり無表情のまま、
「……お前ら本当に仲間かよ!」
「「「仲間?」」」
「……もういい」
絶望的な宣告を、彼に突き付ける仲間(?)たち。
わざわざ疑問形にしているところが、悪質というか、何と言うか……。
何かを悟ったように、ユリアと同様、机に突っ伏してしまうジャスティン。
こちらも耳まで真っ赤になっていた。
二人とも似たような姿勢になっているが、互いの心理状態は正反対である。
暫くすると、おいしそうな匂いとともに部屋に入ってきたシェーラさんが、机に突っ伏したままの二人を不思議そうに見ていた。
だが、やがて自分の職務を思い出したのか、何も言わずに焼き立てのアップルパイをテーブルに置き、紅茶のお代わりを皆に注いでくれる。
香り高い紅茶に口を付けながら、三人は動かなくなってしまったユリアとジャスティンを、彼等の気の済むまでずっと生暖かい目で眺めていた。